小松政夫 ギャグ。 小松政夫が車で接触事故 妻「年内に免許を返納します」(NEWSポストセブン)

伊東四朗の若い頃は小松政夫と電線マンで大ブレイクしていた!

小松政夫 ギャグ

小松 政夫(こまつ まさお、 - )は、の、、、。 会長(第10代)。 本名、 松崎 雅臣(まつざき まさおみ)。 瓦町(現:上川端町)出身。 愛称は 親分さん、 小松の親分(自らのコントから)、 小松与太八左エ門。 所属事務所は有限会社ドン・タック。 とスケジュール窓口で業務提携。 来歴・人物 生い立ち 7人兄妹の5番目として、の前及び福岡工場(現:)の近くで育つ(博多の総である櫛田神社の前が自宅であることを博多の仲間たちにも自慢していたことがあった)。 実父は地元の実業家で名士だったが、小松が13歳の時に病死し、以後家族は貧窮を極めた。 この頃、小松は自宅前の焼け跡で行われていたの口上をよく見聞しており、がいるのを知っていたという。 それらが自然と身に付き、学生時代から現在に至るまでの小松の明るさや笑いのセンスは作られた。 定時制課程普通科卒業。 高校時代の小松は陽気で努力家だったという。 この頃は、亡父が懇意にしていた菓子店・で働くなどして生計を支える。 の劇団に所属後、にを目指し、一番年上の兄を頼ってへ出て来る。 2つか3つの劇団を受験し、も受けたが、俳優座は入学金4,000円など月謝が高かったことで諦める。 その後花屋、印章店、薬のセールスマン、横浜中央市場のマグロ店などさまざまなアルバイトを経験した後、会社勤務を経て、のセールスマンになる。 セールスマン時代、雑誌の小さな枠に載っていた植木等の付き人募集の公募の広告を見てこれに応募して、約600人の応募者の中から選ばれ、より正式にの付き人兼運転手となり、その後、元々役者志望だったことを知った植木やのメンバーの助けもあって芸能界入りした。 芸能界入りする前にはさまざまな営業職を転々としたが、自動車セールスマンの職は他業種から引き抜かれて就職したものだった。 自動車セールスマン時代の小松はセールストークに長けていたようで、教習所と交渉し、受講者に免許を5日で取得させる手筈まで整えて、免許を持たない人にまで車を買わせるなどし、自動車がまだ高値の花だった当時に、月22台も売ったこともあった。 そういった顧客とのセールストークや会社内での上司との丁々発止のやりとりにより、小松は周囲から人気を獲得。 周囲から押し上げられる形で、小松はを志す。 セールスマン時代の体験は、後に数々のギャグの礎となった。 なお、セールスマン時代は初任給1万円の時代に月給12万円を稼いでいたが、植木の付き人兼運転手時代の月給はわずか7,000円だった上、1週間の睡眠時間の合計が10時間しかないほど多忙なこともあったものの「全然つらくなかった」「尊敬する一流の師のそばにいて、お世話ができる。 それだけで幸せでした」という。 なお、植木からは付き人として入門する際に「お父さんを早くに亡くされたそうだが、これからは僕を父と思えばいい」と声を掛けられたという。 運転手としての開会式に招かれた植木をに送った際には、植木の配慮で急遽小松の席も用意され、「錚々たる名士が居並ぶ中」開会式を見ることが出来た。 芸能界デビュー コメディアンとしてのデビューは、付き人時に出演した『』()。 この番組に出演したきっかけは、同番組に出演していた植木に付いていった際、休憩中にメンバー及びスタッフと談笑していた際にふとしたことからセールスマン時代のエピソードを披露したことによる。 その時に当時の課長(50歳ぐらいで、威張りくさって小松に活を入れるが逆にその様子を見ていた34歳の部長に一喝され、途端にシュンとしてしまう)の真似をして「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。 もう、 知らない、知らない、知らなぁーい、もー! 」とっぽく体をクネクネさせながら言った芝居がの目に留まり、翌日の収録時には台本に小松の出番が設けられていたという。 また、付き人だった当時は『シャボン玉ホリデー』にがレギュラーで出演しており、植木が「松崎ー! 」と呼ぶと、本名が松崎の小松も一緒に返事をしてしまうケースが多々あったことから「 小さいほうの 松崎」という意味で「小松」と呼ばれるようになり、やがてメンバーやスタッフの間で定着した。 そのうちに前座や端役などで出演が増えて視聴者にも顔を覚えられるようになり植木より正式に「 小松政夫」(当初は「雅夫」)と芸名を命名されることになった。 なお、この芸名を考えたのはに凝っていたという植木の祖母であり、小松という苗字に合うということで下の名前を決めたという。 ただ、小松は当初「コメディアンなのに、こんな二枚目みたいな名前でいいのか」と一瞬当惑したという。 なお、芸名の候補としては、植木と同じクレージーキャッツのメンバーだったが考えた「どん・たくお」(から)や、自身がコントで演じた外国帰りの怪しげな美容師の役名だった「ジェームス本堂」などがあり、小松もそれなりに気に入っていたが、植木に相談した際「将来大河ドラマの主役を張るようになるかもしれないのに、そんな名前じゃ苦労するだろう! 」と却下になったという。 クレージーキャッツのリーダー・からもたいへん可愛がられ、昭和42年にクレージーがでの公演に出演した際、途中15分の休憩を嫌ったハナから「5分つないでくれ」と命じられたことがあった。 しかし2日目までの出し物がまったく客に受けず、背水の陣で挑んだ3日目に生まれたのが今日まで小松の十八番となっているのである。 この時はハナや植木のみならず苦労を知っていた舞台裏のスタッフも一緒になって喜び、翌日以降にメガネ(ひもを引くとピクピク動く眉毛が付いている)やテレビフレームなど芸を盛り上げる小道具・大道具をわざわざ作って用意してくれたといい、それらを活用することでさらに客からのウケが良くなったと述懐している。 付き人兼運転手を約4年間務め上げた。 独り立ちの際に植木からかけられた言葉は、「お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな」というあまりに突然なものだった。 この言葉に小松は驚くとともにクビなのかと一瞬当惑したが、続けて植木は「実はな、と話してお前を正式にタレントとして一本立ちさせてやりたいってお願いしたんだ」、「そうしたら社長も大賛成でな、お前のマネージャーも給料も、全部決めてきたから」とその真意を語った。 「そろそろデビューする頃か」などの前フリも無く、何年ぐらいで独り立ちできるかも知らず、覚悟すら出来ていなかった時期での発言であった。 植木から言葉をかけられ、運転中に涙がボロボロとこぼれて運転ができなくなってしまい、一度路肩に車を停めて大泣きしながらそれを植木に謝る有様だったが、植木は「うん、べつに急いでないけど、そろそろ行こうか」と優しく宥めたという。 この時のことを、小松は「目にワイパーが欲しいぐらいだった」と後に述懐している。 その後は、学校の担任やでのの会話など、これまで接してきた人たちからヒントを得たギャグや、レギュラー番組のコーナーからヒットした「電線音頭」(発売)、「しらけ鳥音頭」(発売、30万枚超え、または60万枚を売り上げた)、「タコフン音頭」(発売)、淀川長治の物真似などで一躍人気となる。 植木も認める観察眼の持ち主だったといい、それが数多くのギャグや物真似芸を生み出した原動力であったと評される。 正式なコンビというわけではなかったが、との息の合ったコンビ芸は、を代表するギャグの一つとして今なお語り継がれている。 また前述の身近な人にヒントを得たギャグの誕生には伊東も大きく貢献しており、楽屋で小松が「今日、こんなやつを見かけてさ…」と切り出すと伊東が「どんなやつ? なに言ってたの? 」と興味津々に前のめりになり、スタッフとのやり取りなどでそのフレーズを小松に使わせるとその様子を見ていた伊東が「これ使えるね」と評価して本採用、というケースが多々あったという。 またとも、植木のもとから独立して以降共演の機会がある毎に交遊を深め、後年東が東八郎劇団を立ち上げた際には「お前を副座長として迎えたい」と直々に口説き落とされ、東が逝去する当年まで下北沢・やでの公演にて、息の合った共演をみせ人気を博した。 小松は東のことを「植木等が小松政夫の生みの親なら、育ての親は東八郎」と述懐している。 「お呼びでない」誕生秘話と、植木との師弟関係 植木等は自身の代表的なギャグ「お呼びでない」について、多くのインタビューでは次のような趣旨の発言をしていた。 青島幸男も引用していたこのエピソードについて、小松自身は「自分は(付き人になる以前の)サラリーマン時代にあのギャグで大笑いしていた」「あの聡明な植木等が、いくら私に言われたからといって、自分の出番を間違えるはずがありません」と語るなどして否定している。 植木の「お別れの会」でのでも、「『お呼びでない』は小松がきっかけだとオヤジさん(植木)はおっしゃっていたようですが、私はオヤジさんの出番を間違えるようなことはしていないと思うのです」と述べている。 そして、「事実でなくても、自分のため(小松を売り出すため)に作ってくれたエピソードであり、本当に感謝している」とも語っている。 また植木の逝去直後、で放送された追悼特番では、付き人時代から小松単独での番組出演オファーがあった時期のことを「自分は当時まだ勉強中の身でありながら、番組に出るなんてとんでもないと思っていたんです。 しかしそれを植木さんに相談したら、すごく喜んで頂いて『結構なことじゃないか。 行って来い。 行って勉強してきなさい』と、笑顔で背中を押してもらいました。 一人で番組に出ることを咎められたことはありませんでした。 あの優しさは今も忘れられませんね」と懐古している。 ほかにも小松は、• 植木と一緒に蕎麦屋に食事に入った際、付き人の小松は謙遜してを注文する傍ら、植木はとを注文したが、いざ運ばれてくると植木は天丼を半分ほど食べたところで「お腹一杯になっちゃったから、これお前が食べてくれ」とカツ丼をスッと小松の前に差し出した。 実際の芝居の際にも本番後に植木が「どうだった? 」と小松に尋ね、植木の演技は良かったが周囲のリアクションが弱かったという旨を素直に伝えると監督のもとに出向いて撮り直しを申し出た。 持ちネタが受けずに焦った小松が慌てた末に大失敗をしでかし、収録に遅れを生じさせる失敗をした際、「うちの松崎が大変なご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と植木が自ら進んでスタッフに謝ってくれた。 独立後、植木と同席した仕事でお得意の「淀川長治の物真似」を披露した際に「私、いっつもこればっかりですねえ」と自虐的に言ったところ、出番が終わった途端に植木から舞台袖に呼ばれ「これは君が苦労して作り上げた芸だろう! 自信を持ってやりなさい」と説教された。 小松が渡辺プロから独立する際、植木は渡辺プロ関係者に「もし(小松を)邪魔したり嫌がらせしたりするようなことがあれば、俺が黙っちゃいないぞ」と釘を刺し、小松には「何かあったら、いつでも俺のところに相談に来いよ」とその背中を押して快く送り出した。 小松の人気が爆発していた当時、一方で人気に陰りがみえて仕事が激減した植木を心配して自宅を訪ねたところ、逆に「最近はヒマでテレビばかり見てるんだ。 お前の活躍を見てパワーをもらっているんだ。 オレももう一花咲かせないといけないな」と優しい一言を掛けられ、小松はトイレに駆け込んでひとり泣いた。 など、芸には厳しいがその一方では立場に関係なく 真摯 ( しんし )に向き合い、なおかつ面倒見が良くて優しく温かい植木の人柄ぶりをインタビューや著書で語っている。 なお植木の逝去当時、小松は地方公演のため東京を留守にしており臨終には間に合わず、出発直前に植木の自宅にあいさつに出向いて本人と会ったのが最後となった。 それでも入院後の容態については植木の夫人から逐一電話連絡を受けており、公演終了直後に急いで帰京して植木のもとに駆け付け、納棺に際して遺体の衣服を着替えさせるという、弟子としての最後の仕事を務め上げた。 近況 現在もや、など多方面で活躍中である。 また、後半からにかけては『』(旧『』)や『』の常連キャストでもあった。 時代劇では悪党の子分役などが多かったが、近年では善人役を多く演じている。 伊東は小松を「 こんなに引き出しのある人はいないんだから」と評し、数多くのギャグの引き出しも健在である。 にスタートしたバラエティ番組『』においては、同郷・福岡出身同士ということで親交のあったと二人で司会をというオファーがプロデューサーのからあったが、当時に熱中していた小松は「(平日毎日の生放送に出演していたら)ゴルフに行けなくなっちゃう」として断ったということがあった。 地元のには、現在でもしばしば参加している。 かつては出身の岡流に属していたが、岡流が途絶えた後は、知り合いの多いに参加している。 にはの第10代会長に選出された。 からにかけて的小説『』を上梓、には同作を原案として『』と題し化された。 からまで・ 夕刊 『この道』に連載されたコラムをもとに、さくら舎からひょうげもんが刊行された。 に封切られた映画��東映)では伝説の雀士・出目徳を演じたほか、スペシャル予告映像では淀川長治に扮し、往年の解説モノマネを披露した。 同年からは自身の芸能人生の集大成として舞台「『うつつ』小松政夫の大生前葬」をで上演。 大というタイトルになぞらえ、制作発表会見では小松を除く6名の役者は姿で登場した。 主なギャグ 小松自身はこれらの言葉を「ギャグ」とは言わず「はやり言葉」と呼んでいる。 小松によれば、ギャグというのは「自分で考えて歳月を重ね練り上げてきたもの」とのことであり、小松の場合は周囲にその「はやり言葉」のモデルとなった人物がおり、あくまで拝借したに過ぎないからといい「世に出しては次々打ち捨ててきた」「長い芸能生活の中でたった数年しか使っていないのに、それを今でも皆さんに覚えて頂いていることが有難い」と語っている。 またここに挙げたのはあくまで著名な一例で、実際世に送り出したギャグは80本以上ともいわれている。 「知らない! 知らない! 知らない! もー」(セールスマン時代の厳つい上司の会話より。 小松のギャグ第1号)• 「ハイ、またまたまたお会いしました」「まあ、怖いですね、怖いですね」(淀川長治のものまね)• 「どうして! どうしてなの! おせーて! 」(焼き鳥屋のカウンターで別れ話をするカップルの会話より)• 「もーイヤ、もーイヤこんな生活! 」(ホステスの会話より)• 「どーかひとつ」(女性専門に自動車を売り上げていた同僚のセールストークより。 対面する相手の両肩に手を置き、膝を曲げて軽く押さえる)• 「ながーい目で見てください」(オカマの独り言より。 両目尻を手で横に引っ張り長く延ばしながら)• 「ニンドスハッカッカ、マー! ヒジリキホッキョッキョ! トーベトベトベ〜、ガ〜ッチャマンニマケルナ、マケルナガッチャマン、ワ〜! 」(最初の2フレーズは小学校時代の担任の女の先生が小松を励ました時に使った。 一種のおまじないより)• 「表彰状、あんたはエライ! 以下同文…」(「あんたはエライ! 」は、旧日本兵のが戦後29年ぶりにのから帰国した際に、空港で小野田の母親がかけた言葉がヒントになったといわれる)• 「悪りーね、悪りーね、」• 「よーやる、よーやる、」• 「まー随分ね! 随分随分随分ね! 「上手だね、上手だね、西方じょうずだね。 東方xxxxだね。 福岡県出身、鼻くそ部屋」(xxxxはシーンによって異なる)• 「暗いね、暗いね、! 」(の曲より)• 「そーでしょ? そーでしょ? そりゃそうだモン」 出演 テレビドラマ• (1970年、)• (1970年)• (1970年 - 1971年)• (1971年)• (1972年)• (1972年)• 第10話「ダイヤモンドは生命奪り」(1973年、) - お神楽の安• (1973年、TBS)• くるくるくるり(1973年 - 1974年)• 第15話「ウソの結婚・刑事はつらいよ」(1975年)• 第90話「スッポン刑事の大勝負」(1976年) - 小西• (1975年) - 亀吉• 第15話「密告無用」(1977年) - 亀吉• (1975年、NET) - 佐山刑事• (1975年 - 1976年、日本テレビ)• 第14話「弥七二人旅 -津山-」(1975年6月30日) - 庄之助• 第15話「三葉葵を盗んだ男 -津山-」(1983年1月17日) - 隼の五六吉• 第36話「代官にされたドジな掏博 -岡部-」(1985年9月30日) - 矢島小太夫 役、百助 役(一人二役)• 第23話「涙で誓った盗っ人仁義 -長岡-」(1986年9月29日) - 政吉• 第29話「瞼の人はドジな泥棒 -鳥取-」(1991年5月27日) - ミゾレの政吉• 第47話「嘘を承知の偽黄門 -日光-」(1991年9月30日) - 半助• 第1話「悪鬼が巣喰う岡崎城 -水戸・岡崎-」(1992年4月6日) - 六兵衛• 第21話「大金持ち��物拾い -与板-」(1999年8月9日) - 大坂屋善次郎• 第32話「リストラを吹っ飛ばせ! -防府-」(2000年11月6日) - 淡野勘兵衛• 第15話「俺たち日本一の用心棒 -龍野-」(2003年2月3日) - 沢村半之丞• (2003年12月15日) - 道右衛門• 第6話「助さんに見た父の面影 -富山-」(2010年11月15日) - 嘉吉• (1977年、TBS)• (1977年)• 第1話(1978年、日本テレビ)• 刑事編 第25話「熱中刑事ワナにかかる」(1979年、日本テレビ) - 小山内専一• 第144話「幇間涙あり! 」(1979年) - 三八=仙太• (1980年、MBS) - 韋駄天の六助• フジテレビ - 川島竹次役• 北の国から、連続シリーズ(1981年、第6話・第11話)• 北の国から、92巣立ち 1992年• (1982年 - 1983年、TBS) - 番組の案内• (1983年)• 第6話(1983年9月10日、日本テレビ) - 学年主任教諭• 第8話(1983年12月24日、日本テレビ)• (フジテレビ)• の意地悪クッキー(1983年)• シリーズ(1983年)• シリーズ(1983年 - 1984年)• どきどき婦警さんシリーズ(1983年 - 1984年)• 乙女学園男子部(1983年)• とことんトシコシリーズ(1983年 - 1984年)• シリーズ(1983年 - 1984年)• (1985年)• (1985年)• 第7話「疑惑!? 狙われた女教師の沈黙」(1984年7月6日、朝日放送)• (TBS) - 色川伝兵衛• (1987年)• (1994年)• (1987年 - 1988年、TBS) - 村西先生• 親子ウォーズ(1988年、TBS)• (1989年、TBS)• (1990年、テレビ東京)• (TBS)• (1991年8月26日) - 古賀克彦• - (1991年 - 1999年) - 赤垣伝兵衛• (1993年、TBS)• (1993年)• (1995年、NHK)• (テレビ朝日)• 5「隅田川に浮かんだ恩師の死体! 」(1996年2月26日) - 山下勇作• 1(2000年2月12日) - 山本鉄生• 23(2003年12月20日) - 坂本良男• (1996年、フジテレビ)• (1997年、フジテレビ)• 新春時代劇特別企画 (1999年1月2日、) - 按摩安甲• (1999年、フジテレビ)• (日本テレビ)• 9「沈黙の函」(1999年) - 茨木辰二• 15「知らなかった」(2000年) - 穂刈守• 第1話「七人みさき」(2000年1月3日、) - 樫村兵衛• パート5(2000年9月25日、フジテレビ) - アカ信ファイナンス次長• 5 第10話(2001年、フジテレビ)• (2003年)• (2007年、日本テレビ) - 小笠原繁• (2007年、2008年、2009年、) - 金兵衛• (2008年2月2日、系列) - 八代勲• (2008年)• (2009年、)• (2009年、日本テレビ) - コック• (2009年1月3日、2010年1月1日、2017年1月2日、NHK) - 金兵衛• (2010年6月20日、東海テレビ) - 吉川常• 第1話(2010年7月19日、フジテレビ)• season9 第14話(2011年2月2日、テレビ朝日) - 古谷勲• 第6話(2011年11月10日、テレビ東京) - 庄内治• 俺たち絶体絶命! (2013年7月21日、) - 誠治• 真夏の博多出張スペシャル(2014年8月9日、テレビ東京) - みやけうどん店主• 第1話、2話、126話 2017年4月3日、4日、9月26日 - 侘助• (2017年9月2日 - 2017年10月21日、NHK)- 語り• 「33」(2018年3月5日、TBS) - 田丸善次郎• (2020年8月23日 - 、) 映画• (1965年、東宝) - 植木等のバイクスタント(クレジットなし)• (1967年、日活) - 関口社長• (1967年、東宝・渡辺プロ) - ゴーゴークラブの司会者• (1968年、東映) - 坂本研吉• (1968年、東宝・渡辺プロ) - 田村• (1968年、東宝) - 学生A• (1968年、東宝) - 聖火ランナー• (1968年、東宝・渡辺プロ) - 田村• (1969年、東宝・渡辺プロ) - 俳優• (1969年、東宝) - 川男• (1969年、東宝・渡辺プロ) - 山崎• 不良番長 送り狼(1969年、東映)• (1970年、東宝・渡辺プロ) - 牢番• (1970年、日活) - 青山• 盛り場流し唄 新宿の女(1970年、日活)• 現代女胴師(1970年、東映)• (1970年、東映)• (1970年、東宝)• (1971年、東宝)• セックス喜劇 鼻血ブー(1971年、東映)• (1971年、東宝)• 喜劇セックス攻防戦(1972年、東映)• (1972年、東宝)• (1975年、松竹) - ゴルフ場の指導員• (1978年、東宝) - 酔漢• (1979年、松竹) - 果物屋• (1980年、東映) - おばちゃま(映画評論家?)• (1981年、東宝)• (1981年、松竹)• (1981年、東宝)• (1983年、東宝) - 泣く男• (1983年、東宝) - 秋本• (1984年、東宝) - 労務者• ユー・ガッタ・チャンス(1985年、東宝) - 野末和吉• (1986年、東映)• (1993年、ヒーロー)- 桜文造• (2000年、)• (2004年、フジテレビジョン・東宝)• (2005年、ラヴァルスフィルム) - 弁士• (2007年、ラヴァルスフィルム) - 人形遣い・空蔵• (2009年、東宝) - 珍宝楼の店主・珍• 第3話「日本人アンナ」(2010年、エースデュース) - 木賃宿の番頭• 〜The Story Teller's Apprentice〜(2013年、アイエス・フィールド) - 立花亭圓志• (、トリクスタ)• (2014年、) - 師匠• (2015年、) - 時計屋• (2015年、) - 島影• (2016年、) - 花田富雄• (2016年、)• 世界でいちばん長い写真(2018年、スターキャット、キャンター) - 竹中芳郎 役• (2018年、) - 前田繁則 役• エリカ38(2019年、吉本興業)- 田中功二 役• (2019年、東映)- 出目徳 役、スペシャル予告映像では淀川長治に扮する 舞台• 追いつ! 追われつ!! (2001年2月、)• 人情喜劇 母の子守歌 (2005年、特別公演、)• 楽屋の王様 〜小松政夫・ギャグこそマイウエイ〜(2005年11月30日、)• MSN We舞台 「」(2008年12月16日 - 26日、) -• 王立劇場vol. 8 「王立新喜劇・続々・コーポからほり303〜谷町筋を封鎖せよ!」(2011年2月、)• 天国のシャボン玉ホリデー(2011年6月、アクシスかつらぎ大ホール)• ・特別公演 「ザ・ナイスガイ どうしてこんなにモテるんだろう」(2011年12月、)• 錦秋喜劇公演 「わたくしです物語」(2012年10月、)• マウストラップ(2013年3月、六本木ブルーシアター) - パラビチーニ• 日本喜劇人まつり(2013年4月、2014年2月、2014年9月、2015年3月)• (2015年、ほか) - トラヒゲ• めんたいぴりり~博多座版~ 未来永劫編(2019年3月30日 - 4月22日、) 劇場アニメ• (1999年、東宝) - マーチン 吹き替え• - ウィリー・タナー• それ行けスマート(東京12チャンネル〈現:〉) -マクスウェル・スマート:• - マックスウェル・スマート:• - チビ:• - チビ:エリック・ツァン ラジオ• ラジオコメディ みんな大好き() - 花咲大吉• (2009年4月- 、NHKラジオ) バラエティ• (不定期出演、)• (日本テレビ)• (1975年 - 1981年、)• (1975年 - 1976年、)• (1976年 - 1979年、)• (1980年 - 1989年、)• (1981年 - 1989年、日本テレビ)• (1990年 - 1991年、フジテレビ)• (2004年、テレビ朝日) CM• 「塩豆大福」• 「めん八珍」• 「ゴールデン紫」「生きてるみそ」• 「パオン」• ベネゼル• ヤタガイクレジット• CD・レコード• たべごろ! 笑いごろ! 』より。 たべごろ! 笑いごろ! 』より。 小松の親分(1995年12月、ファンハウス)• カップリング曲にと植木等のデュエットソング「あんたなんか」を、園と小松のカバーバージョンで収録。 著書・連載 著書• 目立たず隠れず そおーっとやって20年(1985年4月、婦人生活社)• おもしろい人に会ったよ(1993年1月、コスモの本)• 昭和三〇年代横浜〜セールスマン時代のこと。 (2006年6月、竹書房)• のぼせもんやけん2 植木等の付き人時代のこと。 (2007年12月、竹書房)• 時代とフザケた男 エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人(2017年8月、)• 昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年(2017年9月、)• ひょうげもん(2019年3月、さくら舎)• みーんなほんなごと!(2020年3月、さくら舎) インタビュー連載• 夕刊 『人生の贈りもの』(2008年12月15日 - 19日)• ・ 夕刊 『この道』 2018年7月2日 - 10月6日 演じた俳優• - 『』(2017年、) 関連項目• - 師匠• - 数多く共演。 との関係が深いという点で同輩にあたる。 - を中心に共演。 今なお名コンビとの呼び声が高い。 - を中心に共演。 同じ福岡県出身のピン芸人という点で共通。 - お互い下積み時代からの親交がある。 - の1回目の引退後に、短期間ではあるが小松の弟子だった時期がある。 脚注 [] 外部リンク• - (英語)•

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小松政夫が車で接触事故 妻「年内に免許を返納します」(2020年6月17日)|BIGLOBEニュース

小松政夫 ギャグ

ピンのベテランコメディアンです。 50歳以上のおじさんが集まった居酒屋の座敷席を想像してみてください。 1人のおじさんが、酔っぱらったあげく、飲み仲間に注意されます。 おじさんは、急に改まって、相手の両肩に手をおき、「どうかひとつ!」と懇願するや、間髪を入れず両手で目尻を伸ばして、「ながーい目でみてやってください」とふざけ顔。 相手が怒って一発見舞うと、おじさんは、「もーイヤ、もーイヤこんな生活!」と、オカマチックに座敷にしなだれる。 ……こんなおじさんがいたら、彼は小さい頃、小松政夫を絶対見ていたに違いありません。 当時、小松政夫のギャグは、お笑い好きの子供たちの中でも、通好みのギャグとして大うけでした。 小松政夫と伊東四郎が目指した狂気のスラップスティック「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」 小松政夫は、1970年代の終わり、伊東四郎と出演した、NET(現テレビ朝日)バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」のコントや、電線音頭で、一世を風靡します。 伊東四郎は、「てんぷくトリオ」という人気コントグループのメンバーでしたが、メンバーの戸塚睦夫が早くに亡くなり、ピンのコメディアンとしても活躍していました。 小松政夫扮する小賢しい小学生が連発するギャグは抱腹絶倒。 今でいうリズムものの走りである、「ニンドスハッカッカ、マー! ヒジリキホッキョッキョ! トーベトベトベガッチャマン〜、ガ〜ッチャマンニマケルナ、マケルナガッチャマン、ワ〜! 」という意味不明な掛け声や、「悪りーね、悪りーね、ワリーネ・デイートリヒ」「上手だね、上手だね~」「そーでしょ? そーでしょ? そりゃそうだモン」といった、リフレインするギャグが特徴的でした。 また、電線音頭は、伊東四朗扮する「ベンジャミン伊東」と、小松政夫の「小松与太八左衛門」、そして電線マンが、「チュチュンガチュン、チュチュンガチュン。 電線にスズメが三羽とまってさ。 それを猟師が鉄砲で撃ってさ。 煮てさ、焼いてさ 食ってさ。 ヨイヨイヨイヨイ、オットットット!ヨイヨイヨイヨイ オットットット! 」という音頭を、みんなでひたすら狂喜乱舞するだけなのですが、バブル期を予感してか、この音頭が日本中で狂ったように流行りました。 さらに小松政夫が、マペットを使って歌う、「しーらけ鳥飛んでいく、南の空に。 みじめ、みじめ~」の「しらけ鳥音頭」も大ヒットしました。 志村けんの「カラスの勝手でしょ」が登場するのは、このヒットから3年後のことです。 小松政夫の現在の活動は?生い立ちから芸能界デビューまで 小松政夫がオヤジと慕うコメディアンは「日本一の無責任男」植木等だった 小松政夫は、今でこそいぶし銀のコメディリリーフであり、名バイプレーヤーですが、そのキャリアは、偉大なコメディアンの付き人からスタートしています。 小松政夫は、福岡県博多の出身です。 高校を卒業して、兄を頼って横浜へ出た後は、いくつかの仕事を経て、横浜トヨペットのディラーとなった小松政夫は、なんと20歳の若さでトップセールスマンとなります。 小松政夫の自伝のタイトル「のぼせもんやけん」が示す通り、その熱中しやすい性格と、生まれながらの人を楽しませる能力が開花したのでしょう。 そして小松政夫は、本来の夢であった役者を目指して東京へ出て、人気ギャグバンド・クレージーキャッツの中心メンバーで、「日本一の無責任男」植木等の付き人となります。 小松政夫が植木等伝説のギャグ「およびでない?こりゃまた失礼致しました!」をつくった?! 小松政夫の師匠であった植木等のギャグといえば、伝説のバラエティ番組「しゃぼん玉ホリデー」内で披露された「お呼びでない」です。 小松政夫が、植木等の出番を間違えて知らせ、全く関係のないシーンに出てしまったという植木等。 とっさに、「お呼びでない?お呼びでないっ、こりゃまた失礼いたしました!」とアドリブで叫び、これが大ウケして生まれたと伝えられています。 しかし小松政夫は、実はこれは、植木等が自分(小松政夫)を売り出すためにエピソードして語ってくれたことだと恐縮しています。 植木等は、小松政夫が付き人となった時、小松政夫の父がすでに亡くなったことを聞き、これからは、俺を父と思ってがんばれと励ましました。 以後、小松政夫は、植木等をオヤジさんと慕い、植木等が亡くなった時は、植木等を死装束に着替えさせたといいます。 2人の間には、誰にも代えがたい師弟関係が築かれていたようです。 小松政夫は今や日本喜劇人協会会長に!亡き師匠に捧げる「親父の名字で生きてます」 小松政夫は、今や日本喜劇人協会会長ですが、36年ぶりに新曲を出しました。 曲名はズバリ、「親父の名字で生きてます」。 亡き師匠、植木等への想いを切々と歌った真面目な演歌です。 また、年明けからは、「いつも心にシャボン玉」と題して、小松政夫芸能生活50周年記念公演を、東京、名古屋、大阪、福岡の4都市で公演します。 植木等が所属していた伝説のコミックバンド「クレージーキャッツ」が得意とした、ビッグバンドとの共演による音楽コントや、旬の若手芸人とコラボした、小松政夫のキレのよいコントは必見です。 小松政夫の芸の神髄は、まさに受ける芸、ボケにあるのではないでしょうか。 だからこそ、ツッコミが良ければ、変幻自在に変化する芸といえます。 小松政夫は、伊東四郎だけでなく、同郷であるタモリとのコンビでも有名です。 伊東四郎とのコンビが、狂気のスラップスティックならば、タモリとは、まさに宴会芸の極地ともいうべきものでした。 たとえば、「製材所」と呼ばれる芸は、製材所の口真似からはじまって、お互いが真似する物や人物までを、カッターで次々と切っていくという、シュールでハイブロウな芸。 まさに小松政夫は、芸と祭りが大好きな、博多が生んだ偉大な「のぼせもん」です。 ところで、小松政夫がブレイクしたのは、往年の映画評論家、淀川長治のモノマネでした。 「まあ、すごかったですね、小松政夫。 それではみなさん、またお会いしましょう。 サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」。

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小松政夫、エリート営業マンから月収7000円に!それでも、植木等さんとの日々は「夢のよう」

小松政夫 ギャグ

小松 政夫(こまつ まさお、 - )は、の、、、。 会長(第10代)。 本名、 松崎 雅臣(まつざき まさおみ)。 瓦町(現:上川端町)出身。 愛称は 親分さん、 小松の親分(自らのコントから)、 小松与太八左エ門。 所属事務所は有限会社ドン・タック。 とスケジュール窓口で業務提携。 来歴・人物 生い立ち 7人兄妹の5番目として、の前及び福岡工場(現:)の近くで育つ(博多の総である櫛田神社の前が自宅であることを博多の仲間たちにも自慢していたことがあった)。 実父は地元の実業家で名士だったが、小松が13歳の時に病死し、以後家族は貧窮を極めた。 この頃、小松は自宅前の焼け跡で行われていたの口上をよく見聞しており、がいるのを知っていたという。 それらが自然と身に付き、学生時代から現在に至るまでの小松の明るさや笑いのセンスは作られた。 定時制課程普通科卒業。 高校時代の小松は陽気で努力家だったという。 この頃は、亡父が懇意にしていた菓子店・で働くなどして生計を支える。 の劇団に所属後、にを目指し、一番年上の兄を頼ってへ出て来る。 2つか3つの劇団を受験し、も受けたが、俳優座は入学金4,000円など月謝が高かったことで諦める。 その後花屋、印章店、薬のセールスマン、横浜中央市場のマグロ店などさまざまなアルバイトを経験した後、会社勤務を経て、のセールスマンになる。 セールスマン時代、雑誌の小さな枠に載っていた植木等の付き人募集の公募の広告を見てこれに応募して、約600人の応募者の中から選ばれ、より正式にの付き人兼運転手となり、その後、元々役者志望だったことを知った植木やのメンバーの助けもあって芸能界入りした。 芸能界入りする前にはさまざまな営業職を転々としたが、自動車セールスマンの職は他業種から引き抜かれて就職したものだった。 自動車セールスマン時代の小松はセールストークに長けていたようで、教習所と交渉し、受講者に免許を5日で取得させる手筈まで整えて、免許を持たない人にまで車を買わせるなどし、自動車がまだ高値の花だった当時に、月22台も売ったこともあった。 そういった顧客とのセールストークや会社内での上司との丁々発止のやりとりにより、小松は周囲から人気を獲得。 周囲から押し上げられる形で、小松はを志す。 セールスマン時代の体験は、後に数々のギャグの礎となった。 なお、セールスマン時代は初任給1万円の時代に月給12万円を稼いでいたが、植木の付き人兼運転手時代の月給はわずか7,000円だった上、1週間の睡眠時間の合計が10時間しかないほど多忙なこともあったものの「全然つらくなかった」「尊敬する一流の師のそばにいて、お世話ができる。 それだけで幸せでした」という。 なお、植木からは付き人として入門する際に「お父さんを早くに亡くされたそうだが、これからは僕を父と思えばいい」と声を掛けられたという。 運転手としての開会式に招かれた植木をに送った際には、植木の配慮で急遽小松の席も用意され、「錚々たる名士が居並ぶ中」開会式を見ることが出来た。 芸能界デビュー コメディアンとしてのデビューは、付き人時に出演した『』()。 この番組に出演したきっかけは、同番組に出演していた植木に付いていった際、休憩中にメンバー及びスタッフと談笑していた際にふとしたことからセールスマン時代のエピソードを披露したことによる。 その時に当時の課長(50歳ぐらいで、威張りくさって小松に活を入れるが逆にその様子を見ていた34歳の部長に一喝され、途端にシュンとしてしまう)の真似をして「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。 もう、 知らない、知らない、知らなぁーい、もー! 」とっぽく体をクネクネさせながら言った芝居がの目に留まり、翌日の収録時には台本に小松の出番が設けられていたという。 また、付き人だった当時は『シャボン玉ホリデー』にがレギュラーで出演しており、植木が「松崎ー! 」と呼ぶと、本名が松崎の小松も一緒に返事をしてしまうケースが多々あったことから「 小さいほうの 松崎」という意味で「小松」と呼ばれるようになり、やがてメンバーやスタッフの間で定着した。 そのうちに前座や端役などで出演が増えて視聴者にも顔を覚えられるようになり植木より正式に「 小松政夫」(当初は「雅夫」)と芸名を命名されることになった。 なお、この芸名を考えたのはに凝っていたという植木の祖母であり、小松という苗字に合うということで下の名前を決めたという。 ただ、小松は当初「コメディアンなのに、こんな二枚目みたいな名前でいいのか」と一瞬当惑したという。 なお、芸名の候補としては、植木と同じクレージーキャッツのメンバーだったが考えた「どん・たくお」(から)や、自身がコントで演じた外国帰りの怪しげな美容師の役名だった「ジェームス本堂」などがあり、小松もそれなりに気に入っていたが、植木に相談した際「将来大河ドラマの主役を張るようになるかもしれないのに、そんな名前じゃ苦労するだろう! 」と却下になったという。 クレージーキャッツのリーダー・からもたいへん可愛がられ、昭和42年にクレージーがでの公演に出演した際、途中15分の休憩を嫌ったハナから「5分つないでくれ」と命じられたことがあった。 しかし2日目までの出し物がまったく客に受けず、背水の陣で挑んだ3日目に生まれたのが今日まで小松の十八番となっているのである。 この時はハナや植木のみならず苦労を知っていた舞台裏のスタッフも一緒になって喜び、翌日以降にメガネ(ひもを引くとピクピク動く眉毛が付いている)やテレビフレームなど芸を盛り上げる小道具・大道具をわざわざ作って用意してくれたといい、それらを活用することでさらに客からのウケが良くなったと述懐している。 付き人兼運転手を約4年間務め上げた。 独り立ちの際に植木からかけられた言葉は、「お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな」というあまりに突然なものだった。 この言葉に小松は驚くとともにクビなのかと一瞬当惑したが、続けて植木は「実はな、と話してお前を正式にタレントとして一本立ちさせてやりたいってお願いしたんだ」、「そうしたら社長も大賛成でな、お前のマネージャーも給料も、全部決めてきたから」とその真意を語った。 「そろそろデビューする頃か」などの前フリも無く、何年ぐらいで独り立ちできるかも知らず、覚悟すら出来ていなかった時期での発言であった。 植木から言葉をかけられ、運転中に涙がボロボロとこぼれて運転ができなくなってしまい、一度路肩に車を停めて大泣きしながらそれを植木に謝る有様だったが、植木は「うん、べつに急いでないけど、そろそろ行こうか」と優しく宥めたという。 この時のことを、小松は「目にワイパーが欲しいぐらいだった」と後に述懐している。 その後は、学校の担任やでのの会話など、これまで接してきた人たちからヒントを得たギャグや、レギュラー番組のコーナーからヒットした「電線音頭」(発売)、「しらけ鳥音頭」(発売、30万枚超え、または60万枚を売り上げた)、「タコフン音頭」(発売)、淀川長治の物真似などで一躍人気となる。 植木も認める観察眼の持ち主だったといい、それが数多くのギャグや物真似芸を生み出した原動力であったと評される。 正式なコンビというわけではなかったが、との息の合ったコンビ芸は、を代表するギャグの一つとして今なお語り継がれている。 また前述の身近な人にヒントを得たギャグの誕生には伊東も大きく貢献しており、楽屋で小松が「今日、こんなやつを見かけてさ…」と切り出すと伊東が「どんなやつ? なに言ってたの? 」と興味津々に前のめりになり、スタッフとのやり取りなどでそのフレーズを小松に使わせるとその様子を見ていた伊東が「これ使えるね」と評価して本採用、というケースが多々あったという。 またとも、植木のもとから独立して以降共演の機会がある毎に交遊を深め、後年東が東八郎劇団を立ち上げた際には「お前を副座長として迎えたい」と直々に口説き落とされ、東が逝去する当年まで下北沢・やでの公演にて、息の合った共演をみせ人気を博した。 小松は東のことを「植木等が小松政夫の生みの親なら、育ての親は東八郎」と述懐している。 「お呼びでない」誕生秘話と、植木との師弟関係 植木等は自身の代表的なギャグ「お呼びでない」について、多くのインタビューでは次のような趣旨の発言をしていた。 青島幸男も引用していたこのエピソードについて、小松自身は「自分は(付き人になる以前の)サラリーマン時代にあのギャグで大笑いしていた」「あの聡明な植木等が、いくら私に言われたからといって、自分の出番を間違えるはずがありません」と語るなどして否定している。 植木の「お別れの会」でのでも、「『お呼びでない』は小松がきっかけだとオヤジさん(植木)はおっしゃっていたようですが、私はオヤジさんの出番を間違えるようなことはしていないと思うのです」と述べている。 そして、「事実でなくても、自分のため(小松を売り出すため)に作ってくれたエピソードであり、本当に感謝している」とも語っている。 また植木の逝去直後、で放送された追悼特番では、付き人時代から小松単独での番組出演オファーがあった時期のことを「自分は当時まだ勉強中の身でありながら、番組に出るなんてとんでもないと思っていたんです。 しかしそれを植木さんに相談したら、すごく喜んで頂いて『結構なことじゃないか。 行って来い。 行って勉強してきなさい』と、笑顔で背中を押してもらいました。 一人で番組に出ることを咎められたことはありませんでした。 あの優しさは今も忘れられませんね」と懐古している。 ほかにも小松は、• 植木と一緒に蕎麦屋に食事に入った際、付き人の小松は謙遜してを注文する傍ら、植木はとを注文したが、いざ運ばれてくると植木は天丼を半分ほど食べたところで「お腹一杯になっちゃったから、これお前が食べてくれ」とカツ丼をスッと小松の前に差し出した。 実際の芝居の際にも本番後に植木が「どうだった? 」と小松に尋ね、植木の演技は良かったが周囲のリアクションが弱かったという旨を素直に伝えると監督のもとに出向いて撮り直しを申し出た。 持ちネタが受けずに焦った小松が慌てた末に大失敗をしでかし、収録に遅れを生じさせる失敗をした際、「うちの松崎が大変なご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と植木が自ら進んでスタッフに謝ってくれた。 独立後、植木と同席した仕事でお得意の「淀川長治の物真似」を披露した際に「私、いっつもこればっかりですねえ」と自虐的に言ったところ、出番が終わった途端に植木から舞台袖に呼ばれ「これは君が苦労して作り上げた芸だろう! 自信を持ってやりなさい」と説教された。 小松が渡辺プロから独立する際、植木は渡辺プロ関係者に「もし(小松を)邪魔したり嫌がらせしたりするようなことがあれば、俺が黙っちゃいないぞ」と釘を刺し、小松には「何かあったら、いつでも俺のところに相談に来いよ」とその背中を押して快く送り出した。 小松の人気が爆発していた当時、一方で人気に陰りがみえて仕事が激減した植木を心配して自宅を訪ねたところ、逆に「最近はヒマでテレビばかり見てるんだ。 お前の活躍を見てパワーをもらっているんだ。 オレももう一花咲かせないといけないな」と優しい一言を掛けられ、小松はトイレに駆け込んでひとり泣いた。 など、芸には厳しいがその一方では立場に関係なく 真摯 ( しんし )に向き合い、なおかつ面倒見が良くて優しく温かい植木の人柄ぶりをインタビューや著書で語っている。 なお植木の逝去当時、小松は地方公演のため東京を留守にしており臨終には間に合わず、出発直前に植木の自宅にあいさつに出向いて本人と会ったのが最後となった。 それでも入院後の容態については植木の夫人から逐一電話連絡を受けており、公演終了直後に急いで帰京して植木のもとに駆け付け、納棺に際して遺体の衣服を着替えさせるという、弟子としての最後の仕事を務め上げた。 近況 現在もや、など多方面で活躍中である。 また、後半からにかけては『』(旧『』)や『』の常連キャストでもあった。 時代劇では悪党の子分役などが多かったが、近年では善人役を多く演じている。 伊東は小松を「 こんなに引き出しのある人はいないんだから」と評し、数多くのギャグの引き出しも健在である。 にスタートしたバラエティ番組『』においては、同郷・福岡出身同士ということで親交のあったと二人で司会をというオファーがプロデューサーのからあったが、当時に熱中していた小松は「(平日毎日の生放送に出演していたら)ゴルフに行けなくなっちゃう」として断ったということがあった。 地元のには、現在でもしばしば参加している。 かつては出身の岡流に属していたが、岡流が途絶えた後は、知り合いの多いに参加している。 にはの第10代会長に選出された。 からにかけて的小説『』を上梓、には同作を原案として『』と題し化された。 からまで・ 夕刊 『この道』に連載されたコラムをもとに、さくら舎からひょうげもんが刊行された。 に封切られた映画��東映)では伝説の雀士・出目徳を演じたほか、スペシャル予告映像では淀川長治に扮し、往年の解説モノマネを披露した。 同年からは自身の芸能人生の集大成として舞台「『うつつ』小松政夫の大生前葬」をで上演。 大というタイトルになぞらえ、制作発表会見では小松を除く6名の役者は姿で登場した。 主なギャグ 小松自身はこれらの言葉を「ギャグ」とは言わず「はやり言葉」と呼んでいる。 小松によれば、ギャグというのは「自分で考えて歳月を重ね練り上げてきたもの」とのことであり、小松の場合は周囲にその「はやり言葉」のモデルとなった人物がおり、あくまで拝借したに過ぎないからといい「世に出しては次々打ち捨ててきた」「長い芸能生活の中でたった数年しか使っていないのに、それを今でも皆さんに覚えて頂いていることが有難い」と語っている。 またここに挙げたのはあくまで著名な一例で、実際世に送り出したギャグは80本以上ともいわれている。 「知らない! 知らない! 知らない! もー」(セールスマン時代の厳つい上司の会話より。 小松のギャグ第1号)• 「ハイ、またまたまたお会いしました」「まあ、怖いですね、怖いですね」(淀川長治のものまね)• 「どうして! どうしてなの! おせーて! 」(焼き鳥屋のカウンターで別れ話をするカップルの会話より)• 「もーイヤ、もーイヤこんな生活! 」(ホステスの会話より)• 「どーかひとつ」(女性専門に自動車を売り上げていた同僚のセールストークより。 対面する相手の両肩に手を置き、膝を曲げて軽く押さえる)• 「ながーい目で見てください」(オカマの独り言より。 両目尻を手で横に引っ張り長く延ばしながら)• 「ニンドスハッカッカ、マー! ヒジリキホッキョッキョ! トーベトベトベ〜、ガ〜ッチャマンニマケルナ、マケルナガッチャマン、ワ〜! 」(最初の2フレーズは小学校時代の担任の女の先生が小松を励ました時に使った。 一種のおまじないより)• 「表彰状、あんたはエライ! 以下同文…」(「あんたはエライ! 」は、旧日本兵のが戦後29年ぶりにのから帰国した際に、空港で小野田の母親がかけた言葉がヒントになったといわれる)• 「悪りーね、悪りーね、」• 「よーやる、よーやる、」• 「まー随分ね! 随分随分随分ね! 「上手だね、上手だね、西方じょうずだね。 東方xxxxだね。 福岡県出身、鼻くそ部屋」(xxxxはシーンによって異なる)• 「暗いね、暗いね、! 」(の曲より)• 「そーでしょ? そーでしょ? そりゃそうだモン」 出演 テレビドラマ• (1970年、)• (1970年)• (1970年 - 1971年)• (1971年)• (1972年)• (1972年)• 第10話「ダイヤモンドは生命奪り」(1973年、) - お神楽の安• (1973年、TBS)• くるくるくるり(1973年 - 1974年)• 第15話「ウソの結婚・刑事はつらいよ」(1975年)• 第90話「スッポン刑事の大勝負」(1976年) - 小西• (1975年) - 亀吉• 第15話「密告無用」(1977年) - 亀吉• (1975年、NET) - 佐山刑事• (1975年 - 1976年、日本テレビ)• 第14話「弥七二人旅 -津山-」(1975年6月30日) - 庄之助• 第15話「三葉葵を盗んだ男 -津山-」(1983年1月17日) - 隼の五六吉• 第36話「代官にされたドジな掏博 -岡部-」(1985年9月30日) - 矢島小太夫 役、百助 役(一人二役)• 第23話「涙で誓った盗っ人仁義 -長岡-」(1986年9月29日) - 政吉• 第29話「瞼の人はドジな泥棒 -鳥取-」(1991年5月27日) - ミゾレの政吉• 第47話「嘘を承知の偽黄門 -日光-」(1991年9月30日) - 半助• 第1話「悪鬼が巣喰う岡崎城 -水戸・岡崎-」(1992年4月6日) - 六兵衛• 第21話「大金持ち��物拾い -与板-」(1999年8月9日) - 大坂屋善次郎• 第32話「リストラを吹っ飛ばせ! -防府-」(2000年11月6日) - 淡野勘兵衛• 第15話「俺たち日本一の用心棒 -龍野-」(2003年2月3日) - 沢村半之丞• (2003年12月15日) - 道右衛門• 第6話「助さんに見た父の面影 -富山-」(2010年11月15日) - 嘉吉• (1977年、TBS)• (1977年)• 第1話(1978年、日本テレビ)• 刑事編 第25話「熱中刑事ワナにかかる」(1979年、日本テレビ) - 小山内専一• 第144話「幇間涙あり! 」(1979年) - 三八=仙太• (1980年、MBS) - 韋駄天の六助• フジテレビ - 川島竹次役• 北の国から、連続シリーズ(1981年、第6話・第11話)• 北の国から、92巣立ち 1992年• (1982年 - 1983年、TBS) - 番組の案内• (1983年)• 第6話(1983年9月10日、日本テレビ) - 学年主任教諭• 第8話(1983年12月24日、日本テレビ)• (フジテレビ)• の意地悪クッキー(1983年)• シリーズ(1983年)• シリーズ(1983年 - 1984年)• どきどき婦警さんシリーズ(1983年 - 1984年)• 乙女学園男子部(1983年)• とことんトシコシリーズ(1983年 - 1984年)• シリーズ(1983年 - 1984年)• (1985年)• (1985年)• 第7話「疑惑!? 狙われた女教師の沈黙」(1984年7月6日、朝日放送)• (TBS) - 色川伝兵衛• (1987年)• (1994年)• (1987年 - 1988年、TBS) - 村西先生• 親子ウォーズ(1988年、TBS)• (1989年、TBS)• (1990年、テレビ東京)• (TBS)• (1991年8月26日) - 古賀克彦• - (1991年 - 1999年) - 赤垣伝兵衛• (1993年、TBS)• (1993年)• (1995年、NHK)• (テレビ朝日)• 5「隅田川に浮かんだ恩師の死体! 」(1996年2月26日) - 山下勇作• 1(2000年2月12日) - 山本鉄生• 23(2003年12月20日) - 坂本良男• (1996年、フジテレビ)• (1997年、フジテレビ)• 新春時代劇特別企画 (1999年1月2日、) - 按摩安甲• (1999年、フジテレビ)• (日本テレビ)• 9「沈黙の函」(1999年) - 茨木辰二• 15「知らなかった」(2000年) - 穂刈守• 第1話「七人みさき」(2000年1月3日、) - 樫村兵衛• パート5(2000年9月25日、フジテレビ) - アカ信ファイナンス次長• 5 第10話(2001年、フジテレビ)• (2003年)• (2007年、日本テレビ) - 小笠原繁• (2007年、2008年、2009年、) - 金兵衛• (2008年2月2日、系列) - 八代勲• (2008年)• (2009年、)• (2009年、日本テレビ) - コック• (2009年1月3日、2010年1月1日、2017年1月2日、NHK) - 金兵衛• (2010年6月20日、東海テレビ) - 吉川常• 第1話(2010年7月19日、フジテレビ)• season9 第14話(2011年2月2日、テレビ朝日) - 古谷勲• 第6話(2011年11月10日、テレビ東京) - 庄内治• 俺たち絶体絶命! (2013年7月21日、) - 誠治• 真夏の博多出張スペシャル(2014年8月9日、テレビ東京) - みやけうどん店主• 第1話、2話、126話 2017年4月3日、4日、9月26日 - 侘助• (2017年9月2日 - 2017年10月21日、NHK)- 語り• 「33」(2018年3月5日、TBS) - 田丸善次郎• (2020年8月23日 - 、) 映画• (1965年、東宝) - 植木等のバイクスタント(クレジットなし)• (1967年、日活) - 関口社長• (1967年、東宝・渡辺プロ) - ゴーゴークラブの司会者• (1968年、東映) - 坂本研吉• (1968年、東宝・渡辺プロ) - 田村• (1968年、東宝) - 学生A• (1968年、東宝) - 聖火ランナー• (1968年、東宝・渡辺プロ) - 田村• (1969年、東宝・渡辺プロ) - 俳優• (1969年、東宝) - 川男• (1969年、東宝・渡辺プロ) - 山崎• 不良番長 送り狼(1969年、東映)• (1970年、東宝・渡辺プロ) - 牢番• (1970年、日活) - 青山• 盛り場流し唄 新宿の女(1970年、日活)• 現代女胴師(1970年、東映)• (1970年、東映)• (1970年、東宝)• (1971年、東宝)• セックス喜劇 鼻血ブー(1971年、東映)• (1971年、東宝)• 喜劇セックス攻防戦(1972年、東映)• (1972年、東宝)• (1975年、松竹) - ゴルフ場の指導員• (1978年、東宝) - 酔漢• (1979年、松竹) - 果物屋• (1980年、東映) - おばちゃま(映画評論家?)• (1981年、東宝)• (1981年、松竹)• (1981年、東宝)• (1983年、東宝) - 泣く男• (1983年、東宝) - 秋本• (1984年、東宝) - 労務者• ユー・ガッタ・チャンス(1985年、東宝) - 野末和吉• (1986年、東映)• (1993年、ヒーロー)- 桜文造• (2000年、)• (2004年、フジテレビジョン・東宝)• (2005年、ラヴァルスフィルム) - 弁士• (2007年、ラヴァルスフィルム) - 人形遣い・空蔵• (2009年、東宝) - 珍宝楼の店主・珍• 第3話「日本人アンナ」(2010年、エースデュース) - 木賃宿の番頭• 〜The Story Teller's Apprentice〜(2013年、アイエス・フィールド) - 立花亭圓志• (、トリクスタ)• (2014年、) - 師匠• (2015年、) - 時計屋• (2015年、) - 島影• (2016年、) - 花田富雄• (2016年、)• 世界でいちばん長い写真(2018年、スターキャット、キャンター) - 竹中芳郎 役• (2018年、) - 前田繁則 役• エリカ38(2019年、吉本興業)- 田中功二 役• (2019年、東映)- 出目徳 役、スペシャル予告映像では淀川長治に扮する 舞台• 追いつ! 追われつ!! (2001年2月、)• 人情喜劇 母の子守歌 (2005年、特別公演、)• 楽屋の王様 〜小松政夫・ギャグこそマイウエイ〜(2005年11月30日、)• MSN We舞台 「」(2008年12月16日 - 26日、) -• 王立劇場vol. 8 「王立新喜劇・続々・コーポからほり303〜谷町筋を封鎖せよ!」(2011年2月、)• 天国のシャボン玉ホリデー(2011年6月、アクシスかつらぎ大ホール)• ・特別公演 「ザ・ナイスガイ どうしてこんなにモテるんだろう」(2011年12月、)• 錦秋喜劇公演 「わたくしです物語」(2012年10月、)• マウストラップ(2013年3月、六本木ブルーシアター) - パラビチーニ• 日本喜劇人まつり(2013年4月、2014年2月、2014年9月、2015年3月)• (2015年、ほか) - トラヒゲ• めんたいぴりり~博多座版~ 未来永劫編(2019年3月30日 - 4月22日、) 劇場アニメ• (1999年、東宝) - マーチン 吹き替え• - ウィリー・タナー• それ行けスマート(東京12チャンネル〈現:〉) -マクスウェル・スマート:• - マックスウェル・スマート:• - チビ:• - チビ:エリック・ツァン ラジオ• ラジオコメディ みんな大好き() - 花咲大吉• (2009年4月- 、NHKラジオ) バラエティ• (不定期出演、)• (日本テレビ)• (1975年 - 1981年、)• (1975年 - 1976年、)• (1976年 - 1979年、)• (1980年 - 1989年、)• (1981年 - 1989年、日本テレビ)• (1990年 - 1991年、フジテレビ)• (2004年、テレビ朝日) CM• 「塩豆大福」• 「めん八珍」• 「ゴールデン紫」「生きてるみそ」• 「パオン」• ベネゼル• ヤタガイクレジット• CD・レコード• たべごろ! 笑いごろ! 』より。 たべごろ! 笑いごろ! 』より。 小松の親分(1995年12月、ファンハウス)• カップリング曲にと植木等のデュエットソング「あんたなんか」を、園と小松のカバーバージョンで収録。 著書・連載 著書• 目立たず隠れず そおーっとやって20年(1985年4月、婦人生活社)• おもしろい人に会ったよ(1993年1月、コスモの本)• 昭和三〇年代横浜〜セールスマン時代のこと。 (2006年6月、竹書房)• のぼせもんやけん2 植木等の付き人時代のこと。 (2007年12月、竹書房)• 時代とフザケた男 エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人(2017年8月、)• 昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年(2017年9月、)• ひょうげもん(2019年3月、さくら舎)• みーんなほんなごと!(2020年3月、さくら舎) インタビュー連載• 夕刊 『人生の贈りもの』(2008年12月15日 - 19日)• ・ 夕刊 『この道』 2018年7月2日 - 10月6日 演じた俳優• - 『』(2017年、) 関連項目• - 師匠• - 数多く共演。 との関係が深いという点で同輩にあたる。 - を中心に共演。 今なお名コンビとの呼び声が高い。 - を中心に共演。 同じ福岡県出身のピン芸人という点で共通。 - お互い下積み時代からの親交がある。 - の1回目の引退後に、短期間ではあるが小松の弟子だった時期がある。 脚注 [] 外部リンク• - (英語)•

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