人 は それぞれ 正義 が あっ て。 正義(せいぎ)とは

【悲報】「正義中毒」という現代人を蝕む病 : りぷらい速報

人 は それぞれ 正義 が あっ て

他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質である ドーパミンが放出されます。 この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せな くなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになる のです。 こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」 と呼ぼうと思います。 この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。 この「正義中毒」は、危機的な状況になればなるほど、盛り上がりやすい素地が できます。 現在は新型コロナウイルスの蔓延と同時に、世界恐慌というべき 側面になってきていますが、「正義中毒」の現象がさらに強く起きてくると 思います。 私は今回、そうした現象にどうしても目が行ってしまいました。 【牛窪】メルカリやヤフオクでも、マスク売買が禁止される直前、「それって転売ですよね」など と叩く人々が、多く見られました。 一体なぜなんでしょうか? 【中野】「自分が社会正義を執行したい」という欲求はとても強力なものなんです。 自分が正しい側にいて、規範から逸脱した人を攻撃すると「自分 はいいことをした」という報酬が脳内で得られるんです。 その報酬が快感として味わえるので、これを覚えてしまうと、攻撃する相手がいなくなるとちょっと物足りない気持ちになったりする。 そして、 少しでも規範から逸脱した人がいないかと目を皿のようにして探してしまうんです。 これを私は「正義中毒」と名付けているんですが、今回のように 危機的な状況になると、必ずこうした正義中毒の人が増えてきます。

次の

太田毅人さん|それぞれの「正義」を言葉でつなぐ。 海と人間が末永く共存できる社会のために。 |another life.(アナザーライフ)

人 は それぞれ 正義 が あっ て

これからの時代に『正義』は要らない。 「正義」がもう要らないんだとしたら、これからの時代には何が必要なのでしょうか。 それはもう皆さん自身が、答えを知っています。 大切な人と喧嘩をしたとき、どうやって仲直りしますか? 相手の考えていることを聴き、 相手の想っていることを聴き、 自分の考えや、想いをちゃんと伝え合うこと。 ひとえに 『対話』することです。 僕たちは対話してこなかったんです。 相手の立場を分かろうとしてこなかったんです。 だからこそ、お互いの正しさを「正義」としてぶつけあってきた。 最後に 今日で戦後71年。 今生きている僕たちの世代が、戦争体験者の方の話が聴ける最後の世代だと言われています。

次の

「人それぞれだよ」がダメな理由――井上達夫『世界正義論』感想

人 は それぞれ 正義 が あっ て

今月のことばは昨年十月にリリースされ、大ヒットした「SEKAI NO OWARI」の『Dragon Night(以下、ドラゴンナイト)』 の歌詞からです。 ) この曲は昨年の紅白でも披露され、あちこちで流されていたので皆様も耳にしたことがあるのではないでしょうか。 ピエロの衣装やトランシーバーをマイク代わりにするなど、独特の世界観を持つ四人組のバンドで、軽快な楽曲に強いメッセージを歌詞に載せて発信しています。 その中でこの『Dragon Night』という曲は、人間の根本的問題ともいうべき自我について、正義という言葉でもって表現します。 今ニュースを賑わしているのは、子供たちの集団暴行や惨殺事件、首相が推し進める安全保障関係、世界に目を向ければ、同じ宗教信者同士(派は違う)が三つ巴四つ巴で撃ち合い、白人と黒人と…、人間の争いに関することを目にしない日ない。 ただ、これらのことは現代の社会問題なのかといえばそれだけではなく、人間の歴史が始まって以来、我々人間が常に抱えてきた不変の問題だろうと思うのです。 もっと身近に考えても、学校、家庭、職場と私たちをとりまく環境はさまざまで、決して安心できないある意味戦場ではなかろうか。 こんなことを思うのは自分だけかと思っていたら、多かれ少なかれ大概皆そう思っていたりするのでおもしろい。 その中で道徳や秩序といったものがどれほど頼りになるものか。 絶対的に身をゆだねていられないのが私たちの正体だ。 曲の中で、この世から争いがなくなる夜(ドラゴンナイト)は、「 今宵は百万年に一度」であるそうだ。 地球で人間の時間が始まってから百万年、「 終わりの来ないような戦いも 今宵は休戦して祝杯をあげる ~ 今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ」実は皆このドラゴンナイトを待ちわびている。 ではなぜ、人は争いをやめないのか。 「 人はそれぞれ「正義」があって 争い合うのは仕方ないのかも知れない」 正義とは何か? 正義とは完全無欠の善、正義でないものは悪、というとらえ方に間違っているという人は少ないであろう。 ところが辞書で正義をひけば【人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値(ブリタニカ)】とある。 究極的な価値は一つであるから、歌詞のように正義が人それぞれであったらあべこべだ。 この究極的な価値こそドラゴンナイトであろう。 私たちの親先祖はそれぞれの正義を超えた、この究極的な価値(本当の道理)を請い求め、見出すことを目指してきた。 仏教ではこれを浄土といい、またこの歌詞にいうそれぞれの正義を自我という。 自我は人間が自利利他円満、皆が満たされる浄土に共に立てない一番の原因と教えます。 「 だけど僕の「正義」がきっと 彼を傷つけていたんだね」 普段私たちはこの自我(人それぞれの正義)を最上と頼りにし行動する。 浄土は自分の力では開けない。 浄土を求めていたのに普段自我に支配されてしまう。 このことを私たちは教えてもらうしかありません。 本当の道理から、あなたが、誰々が、ではなく自分が教えてもらうしかないのです。 それには聞くしかありません。 何かわからないけれど、そんな夜があったらいいな、であればそれはただのファンタジー。 この曲のドラゴンナイトはファンタジーを用いた、一度たりともそのような夜は来たことがないよ、という我々人間の自我に対する強烈なアンチテーゼ。 本当に「 友達のように歌い ~ 踊るんだ」には共に自分が聞き続け、おしえてもらうしかないのです。 船橋昭和浄苑 溝邊 貴彦.

次の