プラトーン。 映画『プラトーン』の魅力を、あらすじからネタバレまで徹底解説

映画『プラトーン』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

プラトーン

ベトナム帰還兵でもあるオリヴァー・ストーン監督がリアルな戦争の真実を描く。 今見ても絶対後悔しない。 『』と並んで戦争映画の双璧をなす映画。 製作年を見て、そんなに前の作品か、と逆にびっくりするほど。 古さは全然感じない。 ストーリー展開を今あらためて見てみると、本当に戦争映画の"鉄則"を作り上げた作品だと思う。 戦争スペクタクルとしての戦闘シーン、上官と兵卒との関係、隊内の人間関係…。 『プラトーン』は戦争映画の原点だろう。 また、プラトーンで描かれる民間人の虐殺・レイプ、部隊内での殺人やはびこる麻薬…ベトナム戦争の暗部を描いて、それまでの戦争映画とは違うリアリティーをプラトーンは観客に提示した。 プラトーンはアメリカ国内で『地獄の黙示録』に続く第2次ベトナム戦争ブームを巻き起こすことになる。 これは戦争映画ではなく、サスペンスだが、戦地から帰還した兵士の悲哀と病んだ心を巧みに描きだしている。 『解説とレビュー』では以下を検証していきます。 1,分かりやすい"善・悪"="エイリアスとバーンズ"に託された意味 2,主人公クリス・テイラーの最後の選択 3,バーンズだけが"狂気"の人だったのか? そこに捧げられたテディー・ベア. 後ろには戦争終結年1975年の数字が見える. この記念碑にはベトナムで戦い,命を落とした兵士たちの名前が全て彫ってある. 初めて見た者はその長さに驚く. 全体写真は下部参照. クリス・テイラーは大学を中退してベトナム戦争に志願して戦地にやってきた。 しかし、その現実は自分の想像をはるかに超える過酷なものであった。 深いジャングル、湿度が高く、暑い熱帯気候は容赦なく体力を奪い、士気を低下させる。 さらにジャングルは敵の姿を消し、夜には深い闇となる。 カンボジア国境付近のアメリカ陸軍第25歩兵師団に配属された彼は散発的な戦闘を繰り返しながらジャングルを進軍していくことになる。 彼らの敵は北ベトナム軍だけではなかった。 小隊内は小隊長バーンズと班長のエイリアスが対立し、ただならぬ雰囲気であったのだ。 バーンズとエイリアスはことごとく対立し、小隊内は二派に分断されていたのだった。 全長75m,高さ3m. 黒い壁はベトナム戦争戦没者約6万名の名前で埋めつくされている. 年間約300万名が訪れる. 【ベトナム戦争ってなに? 】 現在のベトナムは「ベトナム社会主義共和国」という1つの国です。 しかし、1976年までは南と北の2つに分かれて戦争をしていました。 それがベトナム戦争です。 当時は冷戦の真っただ中で、資本主義VS. 共産主義の対立が激しかったことも頭に入れておいてください。 つまり、アメリカVS. ソ連の対立です。 ホー・チ・ミンが建国した社会主義のベトナム民主共和国 北ベトナム。 これを認めないアメリカを始めとした資本主義国がベトナム南部にベトナム共和国 南ベトナム を作りました。 そして、南ベトナム政府をアメリカを中心とした資本主義陣営が支援し、北ベトナムをソ連・中国を中心とする共産主義陣営が支援しました。 結果、1960年前後から1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落するまで戦争が続きました。 アメリカ軍は1956年ごろから小規模に関与。 1961年に当時のケネディ大統領が軍事顧問団を派遣。 1962年までには本格的な増派がされました。 その後、犠牲の大きさからベトナム反戦運動が活発化。 ニクソン大統領はベトナムからの"名誉ある撤退"を掲げ、パリ協定 和平協定 の調印にこぎつけます。 1973年に撤兵が完了。 約11年、戦争に本格的に参加していたわけです。 その後も、1975年のサイゴン陥落・南ベトナム敗戦までサイゴンに軍事顧問団を駐留させて南ベトナム政府を支援していました。 アメリカは結局、約5万8000名の戦死者を出しました。 これは派兵された数の約1割強の人数です。 ベトナム側は南北を合わせて100万から300万人の人が死亡したといわれています。 現在も枯葉剤や神経ガスで苦しむ人が多くおり、数え方によってばらつきがあります。 正確な人数は分かっていません。 班長エイリアスはこの映画の良心であり善の象徴だし、クリス・テイラーはアメリカ国民又は観客、小隊長のバーンズは悪の象徴です。 あえていうと、交戦している北ベトナム軍もバーンズと同じ側かもしれませんが、プラトーンは敵を外に求めず、アメリカ軍の内部に置いているところが特徴的なのです。 単純な構図化された戦争映画、といってしまえばそれまでですが、この映画はこのシンプルな構図を通して、ベトナム戦争という場を大胆に描き出すことに成功しました。 プラトーンを観る者は、新兵のクリスの変貌を通して、ベトナム戦争の空気を実に新鮮に、生々しく感じ取ることになります。 主人公のクリス・テイラーは血気盛んな若者です。 大学生である彼は本来、徴兵が猶予され、ベトナム戦争に来ることはない階層の人間。 それなのに自ら戦争に行きたいと志願して戦地にやってきました。 クリスを後押しするのは無知と無知から来る勇気でした。 当時、ベトナム反戦運動のなかには、戦場の実態を知る負傷軍人による反戦活動がありました。 しかし、彼らの反戦運動は戦場の仲間を裏切るものであるかのように世間に捉えられてしまいました。 結局、彼らの反戦運動は非常に冷ややかに世間に受け止められていたのです。 ベトナム戦争の苦しい状況を憂う声はアメリカ国民に十分には届きませんでした。 クリスは戦地の現状を何も知らずに安全な場所から戦争賛成を主張するアメリカ国民または、ベトナム戦争の米軍派遣を傍観しているアメリカ国民を指しているのです。 現在,一党独裁体制を敷いている. 経済政策は中国を模倣し,市場経済推進の立場をとる. そして、バーンズはベトナム戦争の暗部を代表しています。 バーンズのベトナム村民虐殺や、エイリアス殺害は戦地の兵士の追い詰められた精神の激昂状態の象徴的表現。 そして、バーンズその人は、そういった行為に及んでしまう兵士の苦悩の姿でもあります。 さらに、エイリアス。 彼は善の象徴です。 レイプしようとする仲間の小隊兵士を止め、バーンズの村民虐殺を止めさせ、バーンズの卑劣な行為を軍法会議にかけてやると告発の意思を示します。 彼はプラトーンのベトナム戦争で、一筋の光明を示している存在でした。 しかし、エイリアスは射殺されてしまいます。 撃ったのはバーンズ。 北ベトナム軍の進攻状況を斥候に出た先で、バーンズはエイリアスを狙い撃ちしたのです。 このとき殺されたかと思ったエイリアスが、ヘリコプターを追いかけてジャングルから走り出してきます。 力尽きて地面に膝をつく。 両手を大きくかかげ、何かを仰ぐように視線を上に向けたエイリアス。 そして、最期の瞬間。 絶叫しつつ、顔を上に向け、両手を高く突き上げたまま崩れ落ちていく。 彼は何を見ていたのか。 もちろん、飛び立っていく味方のヘリコプターを見ていた、というのもあるでしょうが、あのように両手を大きく掲げる行為は無意識に神を意識しています。 エイリアスは最期に、天を仰いで死んでいきました。 善が悪に負けたのです。 このとき、正義は死んだ。 この戦争にはもはや救いがないことをエイリアスの死は暗示しています。 神すら見放した地、それがベトナム。 もはや、何があろうが、この先は暗黒しかありません。 戦意に溢れてベトナムにやってきた新兵のクリスは次第に変わっていきます。 想像とは全然違ったベトナム戦争。 勇敢に戦い、英雄としてアメリカに帰還するはずが、今は、生き残ることに必死にならざるを得ない毎日。 もう、戦功をたてる気持ちなどは吹っ飛んでしまっています。 そして、エイリアスの死。 彼の死はクリスを大きく変えることになります。 エイリアスの存在はクリスのいる小隊に一つのラインを引いていました。 それは、決して超えてはならないライン。 しかし、彼が殺された今、その境界線はもはや曖昧なものになりつつあります。 クリスはバーンズに明確な殺意を抱くようになっていました。 確かにバーンズは卑劣な男です。 しかし、バーンズの上官は事実に薄々気が付いていたとしても、バーンズを処分して、自分の経歴に汚点をつけるようなことはしないでしょう。 また、エイリアスをバーンズが殺したことを告発して立証することは不可能に近いことです。 しかし、ここで、バーンズを殺してしまっては、クリスはバーンズと同じ、ラインの向こう側に落ちることになります。 "WE WILL REMEMBER VIETNAM",1975年5月7日と記されている. アメリカ各地に慰霊碑があることからも, ベトナム戦争の社会に与えた影響の大きさをうかがい知ることができる もちろん、プラトーン、ここは映画です。 バーンズをクリスが殺しても観客が納得できるようにいろいろと準備がしてあります。 クリスが殺人という手段以外に取りうる全ての可能性は断たれています。 しかも、クリスに殺される前のバーンズは北ベトナム軍の攻撃で瀕死の状態です。 放っておいても死んだでしょう。 しかし、バーンズがどんな男であれ、死にかかっていたとはいえ、それでも、クリスは彼の命をその手で断ちました。 この事実は重いものです。 愛国心と正義感に燃えてはるばるアメリカからやってきた青年が行きついたさきの地。 それは、ベトナムという名の"地獄"でした。 彼は、バーンズを殺したことで超えてはならない一線を越え、真実、地獄に落ちたのです。 でも、それにクリスは「気がつかない」でしょう。 エイリアスを殺害したバーンズをクリスが殺したことはクリスのなかで正当化されているからです。 そして、その論理がおかしいことにはクリスは一生気がつかない。 いえ、クリスはこれからの人生を、そのおかしさに「気がつかないよう努力し続ける」ことに費やす、という方が正確かもしれません。 クリスがバーンズを「殺した」ということに自覚的になれば、クリスは一生その罪を負って生きなくてはならないからです。 そうならないためには、この殺人をどこまでも正当化しなくてはならない。 クリスにとってはどちらを取ってもいばらの道なのです。 ベトナムに限らず、狂気のない戦争なんてあるのでしょうか。 戦争が起きる理由、戦争をしなくてはならない理由、戦争をすることが今の国際情勢下でもっとも適切であること、いろいろな理由を付けて説明することはできます。 それについて語れと言われれば、あらゆる理由を列挙して戦争の正当性を雄弁に語ることができるでしょう。 しかし、どんな戦争であれ、人類の戦争の歴史においてただ一つ変わらないこと。 それは、戦争という場においては、人の死を「数」でカウントすることが許されるということ。 どんな人でも、どんな死に方であれ、戦争では「1」とカウントされます。 命の重さは相対的に軽くなります。 明日死ぬか、今日死ぬか。 生死の境が曖昧な「戦争」という場所では、人をひとり殺すということに、それほどの気力は必要ではなくなっています。 そのような状況下においては誰だって、バーンズになれるし、クリスになれるでしょう。 戦争というもの、人が殺し合うということ、それが好ましくないと分かっていながら、ある状況下では、人類はそれはやむをえない手段だと許容するもの。 いつか戦争はなくなるのでしょうか、それとも必要悪なのでしょうか。 少なくとも、映画プラトーンでは戦争に対するメッセージは明らかです。 プラトーンで善は死にました。 絶対的正義の代弁者だったエイリアスが死んだとき、プラトーンのベトナム戦争から、神は消えたのです。

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プラトーンのレビュー・感想・評価

プラトーン

ベトナム帰還兵でもあるオリヴァー・ストーン監督がリアルな戦争の真実を描く。 今見ても絶対後悔しない。 『』と並んで戦争映画の双璧をなす映画。 製作年を見て、そんなに前の作品か、と逆にびっくりするほど。 古さは全然感じない。 ストーリー展開を今あらためて見てみると、本当に戦争映画の"鉄則"を作り上げた作品だと思う。 戦争スペクタクルとしての戦闘シーン、上官と兵卒との関係、隊内の人間関係…。 『プラトーン』は戦争映画の原点だろう。 また、プラトーンで描かれる民間人の虐殺・レイプ、部隊内での殺人やはびこる麻薬…ベトナム戦争の暗部を描いて、それまでの戦争映画とは違うリアリティーをプラトーンは観客に提示した。 プラトーンはアメリカ国内で『地獄の黙示録』に続く第2次ベトナム戦争ブームを巻き起こすことになる。 これは戦争映画ではなく、サスペンスだが、戦地から帰還した兵士の悲哀と病んだ心を巧みに描きだしている。 『解説とレビュー』では以下を検証していきます。 1,分かりやすい"善・悪"="エイリアスとバーンズ"に託された意味 2,主人公クリス・テイラーの最後の選択 3,バーンズだけが"狂気"の人だったのか? そこに捧げられたテディー・ベア. 後ろには戦争終結年1975年の数字が見える. この記念碑にはベトナムで戦い,命を落とした兵士たちの名前が全て彫ってある. 初めて見た者はその長さに驚く. 全体写真は下部参照. クリス・テイラーは大学を中退してベトナム戦争に志願して戦地にやってきた。 しかし、その現実は自分の想像をはるかに超える過酷なものであった。 深いジャングル、湿度が高く、暑い熱帯気候は容赦なく体力を奪い、士気を低下させる。 さらにジャングルは敵の姿を消し、夜には深い闇となる。 カンボジア国境付近のアメリカ陸軍第25歩兵師団に配属された彼は散発的な戦闘を繰り返しながらジャングルを進軍していくことになる。 彼らの敵は北ベトナム軍だけではなかった。 小隊内は小隊長バーンズと班長のエイリアスが対立し、ただならぬ雰囲気であったのだ。 バーンズとエイリアスはことごとく対立し、小隊内は二派に分断されていたのだった。 全長75m,高さ3m. 黒い壁はベトナム戦争戦没者約6万名の名前で埋めつくされている. 年間約300万名が訪れる. 【ベトナム戦争ってなに? 】 現在のベトナムは「ベトナム社会主義共和国」という1つの国です。 しかし、1976年までは南と北の2つに分かれて戦争をしていました。 それがベトナム戦争です。 当時は冷戦の真っただ中で、資本主義VS. 共産主義の対立が激しかったことも頭に入れておいてください。 つまり、アメリカVS. ソ連の対立です。 ホー・チ・ミンが建国した社会主義のベトナム民主共和国 北ベトナム。 これを認めないアメリカを始めとした資本主義国がベトナム南部にベトナム共和国 南ベトナム を作りました。 そして、南ベトナム政府をアメリカを中心とした資本主義陣営が支援し、北ベトナムをソ連・中国を中心とする共産主義陣営が支援しました。 結果、1960年前後から1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落するまで戦争が続きました。 アメリカ軍は1956年ごろから小規模に関与。 1961年に当時のケネディ大統領が軍事顧問団を派遣。 1962年までには本格的な増派がされました。 その後、犠牲の大きさからベトナム反戦運動が活発化。 ニクソン大統領はベトナムからの"名誉ある撤退"を掲げ、パリ協定 和平協定 の調印にこぎつけます。 1973年に撤兵が完了。 約11年、戦争に本格的に参加していたわけです。 その後も、1975年のサイゴン陥落・南ベトナム敗戦までサイゴンに軍事顧問団を駐留させて南ベトナム政府を支援していました。 アメリカは結局、約5万8000名の戦死者を出しました。 これは派兵された数の約1割強の人数です。 ベトナム側は南北を合わせて100万から300万人の人が死亡したといわれています。 現在も枯葉剤や神経ガスで苦しむ人が多くおり、数え方によってばらつきがあります。 正確な人数は分かっていません。 班長エイリアスはこの映画の良心であり善の象徴だし、クリス・テイラーはアメリカ国民又は観客、小隊長のバーンズは悪の象徴です。 あえていうと、交戦している北ベトナム軍もバーンズと同じ側かもしれませんが、プラトーンは敵を外に求めず、アメリカ軍の内部に置いているところが特徴的なのです。 単純な構図化された戦争映画、といってしまえばそれまでですが、この映画はこのシンプルな構図を通して、ベトナム戦争という場を大胆に描き出すことに成功しました。 プラトーンを観る者は、新兵のクリスの変貌を通して、ベトナム戦争の空気を実に新鮮に、生々しく感じ取ることになります。 主人公のクリス・テイラーは血気盛んな若者です。 大学生である彼は本来、徴兵が猶予され、ベトナム戦争に来ることはない階層の人間。 それなのに自ら戦争に行きたいと志願して戦地にやってきました。 クリスを後押しするのは無知と無知から来る勇気でした。 当時、ベトナム反戦運動のなかには、戦場の実態を知る負傷軍人による反戦活動がありました。 しかし、彼らの反戦運動は戦場の仲間を裏切るものであるかのように世間に捉えられてしまいました。 結局、彼らの反戦運動は非常に冷ややかに世間に受け止められていたのです。 ベトナム戦争の苦しい状況を憂う声はアメリカ国民に十分には届きませんでした。 クリスは戦地の現状を何も知らずに安全な場所から戦争賛成を主張するアメリカ国民または、ベトナム戦争の米軍派遣を傍観しているアメリカ国民を指しているのです。 現在,一党独裁体制を敷いている. 経済政策は中国を模倣し,市場経済推進の立場をとる. そして、バーンズはベトナム戦争の暗部を代表しています。 バーンズのベトナム村民虐殺や、エイリアス殺害は戦地の兵士の追い詰められた精神の激昂状態の象徴的表現。 そして、バーンズその人は、そういった行為に及んでしまう兵士の苦悩の姿でもあります。 さらに、エイリアス。 彼は善の象徴です。 レイプしようとする仲間の小隊兵士を止め、バーンズの村民虐殺を止めさせ、バーンズの卑劣な行為を軍法会議にかけてやると告発の意思を示します。 彼はプラトーンのベトナム戦争で、一筋の光明を示している存在でした。 しかし、エイリアスは射殺されてしまいます。 撃ったのはバーンズ。 北ベトナム軍の進攻状況を斥候に出た先で、バーンズはエイリアスを狙い撃ちしたのです。 このとき殺されたかと思ったエイリアスが、ヘリコプターを追いかけてジャングルから走り出してきます。 力尽きて地面に膝をつく。 両手を大きくかかげ、何かを仰ぐように視線を上に向けたエイリアス。 そして、最期の瞬間。 絶叫しつつ、顔を上に向け、両手を高く突き上げたまま崩れ落ちていく。 彼は何を見ていたのか。 もちろん、飛び立っていく味方のヘリコプターを見ていた、というのもあるでしょうが、あのように両手を大きく掲げる行為は無意識に神を意識しています。 エイリアスは最期に、天を仰いで死んでいきました。 善が悪に負けたのです。 このとき、正義は死んだ。 この戦争にはもはや救いがないことをエイリアスの死は暗示しています。 神すら見放した地、それがベトナム。 もはや、何があろうが、この先は暗黒しかありません。 戦意に溢れてベトナムにやってきた新兵のクリスは次第に変わっていきます。 想像とは全然違ったベトナム戦争。 勇敢に戦い、英雄としてアメリカに帰還するはずが、今は、生き残ることに必死にならざるを得ない毎日。 もう、戦功をたてる気持ちなどは吹っ飛んでしまっています。 そして、エイリアスの死。 彼の死はクリスを大きく変えることになります。 エイリアスの存在はクリスのいる小隊に一つのラインを引いていました。 それは、決して超えてはならないライン。 しかし、彼が殺された今、その境界線はもはや曖昧なものになりつつあります。 クリスはバーンズに明確な殺意を抱くようになっていました。 確かにバーンズは卑劣な男です。 しかし、バーンズの上官は事実に薄々気が付いていたとしても、バーンズを処分して、自分の経歴に汚点をつけるようなことはしないでしょう。 また、エイリアスをバーンズが殺したことを告発して立証することは不可能に近いことです。 しかし、ここで、バーンズを殺してしまっては、クリスはバーンズと同じ、ラインの向こう側に落ちることになります。 "WE WILL REMEMBER VIETNAM",1975年5月7日と記されている. アメリカ各地に慰霊碑があることからも, ベトナム戦争の社会に与えた影響の大きさをうかがい知ることができる もちろん、プラトーン、ここは映画です。 バーンズをクリスが殺しても観客が納得できるようにいろいろと準備がしてあります。 クリスが殺人という手段以外に取りうる全ての可能性は断たれています。 しかも、クリスに殺される前のバーンズは北ベトナム軍の攻撃で瀕死の状態です。 放っておいても死んだでしょう。 しかし、バーンズがどんな男であれ、死にかかっていたとはいえ、それでも、クリスは彼の命をその手で断ちました。 この事実は重いものです。 愛国心と正義感に燃えてはるばるアメリカからやってきた青年が行きついたさきの地。 それは、ベトナムという名の"地獄"でした。 彼は、バーンズを殺したことで超えてはならない一線を越え、真実、地獄に落ちたのです。 でも、それにクリスは「気がつかない」でしょう。 エイリアスを殺害したバーンズをクリスが殺したことはクリスのなかで正当化されているからです。 そして、その論理がおかしいことにはクリスは一生気がつかない。 いえ、クリスはこれからの人生を、そのおかしさに「気がつかないよう努力し続ける」ことに費やす、という方が正確かもしれません。 クリスがバーンズを「殺した」ということに自覚的になれば、クリスは一生その罪を負って生きなくてはならないからです。 そうならないためには、この殺人をどこまでも正当化しなくてはならない。 クリスにとってはどちらを取ってもいばらの道なのです。 ベトナムに限らず、狂気のない戦争なんてあるのでしょうか。 戦争が起きる理由、戦争をしなくてはならない理由、戦争をすることが今の国際情勢下でもっとも適切であること、いろいろな理由を付けて説明することはできます。 それについて語れと言われれば、あらゆる理由を列挙して戦争の正当性を雄弁に語ることができるでしょう。 しかし、どんな戦争であれ、人類の戦争の歴史においてただ一つ変わらないこと。 それは、戦争という場においては、人の死を「数」でカウントすることが許されるということ。 どんな人でも、どんな死に方であれ、戦争では「1」とカウントされます。 命の重さは相対的に軽くなります。 明日死ぬか、今日死ぬか。 生死の境が曖昧な「戦争」という場所では、人をひとり殺すということに、それほどの気力は必要ではなくなっています。 そのような状況下においては誰だって、バーンズになれるし、クリスになれるでしょう。 戦争というもの、人が殺し合うということ、それが好ましくないと分かっていながら、ある状況下では、人類はそれはやむをえない手段だと許容するもの。 いつか戦争はなくなるのでしょうか、それとも必要悪なのでしょうか。 少なくとも、映画プラトーンでは戦争に対するメッセージは明らかです。 プラトーンで善は死にました。 絶対的正義の代弁者だったエイリアスが死んだとき、プラトーンのベトナム戦争から、神は消えたのです。

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プラトー現象とは? 乗り越えなければならない成長の停滞時期を理解しよう│LearnTern(ラン・タン)

プラトーン

解説 ベトナム戦争の最前線を舞台に、地獄のような戦場と兵士達の赤裸々な姿を描く。 製作はアーノルド・コペルソン、エグゼクティヴ・プロデューサーはジョン・デイリーとデレク・ギブソン、監督・脚本は「ミッドナイト・エクスプレス」「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の脚本を執筆したオリヴァー・ストーン、撮影はロバート・リチャードソン、音楽はジョルジュ・ドルリューが担当。 出演はチャーリー・シーン、トム・ベレンジャーほか。 1986年製作/120分/アメリカ 原題:Platoon 配給:ワーナー・ブラザース映画 ストーリー クリス(チャーリー・シーン)が、ベトナムへやって来たのは1967年。 大学を中退してまでベトナムを志願したのは、次々と徴兵されていく同年代の若者たちのほとんどが、少数民族や貧しい者たちだった事に対する義憤からだった。 だが、いきなり最前線の戦闘小隊(プラトーン)に配属されたクリスにとって、戦争の現実は彼の想像をはるかに超えた苛酷なものだった。 その小隊の隊長バーンズ(トム・ベレンジャー)は冷酷非情、顔の深い傷痕が証明するように過去何度も死線をくぐりぬけてきた強者だ。 班長のエリアス(ウィレム・デフォー)は戦場にありながらも無益な殺人を犯してはならないという信念の持ち主。 その他、様々な個性を持つ兵士たち13人の小隊は、人間の最大の罪悪といえる戦争の真っ只中に放り込まれる。 ある日、ベトコンの基地と思われる小さな村を発見した。 バーンズは真実を吐かない村民を銃殺した。 バーンズの非情さに怒りを爆発させたエリアスは殴りかかった。 「軍法会議にかけてやる」と叫ぶエリアスと、彼の平和主義的言動に心良く思っていなかったバーンズの対立は決定的となった。 エリアスが単身、斥候に出た時、後を追ったバーンズが卑劣にも射殺してしまう。 やがて、ベトコンの大部隊と凄まじい接近戦が始まった。 圧倒的な人海戦術の前に次々と倒れていく戦友たち。 悪夢のような一夜が明けた。 傷つきボロボロになったクリスの前に、バーンズが息も絶え絶えに倒れていた。 エリアス射殺のことを気づいていたテイラーは、バーンズに向けて怒りの引金を引いた。 名作は鑑賞するごとに違った輝きを放つもの。 それを裏付けるかのように、86年公開の本作を「朝十時の映画祭」で久しぶりに鑑賞した際も、得体の知れない感情に襲われた。 チャーリー・シーンを主演に起用した背景には『地獄の黙示録』のマーティン・シーンを踏襲する意図があったのだろうか。 だが、『黙示録』が醸し出すある種の寓話性に比べると、本作は記憶をあぶり出すかのようなリアリティと生々しい傷跡を観客に伝える。 血なまぐさく、時には目を背けたくなるほどの描写を交えながら。 戦争終結から40年。 人類は過去に学ぶと言われるが、その言葉に反して世界は相変わらず泥沼の歴史を繰り返し、一向に成熟したり、賢くなる気配はない。 だからこそ誰もが心の内側に「二人の軍曹」を共存させていることを意識しなければならない。 その均衡が崩れた時に人は間違いを繰り返す。 オリバー・ストーン監督のメッセージは時代を超えて突き刺さってくる。

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