東郷 証券 巨人。 【東郷証券】客の損失補てんか 元巨人投手の幹部ら捜査へ

裁判:元巨人「ドラ1」金融マン林被告 起訴内容認める 東京地裁初公判

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林泰宏さんの簡単プロフィール 林泰宏さんのプロフィールを簡単に紹介していきますね。 元巨人の林泰宏投手、幼少期カードゲームで名前知ってたのふと思い出して気になって調べたらあるもんだな~、タカラ野球カードゲーム小さい時実家にあってサイコロ振って遊んだ記憶があるw — MAsA masashi022088 林泰宏さんの名前の読み方は 『はやし やすひろ』さんですね。 1961年6月16日生まれの現在58歳です。 出身地は熊本県で、尼崎市立尼崎高等学校では、エース、四番打者として1979年夏の甲子園県予選決勝に進出しますが、明石南高に0-1で惜敗、甲子園には出場できませんでした。 ですが、 1979年のドラフト会議で巨人から1位指名を獲得し読売ジャイアンツに入団します。 スリー・クォーター気味のフォームで投げ込む速球が武器で、中央では無名ながら将来のエースになる大器と宣伝される期待の選手でした。 しかし、コントロールが悪く伸び悩み1軍には昇格できず、1984年に近鉄バファローズにトレードされました。 近鉄バファローズでは、故障もせいもあり満足な投球ができずにいましたが、横浜大洋ホエールズの入団テストを受けて合格しました。 投球フォームをアンダースローに近いものに変えて再起をはかりましたが、故障は回復せずイースタン・リーグで1試合に登板しただけで1985年のオフに自由契約となり、そのまま引退しました。 1985年に大洋ホエールズを退団後、小林洋行に入社し、1993年に入や通商入社、1997年大雄社先物社常務を務めています。 1999年には中堅証券会社萬成プライムキャピタル証券取締役を務めます。 その後、2005年6月に「入や萬成証券」社長に就任し、翌2006年2月まで務めました。 そして 現在は東郷証券株式会社取締役を務めています。 プロ野球選手から実業家へと転身し、活躍されていました。 スポンサーリンク 林泰宏さんの現在は東郷証券取締役で逮捕の理由や原因は何? プロフィールでも紹介したとおり、林泰宏さんは現在「東郷証券株式会社」の取締役を務めているのですが、金融商品取引法違反容疑で逮捕されたと報じられました。 毎日新聞では以下のように報じられています。 外国為替証拠金取引(FX)で生じた顧客の損失を肩代わりしたとして、東京地検特捜部は20日、金融商品取引法違反容疑で、中小証券会社「東郷証券」(東京都港区)取締役の林泰宏容疑者(58)=東京都渋谷区=ら4人を逮捕した。 特捜部は林容疑者が実質的な経営者で、損失補塡(ほてん)を主導したとみている模様だ。 林泰宏さんが、 外国為替証拠金取引 FX で生じた顧客の損失を肩代わりした損失補填を主導したとされているようですね。 林泰宏さん以外には、同社社長の宇佐美麻己さん 46 、同社顧問で関連会社役員の上村昌也さん 37 、関連会社役員の宮井智浩さん 48 が逮捕されているそうです。 実際に補填していたのは数年前のことになるようですが、よくないお金の動かし方をしてしまったということですね。 スポンサーリンク 世間の反応 世間の反応はこんな感じですね。 — ほざわとおる(President Hozawa) hozawa55 世代じゃないから林泰宏が分からない — 長岡 gogojuggler6 プロ野球選手としてあまりいい成績を残せていなかったため、「誰?」という声が多数あがてっていました。 年代的にも古い選手ですし、世代じゃない方はあまりわからないということですね。 また、こういったことで「巨人」を引き合いに出されることが迷惑だというファンもいらっしゃいました。 現役ではありませんが、元巨人選手ということでも巨人という名前が悪目立ちしてしまうので、引退したから関係ないとはならないのもしょうがないですよね。

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外国為替証拠金取引(FX)を手掛ける東郷証券(東京都港区)が顧客に損失補填(ほてん)を行った疑いが強まったとして、東京地検特捜部が、同社の男性取締役(57)を金融商品取引法違反(損失補填等の禁止)容疑で近く立件する方針を固めたことが12日、関係者への取材で分かった。 特捜部はすでにこの取締役らから事情聴取。 詰めの捜査を進めているもようだ。 取締役は元プロ野球選手で、昭和54年に投手としてドラフト1位で巨人に入団し、引退後は証券業界に転身。 親会社の代表取締役を務めており、特捜部は東郷証券の実質的な経営者で、損失補填を主導したとみている。 関係者によると、東郷証券はFXを行っていた複数の顧客に対し、損失の穴埋めをした疑いがあり、補填額が数千万円に上る顧客もいるという。 補填の原資は架空の外部委託費から捻出していたとみられる。 損失補填はバブル崩壊後、大手証券会社などで発覚し社会問題化。 平成3年に証券取引法(現金商法)改正で禁じられた。 違反した場合、3年以下の懲役か300万円以下の罰金、またはその両方。 証券取引等監視委員会の証券検査の過程で損失補填疑惑が浮上。 監視委が今年2月、同社本社など関係先を強制調査していた。 民間の信用調査機関などによると、東郷証券は平成14年、「サザインベストメント」として設立。 24年と26年に商号を変更し、29年4月から現社名に変更した。 インターネット取引手数料0円に挑戦するなどFX取扱業者のパイオニアとして知られる。 30年3月期の売上高は約35億8千万円。 yahoo. 金融商品取引法では第39条で金融商品取引業者と顧客の双方について、禁止行為として明記されている。 事前に証券会社等が損失保証を行うのは、投資者の自己責任原則に反し、証券市場の公正な価格形成機能を阻害することになるし、事後的に損失補填を行うことは、証券会社の市場仲介者としての中立性、公平性、健全性に背く行為だからである。 顧客サイドに対しても禁止行為として明記されているのは、大口取引の条件として証券会社に損失補填を要求するような行為を抑止するためである。 証券会社としては大口の顧客であればあるほど、 自社で取引してもらえればそれだけ手数料で儲けることができます。 東郷証券取締役の元巨人投手は誰? 顧客に対して損失補填したとして問題になっている東郷証券ですが、 立件される見通しの取締役が、元巨人の選手だったことでさらに話題になっています。 元プロ野球選手で、昭和54年に投手としてドラフト1位で巨人に入団した投手とのこと。 そこで昭和54年のドラフトを調べてみると、 林泰宏さんが巨人から1位指名されているのが分かりました。 名前:林 泰宏(はやし やすひろ)• 出身:熊本県• 生年月日:1961年6月16日(57歳)• 身長:183 cm• 体重:78 kg• 投球・打席:右投右打• ポジション:投手 1979年のドラフトで巨人から1位指名を受け入団。 将来のエースを期待されるも、コントロールが悪く伸び悩み近鉄にトレードされます。 近鉄では故障もあり、思ったような投球ができずに自由契約になってしまいます。 オフに受けた入団テストに合格し大洋ホエールズへ。 しかしここでも故障に悩まされ、活躍することなく自由契約から引退の道を選びます。 結局1軍では1試合も投げずに引退していたようです。 ネットの反応 東郷証券の取締役で1979年ドラ1で讀賣入団とかいったい林何宏さんなんや — 石井一塁手 vfk12hakubaku 元巨人投手の林泰宏氏のご尊名を聞いて、ピンときました。 あの方は、1979年のドラフトで巨人に1位指名されながら、一軍では全然活躍できませんでした。 黒木真由美氏とも結婚していました のちに離婚。 — おいちゃん oichan773 元巨人の林泰宏投手、幼少期カードゲームで名前知ってたのふと思い出して気になって調べたらあるもんだな~、タカラ野球カードゲーム小さい時実家にあってサイコロ振って遊んだ記憶があるw — MAsA masashi022088 元巨人のドラフト1位の林泰宏ってプロ野球選手人生が終わっても長い間ちゃんとやってたみたいだけど、どうしてこうなったんだろう。 紳士たれ。 — 元スーパールーキー KtBsB9WMz2wR9uy 元巨人投手の証券会社幹部を立件へ 東京地検特捜部 から 林泰宏?知らないなって思ったが54年巨人のドラ1で入団したけど1軍登板なしで6年で引退ならわからないな~、その年のドラ3が岡崎で同期なのか — MAsA masashi022088 スポンサーリンク.

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東郷証券が入っていた都心の高層ビル。 林泰宏被告の職場だった=東京都港区で2019年10月31日午前10時51分、井川諒太郎撮影 顧客の損失を補塡(ほてん)したなどとして金融商品取引法違反などに問われている中小証券会社「東郷証券」(東京都港区)の実質経営者、林泰宏被告(58)の公判が7日、東京地裁で始まった。 林被告は初公判で起訴内容を認めた。 プロ野球巨人からドラフト1位指名された経歴を持つが、1軍で登板することなく球界を去り、金融業界に身を転じて社長にまで上り詰めた末に逮捕された。 異色の金融マンの「栄光」と「転落」を追った。 【井川諒太郎】 JR渋谷駅から歩くこと10分。 芸能人も住むという高台に建つ高級低層マンションで、林被告は6月に逮捕されるまで暮らしていた。 地元の不動産業者によると、狭い部屋でも約150平方メートルあり、中には家賃が月500万円を超える物件もあるという。 周囲は高い草木で覆われ、外からは玄関をうかがうことさえできない。 熊本県出身。 兵庫県に移り住み、市立尼崎高に進学した。 3年の夏は、140キロ台の速球が武器のエースで4番。 学校初の甲子園を目指してチームを率い、大会をほぼ1人で投げ抜いた。 決勝は0-1で惜敗したが、兵庫ナンバーワン投手として騒がれた。 同学年のチームメートは「野球部の柱。 彼がいなければ準優勝はなかった。 目立っていたが、偉ぶることもなかった」と振り返る。 活躍はプロのスカウトの目に留まった。 幼い頃から憧れていたという巨人から1979年のドラフトで1位指名を受けた。 同級生の男性は、ドラフト前日、教室で指名時のインタビューの受け答えの練習をしていた姿をよく覚えている。 「授業を抜け出して遊びに行くやんちゃな面もあって、普段は教室の後ろに座るタイプ。 1位指名され、みんなに祝福されていた」 だが、プロの世界は厳しかった。 巨人は80年、長嶋茂雄監督が退団。 翌年、藤田元司監督が就任し、投手4冠に輝いた江川卓投手や18勝を挙げた西本聖投手らを率いて日本一に輝いた。 その厚い投手層に割って入るだけの力はなかった。 高校時代にバッテリーを組んだ同級生には、そう愚痴を漏らしていた。 同時期に巨人の1軍で活躍した元プロ野球選手は「ドラフトの時に(林被告の)名前は聞いたが、それ以外は全然覚えていない」と話す。 投球フォームをスリークオーターからアンダースローに変えて登板の機会をうかがったが、4年で退団。 さらに2球団を渡り歩き、最後は肩を壊….

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