脱獄ごっこえろ。 レ・ミゼラブル Les Miserables 7

レ・ミゼラブル Les Miserables 7

脱獄ごっこえろ

あとエディ・レッドメインのアイデアだそうです。 こんな健気な娘さんだなんて…。 大人エポニーヌって空想好きな少女コゼットがそのまま成長したような娘っぽいなって改めて思った。 マリウスと一緒になれる夢見ては叶わないエポと母親もいなく辛い状況を空想でしのいでる少女コゼット。 で、日本人から見ても若く見えると思うけど、向こうでは19歳くらいに見える らしいよ。 ごく普通の等身大の女の子ってとこがエポニーヌの雰囲気に合ってるけど、 映画に出るには野暮ったいってことなのかな。 まあ、舞台女優さんもそこらの女の子より綺麗なんだと思うけど。 25周年のサマンサは表情はとても良かったけど、歌はそうでもなかった。 25周年は少しテンポが速くて全体的にちょっと残念って感じだな。 マリウスは最悪だったし・・・。 ここでいろいろ情報仕入れてから2回目見に行ったら すごい感情移入してしまってなんか自分の中で完璧な話になった。 Twitterでも絶賛してるのってJKとかDQNが多い気がする。 アクションばっかりみてきたので映画を見終わったあとはただすっきりすればいいというような感覚だったので予備知識などは一切なく映画を観てきました。 これ最強。 元々知ってた馴染んでるならいいけど、直前に知識を仕入れるために調べると 調べたことを確認するために見るみたいな本末転倒なことになりがちなんだよね。 それで気になった事があったらそれを後から調べて楽しむのもいいかと。 これだけ、レミゼブームになっているんだし、再放送してくれないかな? 映画では、リノ・バンチュラのもよかったよ。 わずかなセリフで意外と印象深い。 ジーナ・ベックやケイティ・ホールは、あっというまに終わっちゃう。 エポニーヌはマジで不細工だった。 当初関心なかった人も大勢観に行っているみたい。 楽しみにしていましたが正直な所、他のミュージカル映画と比べて映画的演出が単調で アン・ハサウェイの鬼気迫る演技と曲の良さ(特に革命側の人々が歌っている歌は素晴らしいと思いました)以外に お涙頂戴以上の感想がなかったのですが、好評価の方はどの辺りが見所になっているのでしょうか? またユゴーの原作とミュージカル版、および映画版ではどの辺りが違うのでしょうか。 個人的にこの映画を見る限りでは原作はもっとキリスト教的なのかな、と思いました。 そういう話であれば当時のフランスの感性が読み取れる作品としてちょっと興味があるのですが。 失礼な発言だと思いますが、よろしければお答えお願いします。 断言できないけど、その場合の「次回作」とは、舞台のレミゼのことかもしれない。 前スレも読みました、というかこのスレの評価を見て行って来たんですよね。 それ見ると実際のミュージカル見た上での感想が多かったので、 そういう人はこの顔を多用した演出にどういう印象を持つのか聞いてみたかったんです。 司祭様のお話は慈愛の話ですよね。 とりあえず原作の方読んでみます。 ありがとうございました。 そうですね。 ですが、もしかしたらこの感覚が舞台で見てる人にはしっくり来てるのかな?と思ったんですよね。 まさかジャニだからってわけじゃあるまい。 その中に、マリウス発見!特徴ある鼻だからすぐわかった。 あと、やたらアップ多いなと思ったら、フーパー監督だった。 この監督は、人物造形が素晴らしいな。 役者的には、こんだけ丸裸に撮られるのはさぞかしきついだろうけど、 見てる方からすれば、ドラマを肌で感じられて最高だわ。 脚本とクレジット見比べてみてようやくわかった程度です。 ディズニーのセンスは好きじゃないけど、画面をもたせて動きを付けるのはうまいよね 舞台ならたとえ役者が棒立ちでも他のところを見ることができるけど 映画はそれしか見られないからなあ。 あと、A Heart full of loveのところでマリウス&コゼットとエポニーヌを 一度も一緒に撮らなかったのは故意なんだろうけどなぜなんだろう。 あれ、俯瞰で撮ったらエポニーヌの孤独感がもっと出ると思ったのになあ。 あと最後のバル、ファンテ、エポの三重唱、 ハモリが絶妙で本当に昇天するような気持ちになる、 アン、ヒュー、サマンサで聞きたかったな~、 まあ、そのかわりにコルムの司教様なのだろうけど。 カットがたくさんあるらしいから 初回盤やディレクターズカットが待ち遠しい。 レミゼ見た後にYoutubeでスーザン・ボイルが歌うI Dreamed a Dream を聞いたけど(オーディション時の動画)個人的にアンの方がずっとよかった!歌い方が好き。 コルムのバル、或いはアルフィー マイケルのマリウスじゃ 素晴らしい歌唱であり舞台、コンサートだけど 映画館に客を呼べないリピートできない。 エポは世間的に無名のサマンサを起用して正解な気がする。 そりゃ、生舞台で演じている舞台俳優も凄い。 しかし、大きなスクリーンでのあの存在感、美しさ・・・ これは、映画俳優じゃないと出来ないよ。 劇場中継のような、映像保存系のものにするのであれば 舞台俳優を使えばよい。 しかし、映画はやはり映画だと思った。 とにかく有名俳優がミュージカルすることに大きな意味があるわけで・・・。 私はヒューやラッセル、アン、特にラッセルが歌えるのかとかアン上手そうだなという ことに興味があるんですね。 だからこれはこれでいいと思います。 現に大ヒットじゃないですか。 もし不満があるなら誰かが百戦錬磨のキャストを世界中から集めて対抗して映画作ればいい。 支離滅裂になったかもしれませんがすみません。 演技力に頼った結果俳優陣は評価上がったようだし賞も取れてるけど。 ライブならではなと思いましたよ。 確かにもっと歌い上げてほしいという願望は否めないけど。 エディの美しい寝顔満喫出来たから許す(笑)。 素晴らしい映画だった。 マリウス役とコゼット役の俳優さん、歌上手すぎ。 ヒュージャックマンも高い声で聞き惚れました。 ジャベールは山崎努で。 テレビ放送するときの吹替え予想ならまだしも。 ちっちゃいけど、CGでふくらませれば無問題。 あとは考えるのもマンドクサ。 ジャベは角田信郎 テナ夫婦は北斗と健介、マリウスは狩野えいこーで。 ファンテは友近、コゼはキンタロー、エポは渡辺直美な。 君はブロードウェイの俳優のランクとか そういうことに詳しくないのであれば よくわからないかもしれないし、説明は難しいが・・・ 俺は映画俳優と舞台俳優を区別しているよ。 ブロードウェイのアーロン・トヴェイトも何度も楽屋口であって サインを貰ったり、話をしたりしてきた。 とても育ちがよさそうで、フレンドリーな人だったよ。 おまけに、あの通りのイケメン。 予想通り、TVから映画へと活動の場を広げていった。 しかし、GGの会場に来ることもない。 サンマンサも同様。 そういうもんだ。 もう、数回、映画に出れば、また違ってくると思うが。 彼の声は鳥肌もの。 脇役に上手い人がいると安心するから。 パンを盗んだ場面の挿画があった。 それから十数年が経ち、このアルバム・カバーを見たときに真っ先に思い浮かべたのが、 「ジャン・バルジャン!」 髪とか着ているものの雰囲気が、そっくり。 ファンテーヌは髪を切ったあとはスカーフを被っていて、 ジャベールは、極端だけどブラック魔王風だった。 42億のオペラ座と並ぶよ。 そろそろ上映館数が減りそうだけど オペラ座と並ぶくらいになるかなぁ。 実際、CMは多かったね。 やっぱ、日本人向けには、テレビ、テレビ。 この映画の場合、マリウスがコゼットに 恋するのが凄くよくわかるし、エポニーヌがマリウスに恋するのもよくわかるから エポニーヌのソロでは号泣。 エポニーヌもいい娘だから余計に涙を誘う。 ラストのラスト立ち上がってスタンディングオベーションしたかったけど、恥ずかしくてできなかった。 拍手すらできなかった自分に腹が立つ。 飛ばせ。 ははは。 そして、豊島訳だったかな?「童貞さん」で必ず笑ってしまう。 修道女さんの事なんだけどね。 まさか処女さんとも呼べない罠。 とはいえ全然関係ない話を挿入しすぎなんだよな。 ジャンバルジャンだけだったら、実はけっこう短い話なのかな。 2時間40分が短い短い。 ミュージカル映画というだけでプラス50点なので自分の評価がいまいちあてに出来ないけど、もう2013年のベスト級なんじゃないかという予感。 歌唱力が全員凄まじい、話が濃密で中だるみさせないっていうとこだけでもう最高ですわ。 引っかかったのは2点だけで、非キリスト教文化圏の人間なので警部が身を投げるとことかなんとなくしか心情が理解できないところと フランスなのに英語(ryなとこ。 ミュージカル版では特にそんな設定ないよね。 そもそも映画の宿屋は悪どく儲けてるから次のテナルディエ夫妻の登場シーンで宿屋が借金かさんで潰れてるって観客がわからない。 でも何でも原作通りがいいってわけでもないし、監督も分かっててやってるんだよな。 マダムテナのヒモにしか見えん。 いい意味で日本のアニメっぽい構図。 ミリエルさんの燭台に誓って下さいのシーンから涙腺にきたけど、ファンチーヌもエポニーヌもみんな良かった。 ジャンバルジャンがマドレーヌ市長になった後小綺麗になり過ぎて一瞬誰だかわからなかった。 ドンキホーテとサンチョ、C-3POとR2-D2みたいなやつね。 でも役者の表情に集中して見れるのは羨ましい限りです。 失礼しました。 重ねて失礼。 楽曲が気に入ったんで、ネット探して聞いたけど、 たしかにJohn Owen-Jonesの透明感には適わないかもしれない でも、彼がジャン・バルジャンだったら、この映画は成功してないと思う。 Bring hime home って、ささやくような心の祈りの高音と、 叫ぶような魂の中音部の交差が素晴らしい楽曲なんだよね。 そういや昔、可憐にエポニーヌ演じてたリンジー・ヘイトレー(オンマイオウンの 動画がyoutubeにあるけど、大好き)も去年、テナ夫人やったらしい。 まあ、親子だからもしエポが年取ったらテナ夫人みたいになったのかね。 いい意味で日本のアニメっぽい構図。 口 c ) わたしも... 愛理 //... 口 し 桜乃. 口 ( ). 個人的にはファントムもヴァルジャンも手に入る映像があったらうれしいけれど、 ヴァルジャンに関してはツアー版のCDがあるだけ他のヴァル役者よりはマシかもと 自分に言い聞かせている。 ヒューはやっぱりスターだな、と思ったし、 歌もうまくて、ヴァルジャンが彼でよかったよ。 キャラクター的にはヴァルジャンのイメージにぴったしだな。 スランシス・ラフェルが娼婦やるんなら、パティ・ルポンもカメオしてほしかったー。 ムチャクチャ似合っただろうし。 このラインがキャメロンや、ブーブリル&シェーンベルクが理想にするエポの歌声なんかなと。 サマンサもややごつい声だけどそう。 野良猫の面持ちっつーんかな。 マッキントッシュは「ミス・サイゴン」の映画化にも積極的だと言う話だが う~ん、日本では受けるかな。 東洋人が可哀そうな運命になる話だけに… 「ウィキッド」は、オズの魔法使い自体が日本ではそんなに人気があるわけではないし あれは、アメリカ的な自由や平等意識が色濃く反映された話だし・・・ 出演俳優によるかな? あとは、特に思い浮かばない。 役の体型やらアップ多用の是非やらにこだわるのは結構だけど、もうちょい説得力プリーズ。 GGもらってから改めて見に行ったら、スクリーンがでかい部屋になってて、 レディースデイということもあるんだろうが、ぎっしり埋まってた。 前は閑古鳥だったのに。 レミゼも翌日まで瞼が腫れるほど泣いたけどエビータも嗚咽が止まらなかった。 I'd Be Surprisingly Good For Youでのマドンナとのデュエット、なんて罰ゲーム。 やっぱミュージカルっていいね~。 (そしてマドンナの Actress Doesn't Learned the Linesへ続く) そういう理由で、At The End of The Dayもかなり好きな曲だ。 作者の意見とか、本編とは関係ない話ばかりじゃねえかw 5巻もあるから映画化すると大変だろうと思ってたが、削れるシーンも多いのね。 それに主役がなあ…。 シシィ、映画でできる女優いるのか? エドヴィジュ・フィエールの容姿にピア・ダウエスの声とか、 ロミー・シュナイダーの容姿にマヤ・ハクヴォートの声とか、 そういう人が出てこない限り誰も納得せんと思う。 そんでもってオリバー・ストーンに監督やってほしい。 どちらも曲が良いし骨太の群像劇。 ストーリー的にも比較的知られてる内容だしね。 作品の長さも手ごろだし、 監督とキャストに人得れればそれなりのものが出来そうではある。 パリって不潔だったんでしょ? 今みたいに電化製品や工業製品が溢れてるわけでもなく、衛生観念もほとんどなくて 産褥熱や結核なんかの感染症で人が呆気なく死んでしまう時代だよね。 ルーシー役にポップスターを配置してきそうだわ。 日本のバルジャンで、ここファルセットで歌える人いる? 以前に見たときは、ただ声をひそめて歌っているだけで 「はぁ~」と思ったもんだ。 なんだかんだと舞台と比べて文句をつける低劇厨でも ヒュー・ジャックマンがファルセットで歌っていないことに 文句を言う奴がいないのは ここ 本来はファルセットで歌うべきだと分からないからなんだね。 Bring hime home って、読んでる読者の視点でしょ。 ストーリーに出てくる彼らが無事に帰し欲しいって思いは、物語の世界を超越している。 信じられないだろうけど、世界の歴史の背後にはそういう結社の人々が関わっているんだ。 周囲を見渡してみて。 色んなところで一つ目の象徴が使われているから。 断っておくけれど、それが良いとか悪いではないので極端な陰謀論には走らないでね。 起源はホルスの目という古代エジプトの神だよ。 人間の歴史は宗教と組織と密接に関わっているんだ。 すまん。 それと訂正、起源はホルスの目だけど、元々は神の目を象徴化したものだ。 ホルスの目という神が居るわけではないので宜しく。 真実を見抜く目とも言われている。 象徴的には我々を見張る目でもあるね。 成果をなし得たからじゃなく、この世的には何も成し遂げられず打ちのめされ、 それでも生きた人々が、生きたことそのものの証として自由を得るというのが 万人に向けられた希望としてこの物語をハッピーエンドたらしめてるというか。 ラーの目とも言われてる。 要は太陽の目。 それほど映画版が嫌いなら、最後の大きな砦も舞台にはないから、カットしろと言ってください。 死んだ亡霊が列になって、歌わないと駄目ってことでしょ。 冒頭のシーンも舞台版と違うし、舞台版と違うものは、全部カットですね。 そう主張してよ。 それとも都合の良いところは舞台と違ってかまわないの? お調子者だね。 俺は映画芸術っていうのは制限を受けた創作だと思うよ。 だから、舞台版と違っても全くOKだよ。 あなたはそう思うのね、私はこう思うのよ、っ割り切って、相容れない意見には関わらないほうが得策だよ。 相手が意見を変えるなんてそうそう無いんだからさ。 深夜だから、ドバッと書き捨て。 3回目にしてようやくパンフレットGET! もっといろんなシーンの写真欲しかったけど、読みごたえがあって、買ってよかった! マリウス役のエディ、10年のブランクがあったとは思えない歌唱力だったわ。 ABCの中でも出色。 スクリーンのマリコゼみて、初めて彼等の苦悩に共感できた。 恋に恋した若者じゃなく、ひたすら孤独な魂が求め会う愛、みたいな。 映画に関しては正直、アンジョルラスがガブローシュに喰われてるというか、 ガブローシュの役割が、舞台に比べて大きくなってない?闇の指令ガブローシュ。 ABCの連中の、ハーモニーの異常なまでの美しさにうけた。 いっそ歌の力で国境こえろよと。 って発想が理解できない。 ちょっと極端すぎる。 宿屋夫婦の曲や学生の曲をそのまま入れると、 主人公バルジャンの印象が薄れてしまうのもあるでしょ。 後半はバルジャンのかっこいい場面も少なくなっていくし、 おやじや学生が目立だないようにしないと・・。 休憩があってゆったりみれる舞台と時間制限がきつい映画の音楽。 同じ時間配分には出来ないと思うよ。 それでも映画化を成し遂げようと関係者は頑張ったんだよ。 舞台1万円は高くてみれない人も、映画だったら1800円でみれるでしょ。 東京、名古屋、大阪、福岡以外の人でも映画ならみれるでしょ。 すでに出来ているレミゼ映画の話をするスレなのに・ 映画化するな!なんていうとんでも意見をよく書き込めるね。 が 歌われるらしい。 歌うのはエキストラたちで 特に主役級のスターはパフォーマンスに参加しないようだけど アーロン・トヴェイトとか出てほしいな。 曲がいいからそれだけでも観て(知れて)良かったと思う。 それも、何ページも延々と続くし。 シェイクスピアの「オセロ」だって ベルディのオペラになって、少し手が加えられている。 媒体に応じて思い切って刈り込み改変することで、一字一句忠実にするよりも かえって伝えられることがあるんだよね。 でもオリジナルの方が好きっていうのはもちろん自由だけど、個人の好き嫌いの 表明と存在の全否定は全然違うわな。 舞台では修道院にいるときに院長がトラップ家に行くように話す場面でマリアと歌っているのに対して、 映画ではトラップ家で子どもたちと歌ってお互いが打ち解けるシーンだからな。 ウエスト・サイド・ストーリーも舞台と映画では同じ曲でも場面や歌う人物が違う曲がいくつかあった。 今回のレミゼでも曲順が変わって印象や意味合いが変化している曲はある。 曲が残っていても演出が変われば、それが気に入らない人も出てくるだろう。 映画は映画の見せ方を追求するものだし、監督やプロデューサーの感覚で舞台でいまいちと感じる部分を改変するんだと思う。 二十歳過ぎたいつだったか初めて コミック版を読んだ。 そしてそれから10年以上経って今回やっと 凄い作品だなと思った。 次は小説を読もうと思う。 あの教師は間違っていなかった。 出来るなら教育上で必修にしてもらいたい。 斜め前の男の子が、しきりに携帯を気にしていて、工場のシーンが始まった途端、猛ダッシュで出て行った。 夢やぶれてが終わったタイミングでこっそり帰ってきて、また携帯チラチラ。 プリュメ~ワンデイモア、民衆の歌~彼を帰しての間も飛び出していって不在。 私の感動ポイントに席を外してくれて、ありがたいやら迷惑やら。 どっちも舞台は見たことないけど、マイフェアレディの方は3時間近いことも あって、冗長に感じたのは確かだな。 てかヒギンズ教授の歌って教授の性格を 反映してるんだろうけど、長くてねちっこいw でも舞台とかオペラで、幕間に休憩入れてじっくり生の歌を楽しむのって、 考えてみれば贅沢な時間の使い方だよね。 ビクトル・ユゴー原作の人気ミュージカルを映画化した「レ・ミゼラブル」( そんなジンクスあったっけ? オペラ座の怪人なんて、日本でのみ、世界でもまれなほどのヒットをしてるし、 ドリームガールズだってシカゴだって、それなりにヒットしている。 特に、オペラ座やレミゼラブルのような、ドラマ性の強いヨーロッパ系のミュージカルは 日本で根強い人気があるし、当然、映画になってもヒットする可能性は高い。 特に80~90年代前半は死屍累々ってカンジよ。 映画としての評価という意味でも『キャバレー』から先、今世紀に入るまでの間で、 誰もが認める名作と言われているのは『オール・ザット・ジャズ』位。 だからまあ、 頭の古い人にとってはここ10年位の静かな盛り返しの機運>80~90年代前半の暗黒期 となるのも、仕方のない事と言えるんじゃなかろうか。 不等号間違え。 ここ10年位の静かな盛り返しの機運<80~90年代前半の暗黒期 だね。 25周年コンサートのBDリピートしてたらだんだんハマって、 今は10周年コンサートのCDをリピしている。 映画は子供にも見せたかったんだが、娼婦シーンとファンテの奥歯シーンとサンタのシーンで断念…。 自分はジャヴェールとエポに感情が寄ってしまう。 だって、バルジャンは結局逃亡しまくりw 映画観てから25周年コンサート観たらエポが同じ子でおお!と思ったよ。 親しき仲にも礼儀あり。 実際小2で読んでジャンバルジャンの死んだとこでダダ泣きしたよ。 フランスじゃなくても革命期だったら戸籍の管理なんか無理でしょ。 それに、日本みたいながちがちの戸籍制度を持ってる国って少ない。 伝統的な価値観に基づく、家系・家柄の問題でしょ。 日本でも家康が「徳川」に改名して、無理矢理に源氏の子孫を名乗って朝廷から官位をもらってるし、 貴族の養子になって貴族認定してもらうなんてのは、どこの国にでもあったのでは。 漢字もまともに書けず敬語も使えずきちんとした作法も身につけていない。 中学から援助交際と万引きの常習犯、みたいなのが現代版エポニーヌじゃない? そんなのが幼稚舎からの慶大生や御三家から東大法学部みたいな エリートに惚れたって、相手にされるわけがない。 「キャンディ・キャンディ」のスサナがひどい嫌われようなのにも、違和感を感じる。 もしエポニーヌが助かって、マリウスがお情けでエポニーヌを選んだら、 と考えるのも楽しい。 ジャンが絶えてしまったフォーシュルバンの家系にコゼットをくっつけてやる。 コゼットの名前が法律的にウーフラジー・フォーシュルバンとなり身分証明書もできる。 ただそうしなかったら結婚のさまたげになった「かもしれない」としか書かれてないので この戸籍とやらは無いとそもそも結婚できない現代日本とは大きく違う模様。 だからのこれで結婚にこぎつけた、ってのは少しニュアンスが違うかも。 」 なんだよな。 語りかけるようなStarsは逆に新鮮だったけど、 コレジャナイ感は否めない。 個人的に圧倒的に納得行かないのはサシャのテルナディエ。 もはや歌ってないでしょアレ。 何かぼそぼそ言ってるだけ。 サントラ聞いてても不愉快になるから飛ばしてる。 本家舞台は残念ながら観たことないけど、クロウの歌声は素敵だった。 これじゃないって言う人はあっても、この映画作品のジャベールは彼しかいないと思う。 赤いジャケットがアンジョルラスだよな?物凄く魅力的な人だったなぁ。 ところで バルジャンの最期って自然死ですか?ちょっと前まで元気そうだったから自殺 なんじゃとか考えちゃったんですけど。 舞台のジャベールはリボンで一つにくくったヘアスタイルだけど、映画では短いね。 舞台の髪型が激好みだったのでそこが残念。 三分の一が挿絵だから以外にさくさく読める。 原作読むのはハードル高いから、これぐらいの分量がちょうどいいわ。 ブルーレイ買いなよ 最高の夫婦だなぁー。 プロデューサーズは確かにコケた…。 あれは舞台演出を担当したスーザン・ストローマンが監督やって、 あんまりにも舞台そのまんまを映画化したから不評だったらしい。 俺的にはそれが良かったんだけどな。 ネイサン&マシューはキチンといたし、 肝心のヲカマコンビも舞台のオリジナル配役だったし、あの人たちの演技を 映像という形でキチンと残すことができて本当によかったと思っている。 ややお下品系は日本ではヒットしにくいし、しょうがないよ。 うちの父親が元の映画が大好きでミュージカル映画版もドストライクだった模様。 映画をアテにしながら酒飲んでるわ。 look down! 」て叫ぶわ、心の中で。 マドレーヌ市長が荷馬車を持ち上げる瞬間にジャンだと感じた疑惑の表情とか、下水道でジャンに動けば撃つと言ってるが、実際には撃てないときの表情とか。 あれは映画でアップに耐えられる俳優じゃないとできない無言の表現だ。 レミぜ好きすぎて、ストーリーや展開を知り尽くしているのもあるけど。 サントラは毎日のようにりピしてる。 エポ死去時のA little fall rainと暴動前の民衆の歌をいれてくれてたら、自分的には最高のサントラだったわ。 サントラ聴いて魅了されたのは、サマンサはもちろんアーロンと 映画ではそんなにこなかったけど、エディのEmpty chairs~は最高だなと思った。 原作だと彼は志を同じくする革命仲間というよりアンジョの追っかけみたいなもん だから、一緒に撃たれてくれるってより、グランテールファン視点だと、アンジョと 一緒に死ねてよかったね、だったりする。 webry. biglobe. lesmiserables-movie. 読書慣れしてない人だと、原作読むのは大変だろ。 当時のフランス情勢に通暁していないと、理解しづらい場面が多々ある。 脱線している箇所や、作者の私見が入っている箇所も多すぎる。 ABCの面々も大量に登場する上に、ゴチャゴチャした会話をする。 手に入れやすい新潮や岩波の訳は古い。 ユーザーの一人がTwitterで暴露したことにより、背後に米国大手プロバイダの存在が明らかとなり、 どうやら、これら大手プロバイダが流す大金がユーザーに還元されるというのだ。 制作にはGoogleやAppleの元プログラマーなどが多く参加しており、 その大きなネットワークで構築される世界は半端なく深く、とてつもなく広いと言われている。 日本国内ではすでに800万以上のユーザー数が記録されているが、 今月で終わりを迎えてしまうシリーズだけに、手にできなかった人間は運が悪いとしか言い様がない。 『平均月収200万とも言われるシステムが終わりを迎えてしまうのは残念でならない』と、 あのホリエモンさえも塀の中から嘆いていると言う。 引用元. ジャンの墓は全く無銘で忘れ去られてしまい、公式には福者でも聖人でもない。 でもカトリック教会の手続き云々よりも、作中で聖人だとマリウスが思った事の方が大事なんじゃないのかな。 「もう、静かに寝かして!! 」って思うよ、葬式で大騒ぎされたら。 ここからの知識が無いと、面白みがわかりにくい。 バルジャンはファンティーヌ、コゼと巡り会わなかったら 聖職者の道を選んだかもしれないよね。 実際カトリックの聖人には回心した人が多い。 ファンティーヌにもマグダラのマリアを思わせる所がある。 ナポレオンの台頭とか。 言葉足らずですんません。 あんなに美人なのに。 角川版は脱線箇所省略しているようだから、百六景で概要掴んだらそっち行ってみるかな。 時間の長さは感じなかった。 本当に排泄物だらけのとこ歩いたら普通の人間は死ぬで。 迫力があるんだろうね。 で今年の帝劇のキャスティングを見たら写真見る限りではたいそう体格が 良さそうな人でのトリプルキャストだった。 それ相応の装備も必要だし、普通の靴じゃまず歩けないし、 満潮干潮のタイミングもあるし、第一、カンテラだかランタンだかの 照明器具を持っていない。 ましてや傷が開いたまま汚水に晒され続けたらほぼ間違いなく敗血症で死ぬ。 抗生物質もないし。 ただ、原作者にもそこまでの知識はなかっただろうね。 It comes. でもエライ評判いいみたいだからダメ元で見たの。 そしたら価値観覆された。 今まではミュージカルは違和感あって気持ち悪くて(特にブロードウェイ系の) 苦手だった。 歌が言葉みたいに、言葉以上に、こんなに胸に入ってきたのは初めてだった。 普通に Boy と呼びかけてるんだろうけどな 2個目はバルジャンの告白を聞いたマリウスが 「行かないで」と言う部分。 gone by~がかんぱーいって聞こえると、せっかくのしみじみシーンなのにプッとなる。 「フランスのこの時代、こういった小競り合いがあったとき、地下の下水道をけが人背負って1人の男が歩いていた。 おまえら名前知ってるか?そう、ジャン・バルジャンだ!」 昔の教師は粋だったなぁと、ふと思い出した。 全てのエネルギーをもっていかれるほどの場面だ。 この調子で、前編続くのは、耐えられるかと思った。 案の定、緩急がなく、全編 全力投球の展開。 中だるみが全くない。 これは映画創るテクニックでは、損している。 普通は、静の場面が動の場面に展開して、その効果を最大限発揮する。 そういう場面があったのは、最後くらいだろう。 でも、舞台ミュージカルを尊重したこと、時間制限があったこと。 この2つが条件だったろうから、このような編集にせざるおえなかったのであろう。 次々、高いエネルギーで場面が展開していくので、強烈である。 マリウスは傷口から出血しながら汚れた服が傷に食い込んだ状態でまる一日下水道をジャンとさまよってるし、ジャンはマリウスを抱えて脱出前に脇の下まで泥水に漬かってる。 そして医者は失血して低体温で仮死状態のマリウスに傷を拭いて止血しただけでろくに消毒してない。 マリウスは数週間発熱と意識昏迷が続いているが、これは敗血症の症状なのに傷の刺激による脳症とか誤りを書かれてる。 ただ、ここで硝酸銀と塩化洗浄薬で傷を深いところまで洗おうとしてるのは当時としては最新の消毒だろう。 つまり原作者は当時としてはかなり最先端の医学知識があるが、輸血もろくな消毒も抗生物質もなしで助かったのはかなり奇跡だろう。 しかも未来の人間が後出しジャンケンで当時の医療を批判するのはフェアじゃない。 ジャンの祈りが届いて神の恩寵で助かったということにしとこう。 俺は中学時代にトライしたけど途中でギブアップしたので悔やんでいる。 優秀な人は、きちんと全部読破していたよ。 You let your foreman send me away, Yes you were there! And turned aside! 処置は包帯だけじゃなく、傷を切開して深いところまで洗いまくらないとだめ。 あの状態で助かったのは神の奇跡。 それも男の歌を女が歌ったりその逆だったり合唱したりなんてざらだし。 なんでまた、わざわざあんな場面に歌を入れてしまったのかねえ。 売春セックスして、しかも射精した直後wwwに歌い出すなんてね。 そんなことする必要性は全くないでしょ。 あそこにこの歌を入れなきゃいけない理由がない。 もう少しずらしてもぜんぜんかまわないのに バカじゃないかと思った。 もうケラケラって感じるよ。 25周年コンサートの録画の最後でも、 マッキントッシュ自ら、文化祭などのスクールエディションを奨励していたのにねえ。 映画版の展開でミュージカルをやりたい、って生徒も出てくるはず。 それを止めて、新舞台版の内容でいきます、って先生が、わざわざ言わないといけないなんて・・・。 まあ思春期の生徒は興味しんしんだろうけど、 学校側、先生側からすれば、やりにくくなったよね。 マッキントッシュでもこれほどあからさまな大失敗するなんてね。 身を売ってどん底まで落ちた無情感の中で歌ったんだから。 ファンティーヌが絶望して全部が苦しくなった時なんだから、あの部分でいいと思うけどな。 工場追い出された直後だと、あんな魂の叫びみたいな歌にはならないだろう。 これからどうしたらいいの?って段階だし、絶望はまだ味わいきってない。 普通はこの映画を、学校の先生の立場では観ないし評価しないでしょ。 他にもセックスシーンがある映画は一杯あるし、それがおかしいとは思わないだろ。 それでぜんぜんかまわないだろ。 人間の営みだからな。 ところがだよ、中学や高校でこのミュージカルを指導する先生の立場になった場合を考えてみろよ。 文化祭の舞台で脚本とかを一緒に創り上げる際に、指導がやりにくくなったなあ、って感じるだろ。 マッキントッシュはスクールエディッションを奨励しているわりには、下手うったな、っていってるんだよ。 お前は、ぼけかよ。 それともイギリスの学校ではこういうのぜんぜんOKなの? 日本の学校なら、間違いなく、少しやりにくくなったよな。 そんなこともおまえは理解できないのか? おまえはトンチンカンで陰湿な奴だな。 しかも、その後、大勢の生徒が歌いながら客席に入場してくる。 荒らしの相手をする人も荒らしですって言われるわけだ。 映画自体の出来は素晴らしかった、って思ってます。 モンテクリスト伯は児童書でも読んでたんだけど、 児童書じゃ書いてない部分が面白いんだよね。 レミゼも児童書で読んでて、大学で読もうとしたけど挫折したw 児童書だとバルジャンについては結構きちんと書いてたけど、エポや学生関係は まるっとはぶかれてたんで、やっぱり一回、きちんと読もう、かなw 百六景で当時の状況とか読むと、ほんと頑強な人間しか生き残れなかった だろうな、と思うな。 子供も無条件に手厚く保護すべき存在ではなかったみたいだし。 コゼットに対するテナルティエ夫妻の扱いも、当時としては非人道的とまでは 言えないんだろうね。 つか、旧演出では演ってた。 立ちバックで。 舞台の隅で照明も暗いからわかりにくいけど。 ラブリィレイディの所は、コゼやエポも役がわりで売春婦になっていて、コゼがファンテーヌ虐めたりしてる。 英語だと気づかれにくいかもしれないが結婚式向きの歌詞はほとんどない。 志を同じにしていた友達が大勢死んでいったわけで、 どうして自分だけ生き残ったのか、そういう葛藤があってもよかったと思う。 あとジャンバルジャンが亡くなる際に 自分が知っている舞台では、ファンテーヌとともにエポニーヌの幻影が出てきたが エポニーヌとジャンバルジャンの接点がほとんどなかったので違和感を覚えていたが 映画ではファンテーヌだけになっていたので(自分的に)よかった。 あと、そのシーンでのマリウスとコゼットの挿入は… ストーリーからすればあるべきなのだが、 ミュージカル的には…ううん、ちょっとピリッとしなかったなー。 でも最後のそのシーンと「民衆の歌」はやっぱり感動しますね。 ジャン・バルジャンにしては自分の娘の好きな人をむざむざ殺させるわけに いかなかったんだ、父の想いとしてはわかって欲しいところだ。 マリウスとて友人と革命に参加する想いが揺らいだことだってある。 革命なんてもはやどうでもいいこと。 その時の辛いみじめな気持ちを歌にしてるんでしょ?場面変えて歌ってどうする。 女の私にはファンティーヌの気持ちが痛いほどわかる。 だから感情移入して泣いた。 こんな場面で歌うか?だなんて「画像」しか見てない人の言葉としか思えない。 あの場面であの歌うのには 意味があるんだよ。 それを理解しない人がいることに腹が立つ。 確か銃を捨てて鍬を持とう、みたいな歌詞になってた気がするけど。 Dream. Hope. Love. ラストシーン終わった直後に拍手してる人いた。 俺は心の中で拍手したわ。 「バリケードの向こうのどこかに みんなが憧れる世界があるよ」ってい歌っているし 自由と人間の尊厳が大切にされる理想世界を目指して 闘った者たちの物語であり、それをたたえるラストってこと。 前スレで出てたヤツだ。 貧しい人達を見てみぬふりして、そこそこ幸せな人生を送ることもできたのに、そうしなかった学生たち、 愛なんてよくわからないけど、好きだから、その人に全てを捧げたエポニーヌ… その他大勢はしらないけどw 君は愛のために、しーねーるーかー!って、杉良太郎も歌ってたな昔。 パリのなかで、最も天国に近いのは、立派な大聖堂でも修道院でもなく、市民が築いたバリケードってのも、ユゴーっぽい。 確かに、舞台ではバリケード作る過程までは描写できない。 聴く限り劇中まんまなんだけど。 結婚式だと、自分なら民衆の歌希望。 エポニーヌが死んだときに ガブローシュが泣いていたカットが ありましたよね?それから、遺体も 隣同士に寝かされていました。 酒場のシーンでは、ガブローシュが 寝ていたゆりかごと、お客のかごが すり替えられていました。 ただ、なぜ自分たちの息子を捨てたのに、 他人の子のコゼットを育てたのか、とか 金づるだから? 、エポニーヌが自分の 姉であることを、どうやってガブローシュ が知ったのかは分かりません。 家族一緒に暮らしてる。 自分はあそこが原作最大の泣き所だったので。 見る前は「チョイ役じゃなきゃいいなあ」くらいだったのに、人間の欲にはきりがないね。 そもそも、悪人のはずのジャンバルジャンに聖人の面を見て迷う中で、自分がバルジャンを許してしまったことが決定打となり信じてきた神の道を見失ってジャベールは死ぬんだから、暴徒の一人でしかないガブを認めるかのような行動に出るわけがない。 もっと欲を言えばグランテールはバリケードでずっと寝てて欲しかったw でもたしかに映画はあれで良かったんでしょうね。 「不意をつかれて」てのはまさに同感です。 人生に楽しみなんて一つもいらないくらいの勢いで革命一筋だったアンジョルラスが最後の最後に、 ですからねえ。 アンジョルラスが笑ったのってあそこだけだよな、というのを確認すべく、原作読み返し中。 やっとフォーシュルヴァンさんが馬車の下敷きになりました。 先は長い。 信念が打ち砕かれた人間から、信念を貫き通した人間へ。 まあ結局新しい価値観と、古い信念を上手く融合させる事が出来ずに 自ら命を絶ってしまうわけだけども。 我らが望んだ世界が~云々の歌詞で革命とか思想関係なく、小綺麗で貧富の差がだいぶ減った現代に繋がるような演出なのかなと勝手に想像したけど。 他にも凶悪犯罪は数多あるだろうに執念深くバルジャンを追う理由を、 小学生ながらに考えていた。 出した結論。 ミリエル司教はキリスト的愛によりバルジャンを庇った。 司教館の宝物を盗むなど、これ以上はないくらいの大罪。 悪人ジャン・バルジャンは更に罪を重ねる。 そのときこそ地獄に叩き落としてやる。 なのかな~と自分を納得させた。 暇な同僚の詮索好きの婆様がテナルディエの宿屋まで行って、ファンチーヌに子供が居ると騒いだ。 当時の倫理観だとシングルマザーには風当たりが強かった。 マドレーヌ市長は男女関係潔癖で工場も男女別にして働かせてた。 女工場長が気を利かせてファンチーヌをクビに。 という流れ。 ジャベールにとって勲章は自分の信念の証だったんでしょ。 だから王様からの勲章って意味じゃなくて、ジャベールがガブ達を理解したから、と。 元々警察とは相性悪いタイプなのかな。 パンひとつ、しかも子供のためとはいえ、盗んだことには違いないし、~したら必ず戻るって、戻ったためしがないし。 やたらと人情に訴える、ヤンキー気質みたいじゃね? 映画のジャベールは、眉間のイボが気になって感情移入できなかったけど、 あんだけ憎む気持ちわからなくもないわ。 これまでの理想が色褪せて見えてしまったからこその自決でしょ? 自分は小さな勇者に勲章を与えたジャベールは、もう学生活動家を ゴミと考えていたジャベールではないと思うよ。 どうもジャベールという人物に起こったであろう、心の変化の捉え方が ID:fmQCOPOhさんとは違うんだろうなぁという気がする。 バリケードの中で、ジャンバルジャンに見逃がされたときから、ジャベールの心理に変化が起こっていた、ということを、あの勲章を与える演技でうまく表現したと思ったよ 王権にあたえられた勲章をガブローシュに与えるのはおかしい、とか、ジャベールの正体を見破った褒美だろう、とか、 そんなのは勘ぐりすぎもいいところで、帰って的外れだと思うな。 単純に、子供らしい遊びも楽しみも知らずに死んで言った子供に、おもちゃやバッジをあげるように、勲章をつけてやっただけだと理解すればいいんだよ。 そういう、普通の人の持つような同情心を持つこと自体、ジャベールの心にヒビが入っていたことの表現になってるわけだし。 慣れ親しんだものと違うから拒否反応示す人がいるのも分かるけど 「感動した」「いいシーンだった」という人も多くいる以上はその目論見は 成功したと言えるんじゃないかな。 で、ここを読んで、そうかあのシーンを許せない人もいるのか、なるほどな、と思った。 いろいろな解釈があっていいよね。 「斉藤由貴の声が全然聴こえなかった!!」と憤っていた。 86年の12月28日だっただろうか。 「実際ジャベールは、私を捕えながら放免したところをみると、どうしても既にあの時から気が狂っていたに違いない。 あくまでも法に基づいた場合。 何も出来ないと踏んでそうしたんだろうとは思わないけど、市長として出来る事は無いと思うんだけど。 大量に出ても読みづらいだけだ。 数を減らして、一人一人を書き込んだ方が…。 私は勲章より、変装して市民に紛れ込んでいる時、 葬列のところで騒ぎが起きてジャベールが学生を助け起こすシーンで 学生に礼を言われてなんとも言えない微妙な表情をしていたのが印象的でした。 レミゼは日本の舞台を1度見たことあるだけで、そんなに印象にも残っていないのですが、 映画のジャベールはずっとどこか一生懸命ムリして信念の人であろうとしているように感じました。 あの時代、男の方が働き手として重宝されそうなのにね。 娘の身体でお金儲けしようと娘を可愛がったのかね、嫌過ぎる。 CMとかの名セリフ? しかし66歳の老人が20代の若者を担いで下水道逃げ回るって どんだけ体力ある、馬鹿力なんだろう。 明日は明日は繰り返してでしょ。 なんとなくぼーっと眺めて台詞を理解せずに突っ込みらしきことを言われてもなあ。 で、ちょっと調べてみました。 ここまで勲章のデザインをも時代考証を検討して映画化されているのだとしたら、 映画スタッフの努力に感服しきりです。 tujimoto. cocolog-nifty. ところで、昔やってたらしい、レミゼのコゼット物語のジャベール 超悪人顔だね。 コゼットは萌系でもなく可愛くもないね。 なぜコゼット主役なのかも不明だ。 ディオ様もように。 死ぬ前にもっかいバルジャンのとこいって、なんでそんな風に改心できたか聞けばよかったのにさ。 バルジャンもバルジャンだよ、ジャベールの気持ちも考えずにかっこつけてさ。 ラッセルの表情からみると、死ぬ間際のジャベールは錯乱状態っていうか、正気じゃなかった? 司教の施しによって改心したバルジャンと、バルジャンの赦しに絶望したジャベール。 後者のほうがリアリティーあるけどな。 大体バルジャンとかフォンテーヌなんて、にちゃんじゃ散々ヲチされ糾弾されるレベルのdqnだし。 ただ収録分数が65分というのが納得いかない。 CDの許容収録の分数を考えれば、 あと数曲は収録できただろ。 1995年出版、アメリカの女流作家が書いたものだけどw エポの妹アゼルマが復讐のために現れたり、コゼットがバルジャンの遺産で 新聞社を立ち上げたり、マリウスが何度も逮捕されたり、波瀾万丈らしい。 有名な小説の続編を、本編と別の作家が書くのって結構あるんだね。 風と共に去りぬ、嵐が丘とか。 「Xメン」も「レ・ミゼラブル」もだいたい同じストーリーだし。 逃亡者のキンブルは実際にあった事件が元ですが、 そこにこういう名作のスパイスを混ぜて作ったのでしょうかね。 トミーリー・ジョーンズがリメイクでやったジェラードは キンブルに少しずつ理解を示していく感じでしたが、 テレビシリーズを見ていた家族に聞くと、 ジェラードはとにかくしつこくて主人公を追い詰めるいやな奴 というイメージだったと言っていました。 その辺も元と映画の違いが似ている気がしてなりません。 次観る時は顔をちゃんと覚えるよ。 あまりにも必死だったから兄弟?とまで思ってしまったよ。 そんなわけないんだけど。 ヴォイス・トレーナーがついて、しごかれたって エディ・レッドメインが言ってた。 フランスでは有名すぎる小説なので、端折っても観客には理解できるらしい。 感動というより、動揺? この気持ちを一体どこにぶつければいいのか。 映画ではそこまで厳格な人物に描写されていないし、そもそもジャン・ヴァルジャンが 聖人と化していく姿が描かれえていないからねぇ。 パリ版では、観客は基本的にこの話知っているが前提で、ほかの部分を厚くしたらしい。 ただですら、ものすごく長い話だし。 2枚組)、 図書館で目に入った四季版のサントラ借りて聴いたら、 ひっくり返りそうになった。 スタジオではこのピアノ伴奏で歌ったんだろうね。 また雰囲気が違って聞こえる。 ところでそのピクニックシーンのときすでにコゼットは生まれていたらしいことに今回初めて気がついた。 ピクニックから10ヵ月後に「もうすぐ3歳」とか言っている。 まだ赤ちゃんといっていい子供をおいて丸一日ピクニックとか、どうなんだろう。 あの時代、赤ちゃんは今よりずっと死にやすかったはずなんだけど。 しかも、2歳は既にあかちゃんじゃ ない。 小さな子をひとりで家に残しちゃいけないのは、平成以降の倫理観だと 思う。 昭和生まれの自分は、2歳の頃から母親が働きに出てるのを1人 で留守番してたよ。 うち、貧乏だったからなぁ。 年代ものの作品読むと、倫理観や世界観の違いに気づかされるので、 それも面白さのひとつ。 すべて終わった ミュージックオブザナイト(なっち) 我が愛は終わりぬ 夜の調べとともに(浅利) ただ、最近の新作の訳はイマイチと糞の間くらい。 「見えるのはどこまでもふたりだけ」とか好き。 あとエピローグの「鎖は解けてみな救われる」が過不足なくてすばらしい。 東宝の舞台見たことないけど。 頑なになりたくてもなりきれなそうな、繊細(?)で情緒的な声だよね もしくはまっすぐで不器用そうというか。 それが声に出てるんだわw この声の魅力はなんだろうと不思議だったんだけど、 「自信のなさそうな歌声」でしっくりきたw 音楽がいいなぁと思って。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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レ・ミゼラブル Les Miserables 7

脱獄ごっこえろ

あとエディ・レッドメインのアイデアだそうです。 こんな健気な娘さんだなんて…。 大人エポニーヌって空想好きな少女コゼットがそのまま成長したような娘っぽいなって改めて思った。 マリウスと一緒になれる夢見ては叶わないエポと母親もいなく辛い状況を空想でしのいでる少女コゼット。 で、日本人から見ても若く見えると思うけど、向こうでは19歳くらいに見える らしいよ。 ごく普通の等身大の女の子ってとこがエポニーヌの雰囲気に合ってるけど、 映画に出るには野暮ったいってことなのかな。 まあ、舞台女優さんもそこらの女の子より綺麗なんだと思うけど。 25周年のサマンサは表情はとても良かったけど、歌はそうでもなかった。 25周年は少しテンポが速くて全体的にちょっと残念って感じだな。 マリウスは最悪だったし・・・。 ここでいろいろ情報仕入れてから2回目見に行ったら すごい感情移入してしまってなんか自分の中で完璧な話になった。 Twitterでも絶賛してるのってJKとかDQNが多い気がする。 アクションばっかりみてきたので映画を見終わったあとはただすっきりすればいいというような感覚だったので予備知識などは一切なく映画を観てきました。 これ最強。 元々知ってた馴染んでるならいいけど、直前に知識を仕入れるために調べると 調べたことを確認するために見るみたいな本末転倒なことになりがちなんだよね。 それで気になった事があったらそれを後から調べて楽しむのもいいかと。 これだけ、レミゼブームになっているんだし、再放送してくれないかな? 映画では、リノ・バンチュラのもよかったよ。 わずかなセリフで意外と印象深い。 ジーナ・ベックやケイティ・ホールは、あっというまに終わっちゃう。 エポニーヌはマジで不細工だった。 当初関心なかった人も大勢観に行っているみたい。 楽しみにしていましたが正直な所、他のミュージカル映画と比べて映画的演出が単調で アン・ハサウェイの鬼気迫る演技と曲の良さ(特に革命側の人々が歌っている歌は素晴らしいと思いました)以外に お涙頂戴以上の感想がなかったのですが、好評価の方はどの辺りが見所になっているのでしょうか? またユゴーの原作とミュージカル版、および映画版ではどの辺りが違うのでしょうか。 個人的にこの映画を見る限りでは原作はもっとキリスト教的なのかな、と思いました。 そういう話であれば当時のフランスの感性が読み取れる作品としてちょっと興味があるのですが。 失礼な発言だと思いますが、よろしければお答えお願いします。 断言できないけど、その場合の「次回作」とは、舞台のレミゼのことかもしれない。 前スレも読みました、というかこのスレの評価を見て行って来たんですよね。 それ見ると実際のミュージカル見た上での感想が多かったので、 そういう人はこの顔を多用した演出にどういう印象を持つのか聞いてみたかったんです。 司祭様のお話は慈愛の話ですよね。 とりあえず原作の方読んでみます。 ありがとうございました。 そうですね。 ですが、もしかしたらこの感覚が舞台で見てる人にはしっくり来てるのかな?と思ったんですよね。 まさかジャニだからってわけじゃあるまい。 その中に、マリウス発見!特徴ある鼻だからすぐわかった。 あと、やたらアップ多いなと思ったら、フーパー監督だった。 この監督は、人物造形が素晴らしいな。 役者的には、こんだけ丸裸に撮られるのはさぞかしきついだろうけど、 見てる方からすれば、ドラマを肌で感じられて最高だわ。 脚本とクレジット見比べてみてようやくわかった程度です。 ディズニーのセンスは好きじゃないけど、画面をもたせて動きを付けるのはうまいよね 舞台ならたとえ役者が棒立ちでも他のところを見ることができるけど 映画はそれしか見られないからなあ。 あと、A Heart full of loveのところでマリウス&コゼットとエポニーヌを 一度も一緒に撮らなかったのは故意なんだろうけどなぜなんだろう。 あれ、俯瞰で撮ったらエポニーヌの孤独感がもっと出ると思ったのになあ。 あと最後のバル、ファンテ、エポの三重唱、 ハモリが絶妙で本当に昇天するような気持ちになる、 アン、ヒュー、サマンサで聞きたかったな~、 まあ、そのかわりにコルムの司教様なのだろうけど。 カットがたくさんあるらしいから 初回盤やディレクターズカットが待ち遠しい。 レミゼ見た後にYoutubeでスーザン・ボイルが歌うI Dreamed a Dream を聞いたけど(オーディション時の動画)個人的にアンの方がずっとよかった!歌い方が好き。 コルムのバル、或いはアルフィー マイケルのマリウスじゃ 素晴らしい歌唱であり舞台、コンサートだけど 映画館に客を呼べないリピートできない。 エポは世間的に無名のサマンサを起用して正解な気がする。 そりゃ、生舞台で演じている舞台俳優も凄い。 しかし、大きなスクリーンでのあの存在感、美しさ・・・ これは、映画俳優じゃないと出来ないよ。 劇場中継のような、映像保存系のものにするのであれば 舞台俳優を使えばよい。 しかし、映画はやはり映画だと思った。 とにかく有名俳優がミュージカルすることに大きな意味があるわけで・・・。 私はヒューやラッセル、アン、特にラッセルが歌えるのかとかアン上手そうだなという ことに興味があるんですね。 だからこれはこれでいいと思います。 現に大ヒットじゃないですか。 もし不満があるなら誰かが百戦錬磨のキャストを世界中から集めて対抗して映画作ればいい。 支離滅裂になったかもしれませんがすみません。 演技力に頼った結果俳優陣は評価上がったようだし賞も取れてるけど。 ライブならではなと思いましたよ。 確かにもっと歌い上げてほしいという願望は否めないけど。 エディの美しい寝顔満喫出来たから許す(笑)。 素晴らしい映画だった。 マリウス役とコゼット役の俳優さん、歌上手すぎ。 ヒュージャックマンも高い声で聞き惚れました。 ジャベールは山崎努で。 テレビ放送するときの吹替え予想ならまだしも。 ちっちゃいけど、CGでふくらませれば無問題。 あとは考えるのもマンドクサ。 ジャベは角田信郎 テナ夫婦は北斗と健介、マリウスは狩野えいこーで。 ファンテは友近、コゼはキンタロー、エポは渡辺直美な。 君はブロードウェイの俳優のランクとか そういうことに詳しくないのであれば よくわからないかもしれないし、説明は難しいが・・・ 俺は映画俳優と舞台俳優を区別しているよ。 ブロードウェイのアーロン・トヴェイトも何度も楽屋口であって サインを貰ったり、話をしたりしてきた。 とても育ちがよさそうで、フレンドリーな人だったよ。 おまけに、あの通りのイケメン。 予想通り、TVから映画へと活動の場を広げていった。 しかし、GGの会場に来ることもない。 サンマンサも同様。 そういうもんだ。 もう、数回、映画に出れば、また違ってくると思うが。 彼の声は鳥肌もの。 脇役に上手い人がいると安心するから。 パンを盗んだ場面の挿画があった。 それから十数年が経ち、このアルバム・カバーを見たときに真っ先に思い浮かべたのが、 「ジャン・バルジャン!」 髪とか着ているものの雰囲気が、そっくり。 ファンテーヌは髪を切ったあとはスカーフを被っていて、 ジャベールは、極端だけどブラック魔王風だった。 42億のオペラ座と並ぶよ。 そろそろ上映館数が減りそうだけど オペラ座と並ぶくらいになるかなぁ。 実際、CMは多かったね。 やっぱ、日本人向けには、テレビ、テレビ。 この映画の場合、マリウスがコゼットに 恋するのが凄くよくわかるし、エポニーヌがマリウスに恋するのもよくわかるから エポニーヌのソロでは号泣。 エポニーヌもいい娘だから余計に涙を誘う。 ラストのラスト立ち上がってスタンディングオベーションしたかったけど、恥ずかしくてできなかった。 拍手すらできなかった自分に腹が立つ。 飛ばせ。 ははは。 そして、豊島訳だったかな?「童貞さん」で必ず笑ってしまう。 修道女さんの事なんだけどね。 まさか処女さんとも呼べない罠。 とはいえ全然関係ない話を挿入しすぎなんだよな。 ジャンバルジャンだけだったら、実はけっこう短い話なのかな。 2時間40分が短い短い。 ミュージカル映画というだけでプラス50点なので自分の評価がいまいちあてに出来ないけど、もう2013年のベスト級なんじゃないかという予感。 歌唱力が全員凄まじい、話が濃密で中だるみさせないっていうとこだけでもう最高ですわ。 引っかかったのは2点だけで、非キリスト教文化圏の人間なので警部が身を投げるとことかなんとなくしか心情が理解できないところと フランスなのに英語(ryなとこ。 ミュージカル版では特にそんな設定ないよね。 そもそも映画の宿屋は悪どく儲けてるから次のテナルディエ夫妻の登場シーンで宿屋が借金かさんで潰れてるって観客がわからない。 でも何でも原作通りがいいってわけでもないし、監督も分かっててやってるんだよな。 マダムテナのヒモにしか見えん。 いい意味で日本のアニメっぽい構図。 ミリエルさんの燭台に誓って下さいのシーンから涙腺にきたけど、ファンチーヌもエポニーヌもみんな良かった。 ジャンバルジャンがマドレーヌ市長になった後小綺麗になり過ぎて一瞬誰だかわからなかった。 ドンキホーテとサンチョ、C-3POとR2-D2みたいなやつね。 でも役者の表情に集中して見れるのは羨ましい限りです。 失礼しました。 重ねて失礼。 楽曲が気に入ったんで、ネット探して聞いたけど、 たしかにJohn Owen-Jonesの透明感には適わないかもしれない でも、彼がジャン・バルジャンだったら、この映画は成功してないと思う。 Bring hime home って、ささやくような心の祈りの高音と、 叫ぶような魂の中音部の交差が素晴らしい楽曲なんだよね。 そういや昔、可憐にエポニーヌ演じてたリンジー・ヘイトレー(オンマイオウンの 動画がyoutubeにあるけど、大好き)も去年、テナ夫人やったらしい。 まあ、親子だからもしエポが年取ったらテナ夫人みたいになったのかね。 いい意味で日本のアニメっぽい構図。 口 c ) わたしも... 愛理 //... 口 し 桜乃. 口 ( ). 個人的にはファントムもヴァルジャンも手に入る映像があったらうれしいけれど、 ヴァルジャンに関してはツアー版のCDがあるだけ他のヴァル役者よりはマシかもと 自分に言い聞かせている。 ヒューはやっぱりスターだな、と思ったし、 歌もうまくて、ヴァルジャンが彼でよかったよ。 キャラクター的にはヴァルジャンのイメージにぴったしだな。 スランシス・ラフェルが娼婦やるんなら、パティ・ルポンもカメオしてほしかったー。 ムチャクチャ似合っただろうし。 このラインがキャメロンや、ブーブリル&シェーンベルクが理想にするエポの歌声なんかなと。 サマンサもややごつい声だけどそう。 野良猫の面持ちっつーんかな。 マッキントッシュは「ミス・サイゴン」の映画化にも積極的だと言う話だが う~ん、日本では受けるかな。 東洋人が可哀そうな運命になる話だけに… 「ウィキッド」は、オズの魔法使い自体が日本ではそんなに人気があるわけではないし あれは、アメリカ的な自由や平等意識が色濃く反映された話だし・・・ 出演俳優によるかな? あとは、特に思い浮かばない。 役の体型やらアップ多用の是非やらにこだわるのは結構だけど、もうちょい説得力プリーズ。 GGもらってから改めて見に行ったら、スクリーンがでかい部屋になってて、 レディースデイということもあるんだろうが、ぎっしり埋まってた。 前は閑古鳥だったのに。 レミゼも翌日まで瞼が腫れるほど泣いたけどエビータも嗚咽が止まらなかった。 I'd Be Surprisingly Good For Youでのマドンナとのデュエット、なんて罰ゲーム。 やっぱミュージカルっていいね~。 (そしてマドンナの Actress Doesn't Learned the Linesへ続く) そういう理由で、At The End of The Dayもかなり好きな曲だ。 作者の意見とか、本編とは関係ない話ばかりじゃねえかw 5巻もあるから映画化すると大変だろうと思ってたが、削れるシーンも多いのね。 それに主役がなあ…。 シシィ、映画でできる女優いるのか? エドヴィジュ・フィエールの容姿にピア・ダウエスの声とか、 ロミー・シュナイダーの容姿にマヤ・ハクヴォートの声とか、 そういう人が出てこない限り誰も納得せんと思う。 そんでもってオリバー・ストーンに監督やってほしい。 どちらも曲が良いし骨太の群像劇。 ストーリー的にも比較的知られてる内容だしね。 作品の長さも手ごろだし、 監督とキャストに人得れればそれなりのものが出来そうではある。 パリって不潔だったんでしょ? 今みたいに電化製品や工業製品が溢れてるわけでもなく、衛生観念もほとんどなくて 産褥熱や結核なんかの感染症で人が呆気なく死んでしまう時代だよね。 ルーシー役にポップスターを配置してきそうだわ。 日本のバルジャンで、ここファルセットで歌える人いる? 以前に見たときは、ただ声をひそめて歌っているだけで 「はぁ~」と思ったもんだ。 なんだかんだと舞台と比べて文句をつける低劇厨でも ヒュー・ジャックマンがファルセットで歌っていないことに 文句を言う奴がいないのは ここ 本来はファルセットで歌うべきだと分からないからなんだね。 Bring hime home って、読んでる読者の視点でしょ。 ストーリーに出てくる彼らが無事に帰し欲しいって思いは、物語の世界を超越している。 信じられないだろうけど、世界の歴史の背後にはそういう結社の人々が関わっているんだ。 周囲を見渡してみて。 色んなところで一つ目の象徴が使われているから。 断っておくけれど、それが良いとか悪いではないので極端な陰謀論には走らないでね。 起源はホルスの目という古代エジプトの神だよ。 人間の歴史は宗教と組織と密接に関わっているんだ。 すまん。 それと訂正、起源はホルスの目だけど、元々は神の目を象徴化したものだ。 ホルスの目という神が居るわけではないので宜しく。 真実を見抜く目とも言われている。 象徴的には我々を見張る目でもあるね。 成果をなし得たからじゃなく、この世的には何も成し遂げられず打ちのめされ、 それでも生きた人々が、生きたことそのものの証として自由を得るというのが 万人に向けられた希望としてこの物語をハッピーエンドたらしめてるというか。 ラーの目とも言われてる。 要は太陽の目。 それほど映画版が嫌いなら、最後の大きな砦も舞台にはないから、カットしろと言ってください。 死んだ亡霊が列になって、歌わないと駄目ってことでしょ。 冒頭のシーンも舞台版と違うし、舞台版と違うものは、全部カットですね。 そう主張してよ。 それとも都合の良いところは舞台と違ってかまわないの? お調子者だね。 俺は映画芸術っていうのは制限を受けた創作だと思うよ。 だから、舞台版と違っても全くOKだよ。 あなたはそう思うのね、私はこう思うのよ、っ割り切って、相容れない意見には関わらないほうが得策だよ。 相手が意見を変えるなんてそうそう無いんだからさ。 深夜だから、ドバッと書き捨て。 3回目にしてようやくパンフレットGET! もっといろんなシーンの写真欲しかったけど、読みごたえがあって、買ってよかった! マリウス役のエディ、10年のブランクがあったとは思えない歌唱力だったわ。 ABCの中でも出色。 スクリーンのマリコゼみて、初めて彼等の苦悩に共感できた。 恋に恋した若者じゃなく、ひたすら孤独な魂が求め会う愛、みたいな。 映画に関しては正直、アンジョルラスがガブローシュに喰われてるというか、 ガブローシュの役割が、舞台に比べて大きくなってない?闇の指令ガブローシュ。 ABCの連中の、ハーモニーの異常なまでの美しさにうけた。 いっそ歌の力で国境こえろよと。 って発想が理解できない。 ちょっと極端すぎる。 宿屋夫婦の曲や学生の曲をそのまま入れると、 主人公バルジャンの印象が薄れてしまうのもあるでしょ。 後半はバルジャンのかっこいい場面も少なくなっていくし、 おやじや学生が目立だないようにしないと・・。 休憩があってゆったりみれる舞台と時間制限がきつい映画の音楽。 同じ時間配分には出来ないと思うよ。 それでも映画化を成し遂げようと関係者は頑張ったんだよ。 舞台1万円は高くてみれない人も、映画だったら1800円でみれるでしょ。 東京、名古屋、大阪、福岡以外の人でも映画ならみれるでしょ。 すでに出来ているレミゼ映画の話をするスレなのに・ 映画化するな!なんていうとんでも意見をよく書き込めるね。 が 歌われるらしい。 歌うのはエキストラたちで 特に主役級のスターはパフォーマンスに参加しないようだけど アーロン・トヴェイトとか出てほしいな。 曲がいいからそれだけでも観て(知れて)良かったと思う。 それも、何ページも延々と続くし。 シェイクスピアの「オセロ」だって ベルディのオペラになって、少し手が加えられている。 媒体に応じて思い切って刈り込み改変することで、一字一句忠実にするよりも かえって伝えられることがあるんだよね。 でもオリジナルの方が好きっていうのはもちろん自由だけど、個人の好き嫌いの 表明と存在の全否定は全然違うわな。 舞台では修道院にいるときに院長がトラップ家に行くように話す場面でマリアと歌っているのに対して、 映画ではトラップ家で子どもたちと歌ってお互いが打ち解けるシーンだからな。 ウエスト・サイド・ストーリーも舞台と映画では同じ曲でも場面や歌う人物が違う曲がいくつかあった。 今回のレミゼでも曲順が変わって印象や意味合いが変化している曲はある。 曲が残っていても演出が変われば、それが気に入らない人も出てくるだろう。 映画は映画の見せ方を追求するものだし、監督やプロデューサーの感覚で舞台でいまいちと感じる部分を改変するんだと思う。 二十歳過ぎたいつだったか初めて コミック版を読んだ。 そしてそれから10年以上経って今回やっと 凄い作品だなと思った。 次は小説を読もうと思う。 あの教師は間違っていなかった。 出来るなら教育上で必修にしてもらいたい。 斜め前の男の子が、しきりに携帯を気にしていて、工場のシーンが始まった途端、猛ダッシュで出て行った。 夢やぶれてが終わったタイミングでこっそり帰ってきて、また携帯チラチラ。 プリュメ~ワンデイモア、民衆の歌~彼を帰しての間も飛び出していって不在。 私の感動ポイントに席を外してくれて、ありがたいやら迷惑やら。 どっちも舞台は見たことないけど、マイフェアレディの方は3時間近いことも あって、冗長に感じたのは確かだな。 てかヒギンズ教授の歌って教授の性格を 反映してるんだろうけど、長くてねちっこいw でも舞台とかオペラで、幕間に休憩入れてじっくり生の歌を楽しむのって、 考えてみれば贅沢な時間の使い方だよね。 ビクトル・ユゴー原作の人気ミュージカルを映画化した「レ・ミゼラブル」( そんなジンクスあったっけ? オペラ座の怪人なんて、日本でのみ、世界でもまれなほどのヒットをしてるし、 ドリームガールズだってシカゴだって、それなりにヒットしている。 特に、オペラ座やレミゼラブルのような、ドラマ性の強いヨーロッパ系のミュージカルは 日本で根強い人気があるし、当然、映画になってもヒットする可能性は高い。 特に80~90年代前半は死屍累々ってカンジよ。 映画としての評価という意味でも『キャバレー』から先、今世紀に入るまでの間で、 誰もが認める名作と言われているのは『オール・ザット・ジャズ』位。 だからまあ、 頭の古い人にとってはここ10年位の静かな盛り返しの機運>80~90年代前半の暗黒期 となるのも、仕方のない事と言えるんじゃなかろうか。 不等号間違え。 ここ10年位の静かな盛り返しの機運<80~90年代前半の暗黒期 だね。 25周年コンサートのBDリピートしてたらだんだんハマって、 今は10周年コンサートのCDをリピしている。 映画は子供にも見せたかったんだが、娼婦シーンとファンテの奥歯シーンとサンタのシーンで断念…。 自分はジャヴェールとエポに感情が寄ってしまう。 だって、バルジャンは結局逃亡しまくりw 映画観てから25周年コンサート観たらエポが同じ子でおお!と思ったよ。 親しき仲にも礼儀あり。 実際小2で読んでジャンバルジャンの死んだとこでダダ泣きしたよ。 フランスじゃなくても革命期だったら戸籍の管理なんか無理でしょ。 それに、日本みたいながちがちの戸籍制度を持ってる国って少ない。 伝統的な価値観に基づく、家系・家柄の問題でしょ。 日本でも家康が「徳川」に改名して、無理矢理に源氏の子孫を名乗って朝廷から官位をもらってるし、 貴族の養子になって貴族認定してもらうなんてのは、どこの国にでもあったのでは。 漢字もまともに書けず敬語も使えずきちんとした作法も身につけていない。 中学から援助交際と万引きの常習犯、みたいなのが現代版エポニーヌじゃない? そんなのが幼稚舎からの慶大生や御三家から東大法学部みたいな エリートに惚れたって、相手にされるわけがない。 「キャンディ・キャンディ」のスサナがひどい嫌われようなのにも、違和感を感じる。 もしエポニーヌが助かって、マリウスがお情けでエポニーヌを選んだら、 と考えるのも楽しい。 ジャンが絶えてしまったフォーシュルバンの家系にコゼットをくっつけてやる。 コゼットの名前が法律的にウーフラジー・フォーシュルバンとなり身分証明書もできる。 ただそうしなかったら結婚のさまたげになった「かもしれない」としか書かれてないので この戸籍とやらは無いとそもそも結婚できない現代日本とは大きく違う模様。 だからのこれで結婚にこぎつけた、ってのは少しニュアンスが違うかも。 」 なんだよな。 語りかけるようなStarsは逆に新鮮だったけど、 コレジャナイ感は否めない。 個人的に圧倒的に納得行かないのはサシャのテルナディエ。 もはや歌ってないでしょアレ。 何かぼそぼそ言ってるだけ。 サントラ聞いてても不愉快になるから飛ばしてる。 本家舞台は残念ながら観たことないけど、クロウの歌声は素敵だった。 これじゃないって言う人はあっても、この映画作品のジャベールは彼しかいないと思う。 赤いジャケットがアンジョルラスだよな?物凄く魅力的な人だったなぁ。 ところで バルジャンの最期って自然死ですか?ちょっと前まで元気そうだったから自殺 なんじゃとか考えちゃったんですけど。 舞台のジャベールはリボンで一つにくくったヘアスタイルだけど、映画では短いね。 舞台の髪型が激好みだったのでそこが残念。 三分の一が挿絵だから以外にさくさく読める。 原作読むのはハードル高いから、これぐらいの分量がちょうどいいわ。 ブルーレイ買いなよ 最高の夫婦だなぁー。 プロデューサーズは確かにコケた…。 あれは舞台演出を担当したスーザン・ストローマンが監督やって、 あんまりにも舞台そのまんまを映画化したから不評だったらしい。 俺的にはそれが良かったんだけどな。 ネイサン&マシューはキチンといたし、 肝心のヲカマコンビも舞台のオリジナル配役だったし、あの人たちの演技を 映像という形でキチンと残すことができて本当によかったと思っている。 ややお下品系は日本ではヒットしにくいし、しょうがないよ。 うちの父親が元の映画が大好きでミュージカル映画版もドストライクだった模様。 映画をアテにしながら酒飲んでるわ。 look down! 」て叫ぶわ、心の中で。 マドレーヌ市長が荷馬車を持ち上げる瞬間にジャンだと感じた疑惑の表情とか、下水道でジャンに動けば撃つと言ってるが、実際には撃てないときの表情とか。 あれは映画でアップに耐えられる俳優じゃないとできない無言の表現だ。 レミぜ好きすぎて、ストーリーや展開を知り尽くしているのもあるけど。 サントラは毎日のようにりピしてる。 エポ死去時のA little fall rainと暴動前の民衆の歌をいれてくれてたら、自分的には最高のサントラだったわ。 サントラ聴いて魅了されたのは、サマンサはもちろんアーロンと 映画ではそんなにこなかったけど、エディのEmpty chairs~は最高だなと思った。 原作だと彼は志を同じくする革命仲間というよりアンジョの追っかけみたいなもん だから、一緒に撃たれてくれるってより、グランテールファン視点だと、アンジョと 一緒に死ねてよかったね、だったりする。 webry. biglobe. lesmiserables-movie. 読書慣れしてない人だと、原作読むのは大変だろ。 当時のフランス情勢に通暁していないと、理解しづらい場面が多々ある。 脱線している箇所や、作者の私見が入っている箇所も多すぎる。 ABCの面々も大量に登場する上に、ゴチャゴチャした会話をする。 手に入れやすい新潮や岩波の訳は古い。 ユーザーの一人がTwitterで暴露したことにより、背後に米国大手プロバイダの存在が明らかとなり、 どうやら、これら大手プロバイダが流す大金がユーザーに還元されるというのだ。 制作にはGoogleやAppleの元プログラマーなどが多く参加しており、 その大きなネットワークで構築される世界は半端なく深く、とてつもなく広いと言われている。 日本国内ではすでに800万以上のユーザー数が記録されているが、 今月で終わりを迎えてしまうシリーズだけに、手にできなかった人間は運が悪いとしか言い様がない。 『平均月収200万とも言われるシステムが終わりを迎えてしまうのは残念でならない』と、 あのホリエモンさえも塀の中から嘆いていると言う。 引用元. ジャンの墓は全く無銘で忘れ去られてしまい、公式には福者でも聖人でもない。 でもカトリック教会の手続き云々よりも、作中で聖人だとマリウスが思った事の方が大事なんじゃないのかな。 「もう、静かに寝かして!! 」って思うよ、葬式で大騒ぎされたら。 ここからの知識が無いと、面白みがわかりにくい。 バルジャンはファンティーヌ、コゼと巡り会わなかったら 聖職者の道を選んだかもしれないよね。 実際カトリックの聖人には回心した人が多い。 ファンティーヌにもマグダラのマリアを思わせる所がある。 ナポレオンの台頭とか。 言葉足らずですんません。 あんなに美人なのに。 角川版は脱線箇所省略しているようだから、百六景で概要掴んだらそっち行ってみるかな。 時間の長さは感じなかった。 本当に排泄物だらけのとこ歩いたら普通の人間は死ぬで。 迫力があるんだろうね。 で今年の帝劇のキャスティングを見たら写真見る限りではたいそう体格が 良さそうな人でのトリプルキャストだった。 それ相応の装備も必要だし、普通の靴じゃまず歩けないし、 満潮干潮のタイミングもあるし、第一、カンテラだかランタンだかの 照明器具を持っていない。 ましてや傷が開いたまま汚水に晒され続けたらほぼ間違いなく敗血症で死ぬ。 抗生物質もないし。 ただ、原作者にもそこまでの知識はなかっただろうね。 It comes. でもエライ評判いいみたいだからダメ元で見たの。 そしたら価値観覆された。 今まではミュージカルは違和感あって気持ち悪くて(特にブロードウェイ系の) 苦手だった。 歌が言葉みたいに、言葉以上に、こんなに胸に入ってきたのは初めてだった。 普通に Boy と呼びかけてるんだろうけどな 2個目はバルジャンの告白を聞いたマリウスが 「行かないで」と言う部分。 gone by~がかんぱーいって聞こえると、せっかくのしみじみシーンなのにプッとなる。 「フランスのこの時代、こういった小競り合いがあったとき、地下の下水道をけが人背負って1人の男が歩いていた。 おまえら名前知ってるか?そう、ジャン・バルジャンだ!」 昔の教師は粋だったなぁと、ふと思い出した。 全てのエネルギーをもっていかれるほどの場面だ。 この調子で、前編続くのは、耐えられるかと思った。 案の定、緩急がなく、全編 全力投球の展開。 中だるみが全くない。 これは映画創るテクニックでは、損している。 普通は、静の場面が動の場面に展開して、その効果を最大限発揮する。 そういう場面があったのは、最後くらいだろう。 でも、舞台ミュージカルを尊重したこと、時間制限があったこと。 この2つが条件だったろうから、このような編集にせざるおえなかったのであろう。 次々、高いエネルギーで場面が展開していくので、強烈である。 マリウスは傷口から出血しながら汚れた服が傷に食い込んだ状態でまる一日下水道をジャンとさまよってるし、ジャンはマリウスを抱えて脱出前に脇の下まで泥水に漬かってる。 そして医者は失血して低体温で仮死状態のマリウスに傷を拭いて止血しただけでろくに消毒してない。 マリウスは数週間発熱と意識昏迷が続いているが、これは敗血症の症状なのに傷の刺激による脳症とか誤りを書かれてる。 ただ、ここで硝酸銀と塩化洗浄薬で傷を深いところまで洗おうとしてるのは当時としては最新の消毒だろう。 つまり原作者は当時としてはかなり最先端の医学知識があるが、輸血もろくな消毒も抗生物質もなしで助かったのはかなり奇跡だろう。 しかも未来の人間が後出しジャンケンで当時の医療を批判するのはフェアじゃない。 ジャンの祈りが届いて神の恩寵で助かったということにしとこう。 俺は中学時代にトライしたけど途中でギブアップしたので悔やんでいる。 優秀な人は、きちんと全部読破していたよ。 You let your foreman send me away, Yes you were there! And turned aside! 処置は包帯だけじゃなく、傷を切開して深いところまで洗いまくらないとだめ。 あの状態で助かったのは神の奇跡。 それも男の歌を女が歌ったりその逆だったり合唱したりなんてざらだし。 なんでまた、わざわざあんな場面に歌を入れてしまったのかねえ。 売春セックスして、しかも射精した直後wwwに歌い出すなんてね。 そんなことする必要性は全くないでしょ。 あそこにこの歌を入れなきゃいけない理由がない。 もう少しずらしてもぜんぜんかまわないのに バカじゃないかと思った。 もうケラケラって感じるよ。 25周年コンサートの録画の最後でも、 マッキントッシュ自ら、文化祭などのスクールエディションを奨励していたのにねえ。 映画版の展開でミュージカルをやりたい、って生徒も出てくるはず。 それを止めて、新舞台版の内容でいきます、って先生が、わざわざ言わないといけないなんて・・・。 まあ思春期の生徒は興味しんしんだろうけど、 学校側、先生側からすれば、やりにくくなったよね。 マッキントッシュでもこれほどあからさまな大失敗するなんてね。 身を売ってどん底まで落ちた無情感の中で歌ったんだから。 ファンティーヌが絶望して全部が苦しくなった時なんだから、あの部分でいいと思うけどな。 工場追い出された直後だと、あんな魂の叫びみたいな歌にはならないだろう。 これからどうしたらいいの?って段階だし、絶望はまだ味わいきってない。 普通はこの映画を、学校の先生の立場では観ないし評価しないでしょ。 他にもセックスシーンがある映画は一杯あるし、それがおかしいとは思わないだろ。 それでぜんぜんかまわないだろ。 人間の営みだからな。 ところがだよ、中学や高校でこのミュージカルを指導する先生の立場になった場合を考えてみろよ。 文化祭の舞台で脚本とかを一緒に創り上げる際に、指導がやりにくくなったなあ、って感じるだろ。 マッキントッシュはスクールエディッションを奨励しているわりには、下手うったな、っていってるんだよ。 お前は、ぼけかよ。 それともイギリスの学校ではこういうのぜんぜんOKなの? 日本の学校なら、間違いなく、少しやりにくくなったよな。 そんなこともおまえは理解できないのか? おまえはトンチンカンで陰湿な奴だな。 しかも、その後、大勢の生徒が歌いながら客席に入場してくる。 荒らしの相手をする人も荒らしですって言われるわけだ。 映画自体の出来は素晴らしかった、って思ってます。 モンテクリスト伯は児童書でも読んでたんだけど、 児童書じゃ書いてない部分が面白いんだよね。 レミゼも児童書で読んでて、大学で読もうとしたけど挫折したw 児童書だとバルジャンについては結構きちんと書いてたけど、エポや学生関係は まるっとはぶかれてたんで、やっぱり一回、きちんと読もう、かなw 百六景で当時の状況とか読むと、ほんと頑強な人間しか生き残れなかった だろうな、と思うな。 子供も無条件に手厚く保護すべき存在ではなかったみたいだし。 コゼットに対するテナルティエ夫妻の扱いも、当時としては非人道的とまでは 言えないんだろうね。 つか、旧演出では演ってた。 立ちバックで。 舞台の隅で照明も暗いからわかりにくいけど。 ラブリィレイディの所は、コゼやエポも役がわりで売春婦になっていて、コゼがファンテーヌ虐めたりしてる。 英語だと気づかれにくいかもしれないが結婚式向きの歌詞はほとんどない。 志を同じにしていた友達が大勢死んでいったわけで、 どうして自分だけ生き残ったのか、そういう葛藤があってもよかったと思う。 あとジャンバルジャンが亡くなる際に 自分が知っている舞台では、ファンテーヌとともにエポニーヌの幻影が出てきたが エポニーヌとジャンバルジャンの接点がほとんどなかったので違和感を覚えていたが 映画ではファンテーヌだけになっていたので(自分的に)よかった。 あと、そのシーンでのマリウスとコゼットの挿入は… ストーリーからすればあるべきなのだが、 ミュージカル的には…ううん、ちょっとピリッとしなかったなー。 でも最後のそのシーンと「民衆の歌」はやっぱり感動しますね。 ジャン・バルジャンにしては自分の娘の好きな人をむざむざ殺させるわけに いかなかったんだ、父の想いとしてはわかって欲しいところだ。 マリウスとて友人と革命に参加する想いが揺らいだことだってある。 革命なんてもはやどうでもいいこと。 その時の辛いみじめな気持ちを歌にしてるんでしょ?場面変えて歌ってどうする。 女の私にはファンティーヌの気持ちが痛いほどわかる。 だから感情移入して泣いた。 こんな場面で歌うか?だなんて「画像」しか見てない人の言葉としか思えない。 あの場面であの歌うのには 意味があるんだよ。 それを理解しない人がいることに腹が立つ。 確か銃を捨てて鍬を持とう、みたいな歌詞になってた気がするけど。 Dream. Hope. Love. ラストシーン終わった直後に拍手してる人いた。 俺は心の中で拍手したわ。 「バリケードの向こうのどこかに みんなが憧れる世界があるよ」ってい歌っているし 自由と人間の尊厳が大切にされる理想世界を目指して 闘った者たちの物語であり、それをたたえるラストってこと。 前スレで出てたヤツだ。 貧しい人達を見てみぬふりして、そこそこ幸せな人生を送ることもできたのに、そうしなかった学生たち、 愛なんてよくわからないけど、好きだから、その人に全てを捧げたエポニーヌ… その他大勢はしらないけどw 君は愛のために、しーねーるーかー!って、杉良太郎も歌ってたな昔。 パリのなかで、最も天国に近いのは、立派な大聖堂でも修道院でもなく、市民が築いたバリケードってのも、ユゴーっぽい。 確かに、舞台ではバリケード作る過程までは描写できない。 聴く限り劇中まんまなんだけど。 結婚式だと、自分なら民衆の歌希望。 エポニーヌが死んだときに ガブローシュが泣いていたカットが ありましたよね?それから、遺体も 隣同士に寝かされていました。 酒場のシーンでは、ガブローシュが 寝ていたゆりかごと、お客のかごが すり替えられていました。 ただ、なぜ自分たちの息子を捨てたのに、 他人の子のコゼットを育てたのか、とか 金づるだから? 、エポニーヌが自分の 姉であることを、どうやってガブローシュ が知ったのかは分かりません。 家族一緒に暮らしてる。 自分はあそこが原作最大の泣き所だったので。 見る前は「チョイ役じゃなきゃいいなあ」くらいだったのに、人間の欲にはきりがないね。 そもそも、悪人のはずのジャンバルジャンに聖人の面を見て迷う中で、自分がバルジャンを許してしまったことが決定打となり信じてきた神の道を見失ってジャベールは死ぬんだから、暴徒の一人でしかないガブを認めるかのような行動に出るわけがない。 もっと欲を言えばグランテールはバリケードでずっと寝てて欲しかったw でもたしかに映画はあれで良かったんでしょうね。 「不意をつかれて」てのはまさに同感です。 人生に楽しみなんて一つもいらないくらいの勢いで革命一筋だったアンジョルラスが最後の最後に、 ですからねえ。 アンジョルラスが笑ったのってあそこだけだよな、というのを確認すべく、原作読み返し中。 やっとフォーシュルヴァンさんが馬車の下敷きになりました。 先は長い。 信念が打ち砕かれた人間から、信念を貫き通した人間へ。 まあ結局新しい価値観と、古い信念を上手く融合させる事が出来ずに 自ら命を絶ってしまうわけだけども。 我らが望んだ世界が~云々の歌詞で革命とか思想関係なく、小綺麗で貧富の差がだいぶ減った現代に繋がるような演出なのかなと勝手に想像したけど。 他にも凶悪犯罪は数多あるだろうに執念深くバルジャンを追う理由を、 小学生ながらに考えていた。 出した結論。 ミリエル司教はキリスト的愛によりバルジャンを庇った。 司教館の宝物を盗むなど、これ以上はないくらいの大罪。 悪人ジャン・バルジャンは更に罪を重ねる。 そのときこそ地獄に叩き落としてやる。 なのかな~と自分を納得させた。 暇な同僚の詮索好きの婆様がテナルディエの宿屋まで行って、ファンチーヌに子供が居ると騒いだ。 当時の倫理観だとシングルマザーには風当たりが強かった。 マドレーヌ市長は男女関係潔癖で工場も男女別にして働かせてた。 女工場長が気を利かせてファンチーヌをクビに。 という流れ。 ジャベールにとって勲章は自分の信念の証だったんでしょ。 だから王様からの勲章って意味じゃなくて、ジャベールがガブ達を理解したから、と。 元々警察とは相性悪いタイプなのかな。 パンひとつ、しかも子供のためとはいえ、盗んだことには違いないし、~したら必ず戻るって、戻ったためしがないし。 やたらと人情に訴える、ヤンキー気質みたいじゃね? 映画のジャベールは、眉間のイボが気になって感情移入できなかったけど、 あんだけ憎む気持ちわからなくもないわ。 これまでの理想が色褪せて見えてしまったからこその自決でしょ? 自分は小さな勇者に勲章を与えたジャベールは、もう学生活動家を ゴミと考えていたジャベールではないと思うよ。 どうもジャベールという人物に起こったであろう、心の変化の捉え方が ID:fmQCOPOhさんとは違うんだろうなぁという気がする。 バリケードの中で、ジャンバルジャンに見逃がされたときから、ジャベールの心理に変化が起こっていた、ということを、あの勲章を与える演技でうまく表現したと思ったよ 王権にあたえられた勲章をガブローシュに与えるのはおかしい、とか、ジャベールの正体を見破った褒美だろう、とか、 そんなのは勘ぐりすぎもいいところで、帰って的外れだと思うな。 単純に、子供らしい遊びも楽しみも知らずに死んで言った子供に、おもちゃやバッジをあげるように、勲章をつけてやっただけだと理解すればいいんだよ。 そういう、普通の人の持つような同情心を持つこと自体、ジャベールの心にヒビが入っていたことの表現になってるわけだし。 慣れ親しんだものと違うから拒否反応示す人がいるのも分かるけど 「感動した」「いいシーンだった」という人も多くいる以上はその目論見は 成功したと言えるんじゃないかな。 で、ここを読んで、そうかあのシーンを許せない人もいるのか、なるほどな、と思った。 いろいろな解釈があっていいよね。 「斉藤由貴の声が全然聴こえなかった!!」と憤っていた。 86年の12月28日だっただろうか。 「実際ジャベールは、私を捕えながら放免したところをみると、どうしても既にあの時から気が狂っていたに違いない。 あくまでも法に基づいた場合。 何も出来ないと踏んでそうしたんだろうとは思わないけど、市長として出来る事は無いと思うんだけど。 大量に出ても読みづらいだけだ。 数を減らして、一人一人を書き込んだ方が…。 私は勲章より、変装して市民に紛れ込んでいる時、 葬列のところで騒ぎが起きてジャベールが学生を助け起こすシーンで 学生に礼を言われてなんとも言えない微妙な表情をしていたのが印象的でした。 レミゼは日本の舞台を1度見たことあるだけで、そんなに印象にも残っていないのですが、 映画のジャベールはずっとどこか一生懸命ムリして信念の人であろうとしているように感じました。 あの時代、男の方が働き手として重宝されそうなのにね。 娘の身体でお金儲けしようと娘を可愛がったのかね、嫌過ぎる。 CMとかの名セリフ? しかし66歳の老人が20代の若者を担いで下水道逃げ回るって どんだけ体力ある、馬鹿力なんだろう。 明日は明日は繰り返してでしょ。 なんとなくぼーっと眺めて台詞を理解せずに突っ込みらしきことを言われてもなあ。 で、ちょっと調べてみました。 ここまで勲章のデザインをも時代考証を検討して映画化されているのだとしたら、 映画スタッフの努力に感服しきりです。 tujimoto. cocolog-nifty. ところで、昔やってたらしい、レミゼのコゼット物語のジャベール 超悪人顔だね。 コゼットは萌系でもなく可愛くもないね。 なぜコゼット主役なのかも不明だ。 ディオ様もように。 死ぬ前にもっかいバルジャンのとこいって、なんでそんな風に改心できたか聞けばよかったのにさ。 バルジャンもバルジャンだよ、ジャベールの気持ちも考えずにかっこつけてさ。 ラッセルの表情からみると、死ぬ間際のジャベールは錯乱状態っていうか、正気じゃなかった? 司教の施しによって改心したバルジャンと、バルジャンの赦しに絶望したジャベール。 後者のほうがリアリティーあるけどな。 大体バルジャンとかフォンテーヌなんて、にちゃんじゃ散々ヲチされ糾弾されるレベルのdqnだし。 ただ収録分数が65分というのが納得いかない。 CDの許容収録の分数を考えれば、 あと数曲は収録できただろ。 1995年出版、アメリカの女流作家が書いたものだけどw エポの妹アゼルマが復讐のために現れたり、コゼットがバルジャンの遺産で 新聞社を立ち上げたり、マリウスが何度も逮捕されたり、波瀾万丈らしい。 有名な小説の続編を、本編と別の作家が書くのって結構あるんだね。 風と共に去りぬ、嵐が丘とか。 「Xメン」も「レ・ミゼラブル」もだいたい同じストーリーだし。 逃亡者のキンブルは実際にあった事件が元ですが、 そこにこういう名作のスパイスを混ぜて作ったのでしょうかね。 トミーリー・ジョーンズがリメイクでやったジェラードは キンブルに少しずつ理解を示していく感じでしたが、 テレビシリーズを見ていた家族に聞くと、 ジェラードはとにかくしつこくて主人公を追い詰めるいやな奴 というイメージだったと言っていました。 その辺も元と映画の違いが似ている気がしてなりません。 次観る時は顔をちゃんと覚えるよ。 あまりにも必死だったから兄弟?とまで思ってしまったよ。 そんなわけないんだけど。 ヴォイス・トレーナーがついて、しごかれたって エディ・レッドメインが言ってた。 フランスでは有名すぎる小説なので、端折っても観客には理解できるらしい。 感動というより、動揺? この気持ちを一体どこにぶつければいいのか。 映画ではそこまで厳格な人物に描写されていないし、そもそもジャン・ヴァルジャンが 聖人と化していく姿が描かれえていないからねぇ。 パリ版では、観客は基本的にこの話知っているが前提で、ほかの部分を厚くしたらしい。 ただですら、ものすごく長い話だし。 2枚組)、 図書館で目に入った四季版のサントラ借りて聴いたら、 ひっくり返りそうになった。 スタジオではこのピアノ伴奏で歌ったんだろうね。 また雰囲気が違って聞こえる。 ところでそのピクニックシーンのときすでにコゼットは生まれていたらしいことに今回初めて気がついた。 ピクニックから10ヵ月後に「もうすぐ3歳」とか言っている。 まだ赤ちゃんといっていい子供をおいて丸一日ピクニックとか、どうなんだろう。 あの時代、赤ちゃんは今よりずっと死にやすかったはずなんだけど。 しかも、2歳は既にあかちゃんじゃ ない。 小さな子をひとりで家に残しちゃいけないのは、平成以降の倫理観だと 思う。 昭和生まれの自分は、2歳の頃から母親が働きに出てるのを1人 で留守番してたよ。 うち、貧乏だったからなぁ。 年代ものの作品読むと、倫理観や世界観の違いに気づかされるので、 それも面白さのひとつ。 すべて終わった ミュージックオブザナイト(なっち) 我が愛は終わりぬ 夜の調べとともに(浅利) ただ、最近の新作の訳はイマイチと糞の間くらい。 「見えるのはどこまでもふたりだけ」とか好き。 あとエピローグの「鎖は解けてみな救われる」が過不足なくてすばらしい。 東宝の舞台見たことないけど。 頑なになりたくてもなりきれなそうな、繊細(?)で情緒的な声だよね もしくはまっすぐで不器用そうというか。 それが声に出てるんだわw この声の魅力はなんだろうと不思議だったんだけど、 「自信のなさそうな歌声」でしっくりきたw 音楽がいいなぁと思って。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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レ・ミゼラブル Les Miserables 7

脱獄ごっこえろ

あとエディ・レッドメインのアイデアだそうです。 こんな健気な娘さんだなんて…。 大人エポニーヌって空想好きな少女コゼットがそのまま成長したような娘っぽいなって改めて思った。 マリウスと一緒になれる夢見ては叶わないエポと母親もいなく辛い状況を空想でしのいでる少女コゼット。 で、日本人から見ても若く見えると思うけど、向こうでは19歳くらいに見える らしいよ。 ごく普通の等身大の女の子ってとこがエポニーヌの雰囲気に合ってるけど、 映画に出るには野暮ったいってことなのかな。 まあ、舞台女優さんもそこらの女の子より綺麗なんだと思うけど。 25周年のサマンサは表情はとても良かったけど、歌はそうでもなかった。 25周年は少しテンポが速くて全体的にちょっと残念って感じだな。 マリウスは最悪だったし・・・。 ここでいろいろ情報仕入れてから2回目見に行ったら すごい感情移入してしまってなんか自分の中で完璧な話になった。 Twitterでも絶賛してるのってJKとかDQNが多い気がする。 アクションばっかりみてきたので映画を見終わったあとはただすっきりすればいいというような感覚だったので予備知識などは一切なく映画を観てきました。 これ最強。 元々知ってた馴染んでるならいいけど、直前に知識を仕入れるために調べると 調べたことを確認するために見るみたいな本末転倒なことになりがちなんだよね。 それで気になった事があったらそれを後から調べて楽しむのもいいかと。 これだけ、レミゼブームになっているんだし、再放送してくれないかな? 映画では、リノ・バンチュラのもよかったよ。 わずかなセリフで意外と印象深い。 ジーナ・ベックやケイティ・ホールは、あっというまに終わっちゃう。 エポニーヌはマジで不細工だった。 当初関心なかった人も大勢観に行っているみたい。 楽しみにしていましたが正直な所、他のミュージカル映画と比べて映画的演出が単調で アン・ハサウェイの鬼気迫る演技と曲の良さ(特に革命側の人々が歌っている歌は素晴らしいと思いました)以外に お涙頂戴以上の感想がなかったのですが、好評価の方はどの辺りが見所になっているのでしょうか? またユゴーの原作とミュージカル版、および映画版ではどの辺りが違うのでしょうか。 個人的にこの映画を見る限りでは原作はもっとキリスト教的なのかな、と思いました。 そういう話であれば当時のフランスの感性が読み取れる作品としてちょっと興味があるのですが。 失礼な発言だと思いますが、よろしければお答えお願いします。 断言できないけど、その場合の「次回作」とは、舞台のレミゼのことかもしれない。 前スレも読みました、というかこのスレの評価を見て行って来たんですよね。 それ見ると実際のミュージカル見た上での感想が多かったので、 そういう人はこの顔を多用した演出にどういう印象を持つのか聞いてみたかったんです。 司祭様のお話は慈愛の話ですよね。 とりあえず原作の方読んでみます。 ありがとうございました。 そうですね。 ですが、もしかしたらこの感覚が舞台で見てる人にはしっくり来てるのかな?と思ったんですよね。 まさかジャニだからってわけじゃあるまい。 その中に、マリウス発見!特徴ある鼻だからすぐわかった。 あと、やたらアップ多いなと思ったら、フーパー監督だった。 この監督は、人物造形が素晴らしいな。 役者的には、こんだけ丸裸に撮られるのはさぞかしきついだろうけど、 見てる方からすれば、ドラマを肌で感じられて最高だわ。 脚本とクレジット見比べてみてようやくわかった程度です。 ディズニーのセンスは好きじゃないけど、画面をもたせて動きを付けるのはうまいよね 舞台ならたとえ役者が棒立ちでも他のところを見ることができるけど 映画はそれしか見られないからなあ。 あと、A Heart full of loveのところでマリウス&コゼットとエポニーヌを 一度も一緒に撮らなかったのは故意なんだろうけどなぜなんだろう。 あれ、俯瞰で撮ったらエポニーヌの孤独感がもっと出ると思ったのになあ。 あと最後のバル、ファンテ、エポの三重唱、 ハモリが絶妙で本当に昇天するような気持ちになる、 アン、ヒュー、サマンサで聞きたかったな~、 まあ、そのかわりにコルムの司教様なのだろうけど。 カットがたくさんあるらしいから 初回盤やディレクターズカットが待ち遠しい。 レミゼ見た後にYoutubeでスーザン・ボイルが歌うI Dreamed a Dream を聞いたけど(オーディション時の動画)個人的にアンの方がずっとよかった!歌い方が好き。 コルムのバル、或いはアルフィー マイケルのマリウスじゃ 素晴らしい歌唱であり舞台、コンサートだけど 映画館に客を呼べないリピートできない。 エポは世間的に無名のサマンサを起用して正解な気がする。 そりゃ、生舞台で演じている舞台俳優も凄い。 しかし、大きなスクリーンでのあの存在感、美しさ・・・ これは、映画俳優じゃないと出来ないよ。 劇場中継のような、映像保存系のものにするのであれば 舞台俳優を使えばよい。 しかし、映画はやはり映画だと思った。 とにかく有名俳優がミュージカルすることに大きな意味があるわけで・・・。 私はヒューやラッセル、アン、特にラッセルが歌えるのかとかアン上手そうだなという ことに興味があるんですね。 だからこれはこれでいいと思います。 現に大ヒットじゃないですか。 もし不満があるなら誰かが百戦錬磨のキャストを世界中から集めて対抗して映画作ればいい。 支離滅裂になったかもしれませんがすみません。 演技力に頼った結果俳優陣は評価上がったようだし賞も取れてるけど。 ライブならではなと思いましたよ。 確かにもっと歌い上げてほしいという願望は否めないけど。 エディの美しい寝顔満喫出来たから許す(笑)。 素晴らしい映画だった。 マリウス役とコゼット役の俳優さん、歌上手すぎ。 ヒュージャックマンも高い声で聞き惚れました。 ジャベールは山崎努で。 テレビ放送するときの吹替え予想ならまだしも。 ちっちゃいけど、CGでふくらませれば無問題。 あとは考えるのもマンドクサ。 ジャベは角田信郎 テナ夫婦は北斗と健介、マリウスは狩野えいこーで。 ファンテは友近、コゼはキンタロー、エポは渡辺直美な。 君はブロードウェイの俳優のランクとか そういうことに詳しくないのであれば よくわからないかもしれないし、説明は難しいが・・・ 俺は映画俳優と舞台俳優を区別しているよ。 ブロードウェイのアーロン・トヴェイトも何度も楽屋口であって サインを貰ったり、話をしたりしてきた。 とても育ちがよさそうで、フレンドリーな人だったよ。 おまけに、あの通りのイケメン。 予想通り、TVから映画へと活動の場を広げていった。 しかし、GGの会場に来ることもない。 サンマンサも同様。 そういうもんだ。 もう、数回、映画に出れば、また違ってくると思うが。 彼の声は鳥肌もの。 脇役に上手い人がいると安心するから。 パンを盗んだ場面の挿画があった。 それから十数年が経ち、このアルバム・カバーを見たときに真っ先に思い浮かべたのが、 「ジャン・バルジャン!」 髪とか着ているものの雰囲気が、そっくり。 ファンテーヌは髪を切ったあとはスカーフを被っていて、 ジャベールは、極端だけどブラック魔王風だった。 42億のオペラ座と並ぶよ。 そろそろ上映館数が減りそうだけど オペラ座と並ぶくらいになるかなぁ。 実際、CMは多かったね。 やっぱ、日本人向けには、テレビ、テレビ。 この映画の場合、マリウスがコゼットに 恋するのが凄くよくわかるし、エポニーヌがマリウスに恋するのもよくわかるから エポニーヌのソロでは号泣。 エポニーヌもいい娘だから余計に涙を誘う。 ラストのラスト立ち上がってスタンディングオベーションしたかったけど、恥ずかしくてできなかった。 拍手すらできなかった自分に腹が立つ。 飛ばせ。 ははは。 そして、豊島訳だったかな?「童貞さん」で必ず笑ってしまう。 修道女さんの事なんだけどね。 まさか処女さんとも呼べない罠。 とはいえ全然関係ない話を挿入しすぎなんだよな。 ジャンバルジャンだけだったら、実はけっこう短い話なのかな。 2時間40分が短い短い。 ミュージカル映画というだけでプラス50点なので自分の評価がいまいちあてに出来ないけど、もう2013年のベスト級なんじゃないかという予感。 歌唱力が全員凄まじい、話が濃密で中だるみさせないっていうとこだけでもう最高ですわ。 引っかかったのは2点だけで、非キリスト教文化圏の人間なので警部が身を投げるとことかなんとなくしか心情が理解できないところと フランスなのに英語(ryなとこ。 ミュージカル版では特にそんな設定ないよね。 そもそも映画の宿屋は悪どく儲けてるから次のテナルディエ夫妻の登場シーンで宿屋が借金かさんで潰れてるって観客がわからない。 でも何でも原作通りがいいってわけでもないし、監督も分かっててやってるんだよな。 マダムテナのヒモにしか見えん。 いい意味で日本のアニメっぽい構図。 ミリエルさんの燭台に誓って下さいのシーンから涙腺にきたけど、ファンチーヌもエポニーヌもみんな良かった。 ジャンバルジャンがマドレーヌ市長になった後小綺麗になり過ぎて一瞬誰だかわからなかった。 ドンキホーテとサンチョ、C-3POとR2-D2みたいなやつね。 でも役者の表情に集中して見れるのは羨ましい限りです。 失礼しました。 重ねて失礼。 楽曲が気に入ったんで、ネット探して聞いたけど、 たしかにJohn Owen-Jonesの透明感には適わないかもしれない でも、彼がジャン・バルジャンだったら、この映画は成功してないと思う。 Bring hime home って、ささやくような心の祈りの高音と、 叫ぶような魂の中音部の交差が素晴らしい楽曲なんだよね。 そういや昔、可憐にエポニーヌ演じてたリンジー・ヘイトレー(オンマイオウンの 動画がyoutubeにあるけど、大好き)も去年、テナ夫人やったらしい。 まあ、親子だからもしエポが年取ったらテナ夫人みたいになったのかね。 いい意味で日本のアニメっぽい構図。 口 c ) わたしも... 愛理 //... 口 し 桜乃. 口 ( ). 個人的にはファントムもヴァルジャンも手に入る映像があったらうれしいけれど、 ヴァルジャンに関してはツアー版のCDがあるだけ他のヴァル役者よりはマシかもと 自分に言い聞かせている。 ヒューはやっぱりスターだな、と思ったし、 歌もうまくて、ヴァルジャンが彼でよかったよ。 キャラクター的にはヴァルジャンのイメージにぴったしだな。 スランシス・ラフェルが娼婦やるんなら、パティ・ルポンもカメオしてほしかったー。 ムチャクチャ似合っただろうし。 このラインがキャメロンや、ブーブリル&シェーンベルクが理想にするエポの歌声なんかなと。 サマンサもややごつい声だけどそう。 野良猫の面持ちっつーんかな。 マッキントッシュは「ミス・サイゴン」の映画化にも積極的だと言う話だが う~ん、日本では受けるかな。 東洋人が可哀そうな運命になる話だけに… 「ウィキッド」は、オズの魔法使い自体が日本ではそんなに人気があるわけではないし あれは、アメリカ的な自由や平等意識が色濃く反映された話だし・・・ 出演俳優によるかな? あとは、特に思い浮かばない。 役の体型やらアップ多用の是非やらにこだわるのは結構だけど、もうちょい説得力プリーズ。 GGもらってから改めて見に行ったら、スクリーンがでかい部屋になってて、 レディースデイということもあるんだろうが、ぎっしり埋まってた。 前は閑古鳥だったのに。 レミゼも翌日まで瞼が腫れるほど泣いたけどエビータも嗚咽が止まらなかった。 I'd Be Surprisingly Good For Youでのマドンナとのデュエット、なんて罰ゲーム。 やっぱミュージカルっていいね~。 (そしてマドンナの Actress Doesn't Learned the Linesへ続く) そういう理由で、At The End of The Dayもかなり好きな曲だ。 作者の意見とか、本編とは関係ない話ばかりじゃねえかw 5巻もあるから映画化すると大変だろうと思ってたが、削れるシーンも多いのね。 それに主役がなあ…。 シシィ、映画でできる女優いるのか? エドヴィジュ・フィエールの容姿にピア・ダウエスの声とか、 ロミー・シュナイダーの容姿にマヤ・ハクヴォートの声とか、 そういう人が出てこない限り誰も納得せんと思う。 そんでもってオリバー・ストーンに監督やってほしい。 どちらも曲が良いし骨太の群像劇。 ストーリー的にも比較的知られてる内容だしね。 作品の長さも手ごろだし、 監督とキャストに人得れればそれなりのものが出来そうではある。 パリって不潔だったんでしょ? 今みたいに電化製品や工業製品が溢れてるわけでもなく、衛生観念もほとんどなくて 産褥熱や結核なんかの感染症で人が呆気なく死んでしまう時代だよね。 ルーシー役にポップスターを配置してきそうだわ。 日本のバルジャンで、ここファルセットで歌える人いる? 以前に見たときは、ただ声をひそめて歌っているだけで 「はぁ~」と思ったもんだ。 なんだかんだと舞台と比べて文句をつける低劇厨でも ヒュー・ジャックマンがファルセットで歌っていないことに 文句を言う奴がいないのは ここ 本来はファルセットで歌うべきだと分からないからなんだね。 Bring hime home って、読んでる読者の視点でしょ。 ストーリーに出てくる彼らが無事に帰し欲しいって思いは、物語の世界を超越している。 信じられないだろうけど、世界の歴史の背後にはそういう結社の人々が関わっているんだ。 周囲を見渡してみて。 色んなところで一つ目の象徴が使われているから。 断っておくけれど、それが良いとか悪いではないので極端な陰謀論には走らないでね。 起源はホルスの目という古代エジプトの神だよ。 人間の歴史は宗教と組織と密接に関わっているんだ。 すまん。 それと訂正、起源はホルスの目だけど、元々は神の目を象徴化したものだ。 ホルスの目という神が居るわけではないので宜しく。 真実を見抜く目とも言われている。 象徴的には我々を見張る目でもあるね。 成果をなし得たからじゃなく、この世的には何も成し遂げられず打ちのめされ、 それでも生きた人々が、生きたことそのものの証として自由を得るというのが 万人に向けられた希望としてこの物語をハッピーエンドたらしめてるというか。 ラーの目とも言われてる。 要は太陽の目。 それほど映画版が嫌いなら、最後の大きな砦も舞台にはないから、カットしろと言ってください。 死んだ亡霊が列になって、歌わないと駄目ってことでしょ。 冒頭のシーンも舞台版と違うし、舞台版と違うものは、全部カットですね。 そう主張してよ。 それとも都合の良いところは舞台と違ってかまわないの? お調子者だね。 俺は映画芸術っていうのは制限を受けた創作だと思うよ。 だから、舞台版と違っても全くOKだよ。 あなたはそう思うのね、私はこう思うのよ、っ割り切って、相容れない意見には関わらないほうが得策だよ。 相手が意見を変えるなんてそうそう無いんだからさ。 深夜だから、ドバッと書き捨て。 3回目にしてようやくパンフレットGET! もっといろんなシーンの写真欲しかったけど、読みごたえがあって、買ってよかった! マリウス役のエディ、10年のブランクがあったとは思えない歌唱力だったわ。 ABCの中でも出色。 スクリーンのマリコゼみて、初めて彼等の苦悩に共感できた。 恋に恋した若者じゃなく、ひたすら孤独な魂が求め会う愛、みたいな。 映画に関しては正直、アンジョルラスがガブローシュに喰われてるというか、 ガブローシュの役割が、舞台に比べて大きくなってない?闇の指令ガブローシュ。 ABCの連中の、ハーモニーの異常なまでの美しさにうけた。 いっそ歌の力で国境こえろよと。 って発想が理解できない。 ちょっと極端すぎる。 宿屋夫婦の曲や学生の曲をそのまま入れると、 主人公バルジャンの印象が薄れてしまうのもあるでしょ。 後半はバルジャンのかっこいい場面も少なくなっていくし、 おやじや学生が目立だないようにしないと・・。 休憩があってゆったりみれる舞台と時間制限がきつい映画の音楽。 同じ時間配分には出来ないと思うよ。 それでも映画化を成し遂げようと関係者は頑張ったんだよ。 舞台1万円は高くてみれない人も、映画だったら1800円でみれるでしょ。 東京、名古屋、大阪、福岡以外の人でも映画ならみれるでしょ。 すでに出来ているレミゼ映画の話をするスレなのに・ 映画化するな!なんていうとんでも意見をよく書き込めるね。 が 歌われるらしい。 歌うのはエキストラたちで 特に主役級のスターはパフォーマンスに参加しないようだけど アーロン・トヴェイトとか出てほしいな。 曲がいいからそれだけでも観て(知れて)良かったと思う。 それも、何ページも延々と続くし。 シェイクスピアの「オセロ」だって ベルディのオペラになって、少し手が加えられている。 媒体に応じて思い切って刈り込み改変することで、一字一句忠実にするよりも かえって伝えられることがあるんだよね。 でもオリジナルの方が好きっていうのはもちろん自由だけど、個人の好き嫌いの 表明と存在の全否定は全然違うわな。 舞台では修道院にいるときに院長がトラップ家に行くように話す場面でマリアと歌っているのに対して、 映画ではトラップ家で子どもたちと歌ってお互いが打ち解けるシーンだからな。 ウエスト・サイド・ストーリーも舞台と映画では同じ曲でも場面や歌う人物が違う曲がいくつかあった。 今回のレミゼでも曲順が変わって印象や意味合いが変化している曲はある。 曲が残っていても演出が変われば、それが気に入らない人も出てくるだろう。 映画は映画の見せ方を追求するものだし、監督やプロデューサーの感覚で舞台でいまいちと感じる部分を改変するんだと思う。 二十歳過ぎたいつだったか初めて コミック版を読んだ。 そしてそれから10年以上経って今回やっと 凄い作品だなと思った。 次は小説を読もうと思う。 あの教師は間違っていなかった。 出来るなら教育上で必修にしてもらいたい。 斜め前の男の子が、しきりに携帯を気にしていて、工場のシーンが始まった途端、猛ダッシュで出て行った。 夢やぶれてが終わったタイミングでこっそり帰ってきて、また携帯チラチラ。 プリュメ~ワンデイモア、民衆の歌~彼を帰しての間も飛び出していって不在。 私の感動ポイントに席を外してくれて、ありがたいやら迷惑やら。 どっちも舞台は見たことないけど、マイフェアレディの方は3時間近いことも あって、冗長に感じたのは確かだな。 てかヒギンズ教授の歌って教授の性格を 反映してるんだろうけど、長くてねちっこいw でも舞台とかオペラで、幕間に休憩入れてじっくり生の歌を楽しむのって、 考えてみれば贅沢な時間の使い方だよね。 ビクトル・ユゴー原作の人気ミュージカルを映画化した「レ・ミゼラブル」( そんなジンクスあったっけ? オペラ座の怪人なんて、日本でのみ、世界でもまれなほどのヒットをしてるし、 ドリームガールズだってシカゴだって、それなりにヒットしている。 特に、オペラ座やレミゼラブルのような、ドラマ性の強いヨーロッパ系のミュージカルは 日本で根強い人気があるし、当然、映画になってもヒットする可能性は高い。 特に80~90年代前半は死屍累々ってカンジよ。 映画としての評価という意味でも『キャバレー』から先、今世紀に入るまでの間で、 誰もが認める名作と言われているのは『オール・ザット・ジャズ』位。 だからまあ、 頭の古い人にとってはここ10年位の静かな盛り返しの機運>80~90年代前半の暗黒期 となるのも、仕方のない事と言えるんじゃなかろうか。 不等号間違え。 ここ10年位の静かな盛り返しの機運<80~90年代前半の暗黒期 だね。 25周年コンサートのBDリピートしてたらだんだんハマって、 今は10周年コンサートのCDをリピしている。 映画は子供にも見せたかったんだが、娼婦シーンとファンテの奥歯シーンとサンタのシーンで断念…。 自分はジャヴェールとエポに感情が寄ってしまう。 だって、バルジャンは結局逃亡しまくりw 映画観てから25周年コンサート観たらエポが同じ子でおお!と思ったよ。 親しき仲にも礼儀あり。 実際小2で読んでジャンバルジャンの死んだとこでダダ泣きしたよ。 フランスじゃなくても革命期だったら戸籍の管理なんか無理でしょ。 それに、日本みたいながちがちの戸籍制度を持ってる国って少ない。 伝統的な価値観に基づく、家系・家柄の問題でしょ。 日本でも家康が「徳川」に改名して、無理矢理に源氏の子孫を名乗って朝廷から官位をもらってるし、 貴族の養子になって貴族認定してもらうなんてのは、どこの国にでもあったのでは。 漢字もまともに書けず敬語も使えずきちんとした作法も身につけていない。 中学から援助交際と万引きの常習犯、みたいなのが現代版エポニーヌじゃない? そんなのが幼稚舎からの慶大生や御三家から東大法学部みたいな エリートに惚れたって、相手にされるわけがない。 「キャンディ・キャンディ」のスサナがひどい嫌われようなのにも、違和感を感じる。 もしエポニーヌが助かって、マリウスがお情けでエポニーヌを選んだら、 と考えるのも楽しい。 ジャンが絶えてしまったフォーシュルバンの家系にコゼットをくっつけてやる。 コゼットの名前が法律的にウーフラジー・フォーシュルバンとなり身分証明書もできる。 ただそうしなかったら結婚のさまたげになった「かもしれない」としか書かれてないので この戸籍とやらは無いとそもそも結婚できない現代日本とは大きく違う模様。 だからのこれで結婚にこぎつけた、ってのは少しニュアンスが違うかも。 」 なんだよな。 語りかけるようなStarsは逆に新鮮だったけど、 コレジャナイ感は否めない。 個人的に圧倒的に納得行かないのはサシャのテルナディエ。 もはや歌ってないでしょアレ。 何かぼそぼそ言ってるだけ。 サントラ聞いてても不愉快になるから飛ばしてる。 本家舞台は残念ながら観たことないけど、クロウの歌声は素敵だった。 これじゃないって言う人はあっても、この映画作品のジャベールは彼しかいないと思う。 赤いジャケットがアンジョルラスだよな?物凄く魅力的な人だったなぁ。 ところで バルジャンの最期って自然死ですか?ちょっと前まで元気そうだったから自殺 なんじゃとか考えちゃったんですけど。 舞台のジャベールはリボンで一つにくくったヘアスタイルだけど、映画では短いね。 舞台の髪型が激好みだったのでそこが残念。 三分の一が挿絵だから以外にさくさく読める。 原作読むのはハードル高いから、これぐらいの分量がちょうどいいわ。 ブルーレイ買いなよ 最高の夫婦だなぁー。 プロデューサーズは確かにコケた…。 あれは舞台演出を担当したスーザン・ストローマンが監督やって、 あんまりにも舞台そのまんまを映画化したから不評だったらしい。 俺的にはそれが良かったんだけどな。 ネイサン&マシューはキチンといたし、 肝心のヲカマコンビも舞台のオリジナル配役だったし、あの人たちの演技を 映像という形でキチンと残すことができて本当によかったと思っている。 ややお下品系は日本ではヒットしにくいし、しょうがないよ。 うちの父親が元の映画が大好きでミュージカル映画版もドストライクだった模様。 映画をアテにしながら酒飲んでるわ。 look down! 」て叫ぶわ、心の中で。 マドレーヌ市長が荷馬車を持ち上げる瞬間にジャンだと感じた疑惑の表情とか、下水道でジャンに動けば撃つと言ってるが、実際には撃てないときの表情とか。 あれは映画でアップに耐えられる俳優じゃないとできない無言の表現だ。 レミぜ好きすぎて、ストーリーや展開を知り尽くしているのもあるけど。 サントラは毎日のようにりピしてる。 エポ死去時のA little fall rainと暴動前の民衆の歌をいれてくれてたら、自分的には最高のサントラだったわ。 サントラ聴いて魅了されたのは、サマンサはもちろんアーロンと 映画ではそんなにこなかったけど、エディのEmpty chairs~は最高だなと思った。 原作だと彼は志を同じくする革命仲間というよりアンジョの追っかけみたいなもん だから、一緒に撃たれてくれるってより、グランテールファン視点だと、アンジョと 一緒に死ねてよかったね、だったりする。 webry. biglobe. lesmiserables-movie. 読書慣れしてない人だと、原作読むのは大変だろ。 当時のフランス情勢に通暁していないと、理解しづらい場面が多々ある。 脱線している箇所や、作者の私見が入っている箇所も多すぎる。 ABCの面々も大量に登場する上に、ゴチャゴチャした会話をする。 手に入れやすい新潮や岩波の訳は古い。 ユーザーの一人がTwitterで暴露したことにより、背後に米国大手プロバイダの存在が明らかとなり、 どうやら、これら大手プロバイダが流す大金がユーザーに還元されるというのだ。 制作にはGoogleやAppleの元プログラマーなどが多く参加しており、 その大きなネットワークで構築される世界は半端なく深く、とてつもなく広いと言われている。 日本国内ではすでに800万以上のユーザー数が記録されているが、 今月で終わりを迎えてしまうシリーズだけに、手にできなかった人間は運が悪いとしか言い様がない。 『平均月収200万とも言われるシステムが終わりを迎えてしまうのは残念でならない』と、 あのホリエモンさえも塀の中から嘆いていると言う。 引用元. ジャンの墓は全く無銘で忘れ去られてしまい、公式には福者でも聖人でもない。 でもカトリック教会の手続き云々よりも、作中で聖人だとマリウスが思った事の方が大事なんじゃないのかな。 「もう、静かに寝かして!! 」って思うよ、葬式で大騒ぎされたら。 ここからの知識が無いと、面白みがわかりにくい。 バルジャンはファンティーヌ、コゼと巡り会わなかったら 聖職者の道を選んだかもしれないよね。 実際カトリックの聖人には回心した人が多い。 ファンティーヌにもマグダラのマリアを思わせる所がある。 ナポレオンの台頭とか。 言葉足らずですんません。 あんなに美人なのに。 角川版は脱線箇所省略しているようだから、百六景で概要掴んだらそっち行ってみるかな。 時間の長さは感じなかった。 本当に排泄物だらけのとこ歩いたら普通の人間は死ぬで。 迫力があるんだろうね。 で今年の帝劇のキャスティングを見たら写真見る限りではたいそう体格が 良さそうな人でのトリプルキャストだった。 それ相応の装備も必要だし、普通の靴じゃまず歩けないし、 満潮干潮のタイミングもあるし、第一、カンテラだかランタンだかの 照明器具を持っていない。 ましてや傷が開いたまま汚水に晒され続けたらほぼ間違いなく敗血症で死ぬ。 抗生物質もないし。 ただ、原作者にもそこまでの知識はなかっただろうね。 It comes. でもエライ評判いいみたいだからダメ元で見たの。 そしたら価値観覆された。 今まではミュージカルは違和感あって気持ち悪くて(特にブロードウェイ系の) 苦手だった。 歌が言葉みたいに、言葉以上に、こんなに胸に入ってきたのは初めてだった。 普通に Boy と呼びかけてるんだろうけどな 2個目はバルジャンの告白を聞いたマリウスが 「行かないで」と言う部分。 gone by~がかんぱーいって聞こえると、せっかくのしみじみシーンなのにプッとなる。 「フランスのこの時代、こういった小競り合いがあったとき、地下の下水道をけが人背負って1人の男が歩いていた。 おまえら名前知ってるか?そう、ジャン・バルジャンだ!」 昔の教師は粋だったなぁと、ふと思い出した。 全てのエネルギーをもっていかれるほどの場面だ。 この調子で、前編続くのは、耐えられるかと思った。 案の定、緩急がなく、全編 全力投球の展開。 中だるみが全くない。 これは映画創るテクニックでは、損している。 普通は、静の場面が動の場面に展開して、その効果を最大限発揮する。 そういう場面があったのは、最後くらいだろう。 でも、舞台ミュージカルを尊重したこと、時間制限があったこと。 この2つが条件だったろうから、このような編集にせざるおえなかったのであろう。 次々、高いエネルギーで場面が展開していくので、強烈である。 マリウスは傷口から出血しながら汚れた服が傷に食い込んだ状態でまる一日下水道をジャンとさまよってるし、ジャンはマリウスを抱えて脱出前に脇の下まで泥水に漬かってる。 そして医者は失血して低体温で仮死状態のマリウスに傷を拭いて止血しただけでろくに消毒してない。 マリウスは数週間発熱と意識昏迷が続いているが、これは敗血症の症状なのに傷の刺激による脳症とか誤りを書かれてる。 ただ、ここで硝酸銀と塩化洗浄薬で傷を深いところまで洗おうとしてるのは当時としては最新の消毒だろう。 つまり原作者は当時としてはかなり最先端の医学知識があるが、輸血もろくな消毒も抗生物質もなしで助かったのはかなり奇跡だろう。 しかも未来の人間が後出しジャンケンで当時の医療を批判するのはフェアじゃない。 ジャンの祈りが届いて神の恩寵で助かったということにしとこう。 俺は中学時代にトライしたけど途中でギブアップしたので悔やんでいる。 優秀な人は、きちんと全部読破していたよ。 You let your foreman send me away, Yes you were there! And turned aside! 処置は包帯だけじゃなく、傷を切開して深いところまで洗いまくらないとだめ。 あの状態で助かったのは神の奇跡。 それも男の歌を女が歌ったりその逆だったり合唱したりなんてざらだし。 なんでまた、わざわざあんな場面に歌を入れてしまったのかねえ。 売春セックスして、しかも射精した直後wwwに歌い出すなんてね。 そんなことする必要性は全くないでしょ。 あそこにこの歌を入れなきゃいけない理由がない。 もう少しずらしてもぜんぜんかまわないのに バカじゃないかと思った。 もうケラケラって感じるよ。 25周年コンサートの録画の最後でも、 マッキントッシュ自ら、文化祭などのスクールエディションを奨励していたのにねえ。 映画版の展開でミュージカルをやりたい、って生徒も出てくるはず。 それを止めて、新舞台版の内容でいきます、って先生が、わざわざ言わないといけないなんて・・・。 まあ思春期の生徒は興味しんしんだろうけど、 学校側、先生側からすれば、やりにくくなったよね。 マッキントッシュでもこれほどあからさまな大失敗するなんてね。 身を売ってどん底まで落ちた無情感の中で歌ったんだから。 ファンティーヌが絶望して全部が苦しくなった時なんだから、あの部分でいいと思うけどな。 工場追い出された直後だと、あんな魂の叫びみたいな歌にはならないだろう。 これからどうしたらいいの?って段階だし、絶望はまだ味わいきってない。 普通はこの映画を、学校の先生の立場では観ないし評価しないでしょ。 他にもセックスシーンがある映画は一杯あるし、それがおかしいとは思わないだろ。 それでぜんぜんかまわないだろ。 人間の営みだからな。 ところがだよ、中学や高校でこのミュージカルを指導する先生の立場になった場合を考えてみろよ。 文化祭の舞台で脚本とかを一緒に創り上げる際に、指導がやりにくくなったなあ、って感じるだろ。 マッキントッシュはスクールエディッションを奨励しているわりには、下手うったな、っていってるんだよ。 お前は、ぼけかよ。 それともイギリスの学校ではこういうのぜんぜんOKなの? 日本の学校なら、間違いなく、少しやりにくくなったよな。 そんなこともおまえは理解できないのか? おまえはトンチンカンで陰湿な奴だな。 しかも、その後、大勢の生徒が歌いながら客席に入場してくる。 荒らしの相手をする人も荒らしですって言われるわけだ。 映画自体の出来は素晴らしかった、って思ってます。 モンテクリスト伯は児童書でも読んでたんだけど、 児童書じゃ書いてない部分が面白いんだよね。 レミゼも児童書で読んでて、大学で読もうとしたけど挫折したw 児童書だとバルジャンについては結構きちんと書いてたけど、エポや学生関係は まるっとはぶかれてたんで、やっぱり一回、きちんと読もう、かなw 百六景で当時の状況とか読むと、ほんと頑強な人間しか生き残れなかった だろうな、と思うな。 子供も無条件に手厚く保護すべき存在ではなかったみたいだし。 コゼットに対するテナルティエ夫妻の扱いも、当時としては非人道的とまでは 言えないんだろうね。 つか、旧演出では演ってた。 立ちバックで。 舞台の隅で照明も暗いからわかりにくいけど。 ラブリィレイディの所は、コゼやエポも役がわりで売春婦になっていて、コゼがファンテーヌ虐めたりしてる。 英語だと気づかれにくいかもしれないが結婚式向きの歌詞はほとんどない。 志を同じにしていた友達が大勢死んでいったわけで、 どうして自分だけ生き残ったのか、そういう葛藤があってもよかったと思う。 あとジャンバルジャンが亡くなる際に 自分が知っている舞台では、ファンテーヌとともにエポニーヌの幻影が出てきたが エポニーヌとジャンバルジャンの接点がほとんどなかったので違和感を覚えていたが 映画ではファンテーヌだけになっていたので(自分的に)よかった。 あと、そのシーンでのマリウスとコゼットの挿入は… ストーリーからすればあるべきなのだが、 ミュージカル的には…ううん、ちょっとピリッとしなかったなー。 でも最後のそのシーンと「民衆の歌」はやっぱり感動しますね。 ジャン・バルジャンにしては自分の娘の好きな人をむざむざ殺させるわけに いかなかったんだ、父の想いとしてはわかって欲しいところだ。 マリウスとて友人と革命に参加する想いが揺らいだことだってある。 革命なんてもはやどうでもいいこと。 その時の辛いみじめな気持ちを歌にしてるんでしょ?場面変えて歌ってどうする。 女の私にはファンティーヌの気持ちが痛いほどわかる。 だから感情移入して泣いた。 こんな場面で歌うか?だなんて「画像」しか見てない人の言葉としか思えない。 あの場面であの歌うのには 意味があるんだよ。 それを理解しない人がいることに腹が立つ。 確か銃を捨てて鍬を持とう、みたいな歌詞になってた気がするけど。 Dream. Hope. Love. ラストシーン終わった直後に拍手してる人いた。 俺は心の中で拍手したわ。 「バリケードの向こうのどこかに みんなが憧れる世界があるよ」ってい歌っているし 自由と人間の尊厳が大切にされる理想世界を目指して 闘った者たちの物語であり、それをたたえるラストってこと。 前スレで出てたヤツだ。 貧しい人達を見てみぬふりして、そこそこ幸せな人生を送ることもできたのに、そうしなかった学生たち、 愛なんてよくわからないけど、好きだから、その人に全てを捧げたエポニーヌ… その他大勢はしらないけどw 君は愛のために、しーねーるーかー!って、杉良太郎も歌ってたな昔。 パリのなかで、最も天国に近いのは、立派な大聖堂でも修道院でもなく、市民が築いたバリケードってのも、ユゴーっぽい。 確かに、舞台ではバリケード作る過程までは描写できない。 聴く限り劇中まんまなんだけど。 結婚式だと、自分なら民衆の歌希望。 エポニーヌが死んだときに ガブローシュが泣いていたカットが ありましたよね?それから、遺体も 隣同士に寝かされていました。 酒場のシーンでは、ガブローシュが 寝ていたゆりかごと、お客のかごが すり替えられていました。 ただ、なぜ自分たちの息子を捨てたのに、 他人の子のコゼットを育てたのか、とか 金づるだから? 、エポニーヌが自分の 姉であることを、どうやってガブローシュ が知ったのかは分かりません。 家族一緒に暮らしてる。 自分はあそこが原作最大の泣き所だったので。 見る前は「チョイ役じゃなきゃいいなあ」くらいだったのに、人間の欲にはきりがないね。 そもそも、悪人のはずのジャンバルジャンに聖人の面を見て迷う中で、自分がバルジャンを許してしまったことが決定打となり信じてきた神の道を見失ってジャベールは死ぬんだから、暴徒の一人でしかないガブを認めるかのような行動に出るわけがない。 もっと欲を言えばグランテールはバリケードでずっと寝てて欲しかったw でもたしかに映画はあれで良かったんでしょうね。 「不意をつかれて」てのはまさに同感です。 人生に楽しみなんて一つもいらないくらいの勢いで革命一筋だったアンジョルラスが最後の最後に、 ですからねえ。 アンジョルラスが笑ったのってあそこだけだよな、というのを確認すべく、原作読み返し中。 やっとフォーシュルヴァンさんが馬車の下敷きになりました。 先は長い。 信念が打ち砕かれた人間から、信念を貫き通した人間へ。 まあ結局新しい価値観と、古い信念を上手く融合させる事が出来ずに 自ら命を絶ってしまうわけだけども。 我らが望んだ世界が~云々の歌詞で革命とか思想関係なく、小綺麗で貧富の差がだいぶ減った現代に繋がるような演出なのかなと勝手に想像したけど。 他にも凶悪犯罪は数多あるだろうに執念深くバルジャンを追う理由を、 小学生ながらに考えていた。 出した結論。 ミリエル司教はキリスト的愛によりバルジャンを庇った。 司教館の宝物を盗むなど、これ以上はないくらいの大罪。 悪人ジャン・バルジャンは更に罪を重ねる。 そのときこそ地獄に叩き落としてやる。 なのかな~と自分を納得させた。 暇な同僚の詮索好きの婆様がテナルディエの宿屋まで行って、ファンチーヌに子供が居ると騒いだ。 当時の倫理観だとシングルマザーには風当たりが強かった。 マドレーヌ市長は男女関係潔癖で工場も男女別にして働かせてた。 女工場長が気を利かせてファンチーヌをクビに。 という流れ。 ジャベールにとって勲章は自分の信念の証だったんでしょ。 だから王様からの勲章って意味じゃなくて、ジャベールがガブ達を理解したから、と。 元々警察とは相性悪いタイプなのかな。 パンひとつ、しかも子供のためとはいえ、盗んだことには違いないし、~したら必ず戻るって、戻ったためしがないし。 やたらと人情に訴える、ヤンキー気質みたいじゃね? 映画のジャベールは、眉間のイボが気になって感情移入できなかったけど、 あんだけ憎む気持ちわからなくもないわ。 これまでの理想が色褪せて見えてしまったからこその自決でしょ? 自分は小さな勇者に勲章を与えたジャベールは、もう学生活動家を ゴミと考えていたジャベールではないと思うよ。 どうもジャベールという人物に起こったであろう、心の変化の捉え方が ID:fmQCOPOhさんとは違うんだろうなぁという気がする。 バリケードの中で、ジャンバルジャンに見逃がされたときから、ジャベールの心理に変化が起こっていた、ということを、あの勲章を与える演技でうまく表現したと思ったよ 王権にあたえられた勲章をガブローシュに与えるのはおかしい、とか、ジャベールの正体を見破った褒美だろう、とか、 そんなのは勘ぐりすぎもいいところで、帰って的外れだと思うな。 単純に、子供らしい遊びも楽しみも知らずに死んで言った子供に、おもちゃやバッジをあげるように、勲章をつけてやっただけだと理解すればいいんだよ。 そういう、普通の人の持つような同情心を持つこと自体、ジャベールの心にヒビが入っていたことの表現になってるわけだし。 慣れ親しんだものと違うから拒否反応示す人がいるのも分かるけど 「感動した」「いいシーンだった」という人も多くいる以上はその目論見は 成功したと言えるんじゃないかな。 で、ここを読んで、そうかあのシーンを許せない人もいるのか、なるほどな、と思った。 いろいろな解釈があっていいよね。 「斉藤由貴の声が全然聴こえなかった!!」と憤っていた。 86年の12月28日だっただろうか。 「実際ジャベールは、私を捕えながら放免したところをみると、どうしても既にあの時から気が狂っていたに違いない。 あくまでも法に基づいた場合。 何も出来ないと踏んでそうしたんだろうとは思わないけど、市長として出来る事は無いと思うんだけど。 大量に出ても読みづらいだけだ。 数を減らして、一人一人を書き込んだ方が…。 私は勲章より、変装して市民に紛れ込んでいる時、 葬列のところで騒ぎが起きてジャベールが学生を助け起こすシーンで 学生に礼を言われてなんとも言えない微妙な表情をしていたのが印象的でした。 レミゼは日本の舞台を1度見たことあるだけで、そんなに印象にも残っていないのですが、 映画のジャベールはずっとどこか一生懸命ムリして信念の人であろうとしているように感じました。 あの時代、男の方が働き手として重宝されそうなのにね。 娘の身体でお金儲けしようと娘を可愛がったのかね、嫌過ぎる。 CMとかの名セリフ? しかし66歳の老人が20代の若者を担いで下水道逃げ回るって どんだけ体力ある、馬鹿力なんだろう。 明日は明日は繰り返してでしょ。 なんとなくぼーっと眺めて台詞を理解せずに突っ込みらしきことを言われてもなあ。 で、ちょっと調べてみました。 ここまで勲章のデザインをも時代考証を検討して映画化されているのだとしたら、 映画スタッフの努力に感服しきりです。 tujimoto. cocolog-nifty. ところで、昔やってたらしい、レミゼのコゼット物語のジャベール 超悪人顔だね。 コゼットは萌系でもなく可愛くもないね。 なぜコゼット主役なのかも不明だ。 ディオ様もように。 死ぬ前にもっかいバルジャンのとこいって、なんでそんな風に改心できたか聞けばよかったのにさ。 バルジャンもバルジャンだよ、ジャベールの気持ちも考えずにかっこつけてさ。 ラッセルの表情からみると、死ぬ間際のジャベールは錯乱状態っていうか、正気じゃなかった? 司教の施しによって改心したバルジャンと、バルジャンの赦しに絶望したジャベール。 後者のほうがリアリティーあるけどな。 大体バルジャンとかフォンテーヌなんて、にちゃんじゃ散々ヲチされ糾弾されるレベルのdqnだし。 ただ収録分数が65分というのが納得いかない。 CDの許容収録の分数を考えれば、 あと数曲は収録できただろ。 1995年出版、アメリカの女流作家が書いたものだけどw エポの妹アゼルマが復讐のために現れたり、コゼットがバルジャンの遺産で 新聞社を立ち上げたり、マリウスが何度も逮捕されたり、波瀾万丈らしい。 有名な小説の続編を、本編と別の作家が書くのって結構あるんだね。 風と共に去りぬ、嵐が丘とか。 「Xメン」も「レ・ミゼラブル」もだいたい同じストーリーだし。 逃亡者のキンブルは実際にあった事件が元ですが、 そこにこういう名作のスパイスを混ぜて作ったのでしょうかね。 トミーリー・ジョーンズがリメイクでやったジェラードは キンブルに少しずつ理解を示していく感じでしたが、 テレビシリーズを見ていた家族に聞くと、 ジェラードはとにかくしつこくて主人公を追い詰めるいやな奴 というイメージだったと言っていました。 その辺も元と映画の違いが似ている気がしてなりません。 次観る時は顔をちゃんと覚えるよ。 あまりにも必死だったから兄弟?とまで思ってしまったよ。 そんなわけないんだけど。 ヴォイス・トレーナーがついて、しごかれたって エディ・レッドメインが言ってた。 フランスでは有名すぎる小説なので、端折っても観客には理解できるらしい。 感動というより、動揺? この気持ちを一体どこにぶつければいいのか。 映画ではそこまで厳格な人物に描写されていないし、そもそもジャン・ヴァルジャンが 聖人と化していく姿が描かれえていないからねぇ。 パリ版では、観客は基本的にこの話知っているが前提で、ほかの部分を厚くしたらしい。 ただですら、ものすごく長い話だし。 2枚組)、 図書館で目に入った四季版のサントラ借りて聴いたら、 ひっくり返りそうになった。 スタジオではこのピアノ伴奏で歌ったんだろうね。 また雰囲気が違って聞こえる。 ところでそのピクニックシーンのときすでにコゼットは生まれていたらしいことに今回初めて気がついた。 ピクニックから10ヵ月後に「もうすぐ3歳」とか言っている。 まだ赤ちゃんといっていい子供をおいて丸一日ピクニックとか、どうなんだろう。 あの時代、赤ちゃんは今よりずっと死にやすかったはずなんだけど。 しかも、2歳は既にあかちゃんじゃ ない。 小さな子をひとりで家に残しちゃいけないのは、平成以降の倫理観だと 思う。 昭和生まれの自分は、2歳の頃から母親が働きに出てるのを1人 で留守番してたよ。 うち、貧乏だったからなぁ。 年代ものの作品読むと、倫理観や世界観の違いに気づかされるので、 それも面白さのひとつ。 すべて終わった ミュージックオブザナイト(なっち) 我が愛は終わりぬ 夜の調べとともに(浅利) ただ、最近の新作の訳はイマイチと糞の間くらい。 「見えるのはどこまでもふたりだけ」とか好き。 あとエピローグの「鎖は解けてみな救われる」が過不足なくてすばらしい。 東宝の舞台見たことないけど。 頑なになりたくてもなりきれなそうな、繊細(?)で情緒的な声だよね もしくはまっすぐで不器用そうというか。 それが声に出てるんだわw この声の魅力はなんだろうと不思議だったんだけど、 「自信のなさそうな歌声」でしっくりきたw 音楽がいいなぁと思って。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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