東 大阪 市長 選挙。 東大阪市議会議員選挙

日本最年少市長が誕生! 大阪府四條畷市で東修平氏が28歳3ヶ月で当選 | 日本最大の選挙・政治情報サイトの選挙ドットコム

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「一言で言うと、裏切られた、だまされたということなんです!」 3月11日、大阪市内で開かれた「大阪維新の会」の「府政・市政報告会」。 吉村洋文・大阪市長は支援者らを前に声を張り上げた。 そこからは公明党への恨み節が続く。 「公明党はやるって言ってたんですよ、紙にまで書いてやるって言ってた」 吉村市長が言うのは、維新の看板政策「大阪都構想」に協力するはずだった大阪府議会、大阪市議会の公明党会派が昨年末ごろから態度を変え、大阪都構想の制度設計を根本から見直すよう主張し始めたことだ。 松井一郎知事と吉村市長らは、2017年4月時点で「大阪維新の会」と「公明党大阪府本部」は、大阪都構想の最終手続きである大阪市民の住民投票を実施する「合意書」まで交わしていたとマスコミに合意書のコピーを配布して暴露。 維新と公明の「密約」は真相不明 「府政・市政報告会」には少々遅れて松井知事も到着。 次の予定に向けて退場した吉村市長と入れ替わりで今回の選挙の意味を述べた。 「もう一度、皆さんに民意を聞いて、その民意をもって公明党の考え方を改めさせていきたい」 大阪市を廃止し特別区に分割する大阪都構想は、2015年5月の住民投票で否決されている。 今もまだ大阪都構想が終わっていないのは、同年11月の府知事、大阪市長のダブル選挙で維新の松井知事と吉村市長が当選したからだ。 「2015年11月の僕と吉村市長のダブル選挙で都構想をもう一度やるという民意をいただいたんですから、もう1回ここで、やるかやらんかの民意は僕と吉村市長が先頭で戦うしかないんです」と松井知事は訴える。 大阪都構想の復活劇の中で維新と公明党が水面下で密約をし、公明党がその約束を反故にしたので、「公明党に裏切られた。 選挙という民意で公明党をやっつける」というわけだ。 随分と政治家の勝手な言い分である。 大阪都構想は政令指定都市の大阪市を廃止して弱小自治体の特別区に分割する自治体再編であり、解体される大阪市民にはおそらくデメリットしかない。 そんな重大事案について、市民に内緒で政党間の密約をし、破綻したから「民意を問う」と言う。 そもそも、大阪市の廃止に反対の公明党がなぜ維新と密約を結んだのか、どうしてそんなことになったのか、理由や経緯などの「密約の内幕」は明らかにされていない。 市民はいきさつが分からないケンカで、「どっちが悪いか」という判定だけを求められているようなものだ。 松井知事や吉村市長は「死んでも死に切れない」とか「約束を守るという世間の常識が通用する政治にしないといけない」などと言うが、それならまず、市民不在で公明党と密約を結んだ真相を明らかにするべきだ。 これは公明党についても同じことである。 知事と市長が入れ替わって安上りに 維新は「大阪都構想の再挑戦にもう一度、民意を問う」と出直し選挙っぽく意味付けするが、松井知事と吉村市長がそのままの立場で選挙に出馬するのではなく、松井知事が大阪市長に、吉村市長が大阪府知事に出るという「入れ替え選挙」を行う。 松井知事は報告会でこう言った。 「僕と吉村市長がそのまま知事選、市長選に出たのでは、また今年11月に府市のダブル選挙になる。 ダブル選挙にかかる費用は府市合計で25億円。 (統一地方選挙の)府議選、市議選と一緒にすれば10億円で済みます。 15億円助かりますねん。 税金の使い方としてどっちが得ですか?」 要するに「税金の節約」で知事と市長が入れ替わるというのだ。 しかし、選挙とは市民が自分たちの代表を選ぶためにあえて経費をかけて実施する制度であり、安けりゃいいというのは選挙制度の本質からズレた価値観である。 大阪の維新政治をウオッチしている帝塚山学院大の薬師院仁志教授(社会学)は、「知事と市長は任務が異なる以上、それぞれに相応しい人物が立候補すべきであって、中古品交換選挙にすれば安上りだというのは全くの本末転倒」と指摘する。 通常の出直し選挙なら当選しても任期はあと7~8カ月、入れ替わり選挙で当選すれば任期は4年に延びる。 しかも、この入れ替わり選挙は、統一地方選挙である4月7日投開票の大阪府議選、大阪市議選と同日実施になるため、地方議員選挙では維新候補者の追い風となる。 表向きは公明党を悪者にした大阪都構想再挑戦選挙だが、極めて党利党略的な選挙戦術がからんでいる。 選挙そのものの是非が選挙の争点の一つ 維新候補の対抗馬として大阪府知事選出馬を決断し、記者会見で「公職の政治利用は納得できない」と述べる小西・元大阪府副知事 府知事選に鞍替えする吉村市長の対抗馬として出馬するのは小西禎一・元大阪府副知事、大阪市長選に鞍替えする松井知事の対抗馬は柳本顕・元大阪市議(自民党会派)と決まった。 小西元副知事は3月11日の出馬会見で「政党間の協議、調整がうまく整わなかったということで知事、市長という公職を投げ打って選挙を実施するのは、政党間の協議に公職を手段として利用している。 長年、大阪府で働いてきた者としては、どうしても納得がいかない」と怒りをにじませた。 「大阪府知事と大阪市長が任期途中で辞任して入れ替わるのはクロスではなくバッテン」と大阪市長選に2度目の挑戦を決意した心境を語る柳本・元大阪市議 柳本元市議は3月16日の出馬会見で、今回の選挙が知事、市長が任期途中で辞めて入れ替わることから「投げ出しクロス選挙」と言われていることについて、「これはクロスなんて格好いいものではなくバッテン、ペケポンだ。 この状況に憤りを覚え、こんなこと許されていいのかと感じた」と批判。 柳本元市議は前回の大阪市長選で吉村市長と戦って落選。 その後、叔父の柳本卓治参院議員の後継者として、今年7月の参院議員選挙で大阪選挙区の自民党公認候補に決まっていたが、「大阪市をこのままほっておくわけにいかない」と大阪市長選に2度目の挑戦に踏み切った。 大阪都構想の最終決着となるか 2010年に大阪都構想を掲げて地域政党「大阪維新の会」が設立して以来、大阪は政治も行政も市民も大阪都構想に揺さぶられ続けてきた。 議会で否決しても、住民投票で否決しても、大阪府市が維新政権である限り、ゾンビのように蘇るのだ。 今回の「入れ替わり選挙」を維新は15億円の節約というが、大阪都構想は2015年5月の住民投票までで既に30億円以上費やしている。 小西元副知事は出馬会見で「大阪は2025年の万博、産業振興、観光、子供の貧困などいろいろな課題を抱えている。 そんな中で、大阪府の職員は大阪都構想に相当の精力を費やしている。 この選挙で住民の真意を問うと(維新が)おっしゃられるなら、この機会に(大阪都構想は)もう終わりにしなければいけないと思った」と大阪都構想に決別宣言。 柳本元市議も「大阪を混沌とした混迷の渦に落とし込む大阪都構想議論に終止符を打つラストチャンスとの思いを持って、戦いに臨んでまいりたい」と決意を述べた。 大阪市を廃止して幾つの特別区に分割するのかなど、大阪都構想の設計図を協議する「大都市制度(特別区設置)協議会」(通称、法定協議会)は3月7日、今年度最後の会合が開かれた。 住民投票で否決された後の2度目の法定協議会は2017年6月から始まったが、法定協議会で議論が始まる2カ月前に維新と公明党の間で「(2度目の)住民投票を実施する」との密約が成立していたわけで、23回目となる年度内最後の会議で自民党会派の花谷充愉府議は「八百長会議のアリバイ工作に付き合わされた」と憤懣をぶちまけた。 迷惑しているのは法定協議会の構成員である議員だけではない。 270万人の大阪市民が「解体」のまな板の上に載せられ続けているのだ。

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概要 [ ] (第20代市長)がへ鞍替え出馬することに伴う大阪市長選挙である。 からは、同党代表でであったが立候補。 と府本部からはが立候補する。 柳本顕は、・からの支援を受け、選挙戦に臨んでいる。 大阪市長選挙が統一地方選挙に内包される形で執行されるのは1971年(昭和46年)の 以来48年ぶりである。 2019年3月3日に、松井は「出直しクロス選挙」に臨む考えを示した。 出直し選の場合、当選しても任期満了時に再び首長選が実施されることから、松井は「知事のまま出直したら、もう一度11月に選挙をしなければならない。 税金を預かる僕としては、これほど効率の悪いことはない」と「出直しクロス選挙」に出る理由を説明した。 朝日新聞は、「4つの選挙を同日にすることによって機運を盛り上げ、議会選で単独過半数を目指す戦術にほかならない」と評価し 、毎日新聞は「地方自治制度に対する二重の背信」と批判した。 財界は、の準備に向けた正念場だけに、2025年大阪・関西万博の誘致活動で醸成された官民の「蜜月」を継続したい考えを示している。 選挙データ [ ]• 2019年 告示 投票日 [ ]• 2019年4月7日 投票率 [ ]• 松井氏は市内の24区全てで勝利した。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 日本新聞. 2019年3月21日. 2019年3月21日閲覧。 NHKニュース. 2019年3月23日. 2019年3月23日閲覧。 産経新聞. 2019年3月18日. 2019年3月23日閲覧。 2019年4月3日閲覧。 市史編纂所管理者. 大阪市立図書館ホームページ. 大阪市立図書館. 2019年3月25日閲覧。 朝日新聞. 2019年3月4日. 朝日新聞. 2019年3月9日. 毎日新聞. 2019年3月5日. 産経新聞. 2019年3月21日. 2019年3月21日閲覧。 NHK. 2019年4月8日. 2019年4月11日閲覧。 毎日新聞. 2015年12月26日. 2018年7月20日閲覧。 朝日新聞. 2019年3月24日. 2019年3月27日閲覧。 産経新聞. 2019年4月11日. 2019年4月11日閲覧。 毎日新聞. 2019年3月23日. 2019年3月23日閲覧。 毎日新聞. 2019年3月9日. 2019年3月23日閲覧。 関連項目 [ ]•

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【東 修平 経歴】 1988年大阪府四條畷市生まれ。 四條畷高校、京都大学工学部卒業、同大学院工学研究科修士課程修了(原子核工学専攻)。 その後、外務省、野村総合研究所インドを経て、現役最年少市長となる(当選時28歳)。 全国初の取組みとして、民間人材サービス会社とのコラボによる副市長公募や、コミュニケーションアプリを用いた協働のまちづくりシステムの構築など、新しい基礎自治体のあり方に挑み続けている。 -2017年1月に行なわれた四條畷市長選挙で、当時28歳の東修平氏が勝利し、現職最年少の市長が誕生した。 就任後1年半弱の月日を経て29歳となった東市長は、今もなお現職最年少市長である。 本インタビューでは選挙において重要とされる「ジバン(支持組織)、カンバン(知名度)、カバン(お金)」を持たない東市長の戦い方、そして、出馬にいたる歩みを詳しく伺った。 選挙戦の具体的な話を公の場で聞くことは少ない。 首長がこのような選挙を経て誕生していることについて、改めて考えるきっかけになればと思う。 科学的知識がある人間が国に足りていない 加藤(インタビューアー):最初に外務省に入られて、その後に大手シンクタンクの野村総合研究所に転職、そして、選挙に出馬されました。 もともと国家公務員になろうとした理由は何だったのでしょうか? 東市長:大学院では工学研究科の原子核工学という専攻で、原子力をずっと勉強していたんです。 2011年の4月に大学4年生から修士1年に上がるんですけど、その前月に東日本大震災があったんですよ。 原子力を学んでいた人間たちからすると、爆発してしまったことは当然で、授業でやった通り。 ついこの間に習ったことだから、次に何をしたらいいか我々は分かる。 でもあの時、政府は右往左往して、とりあえず現地に行ってみたり、合理的ではないことをやって被害が拡大したじゃないですか。 僕はぼんやりとエンジニアになろうかなと思ってたんですけど、その瞬間に科学的知識がある人間が国に足りてないと思いました。 それで、翌月に国家公務員試験があると聞いたので受けてみようと思いました。 加藤:それで受かるのもすごいですが、国家公務員試験は受験された区分でその年の一番の成績で受かっていますよね。 それなのに、1か月しか勉強しなかったんですか? 東市長:問題を見てみたときに「これはいけるんじゃないか」と思いました。 加藤:なんで、いけると思ったんですか? 東市長:たとえば、数論みたいなのもあって、物理やっている人間からすれば生業みたいなものじゃないですか。 だから、それは勉強が要らない。 みなさんそこに結構時間使いますよね。 専門科目や英語も院へ行くのに必要だったので直前までしっかりと勉強していたのと、歴史とか政治はもともと好きなので、あまり勉強する必要がなかった。 加藤:なるほど(笑)。 それで、受かって外務省を選んだんですね。 外務省を選んだ理由 東市長:経産省や文科省は明確に文系職と理系職で採用を二分しているんですが、財務省と外務省は理系出身でも、技官として採用しないんですよ。 全くのフラットで事務官採用。 だから先輩たちも「あ、君、理系だったの?」くらいのことを言うんです。 それがまず、すごく良いなぁと思った。 それと、もともと何か世の中にためになることをしたいという思いが小学校くらいから漠然とありました。 だとしたら、実際に国の動きを知らなければいけない。 その時、中枢に最も近いのはやはり外務省だと思いました。 首相の一日のスケジュール見ても、大半は外務省の人間との面会だったりする日もあるぐらいですから。 経営を知るため大手シンクタンクのインド子会社へ 加藤:外務省から野村総合研究所に転職されました。 それは、何を意図していたんですか? 東市長:完全に首長としての準備です。 政治家になりたいのではなく、首長になりたかったので、経営を知らないとダメ。 経営を知ろうと思ったら、起業するか、トップのコンサル企業に行かないと分からないと思いました。 でも、プロジェクトの下っ端から3年、5年かけるのは時間がかかると思っていた頃に、野村総合研究所のインド拠点が立ち上がったばかりで、日本人が足りていないと聞きました。 その現場に行ったら、3年目とかの社員がやることを3か月でも任せちゃうような状況だと聞いて惹かれ、実際、レベルの高い仕事をやらしてもらえた1年でした。 価値観を変えた 外務省時代の上司の死 加藤:そうすると、2年半くらいの社会人経験の後で選挙に出たんですか? 東市長:本当は野村総研に10年いる予定だったんですけどね。 僕が市長になった時、社会人3年目だったんです。 職員の前ではあまり言われへんなと思ってます(笑)。 加藤:なんで、時期を前倒しして選挙に出ることになったんですか? 東市長:究極のきっかけは外務省にいる時にありました。 僕は経済連携課という部署にいて、そこはTPPなど他国との経済連携協定などを担当する部署でした。 そこに入って4か月くらいの時に、課長として配属されてきた方が松田誠という方なんですけど、外務省を代表するエースと言われるような方で、後に僕の人生の師となる人でした。 松田さんもたまたま、私と同じ京都大学の原子核工学を専攻されていて、それは外務省で二人だけしかいなかったんです。 1年生の職員は普通、課長とあまり話ができないんですけど、しょっちゅうランチとかに行って、二人で物理の話とかをしていました。 そういう話ができる人間が他におらんかったんだと思います。 加藤:なるほど。 東市長:いろんなことを課長から教えてもらいましたが、想像できないぐらい優秀な方で、驚くほど仕事ができるし、終えるのも早い。 TPPとかも、前任が何年も交渉を進めていたものは、普通、簡単に引き継げないですよね。 それを全く継ぎ目なく担当されて、実際、彼が大筋合意に導いた立役者の一人とも言われています。 経済連携課に来る直前では、天皇皇后両陛下が歴代天皇として初めてインドに訪問する際、1年だけその担当課長になるなど、常に国の重要課題を担当されていました。 そんな人なのに、仕事は定時に来て定時に帰るんです。 土日は家族のために料理を作ったりする。 こんな人間が存在するんだと思うほど、極めて温厚で尊敬すべき人格者でした。 びっくりするのが、松田課長は歓送迎会という行事を何よりも重要視されていたんです。 5分前とかになっても、みんながオフィスでバタバタと仕事しちゃうじゃないですか。 それを絶対許さないんです。 課長は定時に仕事を終えて本を読んでいるんですけど、15分前くらいになったら順に声を掛けていくんです。 そうしたら、仕事を止めるしかないですよね(笑)。 珍しいですよね。 なんでそんなに歓送迎会の時間に厳しいのかと尋ねたら、「いやいや東君、歓送迎会っていうのはね、これまで一緒に働いてきた仲間に『ありがとう』、これから一緒に働く仲間に『よろしく』という行事なんだ。 それ以上に大切な行事があるか?」と。 でもね、そう言って半年後に亡くなられたんです。 49歳ですよ…。 交渉が大変過ぎたんじゃないかと思います。 定時に帰っていらっしゃったんですけど、熱心な方だったので、帰宅後もずっと勉強され、おそらく寝てなかったんじゃないでしょうか。 その時、僕の価値観がグッと変わったんです。 課長みたいな素晴らしい方でも49歳で亡くなるんだったら、自分なんかがノウノウと下積みをしている場合じゃないと思いました。 僕の全ての起点はそこです。 facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

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