さ な だ ひろゆき。 ひろゆき氏「バカなの?ねぇ、バカなの?」政府の緊急経済対策にあきれ

【名言】ひろゆき語録〜お金の話や働き方、幸福論など〜

さ な だ ひろゆき

人物 [ ] 生まれ。 福島県立福島農蚕高等学校 現・ 卒業。 「世界戦略研究所」代表・NPO法人「」最高顧問・「国際宗教連盟」役員 ・以前は「」の党友や党員で副代表も務めたが現在はしている。 また、国会記者倶楽部・国土交通省記者クラブ・鉄道記者会に所属。 日刊中央通信社社主として『日刊中央通信』を発行。 なお、日刊中央通信社という法人は東京都内に存在しておらず、任意団体である。 瀬戸本人によると、『環境経済新聞』や雑誌『環境と施設』などの取材・企画と購読料を収入源としているという。 元副代表、元福島市職員。 経歴 [ ]• 少年時代から英雄伝を読み、中学生のころやに興味を持る。 農芸高校園芸科を卒業後、実家の農業を手伝っていたが、力不足を感じ後継者となることを断念。 福島市役所に臨時職員として入職し、1971年に正職員に昇格し公務員になる。 瀬戸の言によれば、系の影響が強かった職場に反発して、に入党。 東京でのの演説に強い影響を受け、個人として右翼活動を始めた。 瀬戸の言によれば、1972年に自身が新成人として参加した福島市のの式場とその周辺で、左翼系のデモ隊が、新成人の自衛官を乗せたバスを包囲し、「自衛隊反対・人殺しは帰れ」等のスローガンを掲げて、式への参加を妨害した場面を目撃した。 瀬戸は、口惜しい気持ちで一杯だったという。 1974年のでの選挙運動を手伝い、その縁でヒトラーの信奉者・篠原節が率いる「」に加入。 1975年のに抗議しての山形県米沢市の事務所に集団で乱入し、建造物侵入、器物損壊で逮捕、罰金刑。 市役所からは口頭注意のみで懲戒処分は受けず。 1976年、民族思想研究会の一部を引き継いだ福島市の右翼団体「憂国青年同志会」の会長となる。 以降、1987年にネオナチ運動に移行するまで約10年にわたり活動(後述するように、中断期間がある)。 ヤクザ・暴力団系の右翼との関係が深い活動であったという。 1977年ごろ、押し掛けてきたヤクザと乱闘になり、傷害罪で逮捕された。 上記の傷害事件で収監中に、冤罪を訴えて無罪を勝ち取った在日朝鮮人の存在を知った。 この冤罪事件に関するルポルタージュを執筆、に『政経東北』に「山本弘幸」名で発表したのがジャーナリストとしての仕事の最初であった。 1978年に社の設立者・三田和夫に師事、福島に戻ってミニコミ紙の発行を始め、仙台を経て東京でジャーナリストとして活動。 1981年ごろ、ジャーナリスト活動の傍ら「日本憂国会」として街宣右翼活動を再開、「皇心塾」「」「北方領土奪還青年委員会」の活動家と「」を結成。 」 宝島社 1986年 に掲載された。 当時、瀬戸の「日本憂国会」は「原発反対、資本家殲滅」を唱え、街宣車に「全ての怒りを権力へ!」「窮民革命に決起せよ!」のスローガンを掲げた。 銀座の事務所前の路上で、毎夜、浮浪者を集めて酒を振る舞っていた。 また、しばしば訪韓して農村近代化運動()にボランティア参加した。 に長選挙に立候補するも落選。 、「世界戦略研究所」設立。 『世界戦略』(版4ページ、500円)・『世界戦略情報』 B5版10ページ、1万円 を発行。 1986年ごろ、街宣車に乗る活動を止める。 福島市で日教組全国大会が行われていた際、小学校1年生の娘が「右翼の街宣車が怖い」と言ったことにショックを受け、将来の日本を担う子供たちに恐怖感を与えるような運動が真の愛国運動なのだろうか、と疑問を抱いたため。 、・自然社会主義協会(代表・篠原節)などに呼びかけてともに「国家社会主義者同盟」を設立し、不法滞在外国人の追放運動を始めた。 一方、在日朝鮮・韓国人に対しては帰化を支援するなどの活動をしていた。 上記の運動がの報道番組『』で取り上げられた(1994年9月14日)ことをきっかけに、(現・NPO法人外国人犯罪追放運動・理事長)と出逢う(1995年)。 以後、有門は瀬戸に師事、執筆活動や政治活動をともにする。 1994年2月に『環境経済新聞』を創刊。 1995年から、行政通信社発行の月刊誌『政財界ジャーナル』の編集長 を務め、自らも多数の記事を執筆する。 後に、行政通信社の経営権も取得し発行人も兼ねる。 同じころ、行政通信社には複数のが所属していたとされる。 頃にウェブサイト「」を開設する。 右翼団体の中では比較的早くサイトが設立され、当時としては珍しく()も併設されていた。 また、草創期のを含む多数の掲示板で自らの主張を展開する。 瀬戸は、2008年に、2000年ごろの2ちゃんねるを「今のように相手を罵倒するだけの投稿ではなく、互いの立場を認め合いながら、討論を進めるだけのマナーが残されていました。 今日の2ちゃんねるには残念ながら当時の面影さえもありません」と回想している。 2001年に『教育レポート』を創刊• 2002年10月10日、東京都千代田区三崎町二丁目に本店を置く株式会社スポーツ・アイの代表取締役に就任。 同時に有門大輔も取締役に就任した。 同社は2003年8月13日に東京地裁で破産宣告を受けた(商業登記簿による)。 なお、とはまったく関係がない会社である。 2003年8月20日、東京都千代田区外神田二丁目に本店を置く株式会社ケイバンの取締役に就任。 2004年2月23日に代表取締役に就任し、2004年5月31日に取締役、代表取締役ともに退任した(商業登記簿による)。 2006年4月、既に活動実態を失っていた「国家社会主義者同盟」副代表の肩書きを返上。 2006年11月、への支持を訴える「新風連〜新しい風を求めて〜ネット連合」を十数名のブロガーとともに立ち上げる。 2006年秋〜冬、民主党が朝鮮総連などが主催する集会に、議員会館使用の取り次ぎをしたことを追及・糾弾した。 また、在日朝鮮人である毎日新聞佐賀支局記者が、県知事記者会見で行った質問が、天皇に対して不敬であるとして新聞社に抗議を行った。 に維新政党・新風の党友となったことを公にし、には(7月29日)に同党公認でに出馬することを表明した。 7月29日の参院選では、新風の比例候補3名の中でトップの票を得たが、落選した。 瀬戸は結果を「言い訳が許されないほどの惨敗」と受け止め、資金力と組織力の不足を痛感した。 2007年6月に「河野談話の撤回を首相に求める署名活動」を通じての代表と知り合い 、参院選以降は頻繁に行動をともにする。 の会長との交流もこの頃から始まる。 2007年の参院選敗退後、支援組織の確立の必要を実感し、創価学会や女性党などを手本として、健康食品の販売組織・販路から支援者の獲得を目指すとした。 しかし、紹介した商品(ナノテクゼリー)には批判が相次ぎ、販売を断念した。 2007年12月、維新政党・新風副代表に就任。 2008年6月6日にをとして認めるよう政府に促す国会決議 が可決されると「アイヌ民族は同化政策によって消滅した」「過去の差別を現在から断罪するのは偏向」「自称アイヌは利権目当て」とする意見に賛同した。 2000年ごろの瀬戸は、アイヌ民族が崇めていたのは日本の神とは違うとの認識を示し、琉球も同じであろうとした。 また、近代化やキリスト教の普及によって滅ぼされた土俗的宗教の重要性を再認識すべきとの考えを、改めて表明した。 2008年7月以降、東村山市議の転落死(1995年9月)が「何者かによる謀殺」である、という主張(の関与を強く匂わせるが、直接的な言及はしない)を街宣・集会・ウェブサイト・YouTube動画などで展開し始める(後述)。 2009年2月、グーグル日本支社への抗議行動。 瀬戸自身や西村修平らによる中国人・韓国人・創価学会員への非難を含む街頭宣伝の動画がで削除されたことに対するもの。 2009年3月10日、「」(国際宗教連盟)役員に就任。 2009年6月、ジャーナリストの仕事に専念するため、として新風副代表を退任。 2010年1月、家庭の事情で福島市の実家を生活の本拠とし、農園経営に向けた準備を始める。 2010年12月、活動の前線から「完全ということではありませんが、身を引かざるを得ない」と、引退を表明。 共闘する団体同士が離反・対立を繰り返していることを原因としている。 2016年9月、の元代表であるが設立したの結党に参加し、最高顧問に就任した。 2018年2月4日在特会に会員でなかったことが判明する。 思想・主張 [ ] 瀬戸は、右派・保守派の主流と自らの立場を対比する中で、行動の指針として• 外国人移民制度を阻止して日本の国体を守る• 底辺社会からの搾取体制を変革する• 議会制民主主義からの脱却 の3つを挙げ、自らの主張を「『語る運動』から『行動する運動』への新保守主義」と要約した。 を国家の本質と見なす史観とそれに基づくの称揚• ・の正当化• ・などのの否定• の参拝を支持: がのへの不快感を述べたとされる「」(2006年7月に報道された)の捏造を疑ってに質問状を送った。 、反中国、反ロシア、反北朝鮮: 中国共産党の「新覇権主義」を阻止するため、に基づく日米同盟関係の強化と核武装も含めた日本の防衛力強化が必要としている。 1980年代の瀬戸の思想はに近く、の「世界最終戦争」と日米経済摩擦を重ね合わせていた。 瀬戸は「外国人犯罪問題を追及し始めた頃からアジア主義と決別した」と述べている が、1997年ごろのウェブサイトにはまだアジア主義的な主張が掲げられていた。 への反対• が日本の教育政策を隠然と支配して偏向教育を主導しているとする主張 などは、一般的な保守派の主張と同様であり、やの主張と共通点が多い。 これらに加えて、以下のような思想・主張が見られる。 外国人労働者反対 [ ] 1990年ごろからの追放運動を始め、後には外国からのを追放することを主張した。 の増加や日本人の雇用が奪われることを危惧するだけではなく、移民により日本が滅亡すると警鐘を鳴らす。 その根拠を、瀬戸は移民を外来生物に喩えて「ススキが穂を揺らす日本の秋の野原の風景に、外来種のが侵入、驚異的に増殖して景色を一変させた」「外来種が在来種タンポポを全て蹂躙してしまった」と述べて「人間の場合も同様であり、一旦住み着いた人種はそこに以前から住み着いていた土着的な民族を滅ぼしてしまう」と説明している。 特別永住権・永住権 [ ] 2006年6月ごろは、が生じた経緯、社会の底辺で暮らす人が多いという認識、在日朝鮮人の冤罪事件を取材した経験から、に対して好意的で、特に日本への帰化を希望するものは広く受けいれるべきとした。 また、北朝鮮・中国と対峙するために韓国との連携が必要と考えていたが、支持者の反応は「韓国人の本質は反日・犯罪者体質」といったものが主であった。 瀬戸は「南北朝鮮と日本のが、このような根深い対立を作った」と残念がり「日本に帰化して一生懸命頑張っている人にだけは、温かい気持ちで接してくれるように願うだけ」と結んだ。 しかし、同年の末には「特別永住制度は日本政府・日本人の温情に過ぎず、廃止すべき」と表明している。 在日も含む韓国・朝鮮人や韓国に対してはさらに厳しい姿勢に変わり、との共同行動をひんぱんに行い、政治家の出自 帰化したかどうかだけではなく、世代を古く遡っても朝鮮・韓国・中国人の家系が混じっているか を問題視するようになった。 主張は変わってないとして、「日本人になることを頑なに拒否し外国籍のままでいようとする人」を批判していると述べている。 特別永住制度の廃止主張の理由として「日本で生まれ、日本語しか話せない。 朝鮮半島に将来戻るわけでもない。 そのような人には日本に帰化してもらい、日本人として一緒に暮らして行けば良い。 しかし、あくまでも帰化しない人には他の外国人と同じように特別永住ではなく、一般の永住に戻っていただく。 」としている。 2005〜2006年ごろは「極右」と自負し、「右翼」「保守派」(瀬戸は両者をほぼ同義としていた)との違いを強調した。 2007年の参院選立候補に際しては「ネット右翼」のネガティブなレッテルに挑む意味で「ネット右翼の代表として、選挙に挑んでいきたい」と述べた。 選挙後は、より広い層に受けいれられるべく、「行動する新保守運動」と名乗り、後には「行動する保守運動」あるいは「」を称するようになった。 2010年3月には「保守という概念では説明できない部分がある」ためとして「行動する保守運動」に代えて「行動する社会運動」を使うと宣言した が、2010年後半にはほとんど使わなくなって「行動する保守の旗頭」を任じるようになった。 ネット戦略 [ ] 集団での抗議行動()に加えて、ネットの活用に早くから乗り出した(を参照)。 2005年6月に開設したブログ「」は、当初は海外を含めた国家社会主義・移民排斥運動の動向の紹介が主であったが、次第に右翼活動のセンター的な役割を持つようになり、2007年8月にブログ名を「日本よ何処へ」と改称した。 瀬戸によれば、外部勢力の影響下で反日的な世論操作をしているに対し、ネットを通じて真実に目覚めた声なき普通の市民が結集してが形成されたという。 自身を「ネットで見ただけで、それを信じてしまう人間」と表現したこともあり 、コメント欄では(情報リテラシーの低さを批判する声もあったが)ネットに真実を見出す瀬戸の姿勢に支持が集まった。 ネットを通じた情報の拡散・支持拡大に強い期待を抱き、ネット右翼に対するマスコミのを糾弾し、ネットの規制に反対して匿名性の自由の保証を主張した。 瀬戸が立候補した2007年参院選では、2ちゃんねるの多数の掲示板に(既婚女性板・オカルト板を含む)に維新政党・新風のスレッドが立ち、瀬戸は「2ちゃんねるは憂国の戦場」「選挙が始まれば反日勢力との最大の激突・主戦場となる」と檄を飛ばした。 また、の改正論議においてアニメ・漫画・ゲームソフトへの適用拡大(を参照 へ向けた動きが出ると、瀬戸は否定的見解を示した。 テロ・破壊活動に対する立場 [ ] 右翼構成員が阿弥陀堂 国のかつ に刃物・小型ガスボンベ・ライターなどを携行して突入し堂内に油を撒いた事件 2005年9月2日 、 2006年08月15日 のように首相の靖国参拝を批判した言論を標的とした破壊活動を支持した。 しかし、2007年5月に「ネットでテロ事件を是認するのは敵を利するだけ」という理由で「一切のテロリズムを認めず、そのような行為を正当化する勢力とも決別する」と宣言し 、創価学会徳島文化会館・三木国際交流センタービルの連続爆発事件(2008年10月13日)に対しては(思想的背景があいまいなこともあって)慎重に評価を避けた。 2010年になると再び見解を変え、2月に自衛隊と警察によるクーデターおよび反対派の粛清を公言する極右ブロガーが迷彩服に身を包んだ「親衛隊」を披露した(瀬戸らの「NPO外国人犯罪追放運動」から「親衛隊」に参加者があった)ときには、瀬戸もブログで祝辞を送り 、10月にはのを顕彰した。 政治家・政党との関係 [ ] を「昭和維新の志士・戦後初の右翼宰相」とたたえる著作を出し、ブログでもしばしばその発言を引用している。 自民党も含めて既成政党とは「買弁的な要素を持つ」として距離を置いていた。 については、一定の距離を保ちつつも「正しい歴史認識」「正しい歴史教育」の立て直しに期待した が、の訪中・訪韓などに落胆したことが、維新政党・新風からの参院選出馬につながった。 2007年参院選で自民党の敗北が確実視されたころから民主党への批判を強め、2009年8月のでは、民主党政権成立を亡国の危機と見なす論を展開した。 民主党政権成立後は、民主党を批判し、を「亡国政治家」と非難するブログ記事を精力的に執筆した。 ただし、農本主義者を自認し農村再生を標榜するにもかかわらず、民主党によるについては、瀬戸自身が農家としてこの制度を利用するかどうかも含めてコメントをしていない。 2010年夏のでは、を応援した。 その他、・を好意的に取り上げたことがある。 地方選挙では、2007年のではを 、2008年のでを 、2009年のではを 支持した。 原発推進 [ ] に賛同しており、「全原発の再稼動を急げ」と主張。 運動を左翼主導によるものと決め付けており、を政府に対する「圧力」だと表現している。 瀬戸は、 のうち のデータのみを取り上げ、よりも1960年代の方がより多く降下していたので、この原発事故による影響は全くないと主張している。 なお、三重大学 生物資源学部 准教授の勝川俊雄は、および水産庁のデータよりが1960年代よりも100倍以上降下している事を報告している。 その一方で瀬戸は、がセシウム除染に効果があった実験を掲載し、フルボ酸入りシャンプーやボディソープを販売している。 政治家の出自の明確化 [ ] 日本の「国会には80人以上の朝鮮半島出身者で帰化した政治家がいる」と主張し、出生時の国籍を明らかにせずに付与を推進している国会議員の存在を問題視しており、『コリアンジャパニーズ調査委員会』を設立して全政治家に出自を明らかにするように求める運動を行うとしている。 顕著な活動と批判 [ ] 主な活動はと・集会・抗議行動、ブログを通じた物品販売である。 下記のように、さまざまな論議・批判を招いている。 「ジャーナリスト」としての姿勢 [ ] 「、政治家の不正や疑惑を常に糾弾するジャーナリスト」と称し 、既存のにしばしば言及し、政界・企業を専門とするジャーナリスト活動と右翼活動を重ね合わせて「行動するジャーナリスト」(ブログのサブタイトルにもなっている)と自己規定している。 また、ブログ上で「警察上層部の極秘指令」をリアルタイムで暴露した こともある。 しかし、ブログ記事のかなりの割合は、マスコミ報道を唯一の情報源としており、そこに自らの主張を加える体裁を取る。 「常識を兼ね備えた人物ならば、書店で売られている雑誌に、デッチ上げの記事を掲載するなど、あるはずがないと考えます」とも述べている。 風俗ライター・橋本玉泉らは、• 都合の良い事実の片鱗のみを取捨選択して、あらかじめ決めておいた結論の体裁を整えているだけ• 批判されると、黒幕論・陰謀論に逃げ込む• 調べる能力・情報を見極める能力が欠落している• そもそも調べるということをしない などと批判している。 これに対して、瀬戸は「自称ジャーナリストなどと書く人がたくさんいますが、昔は読売新聞などは立派に認められており、自称ではありませんでした(原文ママ)」と反論した。 これは、『読売年鑑別冊・読売人名録』(読売新聞社)の1990〜1995年版において「報道 評論 出版」分野に「世界戦略研究所代表・瀬戸弘幸」として掲載されたことを指す。 創価学会・公明党批判 [ ] 瀬戸は、2005年(平成17年)ごろからがの参拝に異議を唱えたこと ()や同政党の支持母体であるにおける名誉会長の独裁体制 を批判し、創価学会を反的なと見なして創価学会・公明の排除を唱えていた。 の改正の必要性を指摘し 、への優遇税制を撤廃すべきとした。 2006年末になると「池田大作が在日朝鮮人である」という説をしばしば取り上げるようになる。 2008年7月、瀬戸は「朝木明代謀殺事件の再究明」「創価学会による集団ストーカー の実態解明」の二本立ての批判活動を宣言した。 2008年11月、西村修平宅の2階ベランダに二夜連続してのような物体が放置される事件が起こった。 翌朝に物体を発見した西村から連絡を受けた瀬戸は直ちにの西村宅に急行、警察に通報して物体の分析を含む捜査を要請した。 瀬戸は物体を子細に調べ、人糞様の悪臭がない点やのが含有されている点などから、何者かがチューブなどを使って作成した精巧な偽糞であり人糞や動物の糞ではない、と推定した。 瀬戸は「卑劣な脅迫」「組織的な威嚇行為」と憤慨し「創価学会による脅迫の可能性が強い」として、物体を検査機関に持ち込んで調査した上で刑事告訴することを表明した。 なお、瀬戸は事件の実在を示すためブログに物体の写真を掲載して大きな反響を呼んだ が、西村宅と同様の被害(二階ベランダにカキの種子入りの糞状物体を繰り返し置かれる)は、秋になると首都圏を含む各地で頻発している。 以上の論議は瀬戸および西村の主張および著作の内容である。 著作 [ ] 著書 [ ]• 『使途不明金 政官界を揺るがす小針暦二「福交疑惑」』 「せと弘幸」名義、、• 『日米友好時代は終った』 世界戦略研究所編、展転社、• 『有田芳生の研究』、2016-0810。 『現代のカリスマ、桜井誠』、2016年11月9日。 脚注 [ ] []• 瀬戸弘幸 2016年3月3日. せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』. 2016年9月16日閲覧。 かつて「『環境と施設』に関わるニュースをお届け」するブログが開設されていた。 ・「私はなぜネット右翼を主張するのか!」(参照)• ・・・• 『新聞雑誌総かたろぐ』 2007年度版による• との関係は不明。 前任者は。 によると、1997年9月以後は所蔵がない。 匿名で書き込みができたが、は表示された。 国会図書館に所蔵なし。 国連総会での「先住民族の権利に関する宣言」に基づき、過去のアイヌ差別を反省し、先住民族としての分化・地位を尊重するというもの。 などを参照。 新党名は「日本第一党」 略称 「日本一」• URL無効• 例えば、従軍慰安婦については一切の強制性を否定し、「自称慰安婦という戦時売春婦達」と呼び()、「」の白紙撤回を求める運動に賛同し 、各国大使館に非難決議(など)の撤回を求める抗議行動を行った。 「日本人の二十一世紀へ向けた選択は西洋的〝覇道〟の道を行く国家の忠犬ハチ公として植民地支配に甘んじて行くのか、それとも、その道と決別し、東洋的〝王道〟への道を中国、朝鮮と共に進むのか、この二つではあるまいか。 ただし、瀬戸は2008年までブタクサとを混同していた()。 なお、生物学者の多くは「外来種タンポポが在来種タンポポを駆逐した」という説に否定的である 小川潔 『日本のタンポポとセイヨウタンポポ』 2001年 どうぶつ社。 ・『ネットが変える日本の政治』 251頁• 瀬戸弘幸 2010年3月14日. せと弘幸Blog『日本よ何処へ』. 2010年4月6日閲覧。 なお、このエントリーの一部で瀬戸がをしているという指摘がされ(・)、瀬戸は「剽窃したとされる部分と私の結論は異なるから、剽窃ではない」と反論した。 ただし、瀬戸らはの別働隊として公明党代表の落選運動を行い、結果的には民主党のの当選を援助した ・。 ・など• ただし、瀬戸は「いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」を「いかなる宗教団体も国から特権を受ける」意味だと解釈していた。 ・など。 の書き込みなどから情報を得た。 無名の一市民が、巨大組織により日常的に監視され、電磁波などによる遠隔攻撃を受ける、というもの。 ・・・。 ・・など。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] 瀬戸が開設したサイト [ ]• 公式ブログ• : 主に資料を掲載。 : 瀬戸が社主を務める日刊中央通信社のブログ。 政財界・教育界に関する記事を掲載する。 : 主として健康食品に関するブログ。 『新しい風を求めてNET連合』公式ブログ : 2009年9月9日に更新を終了。 ・に演説する瀬戸の画像がある。 : 瀬戸が主宰する「世界戦略研究所」のサイト 当初のサイト名は「」。 読者の議論を中心とする。 1997年ごろに開設。 2008年に閉鎖。 : 「『環境と施設』に関わるニュースをお届け」するブログ。 2008年に閉鎖。 : 2008年末以降に閉鎖。

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ひろゆきが結構いいこと言ってるのでまとめ

さ な だ ひろゆき

「 幸せになりたい」「 楽しく生きたい」それは誰もが求めてやまない願いでしょう。 しかし、その「幸せ」や「楽しい」の基準は誰が定めているのでしょうか? まわりと見比べて、「あの人は幸せそうだ」などと感じることはないでしょうか? ひろゆきさんの新著『』では、そんなまわりと比べる生き方について、「比較対象がないほうが、人は幸せなんじゃないか」と否定しています。 「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」といったインターネットの文化を築きあげたのち、現在はフランスで悠々自適な生活を送っているひろゆきさん。 「 レールを外れて幸せに生きるコツ」について書かれた同書より、努力を最小限にしてラクに生きる考え方について抜粋してお届けします。 ある大学でこんな授業があったという。 「 クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。 その壺に、彼は一つひとつ 岩を詰めた。 壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。 「 この壺は満杯か?」教室中の学生が「 はい」と答えた。 「 本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの 砂利を取り出した。 そしてその砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。 そしてもう一度聞いた。 「 この壺は満杯か?」学生は答えられない。 一人の生徒が「 たぶん違うだろう」と答えた。 教授は「 そうだ」と笑い、教壇の下から 砂の入ったバケツを取り出した。 それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。 「 この壺は満杯になったか?」 学生は声を揃えて、「 いや」と答えた。 教授は 水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。 彼は学生に最後の質問を投げかける。 「 僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」 一人の学生が手を挙げた。 「 どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」 「 それは違う」と教授は言った。 「重要なポイントはそこではないんだよ。 この例が私たちに示してくれる真実は、 大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」 君たちの人生にとって「 大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。 それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり…。 ここでいう「大きな岩」とは、 君たちにとって一番大事なものだ。 それを最初に壺の中に入れなさい。 さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。 もし君たちが小さな砂利や砂、つまり、自分にとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「 何か」に満たされたものになるだろう。 そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。 出典 『1%の努力』 さあ、どう感じただろう。 人生において何を優先させるかは、一度じっくりと考えておいたほうがいい。 「 自分にとっての『大きな岩』はなんだろう?」 つねにそれを問いかけてみよう。 優先することを決めて、そのとおりに動く。 「 優先順位」がこの話のキモである。 それこそが、毎日を幸せに生きるコツだと思うからだ。 僕にとっての大きな岩は、「 睡眠」だ。 遅刻しようが何をしようが、「 いま、寝たい」という気持ちを一番大事にしている。 後で怒られたら、土下座してでも謝る。 そのことは知人や友人、仕事相手にも、堂々と宣言している。 仕事なんてものは、僕にとって砂利や砂や水にすぎない。 それらを先に壺に入れてしまうと、どうしたって睡眠を削らなくてはいけない。 そんな人生は、死んでもイヤだ。 意外かもしれないが、大学はほぼフル単位で卒業した。 すべての授業に出ていたわけではない。 出なくても単位が取れる授業を選び、最短距離で卒業をしたと思っている。 卒業証書をもらうために大学に入ったので、出席した授業の単位を落とすことほど時間のムダはない。 だから出る以上は全部取る。 成績は悪かったが、卒業証書には成績は書かれないのでオッケーだった。 大学生活では、たくさんの時間が余った。 「 睡眠をとる」「 大学を卒業する」と、優先順位をハッキリさせたことで、僕の人生は開けていった。 それはなぜ起こるのか。 理由の1つは 情報が多いからだ。 「 この本は読んでおかないといけない」 「 英語と中国語が話せないと生きられない」 そうやって情報の刺激を受け続けると、優先順位の軸は揺らぐことだろう。 優先順位がハッキリせずに、できないことが増えていき、人生が不幸になっていく。 そこで、僕から「考え方の考え方」を1つ教えよう。 「 それは修復可能か?」 という判断軸だ。 もし修復が可能だったら、後回しにしてもいいというルールである。 前述の「大きな岩」の話と組み合わせるといいだろう。 僕の場合、寝不足で頭の冴えない状態は、他の方法で修復ができない。 寝ないとボーッとするのだから寝るしかない。 だから、睡眠を大事にする。 また、世の中の流れ的には、禁煙ムードだが、僕は僕の基準で タバコをやめない。 タバコの吸いすぎで真っ黒になった肺の写真を見たことがあるだろう。 しかし、禁煙して10年くらい経つとキレイになることはあまり知られていない。 肺だって細胞でできているので、10年もすれば全部入れ替わるのだ。 つまり、肺も修復可能だと認識しているのでタバコはやめないのだ。 そうやって不可逆的に戻らないものを優先させると後悔が減る。 「 勉強していなくて焦る」 「 物を買ってしまいそうになる」 そんな瞬間に、「 大きな岩はなんだろう?」「 それは修復可能か?」と自問自答することで乗り切れる。 7日後にテストがあるとする。 まずやることは、「どれだけの時間があればいい点数がとれるか」を俯瞰して考えることだ。 もし、1日あれば大丈夫なのであれば、前日だけ勉強するようにして、それまでは思い切り遊べばいい。 多少の罪悪感を持ちながら遊ぶことほど楽しいことはない。 もし、早くから手を付けるタイプなら、最初の1日にやればいいのだ。 とはいえ世の中、何がムダなのかは定義が難しい。 学校の勉強が一生役に立たず、マンガで読んだ知識が使えることも多い。 ただ、 後から手に入ったり修復が可能なものは、とりあえず ムダのほうに入れておけばいいだろう。 物を買うにしても、別に明日でも買えるのであれば、いま買わなくていい。 優先順位を決めるための思考法を持っておくと人生に有利だ。 優先順位を決めたら、次は ゴールだ。 ダラダラと大学生活を続けていた僕は、あることをきっかけに人生のゴールが決まってしまう。 それは、 郵便局の定期預金の話だった。 綴じ、 3%の利子が付く定期預金があったのだ。 「 5000万円の貯金があれば、何もしなくても毎年150万円が手に入る」 そうなれば、一生ダラダラと過ごせると考えた。 夢のような話に聞こえるかもしれないが、1980年代のチラシを見るともっとすごい。 当時、ワリシンやワリショーなどで知られた「割引金融債」では、6%の利子になるものだってあった。 100万円を預けるだけで、毎年6万円がもらえるのだ。 そんな時代だったら、貯金をしておけば、あとは何もしなくてもお金が入るようになるから、いったん就職して頑張って貯金しようと思えたかもしれない。 ということで、大学生のときに、 5000万円を貯めて利子で暮らそうと考えた。 学生時代なんて、ひと月6万円も使わない生活だったから、5000万円を貯めれば、いまと同じ生活が永遠にできると強く信じた。 「 じゃあ、5000万円を貯めるにはどうすればいいだろう?」 そんなことを考えるようになった。 人生のゴールが定まった瞬間だった。 「 自分はどこのゴールに向かっているか?」 ゴールがあると、なんとなくでも向かって行っている方向がハッキリする。 絵に描いた餅くらいのほうがちょうどいい。 あまりに具体的過ぎる目標よりは、漠然と「 こうなっていればいいな」という状態を想像してみる。 すると、なんとなくその方向に一つひとつの行動がつながっていくようになる。 「 5000万円に向けて、特許を取って一発当てる必要がある」 頭の片隅にそのことがあるのと、ないのでは、日々の過ごし方が変わってくるのだ。 しかし、いまとなっては銀行の利子は、0. 1%もない。 1億円を貯めたとしても、10万円。 10億円でやっと100万円。 当時の僕のような考え方になることは難しいかもしれない。 ただ、根本的には、「 お金を使わない生活をしながら、ワンチャン狙って生きる」ということに変わりはないだろう。 一般的なサラリーマンのロールモデルはこうだった。 退職までに5000万円を貯金して、退職金で5000万円をもらえて1億円があり、利子は10万円で、年金が少しもらえる。 そんな豊かな生活が1つのモデルだったが、それもいまや一部の勝ち組サラリーマンに限られる。 さっさと考え方を変えて、 自分のゴールと 自分がやりたくないことをハッキリさせて、毎日を楽しく暮らしたほうが手っ取り早いかもしれない。 結局、学生時代の起業仲間は、みんな普通に就職していった。 社長の僕だけが1人、会社に残った。 まわりに合わせるようなことはしなかった。 自分にとって大事なことは、自分で決めたのだ。 基準を下げて生きる.

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ひろゆき氏「バカなの?ねぇ、バカなの?」政府の緊急経済対策にあきれ

さ な だ ひろゆき

令和の時代がネットの時代になることは必至だが、その礎となる、平成のネット史の最重要人物と言っていいのが「ひろゆき」こと西村博之氏だろう。 『2ちゃんねる』と『ニコニコ動画』。 ネットのテキスト文化と動画文化が盛り上がるきっかけとなった2つのサービスは、ともにひろゆき氏の手によるものだ。 その先見の明を解説するまでもなく、この2つのサービスの名前をあげれば、ひろゆき氏が本質を瞬時に見抜き、卓越した知見によって生き抜いてきたことは自明だろう。 現在はフランスと、日本との2拠点生活をおくり、最近では『自分は自分、バカはバカ。 他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』(SBクリエイティブ)など、ビジネス書も上梓している。 そのひろゆき氏が、ITmedia ビジネスオンラインの単独インタビューに応じた。 インタビューの内容は、前編・中編・後編の3回に分けてお届けする。 ひろゆき氏のインタビューは多岐にわたった。 そのどれもが示唆に富んでいる。 前編となる今回は、ひろゆき氏の考える「天才の定義」や、会社員に向いている人の特徴などを聞いた。 インタビューは、平成が終わり、令和になった初日である5月1日に実施されたが、その日にふさわしい、過去を踏まえた上で、未来を的確に見据える内容だ。 ひろゆき(西村博之) 1976年、神奈川県生まれ。 東京都に移り、中央大学へと進学。 在学中に、アメリカのアーカンソー州に留学。 99年にインターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。 2005年に株式会社ニワンゴ取締役管理人に就任。 06年、「ニコニコ動画」を開始し、大きな反響を呼ぶ。 09年「2ちゃんねる」の譲渡を発表。 最近、本を連続で出版されていますね。 まぁ、優秀な人は僕のアドバイスなんて必要ないですし、もっといえば、本当の天才は、こういう本は読まないんじゃないですかね(笑)。 僕も読むタイプではないですし。 本当に何かが好きで成功する人って、周りが何と言おうとやっているんですよね。 「好きなものを見極めよう」と思っている時点で、実はもう向いていないんですよ。 ええ、例えば、優秀なプログラマーで、プログラムの資格を持っている人って、僕の周りにはほとんどいないんです。 システムエンジニア検定のような試験で出される問題の知識って、Googleで検索すれば5秒で出てくるので、実務上においてはそれを暗記しておく必要は全くないんですよね。

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