護衛艦 わかば。 帝国海軍の残照

海上自衛隊が使った唯一の旧海軍駆逐艦 護衛艦「わかば」の数奇な人生|ニフティニュース

護衛艦 わかば

太平洋戦争に敗戦した日本は、残っていた戦闘艦艇のほとんどをアメリカやソ連などに引き渡しましたが、そののち発足した海上自衛隊に旧日本海軍の駆逐艦が1隻だけ再就役しました。 どのような経緯で護衛艦に転身できたのでしょうか。 瀬戸内海で沈没した駆逐艦を戦後再利用 海上自衛隊は太平洋戦争後に発足し、旧日本海軍の文化や伝統の一部を継承している組織ですが、護衛艦についても一隻だけ旧日本海軍の中古を使ったことがあります。 それが、1950年代後半から1970年代初頭にかけて用いられた「わかば」です。 護衛艦「わかば」の前身は、旧日本海軍の駆逐艦「梨」です。 この艦は太平洋戦争中、大量に建造された松型駆逐艦のひとつで、艦の大きさは全長100m、基準排水量1350トン、満載排水量1580トン、主兵装として12. 7cm高角砲(高射砲)を単装と連装各1基計3門、4連装魚雷発射管1基、対潜水艦用の爆雷投射機2基、爆雷投下軌道(レール)2条などを装備していました。 「梨」は1945(昭和20)年3月15日に竣工したものの、太平洋戦争はすでに最終局面を迎えつつあり、もはや動かす燃料にも事欠く状況でした。 やがて終戦直前の7月28日、瀬戸内海にある山口県の平郡島沖合にて停泊中、「梨」はアメリカ海軍の艦載機による攻撃を受けて転覆沈没しました。 本来ならここで艦歴はピリオドを打ちます。 実際、沈没したのち除籍もされています。 しかし、「梨」の歴史の歯車は止まりませんでした。 沈没地点の水深が浅かったため、民間企業がくず鉄として「梨」を流用しようと、1954(昭和29)年に引き揚げたのです。 沈没艦の再使用 整備で苦労し国会でも追及 駆逐艦「梨」は沈没から約9年経っていましたが、状態は良好だったため、防衛庁(現在の防衛省)が引き取ることを表明、翌年の1955(昭和30)5月から広島県呉市の造船所で復旧工事を実施しました。 こうして1956(昭和31)年5月31日、警備艦(後に護衛艦に改称)「わかば」と命名されて、発足間もない海上自衛隊に再就役しました。 ただし「わかば」は、引き揚げ時の状態がよかったといえ約9年も海水に浸っていたので不具合が多く、蒸気タービンやボイラーなどの機関部は整備してもすさまじい雑音が消えることはなかったそうです。 また「わかば」として復旧させるにあたり、引き揚げた民間企業に対して、くず鉄としては高値である約9億円を支払いました。 これは2020年現在の価格に換算すると約18億6300万円です(日本銀行調査統計局「企業物価指数」を基に算出)。 またそれとは別に沈没地点の漁業協同組合に対して約160万円、こちらも現在の価格に換算すると約331万円(同)を、それぞれ税金から拠出し、そのことが国会で問題視されました。 しかも「わかば」として再就役した1956(昭和31)年当時、すでに戦後に設計建造された国産護衛艦が就役し始めており、さらなる新型護衛艦の建造も計画されるなかで、あえて沈没艦を再使用する意義も問われました。 新装備のテストベッドとして海自に貢献 それでも1957(昭和32)年には改装され、各種武装やレーダーなどを搭載、護衛艦としての本格運用が始まります。 1960(昭和35)年には海上自衛隊艦艇として唯一、アメリカ軍供与の遠距離目標の高度がわかる大型レーダー(高角測定レーダー)を装備し、海上自衛隊のレーダー運用能力の向上に貢献しました。 これ以降、新装備のテストベッドとなる実験艦的な任務が多くなり、1963(昭和38)年4月には護衛艦にまつわる各種の試験を担当する実用実験隊(当時)へ編入されて、各種テストに専念することになります。 こうして護衛艦「わかば」は再就役から約15年間、駆逐艦「梨」の艦歴よりも大幅に長く運用され、1971(昭和46)年3月31日に再除籍されました。 ちなみに真偽の程はわかりませんが、「わかば」は沈没艦を引き上げて再就役させたということで、幽霊騒ぎもあったそうです。 駆逐艦「梨」から自衛艦「わかば」への転身は、終戦直前の沈没がなければあり得なかったことです。 沈没は多数の犠牲を出した悲しいできごとですが、沈没しなかったほかの戦闘艦艇が、終戦後に賠償艦として他国に引き渡されて、〜艦によっては原爆実験などに用いられたことを鑑みると、引き揚げられて再び就役した「わかば」は強運だったのかもしれません。 【移動に関する感染対策】 ・感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える ・帰省や旅行はひかえめに 出張はやむを得ない場合に ・発症したときのため誰とどこで会ったかをメモにする ・地域の感染状況に注意する• 3 日常生活の各場面別の生活様式 【買い物】 ・通販も利用 ・1人または少人数ですいた時間に ・電子決済の利用 ・計画を立てて素早く済ます ・サンプルなど展示品への接触は控えめに ・レジに並ぶときは前後にスペース• 【公共交通機関の利用】 ・会話は控えめに ・混んでいる時間帯は避けて ・徒歩や自転車利用も併用する• 【食事】 ・持ち帰りや出前 デリバリーも ・屋外空間で気持ちよく ・大皿は避けて料理は個々に ・対面ではなく横並びで座ろう ・料理に集中 おしゃべりは控えめに ・お酌 グラスやお猪口の回し飲みは避けて• 【娯楽 スポーツ等】 ・公園はすいた時間や場所を選ぶ ・筋トレやヨガは自宅で動画を活用 ・ジョギングは少人数で ・すれ違うときは距離をとるマナー ・予約制を利用してゆったりと ・狭い部屋での長居は無用 ・歌や応援は十分な距離かオンライン• 【冠婚葬祭などの親族行事】 ・多人数での会食は避けて ・発熱やかぜの症状がある場合は参加しない.

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護衛艦 わかば

護衛艦の幽霊 護衛艦の幽霊 私が、海上自衛隊で最期に乗艦した護衛艦がSだった。 Sは1988年に施行した護衛艦なので、とかく古い艦だった。 然るに、所謂「心霊話」が豊富だった。 曰く、艦橋上部に旧海軍士官が立っているのを見た。 曰く、艦橋上部に繋がるタラップ 梯子 の隙間に病死した司令の顔を見た。 曰く、見張り中に肩を叩かれて、振り返ると誰もいなかった、等といった具合である。 「鉄道員」で好評を博した浅田次郎氏が「自衛官は肉体を信奉しており、そういった幽霊等、およそ肉体的とは言い切れない得体の知れないものに対して畏怖をする傾向にある」と述べているのには納得した次第である。 あの話を聞いたのは、確か7月だったと記憶している。 その日、護衛艦Sは射撃訓練の為、予め指定された海域に向っていた。 当時、Sは海士が不足しており、三等海曹と言えども見張りに回される事が多かった。 私も御他聞に漏れず見張りだった。 見張りは、通常航海直で2時間、艦内哨戒第三配備が令されると3時間、立ちっぱなしで備え付けの望遠鏡を覗き込まなければならない。 日中は訓練等で気が紛れるが、深夜直では2〜3時間の仮眠しか取れないこともざらで、眼鏡の接地部に顔を預けて熟睡する二等海士が後を絶たなかった。 その日、私は2345〜0245の直に着いていた。 この時間帯の直は、睡眠時間が余り取れず、嫌われていた直であった。 私は幾度かの危ない瞬間を乗り越え、何とか寝ずに見張りの任務を全うしていた。 やがて時間が経ち、交代の人間が艦橋に上がってきた。 私と交代するのはY海曹という古い兵隊だった。 測的目標等の申し継ぎを終え、解散を命ぜられた私は、どうにも目が覚めてしまい、仕方が無くY海曹と煙草を呑みつつ他愛も無いことを喋っていた。 そして、「心霊話」へと話題が移り、その話を聞いてしまった。 20年前、横須賀にNと言う護衛艦が寄港した。 入港後、直ぐに上陸が許可され、銘々が飲み屋へと繰り出したと言う。 Aと言う海曹も、仲間と連れ立って夜の街に繰り出した。 帰艦時間が近づき、帰路に着いたAの目の前で交通事故が発生した。 若い女が車に轢かれたのだ。 発生直後、Aは女性の死体に何かしたという それは何かとY海曹も当時の先輩に聞いたそうだが、教えてもらえなかったそうだ。 兎も角常識では考えられない行動だったそうだ。 それを仲間が諌め、艦へ引っ張って帰っていった。 艦に着き、陸上に架けられているタラップを千鳥足で歩くA。 その時、舷門 停泊中の当番の立直場所 の当番は、Aの背後にぴったりと寄り添う女の姿を見たそうだ。 勿論異常なので、当番はAを呼び止め、問いただそうとしたが、既に女の姿は無かった。 Aは因縁をつけるな、と当番にビンタを張ったそうだ。 そしてNは横須賀から出港した。 その航海中、N艦内では女の幽霊が多発した。 一番最初に遭遇したのはAである。 Aが睡眠中、ベッドのカーテンがひとりでに開いたそうだ。 赤灯の薄明かりの中、目を凝らすと女が覗き込んでいた。 ベッドの淵に手を架け、無表情で覗き込んでいたらしい。 因みにAのベッドは三段の内の床から30センチも無い高さの一番下であった。 また、機関科であるAの友人が、深夜の見回りで主機室を点検した際、隅の方に女が立っていたそうだ。 無表情で、口を大きく開け、虚空を見つめながら何かを叫んでいたそうだが、エンジンの騒音で叫び声は聞こえなかったようだ。 それから、別の港に入港後、Aは失踪し、異常を感じたある幹部が関係者に事情聴取し、事が発覚。 すぐさまNの名と同じ島の神主を呼んでお払いをしてもらい、それ以降女の幽霊が出ることは無かったそうだ。 「只、今でもその女は成仏してないらしく、自衛官を見ると執着して憑くらしいぜ」 と、一番聞きたくなかったオチをつけられた私は、結局ベッドにつくことがなかなか出来なかった。 奇しくも、そのとき私のベッドは一番下だったのだ。 Good カテゴリ: 戻る HOME.

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護衛艦の幽霊

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駆逐艦 梨 [ ] 梨 基本情報 建造所 運用者 艦種 級名 (基本計画番号F55B) 艦歴 計画 1942年戦時建造補充()追加計画 起工 進水 竣工 1945年 最期 1945年沈没 除籍 1945年 その後 浮揚、改装の後海上自衛隊警備艦として再就役 要目 1,350 1,580トン 100. 0 最大幅 9. 35m 3. 8 370t 航続距離 18ktで3,500 乗員 211名 兵装• 八九式 12. 八九式 12. 二式爆雷 36発• 1基 艦歴 [ ] 駆逐艦「梨」 なし は橘型の10番艦(仮称4810号艦)として、で(昭和19年)に起工。 同年、駆逐艦(、、 梨、、)や海防艦「」等に艦名が与えられる。 同日附で各艦(柿、樺、梨、椎、榎)はに類別。 日本海軍は「松型」「橘型」を区別しておらず、艦艇類別等級上は全隻『松型駆逐艦』である。 日本海軍の艦名としては「」に続いて2代目。 (昭和20年)、進水。 2月9日、神戸川崎造船所内に設置された梨艤装員事務所は、事務を開始。 2月15日、フィリピン方面で沈没した4番艦「」より生還した中尉が、梨艤装員に補職される。 2月20日、日本海軍は11番艦「」水雷長 、3番艦「」水雷長 、1番艦「」水雷長(昭和17年5月〜昭和18年5月8日沈没時) 、2番艦「」水雷長(昭和18年7月〜沈没時) 等を歴任した少佐を、梨艤装員長に任命する。 本艦は同年3月15日に竣工した。 呉鎮守府籍。 梨艤装員事務所は撤去され 、高田少佐(艤装員長)は正式に梨駆逐艦長となる。 主要幹部は、航海長中尉、砲術長大尉、水雷長大尉。 竣工(1945年(昭和20年)3月15日)をもって(司令官少将。 旗艦「」)に配属され、東方及び南方のにおいて訓練に従事した。 燃料事情が悪化しているため、訓練航海は月に数回しか行われず、それも殆どは呉より日帰りの短期のものであった。 乗組員の練度も不充分だった。 同年3月に発動されたへの参加が予定されていたものの中止され、同年4月初頭には柳井市南方の泊地に移動し、主に停泊訓練を行った。 同年、駆逐艦2隻(梨、萩)は第十一水雷戦隊・所属の 第52駆逐隊に編入。 第52駆逐隊は松型駆逐艦6隻(、、、、 梨、)編制となった。 第52駆逐隊司令大佐(3月10日まで3番艦「」艦長)は 、陽炎型1番艦「陽炎」と同日・同場所で沈んだ陽炎型3番艦「」沈没時の駆逐艦長 である(高田梨駆逐艦長は、陽炎沈没時の水雷長)。 第三十一戦隊旗艦の13番艦「」艦長中佐 は、陽炎・黒潮と同日・同場所で沈んだ陽炎型4番艦「」沈没時艦長である。 5月25日附で、「」の所属艦となる。 その後も等の対空戦闘に従事した。 7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将から少将へ交代。 同月初頭には呉にて改装工事を受け、「回天」の搭載・運用能力が追加されている。 以後「回天」基地の所在する山口県に移動し、同年7月中はでの回天の各種訓練に従事した。 折からの燃料不足により第52駆逐隊には充分な燃料の割り当てがなく、「梨」と「萩」以外の艦は海岸近くに偽装した上で係留されていた。 同年、第十一水雷戦隊は解隊。 同日附で、前月の空襲で損傷した「」が第52駆逐隊から除かれ 、損傷した他隊の駆逐艦と共に特殊警備駆逐艦に指定。 代艦として、松型駆逐艦「」を編入する。 には瀬戸内海西部の山口県(へいぐん-とう)沖に移動、第52駆逐隊の他の駆逐艦と合流し、4隻合同訓練を行った。 、平郡島北岸沖において停泊中、アメリカ空母機動部隊艦載機の空襲を受ける。 早朝から午後にかけてによる複数回の攻撃を受け、艦の各所にを被弾 、このうち午後の艦後部弾薬庫へ命中した1発により大きな損傷を受け、浸水により傾斜が増大、総員退艦が発令された後、午後2時に転覆沈没した。 確認された戦死者は38名 、行方不明者を含む犠牲者は60名以上であった。 生存者155名は僚艦「萩」と地元漁民に救助され、「萩」にて翌日に呉に帰還した。 梨航海長大尉は附で姉妹艦「」航海長へ転任 、同艦航海長としてを迎えた。 梨駆逐艦長少佐は8月10日附で第42突撃隊特攻長に任命され 、8月15日を迎えた。 1945年(昭和20年)除籍。 尚、平郡島では毎年7月に慰霊祭が行われている。 (昭和62年)には「梨」の沈没地点を望む海岸に慰霊碑が建立され、除幕式が行われた。 艤装員長• 高田敏夫 少佐:1945年2月20日 - 1945年3月15日 駆逐艦長• 高田敏夫 少佐:1945年3月15日 - 1945年8月10日 諸元 [ ]• 基準排水量 1,350t• 左記を別の角度より撮影。 年表 [ ]• (昭和19年) - 川崎重工業神戸艦船工場にて起工• 同年 - 命名。 松型駆逐艦に類別。 (昭和20年) - 竣工 同日付でに編入• 同年 - 第52駆逐隊に編入。 の所属となる• 同年- - にて「回天」搭載能力付与のための改装を実施• 同年 - 第52駆逐隊司令が乗艦し、以後隊司令駆逐艦(駆逐隊旗艦)となる• 同年 - 山口県沖のでアメリカ海軍機の攻撃を受けて沈没• 同年 - 除籍 護衛艦 わかば [ ] わかば 基本情報 建造所 (修復工事) 運用者 艦種 級名 わかば型警備艦 艦歴 進水 (浮揚作業完了) 竣工 (修復工事開始) 就役 (再就役) 最期 5月、古沢鋼材に売却 除籍 要目 1,250 1,560トン 100. 0 最大幅 9. 35m 深さ 5. 8m 3. 28m(兵装搭載前は3. 5 395t 航続距離 16ktで4,680 乗員 175名 兵装• 対空 2次• 34 射撃用 2次• US SO 水上 2次• SPS-5B 水上 2次• ()高角測定 3次新設、6次撤去• 捜索用 3次• (昭和29年)に廃鉄鋼材(スクラップ)としての利用を目的に浮揚された。 10年近く海中にあったものの、調査の結果状態は良好であったため、北星船舶は(当時)に売り込みをかけた。 同庁では引き揚げた業者より購入して再就役させる計画を立て、改修費約3億4500万円と引揚分の費用をかけて修理改装。 (昭和31年)5月31日、警備艦「わかば」として海上自衛隊に編入。 1958年(昭和33年)には改めて兵装を装備した上で乙型警備艦「わかば DE-261 」として再就役した。 このため、「梨」(「わかば」)は海上自衛隊に在籍した唯一の日本海軍の戦闘艦艇となる。 なお、艦名が変更されたのは、梨(なし)をひらがなで表記した際の誤解 を避けるものとされている。 「わかば」の名を受け継いだ日本の艦艇としては、「」、3番艦「」に次いで3代目となる。 艦歴 [ ] 「わかば」は浮揚した「梨」の船体の損傷部を修理し、艦橋を型に準じたものとして新造している。 なお、「梨」時代の兵装は全て撤去された。 主に横須賀に配備され、当初は無兵装で任務に就いたが、その後、他の海上自衛隊警備艦と同様のアメリカ式武装と電子兵装を搭載する再改装が施されて乙型警備艦(DE)として再就役した。 後には実験艦としての役割が与えられ、海自艦艇で唯一 ()高角測定レーダーを装備するなど、いわゆる的な内容の艦となった。 同型艦がないため、運用には苦労したという。 (昭和37年)8月の噴火の際には避難民の輸送に活躍した。 (昭和43年)4月、実用実験隊に編入され、やなど新兵器の試験任務に従事した。 にはで訓練中に小型タンカーと接触する事故を起こしている。 (昭和46年)に除籍。 の古沢鋼材に払い下げられ、解体された。 諸元 [ ]• 基準排水量 1,250t• 武装 、連装魚雷発射管、・爆雷投射器・爆雷投下軌条など• 試験艦として改装が多岐にわたるため、武装は一定しない エピソード [ ] 本艦の復旧にあたっては、民間企業である北星船舶工業に一度払い下げられていたものを、漁協への権利放棄(約160万円)と国の高取値(約9億円)等の経緯が国会の議場でも批判された。 また、状態は良好とされたものの、長期間海中に浸かっていた機関部は念入りにレストアされたにもかかわらず就役後もすさまじい雑音を発したと伝えられる。 さらに引き揚げた時点で国産護衛艦の建造・就役が開始されていた。 著『海軍食グルメ物語』によると、わかばの補給長は「梨」の主計兵であったという。 「梨」の旧乗組員は優先的にわかばに配置されたようであるが、同じ艦なので主機等の習熟訓練他を考えると合理的でもある。 また、わかばでは何度か幽霊騒ぎがあったと言う。 わかばから撤去された対空レーダーは練習艦「」に流用された。 尚、「梨」より修理改装の際に外された前部とは、のにて展示保存されており、現存している。 年表 [ ]• (昭和29年) - 北星船舶工業により旧帝国海軍駆逐艦「梨」を沈没地点より浮揚• (昭和30年) - 防衛庁(当時)により購入され海上自衛隊に編入• 同年 - 警備艦「わかば」と命名• 同年 - 呉造船において修復工事を開始• (昭和31年) - 修復工事完了。 海上自衛隊の警備艦として就役、第11護衛隊に編入• (昭和32年) - 横須賀地方隊直轄艦となる• 同年 - 訓令の一部改正により艦種記号と艦番号が付与され「DE-261」となる• 同年 - にて第2次改装が行われ、兵装や電子装置が装備された• (昭和33年) - 第2次改装を完了し再就役• - に直轄艦として編入• (昭和35年) - 第6護衛隊に編入• 同年- - 浦賀船渠にて第3次改装が行われ、SPS-8B高角測定が装備された• 同年 - 艦種分類改訂に伴い艦種を警備艦から護衛艦に改めた。 同年 - 新編により、第6護衛隊が同群に編成替え• (昭和36年) - 横須賀地方隊に直轄艦として編入• (昭和37年)- - 浦賀船渠にて第4次改装が行われ、国産の新型ソナー(試作品)が装備された• 同年 - 昭和第2次噴火に際し島民の避難輸送に従事• (昭和38年)- - 浦賀船渠にて第5次改装が行われ、試験用の533mm連装が装備された• 同年 - 実用実験隊に編入• (昭和42年) - 浦賀船渠にて高角測定レーダーの撤去が行なわれる• (昭和45年) - にて小型タンカー「第3長和丸」と接触し損傷• 同年9月-10月 - 住友重機械工業浦賀工場にて3インチ連装砲の撤去が行われる• (昭和46年) - 除籍 参考文献・資料 [ ]• 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)• 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社NF文庫、1993年。 指揮官の決断 太平洋戦争時、駆逐艦水雷長、陽炎水雷長《沈没時》、軽巡水雷長《沈没時》、駆逐艦 梨艦長《沈没時》等• 『 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)• フォト・ドキュメント「「梨」から「わかば」へ 改丁型駆逐艦の再生」 海人社『』2007年4月号 No. 672 p45〜p49• 『日本の海軍力』朝日ソノラマ、1989年5月。 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 『 歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦 簡易設計ながら生存性に秀でた戦時急造艦の奮戦』(、2003年) 岡田幸和「改丁型駆逐艦「梨」、護衛艦「わかば」に変身」 p138〜p146 COLOR PHOTO「改丁型「梨」搭載の単装高角砲と発射管」 p111〜p118• :駆逐艦「梨」の航海長を務めた(日本帝國海軍大尉、のち海上自衛隊海将)による• (防衛省防衛研究所)• Ref. C12070498100。 Ref. C12070498200。 『昭和19年10月1日~昭和19年11月15日 捷号作戦戦時日誌 7 軍艦能代・軍艦妙高』。 Ref. C08030038600。 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 4 』。 Ref. C08030127700。 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 5 』。 Ref. C08030127800。 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 6 』。 Ref. C08030127900。 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 7 』。 Ref. C08030128000。 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 8 』。 Ref. C08030128100。 脚注 [ ]• 「」 Ref. 「」 Ref. C13072103500• C13072080800• C13072085400• 「」 Ref. C13072092100• 「」 Ref. C13072102000• 13『二. 人員ノ現状』• C13072103500• 56-57『護衛艦に生まれ変った梨』• 「」 Ref. 「」 Ref. C13072103900• 455-456頁『瀬戸内での対空戦闘』• C12070505100 『内令第四四七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和二十年五月二十日 海軍大臣|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月、」ノ下ニ「宵月、」ヲ加フ 第四十三驅逐隊ノ項中「榧、」ノ下ニ「椎、」ヲ加フ 第五十二驅逐隊ノ項中「楓、」ノ下ニ「梨、萩、」ヲ加フ』• 34『備考 略 二十日附宵月41dg 椎43dg 梨萩52dgニ夫々編入』• 34『備考 五月二十日ヨリノ軍隊區分 』• 「」 Ref. C13072103800• 「」 Ref. C13072091400• 452-453頁• 「」 Ref. C13072102800• 「」 Ref. C13072091300• 457頁• 「」 Ref. C13072106100• 25『司令官 少将 松本毅 十日着任』• 34『一五 将旗ヲ徹ス』• 「」 Ref. C13072106400• C12070505800 『内令第六四一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和二十年七月十五日 海軍大臣|第五十二驅逐隊ノ項中「楡」ヲ「樺」ニ改ム 第五十三驅逐隊ノ項ヲ削ル』• 「」 Ref. 457-458頁• これによる損害が原因で沈没したため、「梨」は「でもでもなく戦闘機により撃沈された駆逐艦」という珍しい記録を持つこととなった。 同様の記録を持つ駆逐艦には、「梨」の他に、1941年、ウェーク島攻略の際に戦闘機の攻撃でないしの誘爆により沈没した、駆逐艦「」が存在する。 459頁• 「」 Ref. C13072106900• C13072106900• 52『駆逐艦 丁型 一覧表』-『梨』• ただし、特務艇などの再利用は他にも存在する• 「存在していない」という意味での「なし」と誤読される危険があるため• 関連項目 [ ]• - が運用していた。 大戦を生き延びたを改装したものである。 - 海上自衛隊が所管する帝国海軍の戦艦。 自衛隊の発足前にとなっていたため運用実績は無い。

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