やむ ごと なき 意味。 やんごとなき生まれ の意味

「やむを得ない」とは?意味や使い方を解説!

やむ ごと なき 意味

先述の通り、身分の高さを表す意味で「やんごとなし」という言葉を用いるのは現代の用法で、古語の「やむごとなし」は以下のとおりいくつもの意味を持っています。 捨てておけない、よんどころない、やむをえない、のっぴきならない• ひととおりではない、特別だ• 尊重しなければならない、気がおける• きわめて尊い、高貴だ• おそれおおい、失礼だ 「やむごとなし」は 「止む事なし」と書き、その文字の表す通り 「やめられない」や「ほうっておけない」というのがもともとの意味です。 そして、ほうっておけないような大切なもの、尊重すべきもののさまであることから「別格だ」「貴重だ」「尊い」「おそれ多い」などの意味が生まれたと言われています。 以下に意味ごとの使用例の紹介として、平安時代の文学作品の一節を引用します。 日常会話で「やんごとなき事情」「やんごとなき状況」のような使い方をするケースがあります。 ただし、それは周知されているものではないと認識しておく必要があります。 場合によっては、言い間違いを指摘されたり言葉を知らない人だと誤解されたりすることもあります。 また、詳しい説明を避けるために「やんごとなき」を多用するのは、余計なトラブルを招いたり、相手に説明責任を果たさない人物だという印象を与えることにもなりかねません。 会話をする相手や状況を選ぶ表現であると認識しておくことが大事です。

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「やむを得ない」とは?意味や使い方を解説!

やむ ごと なき 意味

解釈の決め手 いづれの御時にか:語り手の苦渋と決断 物語冒頭のこの部分は「いつの時代か定かでないが」と訳されてきた。 しかし、これは《時代区分とは天皇の名前である》という古代時間の絶対ルールを無視する点で、意味のない解釈である。 どう言うことか。 例えば、昭和天皇って何時代の天皇ですかという問には意味がない。 昭和天皇という名前の中に何時代かの答えが出ているのだから、質問が成立しないのだ。 天皇は一世一代という特殊な存在であるため、古来、時間を計る基準器であったのだ。 もうすこし、踏み込むなら、古代においては中国の皇帝が時を支配する基準であった。 中国の冊封体制から独立した時に、独自の時間基準を設ける必要が出来た。 その時から帝の在世が時代を区切る基準となったのである。 今日では、2020年等、天皇の名前でない時の表現がある。 しかし、古代日本では帝の在世と、さらに細かい区切りである元号しかないのだ。 元号はむろん、天皇から読りしたものではない。 すべての元号がどの帝の在世のものかわかるのは、天皇の名前と対応があるからにほかならない。 以上の説明を踏まえて、もう一度物語冒頭に戻ろう。 語り手がまさに説き起こそうとしているのは、膨大な物語の主人公である光源氏の父についてであり、誰あろうそれはこの国の支配者である天皇なのだ。 その時代は「光源氏の父帝の在世」に他ならず、「いつの時代か」という設問は成立しないのだ。 いやいや、「どのくらい前か定かでないが」との意味ではないかと解釈する向きもある。 しかし、やはりその説明には無理がある。 物語に則すならば、今上天皇・冷泉・朱雀・父帝とはっきりしている。 それぞれの在位期間は語り手にとっても、その物語内に生きている人々にとっても自明である。 さらに悪いのは、この読み方は、物語を殺してしまうことに気が付いていないからである。 そのことについては、もう少し先で考える。 さて、「いづれの御時にか」という語り手の自問が、時代に関してなされたものでないならば、設問の対象はなんなのか、改めて考え直さなければならない。 実は、ここまでの説明で、その答えは出ているのだがおわかりだろうか(わたしの場合はそれと思い至るまでに十年以上もかかった)。 「時代=天皇の名前」がその答え。 コインの裏表の問題なのだが、語り手を悩ませていたのは、コインの裏側、光源氏の父帝の呼び名をどうお呼びするのかの問題なのである。 天皇の呼び名がどうしてそんなに問題になるのか。 それは王朝人に通底する時間意識から物語時間を引きはがすことがはなはだ困難であったことに起因する。 それを説明する前に「帝と時間」に関する絶対則について触れる。 おそらくこちらが帝と時間の第一原理である。 それは、《在位中の帝には固有名をつけることができない》というもの。 固有名は、退位後の院号、死後の諡号である。 日本史で習う桓武や後醍醐などは、みな諡号である。 在位中の呼び名ではない。 この点を掘り下げると、歴史は過去の出来事を時代区分を以って記すものだ。 「794年平安遷都」を西暦を用いずに記すには、桓武天皇の在位何年に、または元号のこれこれの年にという他にない。 平安遷都当時、桓武は死んではいないので、そんな呼び名はないのだが、平安遷都(過去)を語る際に、その後の呼び名ではあるが桓武という諡号(過去を測る基準時間)を用いるのである。 これに対して物語は、今まさに起きようとしている事柄として語るのであり、時間の流れは現在進行しているのだ。 桐壺更衣を溺愛して政治を投げ出し、国を危うくしているのは現在進行なのだ。 まとめよう。 歴史は今をゼロ基準として時間を遡る(マイナス時間の時間移動)、そこから出来事がプラス向きに起こる。 物語は今を基準としない。 物語時空にワープして、そこから出来事に則して現在(ゼロ時点)が動くのだ。 在位にある父帝を未来の呼び方で呼ぶことはパラドックスを生むことになる。 物語の冒頭で語られているのは、帝が在位にある間は呼び名をつけないという決意表明なのだ。 おやおや、在位時の帝に呼び名がないなら、決意も何もそれ以外方法がないのだから、悩む必要はない。 一方、物語冒頭は確かに悩みを抱えた物言いであり、何かその説明ではくみ取れていない気がするのだが。 紫式部日記の記載に耳を傾ける。 一条天皇といえば、紫式部が仕えた彰子が入内した天皇であり、当時の教養の随一の人物であるが、源氏物語の朗読を聞いて、作者を「日本紀の御局」とあだ名したという。 当時の教養人の意識として、出来事を時間軸に則して語るとは、歴史にほかならないのだ。 過去に時代設定を置きながら現在を語るという濃密な物語時間は、今まさにこの作者によって創造されてゆくのだ。 それがあまりに往時の意識とかけ離れていたからこそ、歴史ではくみ取れない物語の本性を、光源氏が説き起こす必要があったのだ。 「日本紀などは ただかたそばぞかし これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ/蛍の帖」(歴史は物事の片面しか触れない、物語こそ物心両面を詳細に伝えるものなのだ)と。 ここから推すに、作者も含め当時の王朝人に潜在する歴史観・歴史意識・歴史時間等から独立して、物語時空を作り上げる上でのゼロベースが、生きた帝、後宮、人間模様を描くために採用した帝の匿名性であり、その表裏として、歴史時間にない帝を誕生させることができたのである。 これを醍醐天皇をモデルにした等、歴史に還元するのでは、物語時空ぶちこわすことになると思う。 歴史時間から独立できたからこそ、一介の作者が、女色に溺れ政治を遺棄して国を乱す帝の姿を描くことができたのだ。 この点に関しては「物語成功の隠し味」をご参照ください。 院号についてのさらなる仕掛けは「物語時空の特殊性」をご参照ください。 時めき:桐壺の房中術 「時」は好時節、「めく」は視覚・聴覚に訴える。 全体として好時節が到来したようにはたからは見えるとの意味である。 男性社会なら取り立てられて地位が上がるなど、後宮であれば帝の寵愛を集める、とある。 自分を超える存在に取り立てられて、予期せぬ好運がもたらされるのである。 ところが、地位の高くないこの更衣は、帝のおぼえを集めれば集めるほど、周囲の嫉妬にさいなまれてゆく。 ついには皇子を生むという宮仕えする女房にとって最高の栄誉がもたらされると同時に、周囲への気遣いから精神を使い果たし、桐壺更衣は命を失う。 好運と悲運がないまぜとなって、更衣に押し寄せるところに、ドラマ性が生じる。 「桐壺の娼婦性」を参照ください。 けり:物語時間の現在性 「き(過去の助動詞)」や「く(来)」と現存をあらわす「あり」が共存してできた助動詞。 時間や距離を飛び越えて、今ここにという感覚。 早い話が、捜し物が見つかった時に今も「あった」と言う。 置き忘れた瞬間から見つけだした今の瞬間まで、その場にありつづけたとの意味だ。 これが「ありけり」の現在の姿である。 すなわち、この「あった」は形は過去形であっても、意味するところは現在この場・この時の驚き・よろこびなのだ。 「いづれの御時にか」で物語は現在進行すると説明しながら、過去で訳す方が自然なことも多い。 それは日本語の過去形は過去から現在に至る継続を表現できるからだ。 ここがPoint 物語成功の隠し味 帝の匿名化は、歴史時間(すなわち歴代の帝の諡号リスト)に觝触しない(すなわち独立した)物語時間の成立に大きく寄与した。 虚構時間が歴史時間と交わらないからこそ、女色に溺れ政治を投げ出す帝の姿を描くことが許された。 帝の妻が寝取られるという皇統断絶の危機を、描くことを可能にした仕掛けもここにある。 物語時空の特殊性 ここに帝四代七十有余年の大河ドラマが幕を切る。 登場する帝は、上記で触れたように在位中はすべて固有名を持たない。 主な呼び名を整理する。 初代:光源氏と一の宮の父 院号なし 死後は故院など 二代:初代の第一皇子 院号は朱雀院 死後は故院など 三代:初代の第十皇子であるが実父は光源氏 院号は冷泉院 生存中 四代:父は二代帝 在位中のため院号なし 天皇は譲位されると内裏から院という建物に移って余生を過ごす。 その時、上皇を直接呼ぶ名はないので建物の名をもって呼ぶことになる、これが院号である。 ただし、建物名が固有名となるためには、上皇と建物が一対一の対応がなければならない。 ある建物を何代かの上皇が使用した場合、建物名では上皇を特定できないという問題が発生する。 まさしく、歴史上、朱雀と冷泉というふたつの建物がそうであった。 従って、物語の呼称である「朱雀院」「冷泉院」も、朱雀・冷泉の建物(後院という)を利用した上皇の一人というに過ぎない。 すなわち、どの帝もどの院も生前も死後も、特定化につながる固有名を持たないのだ。 語り手が入念に作り上げようとしている物語時空の特殊性が垣間見られる一面である。 桐壺更衣の娼婦性 教室解釈は上のごときだが、本来あるべき自動詞の解釈ではなくなっている点、落ち着きが悪い。 明石入道が娘に、光源氏の出生を説明するくだりがある。 「[桐壺更衣を]宮仕へに出だしたまへりしに 国王すぐれて時めかしたまふこと 並びなかりけるほどに」(「須磨」) 「いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ」(桐壺冒頭) 同じ内容を、片や自動詞「時めく」を使い、片や他動詞「時めかす」を使って、述べたことはあきらかであろう。 整理する。 一、「時めく」:更衣が主体 二、「時めかす」:更衣が主体、帝は客体 後宮女性にとって一番大切なことは、帝の夜のつとめである。 今宵の伽役に選んでもらうためには、性的魅力を高めておくことが必要だった。 夜が明けても政治を投げ出し更衣を離さなかったなど、帝の尋常ならざる没入度合いからして、二人の性的相性はよほどよかった。 つまるところ、 一、「時めく」:桐壺更衣は性的魅力が抜きん出て高かった 二、「時めかす」:帝を発情させる力が抜きん出て強かった 家格もさほどではなく後見もいない女性が、後宮の中で抜きん出る手段は、女としての魅力以外にない。 蛾眉に顔作り水浴みする楊貴妃の姿がまさしく玄宗皇帝の情意をかき立てた。 後宮の実情を思い描くならば、「時めく」には性的要素が多分に含まれることは論を俟たないと思うが、いかがか。 今、娼婦性として論じたが、娼婦は性交渉のたびに穢れてゆくわけではない。 その都度、処女性を取り戻すからこそ、いつまでも魅力を保持しうるのだ。 従って、娼婦性が主で、その中に処女性を持つと考える方が自然である。 記号化すれば「娼婦性/処女性」とでもなろうか。 この性情を受け継ぐのが夕顔である。 また、桐壺更衣と瓜ふたつとされる藤壺は、光源氏にとって喪失した母性の対象とされるが、処女性の中に娼婦性を宿す「処女性/娼婦性」と考えるべきであろう。 父帝と光源氏を虜にするのは、娼婦と聖女を行き来するからである。 この弁でゆくと、元来聖女であった六条御息所は、反聖女性が強く出てしまうことで、光源氏を辟易させてしまう。 すべての女性にはその両面を共有するであろうが、ことにこの三人は、性において光源氏を虜にして離さないのだ。

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田村隆(2007.12)いとやむごとなききはにはあらぬが:教科書の源氏物語

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『枕草子』の現代語訳:87 『枕草子』の現代語訳:87 清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた 『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。 このウェブページでは、『枕草子』の『正月十余日のほど、空いと黒う、雲も厚く見えながら~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。 参考文献 石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫) スポンサーリンク [古文・原文] 139段 正月十余日のほど、空いと黒う、雲も厚く見えながら、さすがに日はけざやかにさし出でたるに、えせ者の家の荒畑(あらばたけ)といふものの、土うるはしうもなほからぬ、桃の木のわかだちて、いとしもとがちにさし出でたる、片つ方は、いと青く、いま片つ方は濃くつややかにて、蘇枋(すおう)の色なるが、日かげに見えたるを、いと細やかなる童(わらわ)の、狩衣(かりぎぬ)は、かけ破り(かけやり)などして、髪麗しきが登りたれば、ひきはこえたる男子(おのこ)、また、こはぎにて半靴(はんぐつ)はきたるなど、木のもとに立ちて、 「我に毬打(ぎちょう)切りて」など乞ふに、また、髮をかしげなる童の、袙(あこめ)ども綻びがちにて、袴(はかま)萎えたれど、よき袿(うちぎ)着たる、三、四人来て、「卯槌(うづち)の木のよからむ、切りておろせ。 御前にも召す」など言ひて、おろしたれば、奪ひしらがひ取りて、さしあふぎて、「我に多く」など言ひたるこそ、をかしけれ。 黒袴(くろばかま)着たる男の走り来て、乞ふに、「待て」など言へば、木のもとを引きゆるがすに、危ふがりて、猿のやうにかい付きてをめくも、をかし。 梅などのなりたるをりも、さやうにぞするかし。 楽天AD [現代語訳] 139段 正月十日過ぎの頃、空はとても黒くて雲も厚く見えながら、さすがにその雲の切れ間から日は明るく差し込んでいるのに、身分の低い者の家の荒畑とか言われている、土がきちんと耕されていない所に、桃の木が若返って、新しい枝を沢山出しているのが、片側はとても青くて、もう方側は濃い色でつややかで蘇芳色をしたものが、日の光に照らされ見えているが、とてもほっそりした子供で、狩衣はひっかけて破れたりしているが、髪はきちんとした子がその木に登っているので、着物をたくし上げた男の子、ふくらはぎを出して半靴を履いた男の子などが、木の根元に立って、 「私に毬打(ぎちょう)を切って」などと頼んでいるが、また、髪の毛が美しい女の子で、袙(着物)は綻びがちで、袴もへたっているけれど、立派な袿を着ている子が、3~4人やってきて、「卯槌(うづち)を作る木の良いものを、切って落としてよ。 ご主人様に差し上げるので」などと言って、上の子が木を下ろすと、奪い合って取り合いをして、上を見上げて、「私に木を多く下さい」などと言っている様子は面白い。 黒袴を着た男が走ってきて、木をくれと願っているが、「待て」などと言うと、木の幹をゆさゆさ揺さぶるので、危なく思って、猿のように木にしがみついて喚いている姿も面白い。 梅の実がなっている時期にも、このようにしている光景が見られる。 スポンサーリンク [古文・原文] 140段 清げなるをのこの、双六(すごろく)を日一日打ちて、なほ飽かぬにや、短き燈台に火をともして、いと明うかかげて、敵の、賽(さい)を責めこひて、とみにも入れねば、筒(どう)を盤の上に立てて待つに、狩衣の領(くび)の顔にかかれば、片手して押し入れて、こはからぬ烏帽子(えぼし)ふりやりつ、「賽いみじく呪ふとも、打ちはづしてむや」と、心もとなげにうちまもりたるこそ、ほこりかに見ゆれ。 141段 碁(ご)をやむごとなき人の打つとて、紐うち解き、ないがしろなるけしきに拾ひ置くに、劣りたる人の、居ずまひもかしこまりたる気色にて、碁盤よりは少し遠くて、及びて、袖の下は、いま片手して控へなどして打ちゐたるも、をかし。 142段 恐ろしげなるもの 橡(つるばみ)のかさ。 焼けたる所。 水ふふき。 髪多かる男の、頭洗ひてほすほど。 143段 きよしと見ゆるもの 土器(かわらけ)。 新しき鋺(かなまり)。 畳にさす薦(こも)。 水を物に入るる透影(すきかげ)。 新しき細櫃(ほそびつ)。 楽天AD [現代語訳] 140段 綺麗な男が、すごろくを一日中打って、それでも飽きないのか、低い燈台に火をつけて、とても明るく灯芯をかき立てて、敵がこちらの賽に祈って責めていて、すぐに筒に入れないので、盤の上に空の筒を立てて待っているのだが、狩衣の襟が顔の邪魔になるので片手で押し込んで、垂れ下がる低い烏帽子の先を後ろに振りのけながら、「賽にそんなにお祈り(まじない)をかけても、外れの悪い目が出るわけではない」と、待ち遠しそうに相手の様子を見守っているのは、とても気負った姿に見える。 141段 碁を身分の高い人が打つといって、直衣の紐を解き、無造作な様子で碁石をあちこち置くのに対し、身分の低い人が、居ずまいもかしこまった感じで、碁盤から少し離れて及び腰で、袖の下をもう片方の手で押さえなどして打っているのも面白い。 142段 恐ろしげなもの 橡(つるばみ)のかさ。 焼けた場所。 水ふふき。 髪の多い男が、頭を洗って乾かしているところ。 143段 綺麗に見えるもの 土器(かわらけ)。 新しい鋺(かなまり)。 これから畳にする薦(こも)。 水を何かに入れるときに出来る時に、光に透けて見える流れ。 新しい細櫃(ほそびつ)。

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