日本将棋連盟順位戦。 名人戦・順位戦 |棋戦|日本将棋連盟

日本将棋連盟名寄支部

日本将棋連盟順位戦

概要 [ ] A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の5つのクラスからなり、A級の優勝者がの挑戦者となる。 は順位戦に参加しないが、順位戦を戦わなかった分の名人在位年もA級の在籍年数の記録には累積計上される。 各クラスごとに、おおむね6月から翌年の3月までに亘ってリーグ戦を行い、その成績に応じて次期のクラスと順位が決まる。 新規のプロはC級2組に属するのが原則だが、一部は順位戦に参加しないフリークラス棋士からのスタートとなる。 飛び級はできないため、名人戦の挑戦者となるまでにはプロデビューから最短でも5年かかる。 順位戦の昇級により段位が上がり、棋士が順位戦のどのクラスに属しているかによって対局料が大きく変動し、棋士の収入に直結するほか、他の棋戦で予選の一部が免除されたりすることがある。 また、 順位戦への参加資格を失うことが即時または時限付きの強制引退の条件となることが、他の棋戦に見られない特徴である。 毎年3月上旬頃に行われるA級の最終戦は、全5局が一斉に行われるため、名人への挑戦者と降級者2名がその日に決定することが多く、また対局時間も長いため「 」と称され、将棋界内外から大きな注目を集める。 この日には()・(関西将棋会館)・()で大盤解説会が開催されるほか、テレビ中継なども行われている。 方式 [ ] クラスと昇級・降級 [ ] A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と、順位戦の対局がないから構成されており、A級で最も良い成績を挙げた棋士が名人挑戦権を得る。 各クラスの定員などは以下のように定められている。 【降級点消去条件】• 今期 勝ち越し又は 2期連続の5勝5敗で、 降級点を1点 消去。 付与と消去の条件に同時に該当する場合、 次期は現状維持 (累積と消去 相殺)。 昇・降級時には降級点リセット。 5 に降級点を1点 累積。 備考 C級 2組 【降級者 C2 】 降級点が 累積3点 【降級点付与条件 C2 】• 【C級2組】 消去対象降級点は2つ目のみ。 1つ目の降級点はC級2組では 消去されない。 フリー クラス (順位戦の対局なし) 【宣言フリークラス】 による昇級あり 昇級先はC級2組 <引退規定> 【宣言フリークラス】 順位戦 在籍可能最短年数 経過後、 かつ下記のいずれか早い期限• 満65歳(原則)の誕生日を迎える年度終了まで• 順位戦 在籍可能最短年数+15年 経過後 【その他】 該当者が規定条件を 収められなかった場合、 公式戦 全対局完了時に引退。 <在籍年限> 下記のいずれか早い期限• フリークラス編入後10年以内• 満60歳 (原則)の誕生日を迎える 年度終了まで 現役棋士が在籍するクラスの一覧は、 を参照。 歴代のA級棋士については、 を参照。 クラス内における順位 [ ] 次期の各クラスのリーグ表では、以下の順で上から並べられる。 上位クラスからの降級者(A級は名人戦で敗れた者)• (A級以外)休場者のうち降級の対象となった者• 残留者のうち降級点を取らなかった者(B級1組は全ての残留者、A級は名人に挑戦できなかった全ての残留者)• (C級2組以外)下位クラスからの昇級者• (B級2組以下)残留者のうち降級点を取った者• (C級2組のみ)当年4月1日から9月30日の間にを収めたフリークラス編入者• (C級2組のみ)当年度前期優勝者及び準優勝者• (C級2組のみ)当年10月1日から翌年3月31日の間に規定の成績を収めたフリークラス編入者• (C級2組のみ)当年度後期優勝者及び準優勝者• 休場者のうち降級の対象とならなかった者(後述の通り「」として扱われる) 上記のそれぞれの中で当期の勝敗順を第1優先とし、勝敗同点同士では、当期のリーグ表における順位を第2優先として順位付けをする。 ただし、上記6. 及び8. のフリークラス編入者については、規定の成績への到達が確定した順に上位に位置づけられる。 A級で勝敗数最上位者が複数の場合には名人挑戦者決定戦(プレーオフ)を行われるが、次期A級の2位以下の順位決定には、プレーオフの結果にかかわらず、リーグ戦での成績と今年度の順位のみで決定される。 次期A級の1位については「名人戦で敗れた者が翌年度の順位が1位となる」規定が優先される。 挑戦者決定戦(プレーオフ) [ ] 名人戦挑戦者にはA級での成績最上位者が選ばれるが、最上位者が複数の場合には挑戦者1名を決めるために挑戦者決定戦(プレーオフ)を行う。 3人以上の場合は、順位下位の者からによって挑戦者を決定する()。 持ち時間 [ ] 順位戦のは6時間であり 、あらゆる棋戦の本戦・予選の持ち時間の中で最も長く、しかも1日制のタイトル戦の内、・・のの持ち時間より長い。 また、対局開始はタイトル戦が午前9時であるのに対し、その他の通常の対局と同じ午前10時である。 さらに、昼夕に各40分(2016年6月より)の休憩を挟む。 そのため、順位戦の対局は深夜に及び、日が変わっての終局も珍しくない。 第75期順位戦(度)より、B級2組以下の対局については、ストップウォッチ計時による1分未満の消費時間切り捨てから、計時による1分未満の消費時間算入に改められた。 これは、主として記録係を担当する員の高学歴化が進み、学校を休む必要がある者が増えたためである。 少しでも負担を軽くするため、日をまたぐ対局を極力減らし、記録係がなるべく宿泊せず帰宅できるようにする目的がある。 このルール変更により、終局が「(平均すると)1時間は早くなりそう」とは予想している。 また、同年6月から他の棋戦を含め昼食・夕食休憩がそれぞれ50分から40分に減らされた(タイトル戦は従前どおり1時間である)。 これも同じく、対局時間短縮の意図がある。 これらの変更により、両者がバランス良く持ち時間を使い切ると、B級2組以下では23時20分ごろ、A級とB級1組では0時30分ごろに両者1分将棋に突入することになる。 組み合わせ [ ] 各期順位戦のリーグ表における全ての対戦組み合せと先手・後手は、抽選によって作成される(対局開始の際にはは行われない)。 ただし、抽選は、以下の制約の下で行われる• 「B級2組以下での師弟戦」および「最終局での兄弟弟子同士の対局」は行わない。 A級・B級1組での師弟戦はリーグの中間で行う。 B級2組及びC級1組では、前期未対局者優先で組み合わせる。 組み合わせ不能の場合はこの限りではないが、3年連続同一カードの対局は行わない。 C級2組では、前期対局者と当たらない。 手番(先手・後手)は事前に決定するが、回数の均等に努める。 また手番のばらつきと機会の均等にも配慮がされており、3回連続同一手番の対局を組まないようにしているほか、1・2回戦及び最終2局においても同一手番にならないように定められている(後者は連盟サイトで公表されている抄録には記載されていないが、主催者の朝日新聞社の将棋取材班より規定がある旨告知されている )。 なお、A級プレーオフではが行われる。 頭ハネ [ ] 順位戦で勝敗数が同じだった場合、名人挑戦権を争うA級最上位を除けばプレーオフは行われず、上述のように今期の順位により順位付けをすることとなる。 そのため、同じ成績を収めた複数名が順位によって昇級と残留に分かれることがあり、低順位のために昇級できないことは 頭ハネ と通称されている。 逆に、降級・降級点に際しても順位差で運命が分かれることがあり、C級2組の星1つの差が将来のA級残留・陥落に影響を及ぼすなど 、まさしく「順位」を争う戦いとなっている。 11人で争われた1972年度のにおいて、前期休場のため順位が最下位であったが頭ハネで9位となった。 降級枠3名につき本来であれば降級となるところ、5勝5敗の指し分けを理由として降級とならなかった事例がある。 これについて、当時の順位戦の主催紙である朝日新聞の1973年4月4日付の総括記事では、灘に「指し分けは落さずの規定がないとたいへんだったな」という声がかかった、との記述がある。 しかし、この規定は明文化されたものでなく将棋連盟にも文書化された記録がなかった。 そのため、同じく11人で争われた第76期A級順位戦では、主催者である朝日新聞・毎日新聞・日本将棋連盟による協議の結果、第76期において同様の事例が起きた場合には降級とすることが確認され、第77期以降は改めて協議した上で新たに明文規定を設けることとなった。 第77期以降については、日本将棋連盟のウェブサイトにおける順位戦に関する説明において、A級順位戦での5勝4敗9名による挑戦者決定戦プレーオフを例とした解説が行われ、この中で5勝4敗の勝ち越し者であっても、名人挑戦権を得ない限り順位最下位の者が降級すると記載されている。 これにより、勝ち越し者、指し分け者が降級しないという特例は明示的に否定されることとなった。 昇級に関する例外 [ ] 原則として、B級2組・C級1組・C級2組では成績上位の3名が一つ上のクラスに昇級する(第79期より)。 昇級枠を超える全勝者が出た場合の取り扱いについては明文規定がなく、事例もなかったため長らく不明となっていたが、第77期より 全勝者は順位に関わらず全員昇級となることが明文化された。 C級1組とB級2組への昇級については定員が決まっていないクラスへの昇級なので特に問題ないが、定員が決まっているB級1組への昇級については、次期のB級1組の降級者の人数調整を行う。 例えば、B級2組で全勝が4人出た場合、全員昇級となり、その次の期のB級1組は全14人中下位の4人が降級となる。 なお、A級・B級1組は総当たりであるため、全勝が複数名出ることは生じない。 降級点 [ ] B級2組以下のクラスでは、成績が悪くても1期で降級することはなく、成績下位の一定人数に「降級点」がつけられる。 降級点はB級2組とC級1組では2つ累積、C級2組では3つ累積すると降級する。 C級2組からの降級先はフリークラスである。 降級にリーチをかけた棋士が勝ち越すか、2期連続で指し分ける(5勝5敗)と、降級点を1つ消すことができる。 C級2組の1個目の降級点は、昇級または降級しない限り消えない。 なお、勝ち越しまたは2期連続の指し分けを果たした場合でも降級点付与枠に入った場合は、「降級点付与」と「降級点消去」の条件を同時に満たすこととなる。 このケースでは、降級点が消去された後、新たな降級点が付くことなり、次期のクラスは現状維持となる。 定員過不足の調整 [ ] 定員のあるA級とB級1組では、以下の理由により定員の過不足が発生する場合がある。 定員超過が発生する場合• 前期全休者が降級せず「張出」になる場合。 「」を参照。 B級2組から10戦全勝で規定数より多く昇級した場合(B級1組のみ)。 「」を参照。 定員不足が発生する場合• 引退者・逝去者が出た場合。 A級全休者の「張出」によりB級1組への降級者が少ない場合(B級1組のみ)。 「」を参照。 フリークラス転出者が出た場合(B級1組のみ)。 「」を参照。 年度初めに定員の過不足がある場合、降級予定人数は、次期が定員通りになるように調整する。 年度初めにA級が11人の場合、降級は成績下位の3人となり、9人の場合に降級は1人となる。 B級1組ではA級からの降級予定人数も考慮して調整する。 休場 [ ] 病気などのやむを得ない理由により、年度初めの組み合わせ抽選前に1年間の休場届を出した場合、その年度の対局予定は設定されない(全休)。 その場合、全休初年度は降級せず、次期の順位は「張出」となり、最下位に扱われる。 定員制であるA級とB級1組では、通常の定員を超過することがある。 なお、A級とB級1組では2期連続の全休で降級する。 B級2組以下では2期連続の全休で降級点がつく(休場の時点で降級点がついていればそれも考慮される)。 3期連続全休したら休場時点での降級点数に関係なく降級する。 また、組み合わせ抽選後に順位戦を休場した場合(途中休場)、予定されていた対局は不戦敗となる。 その結果、降級や降級点対象の成績となった場合は降級または降級点付与となる。 順位戦の規定による昇段 [ ] 詳細は「」を参照 順位戦の昇級による昇段規定は、C級1組に昇級すると五段、同様にB級2組昇級で六段、B級1組昇級で七段、A級昇級で八段となっている。 しかし、たとえばB級2組に所属する七段や八段の棋士が初めてB級1組に昇級しても、段位はそのままである。 名人位を1期獲得すると九段となる。 1984年4月1日に「勝数に伴う昇段」の規定が追加される前にA級に昇級した棋士は、ほぼ全員が、五段から八段までをすべて順位戦昇級に伴い昇段した。 これは、順位戦以外の具体的な昇段規定が存在しなかったためである。 その後、昇級に伴う昇段規定(1987年追加、2006年改定)・タイトル挑戦もしくは獲得及び棋戦優勝に伴う昇段規定(2009年追加)が追加されて以降、特に七段までは順位戦昇級前に他の規定を満たし昇段するケースが増えた。 特に竜王戦の連続昇級による昇段規定は満たしやすく、この規定が発足された後五段から七段までをすべて順位戦昇級に伴って昇段したのはのみである。 なお、五段から八段までを順位戦昇級に伴って昇段した棋士は多数いるが、五段から九段まで全て順位戦昇級及び名人獲得に伴って昇段したのはとの2人だけである。 フリークラス [ ] フリークラス制度は1994年4月1日から発足した、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度。 後述の「」を満たさない限り、フリークラス棋士が順位戦・名人戦に参加することはない。 その他の棋戦には参加できる。 フリークラスは、• フリークラスへ編入された棋士• フリークラス宣言をした棋士 に大別される。 いずれも同じ「フリークラス」という名称であるが、これら2つは制度上の性格が全く異なる。 フリークラスへの編入 [ ] 棋士がフリークラスに編入されるのは以下の場合である。 順位戦C級2組在籍の棋士が満60歳を迎える年度前までに降級点が3つ溜まった場合、フリークラスに陥落する。 半年に1度行われる奨励会三段リーグで次点を通算2度とった場合、フリークラスのプロ棋士になる権利を得る。 この権利を行使した例は5名。 (1998年4月編入)、 (2007年4月編入)、 (2008年10月編入)、 (2012年10月編入)、 (2016年4月編入)• この権利を行使せずに三段リーグに留まることもできる (この場合次点は1つ「残り」、もう一度次点を取ることで再びフリークラス入りの権利を得る)。 2004年前期に2度目の次点となったが、権利を行使せずに三段リーグに留まり、第39回三段リーグ(2006年度前期)で2位となって、フリークラスではなくC級2組の棋士としてプロ入りした。 アマチュアまたは女流棋士で、公式戦でプロに混じって一定の成績を収めた者が棋士編入試験(旧名:プロ編入試験)に合格すると、フリークラスの棋士となる。 この制度については「 」を参照。 棋士編入試験に合格しアマチュアからフリークラスに編入された例は3名。 (2005年11月編入) 、 (2015年4月編入) 、 (2020年4月編入) フリークラス編入者の順位戦出場条件 [ ] フリークラスに編入された棋士は、以下の条件のいずれかを満たすことで、次年度以降の順位戦にC級2組(無降級点)から出場できる。 良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上(年度をまたいでも有効)。 全棋士参加棋戦で優勝、またはタイトル(2001年 - 2006年はを含む)挑戦。 フリークラスに編入された棋士が、これらの規定により順位戦出場権を獲得した例は過去に9例ある。 いずれも上記の2の条件「連続30局以上の勝率が6割5分以上」による。 C級2組からの降級による編入後にC級2組に復帰したケース(2例) 、• 奨励会三段リーグ次点2回によるフリークラス編入後、昇級したケース(5例) 伊奈祐介、吉田正和、伊藤真吾、渡辺大夢、佐々木大地• 棋士編入試験合格によるフリークラス編入後、昇級したケース(2例) 瀬川晶司、今泉健司 規定によるフリークラス編入者の引退 [ ] フリークラスに編入した棋士が 編入後10年 以内、または満60歳の誕生日を迎える年度が終了するまでに規定の成績を収められなかった場合、当年度の 全対局を完了した時点でとなる。 このため、60歳を迎えた後にC級2組から降級した場合は、原則としてフリークラスに編入されず即時引退となる。 フリークラス宣言 [ ] 「順位戦在籍可能な最短年数」早見表 宣言時の クラス 宣言時の 降級点 算出 年数 名人 - (10年) A級 (9年) B級1組 8年 B級2組 無し 7年 1 6年 C級1組 無し 5年 1 4年 C級2組 無し 3年 1 2年 2 1年 翌期 のB級1組以下の棋士は、順位戦終了後、年度末までに「フリークラス宣言」を行うことができる。 フリークラス宣言を行った棋士は、 二度と順位戦に出場することはできないが、順位戦以外の公式棋戦に参加できる。 規定の年数は次の通りに算出される。 フリークラス宣言を行った全ての棋士について 「順位戦在籍可能な最短年数」 以下「年数」と表記 までフリークラスに在籍できる。 上記の期間中に満65歳となる棋士は、 「年数」を満了した時点で引退となる。 上記の「年数」が経過した時点で、満50歳以上満64歳以下の棋士は、更に 満65歳を迎える年度までフリークラスに在籍できる。 上記の「年数」が経過した時点で、満49歳以下の棋士は、 更に15年間フリークラスに在籍できる。 ここでいう「順位戦在籍可能な最短年数」とは、当該棋士がそのまま順位戦に在籍し続けたと仮定し、降級したり降級点を取り続けたりしてフリークラスに陥落するまでの最短の年数のことである(右表参照)。 最大で23年 は在籍が可能だが過去に例はなく、満46歳・B級1組で宣言したの19年が最長の記録となっている。 順位戦の記録 [ ] 第1期参加者 八段戦(A級) 14名 八段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 六段・七段戦(B級) 15名 七段 、 、 、 、 六段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 四段・五段戦(C級) 29名 五段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 四段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 期 年度 名人 A級 B級 C級 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B昇級 降級 新加入 1947 14 塚田正夫 10-3 大野源 10-3 萩原 10-3 渡辺東、小泉、 金、梶、 斎藤、金子 15 升田 12-2 藤内、荒巻、 飯塚勘、宮松、 平野信 29 丸田 12-2 高柳 11-3 - 上記 59 1948 塚田正 9 升田 12-2 大野源 9-5 花田 9-5 大山康晴 B1位 村上 17 大山 11-1 丸田 10-2 北楯 9-3 松田辰 8-4 - 35 松浦卓 9-2 原田泰 9-3 京須 9-3 9-3 山川次 8-4 金高 8-4 佐瀬 8-4 板谷四 8-4 8-4 - B級 中井捨吉、、 、五十嵐豊一、 、 62 期 年度 名人 A級 B級 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入 1949 塚田正 10 木村義雄 7-2 松田辰 7-2 大山 6-2 五十嵐 B1位 加藤治 萩原 22 五十嵐 6-1 高島一 5-2 原田泰 4-3 - 21 荒巻 7-2 南口 6-3 加藤博 6-3 山本武 6-3 - 13 - - 、、 、、 、、 三好アマ 67 1950 木村雄 11 大山康晴 6-2 升田 6-2 丸田 5-3 高柳 B1位 北楯 原田泰 22 高柳 7-1 板谷四 6-2 南口 6-2 - 19 花村 8-0 北村秀 7-1 富沢 5-3 - 16 8-0 5-3 - 清野、、 高橋アマ 、 、、 大前アマ 69 1951 木村雄 12 升田幸三 8-1 高島一 五十嵐 大野源 南口 24 松田茂 11-1 原田泰 11-1 荒巻 8-4 北楯 中井 17 灘 10-2 廣津 10-2 野村 畝美 14 吉田六 8-4 二見 8-4 佐藤豊 宮本アマ 加納アマ 内山アマ 68 1952 木村雄 11 大山康晴 6-2 升田 6-2 坂口 荒巻 25 花村 10-2 松下 9-3 小堀 9-3 下位は B2へ 16 B1へ 清野 10-1 B2へ 本間一 10-1 中井 藤内 11 熊谷 8-4 8-4 鈴木禎 平野 二上 64 順位戦(第7回~第20回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入 1953 11 6-2 6-2 6-2 17 8-4 7-4 7-4 9 8-3 8-4 13 12-0 10-2 8-4 13 9-3 9-3 9-3 - 橋本三 佐藤豊 再加入 64 1954 大山 11 升田幸三 7-3 塚田正 7-3 南口 14 9-3 8-3 廣津 14 二上 7-2 7-3 13 山川 9-3 角田 9-3 橋本三 12 山田 10-1 7-3 - 北村昌 65 1955 大山 10 6-2 15 松下 10-3 9-4 南口 村上 15 熊谷 9-4 廣津 8-4 星田 角田 12 8-3 山田 8-3 17 11-1 津村 9-3 - 、 、 、 加藤一、 70 1956 大山 11 8-2 升田 8-2 大野源 松浦卓 松下 12 二上 10-1 9-2 15 9-4 梶 9-4 山本武 14 北村昌 11-2 加藤一 10-3 星田 17 大友 13-3 関根茂 12-4 市川一 吉田六 70 1957 大山 10 升田幸三 7-2 塚田正 7-2 高島一 14 大野源 10-3 丸田 8-5 小堀 板谷四 14 加藤一 9-2 萩原淳 8-3 佐瀬 13 関根茂 9-2 8-3 斎藤銀 20 有吉 10-2 9-3 市川伸 8-4 加藤恵 長谷久、 、 、 、 、 71 1958 升田 10 大山康晴 6-3 大野源 6-3 丸田 6-3 坂口 13 高島一 10-2 加藤一 10-2 梶 萩原淳 15 北村昌 9-4 下平 9-4 建部 岡崎史 13 有吉 10-2 大友 9-3 市川伸 16 佐藤庄 13-2 芹沢 12-3 星田 68 1959 升田 10 大山康晴 7-2 塚田正 7-2 五十嵐 花村 13 熊谷 10-2 加藤博 9-3 松下 14 山田 11-1 大友 9-3 板谷四 13 芹沢 11-1 佐藤庄 9-3 北村秀 津村 15 藤川 12-2 11-3 西本 橋爪 吉田利 北村文 66 1960 大山 10 6-2 熊谷 13 花村 8-4 松浦卓 8-4 坂口 山田 13 芹沢 10-2 有吉 9-3 - 11 岡崎史 7-2 長谷久 7-2 - 14 佐藤大 10-3 大原 10-3 橋本三 62 1961 大山 11 7-2 加藤一 松浦卓 12 芹沢 10-1 廣津 8-3 本間爽 13 山田 8-3 長谷久 8-3 岡崎史 11 佐藤大 8-2 佐瀬 7-3 - 13 内藤 10-2 大村 9-3 - 星田 再加入 61 1962 大山 11 8-1 加藤博 13 加藤一 8-2 熊谷 8-2 - 13 本間爽 11-1 下平 9-3 - 12 内藤 9-2 岡崎史 8-3 - 13 佐伯 10-2 剱持 10-2 - 63 1963 大山 11 升田幸三 8-2 芹沢 廣津 花村 14 加藤博 10-3 五十嵐 9-4 長谷久 高柳 大友 13 内藤 10-1 岡崎史 10-1 - 12 剱持 9-2 大村 8-3 - 14 宮坂 9-4 9-4 - 高島弘 北村文 再加入 65 1964 大山 10 二上達也 7-2 熊谷 灘 14 松田茂 9-2 山田 9-2 内藤 15 関根茂 10-2 長谷久 9-3 - 12 大原 9-2 佐伯 8-3 - 15 12-0 山口千 9-3 9-3 - 板谷進 大内 67 1965 大山 10 7-2 加藤博 7-2 大野源 五十嵐 15 熊谷 11-3 有吉 10-4 原田 岡崎史 15 大友 9-3 佐藤大 9-3 - 13 宮坂 10-2 大内 10-2 木川 藤川 15 米長 10-2 関屋 10-2 斎藤銀 69 1966 大山 10 升田幸三 7-2 加藤一 熊谷 14 灘 10-3 花村 10-3 廣津 下平 長谷久 18 内藤 9-3 佐藤庄 9-3 坂口 南口 11 8-2 米長 8-2 - 16 西村 12-0 木村徳 9-3 8-4 - 橋本三 再加入 桜井 70 順位戦(第21回~第30回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入 1967 大山 10 二上達也 6-2 灘 13 加藤一 9-3 内藤 9-3 五十嵐 本間爽 19 廣津 10-2 宮坂 10-2 - 14 山口千 11-1 板谷進 9-3 - 16 12-0 山口英 10-2 - 中原 73 1968 大山 11 升田幸三 7-2 松田茂 加藤一 12 大友 7-2 関根茂 6-3 - 21 本間爽 9-3 原田 9-3 下平 14 中原 11-1 木村徳 9-3 山本武 17 10-2 高田丈 9-3 木川 石田和 76 1969 大山 11 8-2 内藤 大友 関根茂 14 加藤一 10-2 灘 10-2 宮坂 佐藤庄 松浦卓 20 米長 11-1 中原 11-1 大村 山川 岡崎史 14 高島弘 9-3 石田和 9-3 - 16 桐山 11-1 勝浦 9-3 - 76 1970 大山 10 6-2 加藤博 14 内藤 12-1 中原 10-3 本間爽 松田茂 20 大内 10-2 木村徳 10-2 山口千 17 吉田利 11-1 桐山 10-2 関屋 二見 17 森安秀 10-2 伊達 9-3 津村 賀集 79 1971 大山 10 升田幸三 6-2 二上 6-2 花村 13 原田 9-2 米長 8-3 木村徳 21 高島弘 9-3 長谷久 9-3 佐瀬 松下 15 勝浦 10-2 西村 9-3 - 17 森雞 10-2 9-3 - 田中正 77 1972 大山 11 8-0 塚田正 13 佐藤大 7-1 大内 6-2 - 19 西村 7-1 板谷進 6-2 - 17 松下 7-1 森雞 7-1 - 17 坪内 6-2 6-2 - 佐藤義 78 1973 中原 12 加藤一二三 7-3 原田 大内 13 関根茂 8-3 塚田正 7-4 加藤博 18 桐山 8-2 勝浦 8-2 - 16 田中正 9-1 桜井 8-2 - 17 滝 8-2 野本 7-3 - 77 1974 中原 12 大山康晴 8-2 丸田 佐藤大 灘 14 板谷進 12-1 大内 10-3 原田 大野源 長谷久 17 森雞 9-1 田中正 8-2 五十嵐 清野 17 佐藤義 9-1 山口千 8-2 - 18 田丸 9-1 安恵 9-1 橋本三 星田 79 1975 中原 11 8-2 内藤 関根茂 塚田正 14 桐山 12-1 熊谷 10-3 西村 北村昌 廣津 18 松田茂 8-2 佐伯 7-3 - 19 森安秀 9-1 山口英 8-2 大村 下平 南口 17 8-2 若松 7-3 北村秀 淡路 80 1976 中原 10 8-1 大内 熊谷 14 勝浦 10-3 森雞 9-4 田中正 佐藤大 灘 21 宮坂 9-1 石田和 8-2 大野源 大原 松下 16 野本 8-2 安恵 7-3 坂口 清野 19 真部 10-0 青野 8-2 二見 81 - 1977 が長引いたため、行われず。 (第31回~第35回の順位戦は回次として省略された) 順位戦(第36回~第43回) 期 年度 名人 挑戦者決定リーグ 昇降級リーグ1組 昇降級リーグ2組 昇降級リーグ3組 昇降級リーグ4組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 挑決昇級 降級 枠 1組昇級 降級 枠 2組昇級 降級 枠 3組昇級 降級 新加入 1978 中原 10 7-1 有吉 12 大内 8-3 花村 8-3 - 20 森安秀 9-1 西村 8-2 廣津 本間爽 17 淡路 9-1 真部 9-1 小堀 33 10-0 河口 8-2 前田 8-2 - 15名 別掲 93 【第36期順位戦 新加入者】 15名 、、、 、、、 、、、 、、、 、、 1979 中原 11 米長邦雄 6-3 森雞 6-3 大山 6-3 二上 6-3 大内 花村 12 内藤 9-2 石田和 8-3 松田茂 18 佐藤大 7-3 木村徳 7-3 灘 19 青野 9-1 田丸 7-3 高田丈 31 9-1 木下晃 9-1 8-2 角田 92 1980 中原 10 米長邦雄 8-1 森雞 二上 13 木村徳 10-2 森安秀 9-3 高島弘 18 青野 9-1 真部 8-2 - 19 谷川 8-2 前田 8-2 - 32 9-1 宮田利 8-2 8-2 関屋 福崎文吾 93 1981 中原 10 8-2 板谷進 木村徳 13 大内 9-3 二上 8-4 関根茂 佐伯 20 谷川 10-0 田丸 9-1 山口英 安恵 20 小林健 10-0 福崎 8-2 松下 山中 31 9-1 鈴木輝 7-3 7-3 - 95 1982 中原 10 加藤一二三 8-1 勝浦 石田 13 森雞 10-2 谷川 10-2 木村徳 芹沢 20 福崎 9-1 淡路 8-2 原田 剱持 20 田中寅 9-1 鈴木輝 8-2 廣津 37 10-0 9-1 9-1 降級点制 なし 高橋道雄 中村修 101 1983 加藤一 10 7-2 中原 7-2 大内 二上 13 青野 9-3 淡路 9-3 板谷進 宮坂 20 田中寅 9-1 小林健 8-2 佐藤義 21 中村修 9-1 南 9-1 - 40 脇 10-0 塚田泰 10-0 児玉 8-2 降級点制 なし 105 1984 谷川 10 7-2 内藤 淡路 13 勝浦 9-3 田中寅 9-3 大内 丸田 21 宮坂 8-2 板谷進 8-2 松田茂 23 東 9-1 脇 9-1 五十嵐 伊達 42 神谷 9-1 西川慶 8-2 8-2 降級点制 なし 110 1985 谷川 10 中原誠 6-2 田中寅 13 有吉 9-3 二上 9-3 佐藤大 西村 22 南 9-1 前田 9-1 高島弘 22 塚田泰 10-0 児玉8-2 大原 45 島 10-0 室岡 9-1 武者野 9-1 降級点制 なし 113 順位戦(第44回~第50回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 1986 中原 11 大山康晴 6-4 米長 6-4 加藤一 6-4 森安秀 勝浦 青野 12 南 9-2 小林健 8-3 宮坂 23 西村一 8-2 8-2 山口千 野本 22 安恵 8-2 島 8-2 菊地 46 10-0 小野修 9-1 堀口弘 8-2 降級点制 なし 富岡英作 115 1987 中原 10 米長邦雄 6-3 谷川 6-3 桐山 6-3 二上 小林健 14 内藤 12-1 青野 11-2 森安秀 福崎 田中魁 21 大内 9-1 塚田泰 8-2 佐藤大 24 小野修 10-0 高橋 9-1 佐瀬 若松 49 浦野 10-0 小野敦 9-1 9-1 降級点制 なし 所司和晴 119 1988 中原 10 谷川浩司 8-1 森雞 有吉 13 塚田泰 10-2 真部 9-3 田丸 西村 23 高橋 10-0 福崎 7-3 芹沢 24 滝 9-1 富岡 8-2 野本 53 羽生 10-0 泉 10-0 9-1 46期から 降級点制 復活 124 1989 谷川 10 米長邦雄 7-2 加藤一 真部 12 田中寅 8-3 高橋 8-3 前田 24 田丸 8-2 森安秀 8-2 安恵 24 浦野 8-2 西川慶 8-2 木下晃 山口英 山口千 53 森下 9-1 日浦 8-2 佐藤康 8-2 46期から 降級点制 復活 124 1990 谷川 10 中原誠 6-3 高橋 6-3 桐山 田中寅 13 有吉 10-2 真部 8-4 勝浦 森安秀 24 小野修 8-2 鈴木輝 7-3 丸田 加藤博 北村 23 羽生 10-0 土佐 8-2 - 56 9-1 井上 8-2 8-2 瀬戸 青木 屋敷伸之 127 1991 中原 10 米長邦雄 7-2 青野 真部 12 小林健 10-1 石田和 7-4 鈴木輝 23 森安秀 8-2 島 8-2 長谷久 26 森下 9-1 神谷 9-1 富沢 武者野 剱持 53 森内 9-1 阿部隆 9-1 小林宏 9-1 木村嘉 池田 125 1992 中原 10 6-3 谷川 6-3 南 6-3 大山 6-3 内藤 石田 13 田中寅 10-2 田丸 8-4 真部 淡路 22 羽生 8-2 富岡 8-2 西村 25 村山聖 10-0 森内 10-0 北村 沼 54 有森 9-1 石川 9-1 丸山 9-1 椎橋 田辺 125 順位戦(第51回~第60回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 1993 中原 10 米長邦雄 8-1 田丸 13 羽生 11-1 加藤一 9-3 小野修 桐山 22 森下 9-1 村山聖 9-1 宮坂 佐伯 25 佐藤康 10-0 泉 9-1 丸田 55 郷田 9-1 中田功 8-2 畠山成 8-2 野本 本間博 若松 126 1994 米長 10 7-2 谷川 7-2 小林健 田中寅 12 島 8-3 森下 8-3 石田和 22 桐山 9-1 森内 8-2 桜井 26 井上慶 10-0 有森 9-1 高島弘 安恵 54 真田 9-1 神崎 9-1 藤井猛 9-1 山口英 森安正 125 1995 羽生 10 7-2 中原 7-2 塚田泰 南 12 森内 10-1 村山聖 9-2 大内 22 中村修 9-1 佐藤康 8-2 関根茂 25 藤井猛 10-0 丸山 9-1 佐藤義 宮田利 坪内 48 久保 10-0 三浦 9-1 中川 9-1 木下晃 118 1996 羽生 10 7-2 高橋 有吉 13 佐藤康 11-1 森雞 9-3 富岡 中村修 22 井上慶 9-1 浦野 9-1 滝 24 郷田 8-2 畠山成 8-2 宮坂 佐伯 50 北浜 10-0 先崎 9-1 中田宏 9-1 丸田 120 1997 羽生 10 谷川浩司 8-1 村山聖 森雞 13 高橋 9-3 井上慶 9-3 塚田泰 浦野 23 丸山 9-1 中村修 8-2 鈴木輝 前田 23 中川大 8-2 阿部隆 8-2 河口 51 小倉 10-0 畠山鎮 9-1 鈴木大 9-1 関 121 1998 谷川 10 6-3 米長 高橋 13 丸山 12-0 村山聖 9-3 有吉 内藤 22 郷田 9-1 神谷 9-1 - 24 先崎 9-1 北浜 8-2 滝 49 佐藤秀 9-1 岡崎洋 8-2 深浦 8-2 菊地 加瀬 安恵 119 1999 佐藤康 10 谷川浩司 7-1 森内 7-1 井上慶 12 郷田 9-2 田中寅 8-3 田丸 24 内藤 9-1 先崎 9-1 児玉 大内 24 三浦 9-1 深浦 9-1 関根茂 伊藤果 47 行方 10-0 勝又 9-1 木村一 9-1 伊藤博 宮坂 沼 118 2000 佐藤康 10 8-1 中原 郷田 12 青野 8-3 先崎 8-3 内藤 23 藤井猛 9-1 三浦 9-1 真部 淡路 25 鈴木大 8-2 久保 8-2 前田 45 堀口一 9-1 杉本昌 8-2 北島 8-2 坪内 116 2001 丸山 10 谷川浩司 7-2 田中寅 島 13 藤井猛 9-3 三浦 9-3 小林健 森雞 22 久保 9-1 阿部隆 8-2 有森 東 27 佐藤秀 8-2 行方 8-2 桜井 44 野月 8-2 飯塚祐 8-2 小林裕 8-2 神吉 飯野 117 2002 丸山 10 森内俊之 8-1 先崎 加藤一 13 島 11-1 郷田 9-3 桐山 福崎 22 深浦 9-1 鈴木大 8-2 田中魁 有吉 29 木村一 10-0 畠山鎮 8-2 所司 堀口弘 42 豊川 10-0 松尾 10-0 長沼 8-2 伊藤果 関根茂 117 順位戦(第61回~第70回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 2003 森内 10 羽生善治 6-3 佐藤康 6-3 藤井猛 6-3 森下 郷田 12 久保 8-3 鈴木大 8-3 南 22 中川 8-2 北浜 8-2 小林健 30 杉本昌 9-1 堀口一 9-1 - 45 渡辺明 9-1 窪田 9-1 中座 8-2 植山 野田 伊藤博 復帰 120 2004 羽生 10 森内俊之 9-0 青野 島 13 深浦 11-1 高橋 9-3 神谷 加藤一 22 行方 8-2 堀口一 8-2 石田和 塚田泰 32 屋敷 9-1 野月 9-1 室岡 東 小林宏 大内 44 宮田敦 9-1 千葉 9-1 山﨑 8-2 大野八 122 2005 森内 10 羽生善治 7-2 深浦 高橋 13 森下 9-3 郷田 8-4 田中寅 中村修 22 木村一 9-1 野月 9-1 田丸 31 飯塚祐 8-2 中田宏 9-1 真部 西村 有吉 47 飯島 9-1 近藤正 9-1 平藤 8-2 小阪 熊坂 安西 前田 124 2006 森内 10 谷川浩司 8-1 羽生 8-1 鈴木大 森下 13 深浦 10-2 阿部隆 8-4 先崎 青野 23 畠山鎮 10-0 森雞 7-3 富岡 脇 30 山﨑 10-0 渡辺明 8-2 淡路 児玉 石田和 有森 45 安用寺 9-1 阿久津 8-2 橋本崇 8-2 - 122 2007 森内 10 7-2 深浦 阿部隆 13 木村一 9-3 行方 8-4 野月 森雞 23 渡辺明 10-0 杉本昌 8-2 福崎 西川 29 橋本崇 9-1 松尾 8-2 田丸 47 片上 9-1 広瀬 9-1 上野 9-1 堀口弘 桜井 123 2008 森内 10 羽生善治 8-1 久保 行方 13 鈴木大 11-1 深浦 9-3 島 中川大 22 山﨑 8-2 屋敷 7-3 - 31 阿久津 8-2 豊川 8-2 中座 45 村山慈 9-1 佐々慎 8-2 高野秀 8-2 武市 中尾 122 2009 羽生 10 郷田真隆 7-2 鈴木大 深浦 13 高橋 8-4 井上慶 8-4 北浜 森下 24 松尾 8-2 豊川 8-2 浦野 加藤一 31 安用寺 9-1 窪田 8-2 岡崎洋 小倉 上野 43 大平 9-1 田村 8-2 戸辺 8-2 高田 122 2010 羽生 10 7-2 佐藤康 井上慶 13 渡辺明 10-2 久保 9-3 阿部隆 堀口一 24 中村修 8-2 中田宏 8-2 内藤 森雞 31 戸辺 10-0 飯島 9-1 石川陽 神崎 44 豊島 10-0 高崎 9-1 金井 8-2 藤倉 大内 児玉 123 2011 羽生 10 森内俊之 7-2 木村一 藤井猛 13 佐藤康 9-3 屋敷 8-4 豊川 杉本昌 24 橋本崇 9-1 阿久津 8-2 佐藤秀 土佐 32 広瀬 9-1 田村 9-1 勝又 西川 42 佐藤天 10-0 糸谷 9-1 稲葉 8-2 - 122 2012 森内 10 羽生善治 9-0 丸山 久保 13 橋本崇 9-3 深浦 8-4 藤井猛 中村修 24 広瀬 10-0 飯塚祐 8-2 桐山 田中寅 33 佐藤天 8-2 豊島 7-3 中田功 田中魁 44 阿部健 10-0 中村太 10-0 10-0 島本 船江恒平 125 順位戦(第71回~第78回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 2013 森内 10 羽生善治 8-1 高橋 橋本崇 13 行方 11-1 久保 10-2 井上慶 中田宏 24 藤井猛 9-1 豊島 9-1 神谷 34 稲葉 9-1 村山慈 9-1 森雞 内藤 46 菅井 9-1 阪口 9-1 9-1 上野 川上 斎藤慎太郎 128 2014 森内 10 羽生善治 8-1 屋敷 谷川 13 広瀬 9-3 阿久津 9-3 高橋 鈴木大 25 佐藤天 10-0 村山慈 9-1 堀口一 南 34 糸谷 9-1 佐々慎 8-2 小林健 土佐 桐山 加藤一 46 大石 10-0 澤田 9-1 佐々勇 8-2 伊奈 129 2015 羽生 10 6-3 渡辺明 6-3 久保 6-3 広瀬 6-3 三浦 阿久津 13 佐藤天 10-2 屋敷 8-4 藤井猛 飯塚祐 25 稲葉 9-1 先崎 8-2 泉 33 菅井 9-1 澤田 9-1 脇 50 横山 10-0 千田 9-1 村田顕 8-2 増田裕 石川陽 西川慶 132 2016 羽生 10 8-1 久保 郷田 13 稲葉 10-2 三浦 9-3 村山慈 先崎 26 糸谷 8-2 飯島 8-2 島 杉本昌 安用寺 豊川 高橋 34 中村太 9-1 斎藤慎 9-1 大平 神谷 浦野 47 宮本 9-1 9-1 永瀬 8-2 小倉 田中魁 青嶋未来 131 2017 佐藤天 10 8-1 森内 13 久保 9-3 豊島 8-4 畠山鎮 飯島 23 斎藤慎 9-1 菅井 8-2 - 37 横山 10-0 大石 9-1 南 51 西尾 9-1 門倉 9-1 9-1 藤原 森雞 加藤一 島本 復帰 近藤誠也 135 2018 佐藤天 11 羽生善治 6-4 稲葉 6-4 広瀬 6-4 佐藤康 6-4 久保 6-4 豊島 6-4 渡辺明 行方 屋敷 11 糸谷 8-2 阿久津 6-4 丸山 25 野月 10-0 畠山鎮 9-1 森下 青野 37 千田 10-0 永瀬 9-1 長沼 50 10-0 都成 8-2 増田康 8-2 岡崎洋 藤井聡太 135 2019 佐藤天 10 8-1 深浦 阿久津 13 渡辺明 12-0 木村一 8-4 橋本崇 野月 24 永瀬 10-0 千田 9-1 先崎 39 近藤誠 9-1 杉本昌 9-1 泉 近藤正 田中寅 富岡 福崎 49 及川 10-0 佐藤和 9-1 石井 8-2 渡辺正 136 2020 豊島 10 9-0 木村一 久保 13 菅井 11-1 斎藤慎 9-3 谷川 畠山鎮 25 丸山 9-1 近藤誠 8-2 飯島 田村 36 藤井聡 10-0 佐々勇 9-1 塚田泰 堀口 52 高見 9-1 三枚堂 9-1 古森 9-1 島本 2回目 桐山 137 順位戦参加(名人在位含む) 最多 61期(休場なし) 連続 加藤一二三 61期(休場なし) 最年少 加藤一二三 第9期 14歳 最年長 加藤一二三 第75期 77歳 名人とA級在籍の記録は、 を参照。 順位戦の歴史 [ ]• 1935年(昭和10年) - (現在の)の主催で、第1期の特別リーグ戦が開始される。 1946年(昭和21年) - 第1期順位戦が開始される。 八段の棋士をA級、七、六段をB級、五、四段をC級とする3クラス制であった。 持ち時間は各7時間。 1947年(昭和22年) - 第2期順位戦から、A級の上位3名とB級1位がで挑戦者決定戦を行った。 決勝は三番勝負。 第4期まで行われた。 このルールのため第2期で大山康晴が順位戦史上唯一のB級からの挑戦者となっている。 1948年(昭和23年) - C級を1組と2組に分割し、A級を10名、B級とC級1組を20名とする定員制をもうける。 1949年(昭和24年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社からに移る。 1950年(昭和25年) - 第5期より挑戦者決定戦が廃止され、A級優勝者を挑戦者とする。 1951年(昭和26年) - B級を1組と2組に分割する。 B級1組以下の定員を13名とする。 1962年(昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入する。 B級2組、C級1組は降級点2回、C級2組は3回で降級。 1963年(昭和38年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。 A級、B級1組は総当たり。 1967年(昭和42年) - 持ち時間を各6時間に短縮。 1971年(昭和46年) - 順位戦の制度改革の議論が長引き、B級1組以下は11月から開始。 この年のB級1組以下は1人8局の対局となり、翌年からB級1組は総当たり、B級2組以下は10局の対局となる。 1976年(昭和51年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社に戻る。 「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降級リーグ(1組 - 4組)」と改称する。 期数も名人戦に合わせられ、前期の順位戦が第30期であったが、この期は第36期となった(従って、第31期 - 35期の順位戦は存在しない)。 このとき、挑戦者決定リーグ(順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年の名人戦が実施されなかった。 1981年(昭和56年)- 昇降級リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止。 1983年(昭和58年) - 昇降級リーグが組ごとに同日一斉対局となる。 1985年(昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。 A級からC級2組の5クラスの名称に戻る。 1987年(昭和62年)- C級2組からの降級点制が復活。 1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。 C級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。 1997年(平成9年)- 奨励会三段リーグに次点の制度が設けられる。 三段リーグで次点を2回とった場合、フリークラスの棋士になる権利を得る。 2006年(平成18年) - 前年ののフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。 2007年(平成19年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社・朝日新聞社の共催となる。 2008年(平成20年) - 第66期より順位戦昇級による昇段日が翌年度4月1日から昇級が決まった日になった。 2014年(平成26年) - 第72期A級最終戦一斉対局がので将棋名人戦第0局と銘打ち指された。 最終一斉対局が将棋会館以外で行われるのは、初。 2014年(平成26年) - 第73期からC級2組が50人と多数になり、東京将棋会館と関西将棋会館を合わせても25局の一斉対局が困難なため、組ごとの同日一斉対局ではなく、最後の2局を除き木曜日と金曜日に分割開催となる。 また、B級1組以下の対局日は曜日固定だが、B級2組は木曜日から水曜日に変更された。 このほか、B級1組以下は4月に決定していた全対局日程を3回に分けて決定することとなった。 2016年(平成28年) - 第75期より、B級2組以下は持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になった。 また昼と夕方の食事休憩が50分から40分に短縮された。 2018年(平成30年) - 指し分け残留が発生した当時も規定にはなく、A級において指し分けでも降級することが主催者間で確認された。 2018年(平成30年) - 第76期A級最終戦一斉対局が再び浮月楼にて開催される。 第77期も浮月楼での開催が予定されており 、今後A級最終戦一斉対局は浮月楼での開催が定着する見込みである。 2018年(平成30年) - 第77期順位戦より、B級2組以下で全勝者が昇級枠を超えた場合も昇級すること、降級点が消える場合と付く場合が同時に起こった場合、降級点を消してから追加されることが追記された。 5人に1人に変更された。 また今後5年ごとに、昇級・降級・降級点制度の見直しを実施していくこと(次回見直しは2025年度の第84期)、C級2組の降級点もフリークラス制度とともに将来的な課題として何かしらの見直しを行う方向とした。 2020年(令和2年) - 第78期A級順位戦最終局が浮月楼で開催されるが、名称から名人戦第0局が外され将棋界の一番長い日に変更された。 テレビ中継 [ ] 2012年まで(2011年までの名称は)にて「将棋界の一番長い日」を生中継で放映。 2013年は3月1日から3月2日にかけて、(、、スカパー! プロモ・、)にて「将棋界の一番長い日」全5局の完全生中継を実施。 スカチャンとスカパー! プロモでは最終戦の全試合をそれぞれのチャンネルごとに完全生中継、BSスカパー! と囲碁・将棋チャンネルでは全試合の動向をマルチ画面や、名人ほか棋士による解説などを交えて長時間ノーカットの実況を行った。 司会は戸塚貴久子。 また、2013年はNHKでは中継ではなくダイジェストという形で『将棋界の一番長い日〜第71期A級順位戦最終局〜』として放送される(、2013年3月24日放送)。 2017年2 - 3月にかけては、同年2月にオープンした将棋チャンネルにて、順位戦(A級及びB級1組)の生中継が行われた。 4月以降も主にが登場する対局を中心に、一部の対局がやAbemaTVで中継されている。 エピソード [ ] A級 [ ] 升田対大山「高野山の決戦」(第2期) 名人への挑戦権を争う第2期順位戦(1947年度)では、A級1位-3位とB級1位の4名によるで名人挑戦者決定戦が行われた。 1回戦の(A級3位)対(B級1位)は、花田が病気で欠場(それから間もなく1948年2月28日に死去)。 2回戦の・(A級2位)対大山は、大山が2勝1敗で制する。 そして、決勝三番勝負の(A級1位)対大山は、・のとで行われた。 これが歴史に名高い「高野山の決戦」である。 1勝1敗で迎えた第3局の終盤は升田の勝勢となる。 急転直下で3手後に升田の投了となる。 升田は「錯覚いけない、よく見るよろし」の言葉を残す。 なお、大山は塚田との七番勝負で2勝4敗で敗れ、この期での名人獲得はならなかった。 加藤一二三最短記録で18歳のA級へ(第18期) 初の中学生棋士となったは、C級2組からA級まで1期抜けを果たし18歳でA級八段となり、「神武以来の天才」と呼ばれた(八段昇段、A級昇級ともに最年少記録)。 その後、現在に至るまで10代のA級棋士は現れていない。 名人に挑戦したが、1勝4敗で名人を獲得することはできなかった(奪取失敗)。 20期は3勝6敗で降級を喫し、初の前期挑戦者の降級となった。 名人になったのは、初挑戦から22年を経た1982年であった。 中原誠最短記録で名人に(第30期) は、1966年の第25期にデビューすると前述加藤と同様最短記録タイとなる4期でA級となる。 またA級在位2期目の第31期に8戦全勝で加藤と同じく挑戦者最短記録を達成する。 13期連続名人のに挑戦し、4勝3敗のフルスコアで順位戦初参加より最短で名人襲位を果たした。 その後9連覇を果たす。 大混戦の末大山康晴が最年長記録の挑戦者に(第44期) 前期に大山康晴が休場のため張出となり、11名によるA級リーグとなった。 その為10戦となったが、実力伯仲のため4勝6敗の森安秀光と勝浦修と青野照市が降級となる。 6勝4敗の張出大山康晴と7位加藤一二三と4位米長邦雄による3人のプレーオフとなった。 他残留の5名は5勝5敗の指分けであった。 第1戦は大山と加藤で行われたが千日手で引分け。 同日再対局となり大山が勝利。 第2戦は、大山と米長で指され大山が勝利する。 63歳の大山の挑戦は最年長記録。 大山は中原誠名人に1勝4敗で敗れその後挑戦することは叶わなかった。 4名によるプレーオフ A級順位戦では同率1位が複数人発生した場合はパラマス方式によるプレーオフが行われるが、4名で行われたことが3回ある。 この人数は第76期(後述)で6名によるプレーオフが行われることになるまでの最多タイ記録であった。 参加者は以下の通り( 内は当該期の順位、太字は挑戦者となった人物)• - 1 、 3 、大山康晴 4 、 5• - 2 、 4 、 6 、大山康晴 7• - 2 、 3 、 7 、 9 第50期では8局が終わった段階でがようやく1勝を挙げたものの陥落が決定。 6勝2敗の順位2位谷川浩司と6位高橋道雄が挑戦に近づく。 5勝3敗の4位南芳一とは、自身が勝利し上位2名共が敗れればプレーオフ進出。 最終局の9局目で大山が谷川に勝利し、それぞれ6勝3敗で終える。 高橋は、負ければ降級のに敗れ6勝3敗でプレーオフへ、南芳一は降級が既に決まっていた内藤に勝利し、4人が6勝3敗で並ぶ史上二度目の4人プレーオフとなった。 第1戦は大山と高橋で行われ高橋が勝利。 続く高橋と南で行われた第2戦は23時20分に千日手が成立。 即日指し直しとなり翌3時過ぎに高橋が勝利。 第3戦の高橋谷川戦も高橋が勝利し初の名人挑戦を果たす。 なお、中原誠名人に挑戦した高橋は、第4局まで3勝1敗で名人位獲得へあと1勝と迫るも、そこから3連敗を喫し奪取することは叶わなかった。 プレーオフ進出も敗退した大山は、翌期にA級在籍のまま在位最年長記録の69歳で逝去した。 深浦康市の不運(第53期 - 第65期) は第53期(1994年度)C級2組順位戦で、9勝1敗の4位(次点)で昇級枠の3人に入れなかった。 このとき、10戦全勝が1名()、9勝1敗が4名であった。 1999年度(第58期)B級2組順位戦では深浦を含む3人が9勝1敗で並び、順位が下の深浦は次点となった。 いずれも、頭ハネ(同じ勝ち星の棋士同士ではリーグ表の上位を優先)である。 B級2組以下の順位戦において、9勝1敗の成績で昇級を2度逃した棋士は、順位戦史上、深浦だけである。 それから5年後の第63期(2004年度)で、初めてA級順位戦を戦う。 深浦を含み5名が4勝5敗で終えたが、深浦は昇級直後でリーグ表順位が下位のためB級1組に降級。 しかし、次期のB級1組で圧倒的な成績を収め、A級に即復帰する。 そして迎えた第65期(2006年度)A級順位戦では、深浦を含む6名が4勝5敗で並び、前々期と同様、下位のため降級した。 4勝の成績でA級から2度陥落した棋士も深浦だけである。 8勝1敗で挑戦逃す(第64期) 第64期(2005年度)はA級の8勝1敗が2名発生したため、当該の2名(谷川、羽生)で挑戦者決定のプレーオフが行われることになった。 A級で8勝1敗が複数名発生するのは史上初、プレーオフの結果は谷川の勝ち、敗れた羽生は8勝1敗を収めながら名人挑戦を逃した。 これにより第70期のA級リーグ表は、史上初めてタイトル経験者だけで埋まった。 定跡書に載っている手順を完全に再現(第70期) 第70期 2011年度)の1回戦、対戦。 の先後同型から先手の渡辺が富岡流を用いた。 後手の郷田は先手必勝だと言われていた変化に飛び込み、そのまま終局まで投了した。 感想戦では「定跡ですか…そうですか…」と落胆した。 タイトル二冠の降級(第70期) 第70期(2011年度)では、二冠(棋王・王将)がA級からB級1組へ降級となった。 タイトル二冠の降級は史上初。 三浦弘行の地位保全(第75期) は第75期(2016年度)を2期ぶり15期目のA級で迎え、当初3連敗したものの4回戦の対戦で初勝利。 しかし当該対局の直後に、が指摘され、これにより三浦は2016年10月13日から同年12月31日まで出場停止処分を受けた。 しかしその後疑惑が晴れたことで、日本将棋連盟は、同処分によって不戦敗となるはずだった順位戦の対局(5回戦・対戦及び6回戦・対戦)を保障する必要が生じ、三浦の処遇として、当期順位戦5回戦以降は不戦敗として計上せず 、他の棋士の成績にかかわらず翌76期もA級(11位)に据え置き、当期A級の降級枠は1名のみとすることにした。 結果、森内俊之が佐藤康光と同星ながら頭ハネで陥落、そのままフリークラス宣言をし順位戦を引退した。 史上初の6名によるプレーオフとそれに伴う過密スケジュール、およびタイトルホルダーの陥落(第76期) 前述の三浦弘行の地位保全によって第76期A級順位戦は通常より1名多い11名で行われる運びとなり、・の6勝3敗、・・の5勝4敗、抜け番で6勝4敗確定のが居る状態でA級順位戦最終局一斉対局の2018年3月2日を迎えた。 静岡県ので行われたこの一斉対局で、広瀬が豊島を、残留がかかっていたが久保を下し、佐藤は既に降級が決まっていたに勝利、稲葉も残留をかけたに勝利したことで、6勝4敗6名によるプレーオフが発生した。 なお、当期は8回戦終了時までは、11人全員が(5勝5敗で)指し分ける 可能性も有った大混戦であった。 名人挑戦に王手をかけていた久保・豊島はどちらも共にB級1組から昇級した直後であり、奇しくも挑戦に最も近づいていた2者(両者とも勝っていれば2者だけのプレーオフ、どちらか一方のみであれば挑戦者決定であった)が、パラマス方式のプレーオフで5勝しなければならない最も不利な立場となってしまった。 しかも久保と豊島は第67期の当事者でまさに番勝負が進行中 であり、この合間を縫わなければならない事態となった。 この両者による初戦の対局日程はA級順位戦最終日の2日後の3月4日 に関西将棋会館でとなり、両者は即座に大阪へ移動し対局に臨んだ。 結果は豊島の勝利となり、2回戦進出。 その翌日昼には王将戦第5局(3月6・7日)のためへ移動して再び両者が対局、こちらも豊島が勝って豊島から見て2勝3敗となり、王将戦第6局(3月14・15日、)の開催が確定。 豊島は王将戦が終わった翌8日に大阪へ戻り、中1日の3月10日に佐藤と対局し勝利、さらに翌11日に東京へ移動して12日に東京で広瀬との対局に臨み、勝利。 そのまま翌13日に松本へ移動し、14・15日の第6局に臨んだが敗れて王将奪取は叶わなかった。 さらに18日の羽生戦にも敗れ、名人挑戦も叶わなかった。 豊島は3月に入ってから羽生に敗れるまで、持ち時間6時間以上の対局だけを18日間で7局こなし、対局も移動も無い日は3月9日と17日の2日だけ という過酷極まりないスケジュールとなったが、(自らの最終対局敗戦で招いたこととはいえ)王将・名人ともに報われない結末となった。 結局、3月21日に行われたプレーオフ最終戦の稲葉対羽生の対局で勝った羽生が挑戦者となり、名人戦は2期ぶりの顔合わせとなった。 一方、降級は既に決まっていた屋敷に加え、3勝7敗の行方、そして最終戦で三浦に敗れ4勝6敗で終わった渡辺明棋王(当時)となり8期連続で在席していたA級から陥落。 渡辺は勝てば残留、負けても深浦が負ければ順位の差で残留という残留争いで最も有利な立場ではあったが自身が負け、深浦が勝ったために降級となった。 例年より1局多く、降級枠も1枠多かったとはいえ4勝を挙げながら降級したのは第65期の深浦康市以来11期ぶり 、現役タイトルホルダーの降級は郷田真隆王将(当時)以来2期ぶりとなった。 以上のように、当期は星2つの差がプレーオフ進出と降級を分ける稀に見る混戦だった。 あわや前名人降級も頭ハネで助かる(第78期) 第78期順位戦では最終局を残した時点でが2勝6敗で降級が決定し、3勝5敗の 1位 、 4位 、 10位 のうち1人が降級することとなった。 これまで前名人の降級は前例はないが 、前名人の佐藤天彦は最終局で自身が敗れ、糸谷、木村の両者が勝つと降級することとなった。 最終局の9回戦では佐藤天彦、糸谷、木村いずれも勝ち、3者を含む6名が4勝5敗となり、前名人の佐藤天彦は順位差で残留したが、4勝した棋士のなかで最も順位が低い木村が降級となった。 4勝を挙げながら降級したのは第76期の渡辺明以来2期ぶりとなった。 B級1組 [ ] タイトルホルダーの降級(第45期) 田中寅彦「A級昇級の確率64分の63」(第57期) 第57期(1998年度)のB級1組は、第9回戦終了(残り2局)の時点で(8勝1敗、リーグ表4位)がトップ。 2番手の(7勝2敗、リーグ表11位)と3番手の(6勝3敗、リーグ表2位)が追いかける展開となっていた。 すでに互いの直接対決が終わっていたので、残り2局で田中が2連敗し、かつ、郷田と南が2連勝するという「確率64分 の1」の事態にならない限り、田中は昇級枠2名の中に入りA級復帰するという状況であった。 次の第10回戦で田中は負け、郷田と南は勝ち、「64分の1」が「8分の1」になった。 最終の第11回戦でも田中は負け、郷田は勝った。 しかし、南がに負けたため、田中のA級復帰が決まった。 当時、田中はのテレビで「福崎君に感謝しないと」と語った。 24時間対局(第63期) の第63期B級1組、対では、指し直しと指し直しが発生したために、翌朝9時過ぎまでかかった。 結果は行方の勝ち。 中川はやを脱ぎ、姿で対局した。 翌日も対局があるため、対局場を追い出された2人は、控え室でプラ駒、3寸盤で感想戦を行った。 昼食休憩を挟んでいるので事実上はもっと長い。 結果は堀口の勝ち。 後日、に出演した際、「気力が充実していたから考えられた」との旨を語った。 ちなみに局面は、いわゆる「指定局面」と称されているの先後同形(38手目)から先手番の青野が仕掛けた以降の応酬であった。 で紹介された際は九段に「プロなら第一感の手」と言われた。 井上慶太「A級復帰の確率64分の63を逃してから、復帰を果たすまで」(第67期) 第57期 1998年度 でA級から降級したは早くも翌第58期 1999年度 にA級復帰のチャンスを掴む。 残り2局の時点で7勝2敗 とし、自身が連敗し、追いかける、の両者が連勝するという「確率64分の1」が起きない限りは昇級という状況になる。 しかし、残り2局を連敗すると青野、先崎が連勝し7勝4敗の3位で昇級を逃した。 次に迎えた復帰のチャンスは第61期 2002年度。 再び残り2局の時点で7勝2敗 とし、連勝で復帰を決められる状況になる 1勝1敗の場合は「確率4分の3」 、連敗の場合は「確率8分の1」時 でA級復帰。 しかし、残り2局を連敗し、連勝したに抜かれ3位で昇級を逃した もう1人の昇級者は。 3度目の復帰のチャンスは第67期 2008年度。 この期は大混戦となり、11回戦終了時点で7勝4敗の成績ながら 勝数順で 暫定1位となる。 最終13回戦は抜け番 対局なし のため、自力昇級は無かったものの12回戦は久保利明に勝てば昇級確率は「16分の15」 、負けたら「512分 の3」 になるという大一番となった。 結局、この対局を制した結果、同じく12回戦で先にが敗れていたため、11期ぶりのA級復帰を決めた。 11期ぶりのA級復帰はの14期ぶりに次ぐ2番目の記録。 「鬼のすみか」B級1組に連続在位10期は5番目の記録。 A級昇級者2名がタイトル保持者(第68期) 第68期(2009年度)では、B級1組でがA級初昇級し、・(昇級決定時点では棋王の一冠)がA級に復帰した。 A級昇級者が2名ともタイトル保持者であるのは史上初である。 深浦康市も昇級争いに加わっていたが、終盤で渡辺との直接対決で敗れた。 一方、当時タイトル12期の九段がA級から陥落した。 また、この年度はA級以外においても、B級2組で九段 王将2期 がB級1組に復帰し、九段 ・王位各2期 及び九段 棋聖・王位各2期 がC級1組に降級するなど、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異な年度となった。 大地震の最中に「A級昇級者決定戦」(第69期) 第69期(2010年度)B級1組は、佐藤康光が最終局を待たずしてA級復帰を決め、残る1つの枠を最終局()にて屋敷伸之との直接対決(7勝4敗同士)で争うこととなった。 どちらが勝ってもA級初昇級である。 その対局の途中で()が発生。 対局場の東京・から一同が外に避難し、18時に対局が再開された。 なおもが続く中での対局であったが、屋敷が勝利。 初タイトルから20年経ってからのA級昇級となった。 A級からの降級者がゼロ(第76期) 第75期のA級順位戦は先述の三浦弘行九段の特例措置が施されたことによって降級枠が1名だけとなった。 そして最終戦の結果、3勝6敗勢の中で一番順位の低かった九段が名人位含めて22期連続維持していたA級から陥落した。 その後、森内はフリークラスを宣言したことによって第76期のB級1組にはA級からの降級者が1人もいない状態になり定員13名に対し11名と2人分欠員となった。 通常この人数以下の場合、誰も降級することはないが第76期A級順位戦の降級枠が3名となる関係でB級1組の降級枠が1名となった。 降級枠が1名というケースは過去にも何度かはあったが、A級からの降級者が1人もいない事態は順位戦史上初めての出来事となった。 そして名人2期の経験を持つ丸山忠久が2勝8敗の最下位で降級となり、名人経験者がB級2組に降級するのは第62期の加藤一二三以来14期ぶりとなった。 勝率6割で昇級(第76期) 八段は、6勝4敗(勝率. 600)ながら、2位の成績となり、A級復帰を決めた。 勝率6割での昇級は、順位戦各組で史上最低新記録(予選リーグと決勝リーグの2段階に分かれた第3期を除く)。 ちなみに第76期名人位挑戦も同じ6勝4敗であり、勝率6割での挑戦もA級順位戦史上最低タイ記録(第44期以来)である。 24年振りの師弟対決で師匠の勝利(第77期)師匠が弟子に勝利し昇段 第78期 第77期では、B級1組に復帰したと、第76期でB級1組残留となった弟子のとの師弟対決が組まれることとなった。 順位戦の師弟対決は第53期(1994年12月、B級1組・ - )以来24年振りである。 規定(参照)により、二人の対局はリーグの中間(第7回戦かその前後)で組まれることとなるが、抽選の結果、9月20日予定の第6回戦で組まれることが決まった。 しかし実際には斎藤の王座挑戦が決まり、日程が王座戦五番勝負第2局と重なったため、二人の対局のみ25日に延期となった。 同日行われた対局では、それまで5戦全敗であった畠山が勝って今期の順位戦初勝利を挙げた。 なお両者とも残留となったため、第78期でも師弟対決が組まれることが確定した。 2019年9月12日に行われた第78期5回戦でも畠山が勝利を収めしかもその対局が「七段昇段後公式戦190勝」の規定を満たす事となり八段への昇段となった。 弟子の斎藤もこの期でA級昇級を決め、八段に昇段することとなった。 師匠の畠山も昇級すれば今度はA級の舞台での師弟戦が実現するところだったのだが、畠山は逆にB2に降級することとなり、師弟戦は終わることとなった。 降級する棋士が昇級する棋士から勝ち星をあげるのは珍しい。 永世名人初B級2組への降級(第78期) 永世名人資格者であるがB級2組への降級が決定した。 過去の永世名人はB級2組への降級前に引退やフリークラスに転出しているため、永世名人のB級2組への降級は史上初であった。 B級2組 [ ] B級2組からC級1組に5人同時降級(第74期) 第74期(2015年度)B級2組では、一度に5人の棋士がC級1組に降級となった。 この期は参加者が26人(降級点の枠は5人)で、降級点持ちは・・・・・・・の8人であった。 そのうち青野は前期・当期の2期連続で5勝5敗と指し分け、規定により降級点を抹消 したが、他の7人は序盤から負けが込んだ結果、島・安用寺・杉本・豊川・高橋の5人が降級点2つ累積により、C級1組に降級することとなった。 B級2組以下に降級点制度が導入された第17期(1962年度)以降、3人の棋士がB級2組からC級1組に同時に降級したのは、第23期(1968年度)・第30期(1975年度)・第48期(1989年度)の3回だけであり、4人以上が同時に降級したケースは皆無であったが、当期はそれらの記録を大幅に更新した。 また、同一の順位戦クラスにおいて降級点を喫した棋士が全員降級点を持っていたケースも、全クラスを通じて史上初のケースであった。 なお、この珍事に因り、翌第75期(2016年度)はB級2組の降級点の枠が1名減り、更に窪田・中田がいずれも降級点を喫さなかった為、C級1組への降級者がなしという、B級2組では8例目の事態が発生した。 さらに第77期には、C級1組からC級2組へ5人同時に降級する珍事(泉正樹・近藤正和・田中寅彦・富岡英作・福崎文吾が降級)も起きている。 順位戦全勝の最年長記録を更新(第76期) 第76期(2017年度)B級2組では、当時44歳のが10戦全勝(不戦勝1つを含む)で昇級を決めたが、従来の順位戦における最年長全勝記録は第64期(2005年度)B級2組の・第75期(2016年度)C級1組のの2人が記録した36歳であり、野月が大幅に記録を更新した。 C級1組からB級1組まで2人同時に連続昇級(第77期) 第76期のC級1組では、とがB級2組に昇級となった。 千田が10戦全勝、永瀬拓矢・佐々木勇気・高崎一生の3人が9勝1敗の成績を収めたが、順位の差で永瀬が昇級することとなった。 その後、第77期(2018年度)B級2組においては直接対決があったものの(結果は永瀬の勝ち)、永瀬が10戦全勝、千田も直接対決で敗れたのみで他は全勝の9勝1敗の成績を挙げたことで(他の22人は3敗以上)、 2人同時の連続昇級という珍事が起きた。 桜井門下、受難の一日 第78期 第78期 2019年度 B級2組の最終11回戦は、ここまで全勝の丸山忠久九段が最終戦を待たずにB級1組復帰を決め、残りの1枠を7勝2敗同士で門下の七段とB級2組初参加の六段が争うことに。 順位が上の横山は勝つか近藤が敗れれば昇級、近藤は自身が勝って横山が負けたときにのみ昇級であり、横山の相手はここまで3勝6敗で負ければ降級点付加が確定する八段、近藤の相手は横山の兄弟子である八段だった。 一方、降級点争いも熾烈を極めており、特に3勝6敗且つ降級点1点が付いた者同士の(やはり横山の兄弟子である 七段対七段戦は負ければ即降級の大一番であった。 この3局のうち最初に終局したのは飯島対田村戦で飯島が勝ち4勝6敗で他力ながら残留に望みを繋ぐ。 続いて終局したのは近藤対中田戦で近藤が勝ちキャンセル待ち。 そして最後に終局したのは横山対北浜戦で北浜の勝ち。 この結果、近藤が逆転で昇級。 横山は2年連続次点に泣くことになり北浜は4勝6敗ながら順位が上という事もあり降級点回避。 そして飯島は4勝6敗ながらも順位が最下位という事もあり5枠の降級点の最後の付与者となりC級1組に降級した。 4勝6敗ながら降級点が付いたのは第63期 2004年度 の以来15年振りの出来事だった。 結果的に中田が勝てば弟弟子の横山の昇級をアシストでき、横山が勝てば飯島が助かったなかで昇級も降級回避も勝ち取れなかった桜井門下は受難の一日となってしまった。 C級1組 [ ] あわや3人同時全勝も井上慶太、1敗に泣く 第50期 第50期C級1組はと森内俊之が10戦全勝で昇級したがために、井上慶太が順位9位・9勝1敗ながらも昇級できなかった。 因みにその1敗は昇級にも降級 降級点 にも関係なかった戦 10回戦・全25人のため抜け番あり で、もしこれに勝っていれば、 昇級枠を超える人数の全勝者という順位戦史上初の事態もおかしくなかった。 そしてそれからちょうど20年後に井上の弟子であるも第70期C級2組で似たような不遇を味わうことになる。 そのかたわら、1989年度後期で予選・本戦を連戦連勝し、中原誠棋聖への挑戦者となる。 さらに、1990年度前期棋聖戦で中原に連続挑戦して棋聖位を奪取し、史上最年少タイトル保持者(18歳)となる。 さらに半年後には棋聖位を防衛し、早くもタイトル通算2期となる。 しかし、C級1組からB級2組への昇級には14期もかかることとなり、「」の一つと言われた。 この間、8勝2敗が4回、次点(3位)も4回あり、また、3度目の棋聖獲得をも果たしている。 第62期(2003年度)C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、ようやくB級2組へ昇級した。 あわや師弟同時昇級も藤井聡太、師匠に頭ハネされる(第77期) 第77期C級1組は 順位6位 ・ 順位7位 ・ 順位14位 ・ 順位31位 の4人が最高成績の9勝1敗で並んだがために、船江恒平と藤井聡太が順位の差に泣く不運な結果に終わった。 藤井の1敗は近藤誠也との直接対決 10回戦、全39人のため抜け番あり でついたもので、結果的にはこの対局が昇級者決定戦となった。 なお、この対局はそれまで順位戦において18戦無敗であった藤井にとっては初の黒星となった対局であり、もしこれに勝っていれば、中原誠がそれまで保持していた順位戦無敗の最高記録を更新するところであった。 また、11回戦は近藤誠・杉本・船江・藤井の4人が8勝1敗で並んだ状態で迎え、杉本と藤井がそれぞれ勝ち、近藤誠と船江が負ければ、 32年振りの師弟同時昇級が実現するところであったが 藤井は杉本の弟子 、4人とも勝利したがために、昇級に関して師弟で明暗が分かれる結果となってしまった。 翌78期で藤井は無事B2への昇級を決めたが、近藤も見事逆転でB1への昇級を決めたため、 藤井自身がやればそういう星取になる根拠がないとは言え 直接対決の敗北がB2のみならずB1への昇級も遅れる結果となってしまった。 熾烈を極める昇級争い 第76期~第78期 近年のC級1組順位戦は昇級争いが熾烈を極めており、特に第76期~第78期までの3期は9勝1敗ながらも昇級を逃す棋士が2人も出る異常事態となっている。 第79期からC級1組・B級2組でも昇級枠が3つに増えたのはこの出来事が背景にあるとみられる。 C級2組 [ ] アマチュアの参加(第3期~第5期) 現在の順位戦は純粋な棋士のみの棋戦だが、第3期(1948年度)~第5期(1950年度)は選手の参加を認めていた。 これは、当時の日本将棋連盟が財政難のため、毎日新聞社に名人戦契約金の増額を求める根拠として、棋士の増員を行った一環である。 上位4名の希望者がC級2組(またはC級乙組)に参加した。 1期のみの特別参加だが、成績優秀者はそのまま正規の棋士に編入可能になっていた。 1949年に主催が朝日新聞社に代わると、その翌年を最後にアマチュア参加枠は廃止された。 アマチュアの参加者は三好幸男(第3期)、高橋誠司、大前吉章(第4期)、加納和夫、内山龍馬、宮本茂(第5期)の6人。 高橋が5勝3敗、加納が7勝5敗と勝ち越したが、プロ編入はならなかった。 他の4人は負け越している。 奨励会員の参加(第4期) 第4期のみ、奨励会員から4人が参加した。 C級1組に昇級した2人(、)は三段から六段に、残留した2人(、)は二段から四段に昇段して正式に棋士となったので、これも棋士増員の一環だった。 22年間、降級点無し(第41期~62期 第41期から順位戦に参加したは昇級こそしなかったものの22期にわたって降級点が付かず、当時の将棋界の七不思議の一つとまで言われた。 しかし、2004年度の第63期で初の降級点が付くと続く65期も降級点、66期は5勝5敗で降級点は免れたものの第67期で3つ目の降級点が付きフリークラスへ陥落。 その後、順位戦復帰の成績を収めることができずフリークラスの年齢制限により2014年に引退した。 年齢差59歳の対局(第45期) 1986年8月25日のC級2組、明治生まれ74歳のと高校一年15歳の年齢差59歳対局が行われた。 終了が深夜0時半過ぎに及ぶ熱戦となり、羽生が勝利。 午前8時ごろに清掃員にとめられるまで感想戦をしていたという。 この勝利で羽生は公式戦14連勝を記録。 この後、小堀の順位戦最終結果は2勝8敗となり、この期限りで現役を引退した。 しかし長岡は、その手を指さずに投了。 感想戦で勝ち筋に気付いた長岡は 「最後、勝ってる局面で投了したと書いておいてください。 玉上がれば楽勝でした。 人としておかしいです。 」と観戦記者らにコメントした。 なお、同敗戦により長岡は当期順位戦における降級点が確定し、降級点取得の史上最年少記録(20歳)を作ってしまった。 タイトル経験者初の順位戦陥落(第68期) 前述の通り、第68期では、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異現象が発生したが、当期はC級2組でも、元の九段と初代の九段が累積3つ目の降級点を喫し、順位戦陥落時の年齢規定により引退となった。 タイトル戦()出場経験者が同規定により引退となった前例は、(第54期・1995年度)・(第60期・2001年度)が存在したものの、タイトル獲得経験者が同規定により引退となったケースは当期が初めてであった(その後、第75期(2016年度)にタイトル通算2期のと、元名人のも同じ理由で引退することになる)。 昇級者3人全員が全勝(第70期) この期は、、の3人が10戦全勝で昇級を果たした。 B級2組以下の対局数が10局に定着した第27期以降、同一クラスで3人が全勝で昇級したのは初めての事であった。 このこともありが順位6位・9勝1敗と本来なら昇級してもおかしくない好成績ながらも昇級できなかった。 因みにその1敗は船江との兄弟弟子対決で付いたものである。 60年ぶりのC級2組~名人位獲得経験者初の降級規定に伴う引退(第73期~第75期) は、プロ入り1年目の1954年 第9期 にC級2組で11勝1敗 1位 の成績を収めC級1組へ昇級。 そこからA級まで4期連続で昇級した。 その後、B級1組との往復を4度経験しながらも、62歳を迎える2001年度 第60期 までA級に通算36期在籍した。 1982年には名人位も獲得している。 しかし、2002年度以降は加齢によって順位戦の成績が振るわなくなり、2004年 第63期 にはB級2組に、2009年 第68期 にはC級1組に、2014年 第73期 にはC級2組にそれぞれ降級。 名人位獲得歴のある棋士がB級2組以下に降級して以降も順位戦に出場し続けたのは史上初であった。 このことにより、60年ぶりにC級2組順位戦に出場するという、史上最長の間隔記録を残すことになった。 加藤はC級2組に降級した後も順位戦に出場し続けたが、2014年 第73期 ~2016年 第75期 と3期連続で降級点を喫し、順位戦陥落時の年齢規定により引退することとなった。 中学生初の五段(・六段)昇段と順位戦全勝(第76期) は、初出場の第76期順位戦C級2組において、無敗のまま8勝目を挙げたところで自分より上位の1敗者がいなくなったため、2018年2月1日の9回戦・戦に勝てば他の結果に関係なくC級1組への昇級(と1位通過)が確定する状況であった。 藤井はこの梶浦との対局に勝って昇級を確定させ、同日付けをもって五段に昇段となった。 将棋棋士が中学生のまま五段に昇段したのは史上初である。 過去には、加藤一二三が中学生のうちにC級1組への昇級を決めた例があるものの、当時の規定により五段昇段日は中学校を卒業した直後の(1955年)4月1日となっていた。 なお、藤井は約半月後の2月17日に第11回を制して初優勝し、「全棋士参加棋戦優勝」を満たして六段に昇段している。 こちらも中学生のまま六段に昇段した史上初の快挙である。 順位戦の昇級・昇段が早々に決まっていたために実現した高速昇段であった。 さらに、3月15日のC級2組最終戦でも藤井はとの対局で勝ち、中学生初の順位戦全勝を達成した。 勝勢からの投了により相手棋士が昇級(第76期) は2018年3月15日のC級2組最終戦で(順位第5位)と対局したところ、千日手が成立。 指し直しになったが、指し直し局の終盤で増田の玉に即詰が生じたところを気づかずに神谷が投了してしまった。 もし神谷が即詰に気づいていれば、増田の代わりに(順位第7位)が8勝2敗の成績で昇級する結果となったであろうが、この投了によって増田が8勝2敗の成績でC級1組へ昇級、石井は順位の差に阻まれる結果となってしまった。 しかしこの好成績が幸いして、第77期、石井(順位第2位)は同じ成績を収めながらも、順位の差により今度は見事C級1組への昇級を果たした。 しかし昇級が遅れたことにより、第78期、石井はC1で9勝1敗の好成績をあげながらも、またしても順位の差によりB2への昇級を逃すこととなってしまった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• NHK杯戦では本戦2回戦にシードされる他、の出場権も得られる。 銀河戦についてはブロック戦の最上位に位置づけられる。 また、タイトルホルダーの中での序列も2位以内となるため、やなど本戦シードの枠が固定されている場合にも枠からあふれることがない。 最多勝者が3人以上の場合は、順位下位の2人がプレーオフ1回戦を行い、その勝者が順位上位者と対戦するという「パラマス方式」でプレーオフを行う。 降級枠に該当する 順位下位者が最多勝者として名人挑戦プレーオフに進出し、当該順位下位者がプレーオフを制して 名人挑戦者となった場合は、当該順位下位者の 次に順位の低い者が降級対象者となる。 参加人数が11人以上又は9人以下(期途中で参加棋士が死亡または引退した場合も減員として扱う。 期途中の休場の場合はこれに該当しない)の場合、その期の降級枠は成績下位の(A級参加人数-8)人となる(参加人数が8名以下のときは降級枠は0となる)。 参加人数が14人以上又は12人以下(期途中で参加棋士が死亡または引退した場合も減員として扱う。 全勝者昇級の規定は第77期より明文化し適用。 第26期までは7時間であった。 七番勝負の第7局と同じ持ち時間である。 由来は麻雀のから。 瀬川のプロ編入試験は特例での実施であった。 制度化されたプロ編入試験の合格第1号は今泉。 、、、への出場権がない場合は10(8つのタイトル戦のうち順位戦を除く7棋戦、および、、、)。 一例として、ちょうど30局ならば20勝10敗で勝率6割6分7厘となり条件を満たす。 また、連続29局以内で20勝をあげた場合、その後連敗したとしても勝率の条件をみたすため、20勝目をあげた時点で昇級(現在まで、直近28局で20勝8敗で昇級したが最少対局数)となる。 この条件を満たすためには、出場した棋戦が戦の場合、平均3~4勝が目安となり3勝すれば4局目が4勝すれば5局目が発生する事になる。 なお、リーグ戦の場合は対局数があらかじめ決まっているため勝敗に関わらず条件を満たしている事が多い。 三段リーグ次点2回による編入が「10月1日付」で行われた場合は10年6ヶ月となる。 他の棋戦で好成績を納めている場合、その棋戦に限って出場が認められる。 を参照• C級2組から降級して即時引退となる場合でも、対局が残っている間はフリークラスの棋士として扱われる。 当期ではない。 すなわちA級からB級1組に降級することになった棋士は宣言でき、B級1組からA級に昇級することになった棋士は宣言できない。 フリークラスに制度上最長の23年間在籍できる条件は、宣言時点で順位戦B級1組に在籍し、かつ、満42歳以下であることが挙げられる。 この両方を満たした上で宣言をした場合、条件1に基づく最短年数(8年)を満了した時点で満50歳以下となり、そこから15年経過しても、満65歳以下であるため。 C級1組以上の在籍者がフリークラス宣言をした事例は少なく、1994年度よりフリークラス制度が導入されて以降、2018年度終了時点で、森内の他は・(C級1組・降級点なしの状態で宣言)・(B級2組・降級点1個の状態で宣言)・(B級1組で宣言)・(B級1組で宣言)の5例のみ。 成績は三好 0-4 、高橋 5-3 、大前 2-4 、宮本 3-9 、加納 7-5 、内山 4-8。 48期から52期は順位戦陥落• 48期から52期は順位戦陥落、53期以降はフリークラス編入• フリークラス編入• フリークラス編入• 最年少のプロデビューはの14歳2か月であるが、藤井の順位戦参加は9か月後の14歳11か月であり、加藤の順位戦参加はプロデビュー翌月の14歳8か月である。 (78期・うち名人7期)、2. (7期)、3. (5期)、4. (3期)、5. (1期)、6. (3期・うち名人2期)、7. (27期・うち名人5期)、8. (5期)、9. (12期・うち名人2期)、10. (3期) (タイトル獲得数は2011年度開始時)• 対戦が予定されていた5名の棋士(5回戦・屋敷、6回戦・行方、7回戦・、8回戦・、9回戦・)には不戦勝が計上された。 第76期以降の新たな規定によれば、A級で9人以上が最高成績で並んだ場合でも当該の最高成績者全員でプレーオフを行うが、最高成績と降級枠の両方に該当する者が生じた場合、プレーオフ敗退者のうち順位の下の棋士が降級することとなる。 (第76期の序列は稲葉 1位 、羽生 2位 、広瀬 4位 、佐藤 8位 、久保 9位 、豊島 10位• 最終一斉対局の段階で久保から見て3勝1敗であった。 久保に至っては終局が0時を跨いでいたため厳密には翌日• 16日に松本から東京へ移動して17日は東京滞在であったことが、将棋世界2018年5月号P18に記載されている。 他に残留争いをしていたのは行方・深浦・三浦がいたが、3人とも負ければ即降級だった。 前期挑戦者の降級は第14期に挑戦し第15期に降級した加藤一二三の例がある。 渡辺は4勝6敗で降級。 4勝5敗での降級は第65期の深浦康市以来13期ぶりだった。 この期のB級1組はのフリークラス転出、の死去の影響で12人総当りで行われた。 この期のB級1組はのフリークラス転出の影響で12人総当りで行われた。 が連勝しなければ昇級。 が連敗し、が13回戦で敗れた場合のみ昇級。 、の両者が連勝しなければ昇級。 青野は当期終了時点で63歳を迎えたが、これはB級2組に限定するとの61歳(第49期・1990年度)を上回る最高齢降級点抹消記録で、降級点制が存在する全階級(B級2組・C級1組・C級2組)に範囲を広げてもの64歳(第26期C級2組・1971年度)に次ぐ2位の高齢記録である。 ちなみに降級点持ちの状態で当期を迎え抹消にも降級にも至らなかった窪田及び中田は、まず中田が翌第75期に8勝2敗の好成績を収めて降級点を抹消、さらに窪田も第76期にこの時の青野と同じく5勝5敗と指し分けてこちらも降級点を抹消した。 名人以外のタイトル獲得3期の後に、C級1組在籍のまま1度も昇級せず七段昇段後190勝で八段へ昇段し、九段への昇段も決定し(実際に昇段したのはB級2組昇級時)、この事例も珍記録である。 順位戦としては2017年末時点で年齢差最大の対局であり、全公式戦でも対(2016年12月24日6組ランキング戦)の62歳差に次ぐ歴代2位の記録である。 羽生はこの後15連勝まで伸ばすも、同じ年度にが当時の新記録となる公式戦22連勝を樹立している。 順位戦に出場した中学生は、加藤・藤井以外ではがいるのみである(「中学生棋士」のうち、とはプロデビューが中学3年生の順位戦開幕後であり、順位戦への参加は高校生からになってからであった)。 出典 [ ]• 渡辺明 2016年6月1日. 渡辺明ブログ. 2018年2月16日閲覧。 渡辺明ブログ 2016年6月17日. 2018年2月16日閲覧。 朝日新聞将棋取材班 2019年4月26日. 2019年4月27日閲覧。 佐藤天彦『理想を現実にする力』、2017年、134-135頁。 - 朝日新聞デジタル2018年2月8日16時30分更新• 日本将棋連盟 2018年4月26日閲覧• 日本将棋連盟 2018年4月26日閲覧• フリークラス制度について教えてください。 フリークラス制度というのは、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度です。 日本将棋連盟. 2019年9月28日閲覧。 [ ]• 将棋世界 2014年9月号 138P• 朝日新聞• 日本将棋連盟• 名人戦棋譜速報 日本将棋連盟. 2018年5月8日閲覧。 日本将棋連盟• 静岡市• - スカパー! (2012年12月27日付)• - サイバーエージェント・2017年1月20日• - 朝日新聞(2012年3月3日付)• (2018年2月8日)• - 田丸昇• - 朝日新聞 2018年3月16日 2018年3月16日閲覧。 外部リンク [ ]•

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【第79期順位戦A級2回戦】糸谷哲郎八段が佐藤康光九段に勝利

日本将棋連盟順位戦

概要 [ ] A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の5つのクラスからなり、A級の優勝者がの挑戦者となる。 は順位戦に参加しないが、順位戦を戦わなかった分の名人在位年もA級の在籍年数の記録には累積計上される。 各クラスごとに、おおむね6月から翌年の3月までに亘ってリーグ戦を行い、その成績に応じて次期のクラスと順位が決まる。 新規のプロはC級2組に属するのが原則だが、一部は順位戦に参加しないフリークラス棋士からのスタートとなる。 飛び級はできないため、名人戦の挑戦者となるまでにはプロデビューから最短でも5年かかる。 順位戦の昇級により段位が上がり、棋士が順位戦のどのクラスに属しているかによって対局料が大きく変動し、棋士の収入に直結するほか、他の棋戦で予選の一部が免除されたりすることがある。 また、 順位戦への参加資格を失うことが即時または時限付きの強制引退の条件となることが、他の棋戦に見られない特徴である。 毎年3月上旬頃に行われるA級の最終戦は、全5局が一斉に行われるため、名人への挑戦者と降級者2名がその日に決定することが多く、また対局時間も長いため「 」と称され、将棋界内外から大きな注目を集める。 この日には()・(関西将棋会館)・()で大盤解説会が開催されるほか、テレビ中継なども行われている。 方式 [ ] クラスと昇級・降級 [ ] A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と、順位戦の対局がないから構成されており、A級で最も良い成績を挙げた棋士が名人挑戦権を得る。 各クラスの定員などは以下のように定められている。 【降級点消去条件】• 今期 勝ち越し又は 2期連続の5勝5敗で、 降級点を1点 消去。 付与と消去の条件に同時に該当する場合、 次期は現状維持 (累積と消去 相殺)。 昇・降級時には降級点リセット。 5 に降級点を1点 累積。 備考 C級 2組 【降級者 C2 】 降級点が 累積3点 【降級点付与条件 C2 】• 【C級2組】 消去対象降級点は2つ目のみ。 1つ目の降級点はC級2組では 消去されない。 フリー クラス (順位戦の対局なし) 【宣言フリークラス】 による昇級あり 昇級先はC級2組 <引退規定> 【宣言フリークラス】 順位戦 在籍可能最短年数 経過後、 かつ下記のいずれか早い期限• 満65歳(原則)の誕生日を迎える年度終了まで• 順位戦 在籍可能最短年数+15年 経過後 【その他】 該当者が規定条件を 収められなかった場合、 公式戦 全対局完了時に引退。 <在籍年限> 下記のいずれか早い期限• フリークラス編入後10年以内• 満60歳 (原則)の誕生日を迎える 年度終了まで 現役棋士が在籍するクラスの一覧は、 を参照。 歴代のA級棋士については、 を参照。 クラス内における順位 [ ] 次期の各クラスのリーグ表では、以下の順で上から並べられる。 上位クラスからの降級者(A級は名人戦で敗れた者)• (A級以外)休場者のうち降級の対象となった者• 残留者のうち降級点を取らなかった者(B級1組は全ての残留者、A級は名人に挑戦できなかった全ての残留者)• (C級2組以外)下位クラスからの昇級者• (B級2組以下)残留者のうち降級点を取った者• (C級2組のみ)当年4月1日から9月30日の間にを収めたフリークラス編入者• (C級2組のみ)当年度前期優勝者及び準優勝者• (C級2組のみ)当年10月1日から翌年3月31日の間に規定の成績を収めたフリークラス編入者• (C級2組のみ)当年度後期優勝者及び準優勝者• 休場者のうち降級の対象とならなかった者(後述の通り「」として扱われる) 上記のそれぞれの中で当期の勝敗順を第1優先とし、勝敗同点同士では、当期のリーグ表における順位を第2優先として順位付けをする。 ただし、上記6. 及び8. のフリークラス編入者については、規定の成績への到達が確定した順に上位に位置づけられる。 A級で勝敗数最上位者が複数の場合には名人挑戦者決定戦(プレーオフ)を行われるが、次期A級の2位以下の順位決定には、プレーオフの結果にかかわらず、リーグ戦での成績と今年度の順位のみで決定される。 次期A級の1位については「名人戦で敗れた者が翌年度の順位が1位となる」規定が優先される。 挑戦者決定戦(プレーオフ) [ ] 名人戦挑戦者にはA級での成績最上位者が選ばれるが、最上位者が複数の場合には挑戦者1名を決めるために挑戦者決定戦(プレーオフ)を行う。 3人以上の場合は、順位下位の者からによって挑戦者を決定する()。 持ち時間 [ ] 順位戦のは6時間であり 、あらゆる棋戦の本戦・予選の持ち時間の中で最も長く、しかも1日制のタイトル戦の内、・・のの持ち時間より長い。 また、対局開始はタイトル戦が午前9時であるのに対し、その他の通常の対局と同じ午前10時である。 さらに、昼夕に各40分(2016年6月より)の休憩を挟む。 そのため、順位戦の対局は深夜に及び、日が変わっての終局も珍しくない。 第75期順位戦(度)より、B級2組以下の対局については、ストップウォッチ計時による1分未満の消費時間切り捨てから、計時による1分未満の消費時間算入に改められた。 これは、主として記録係を担当する員の高学歴化が進み、学校を休む必要がある者が増えたためである。 少しでも負担を軽くするため、日をまたぐ対局を極力減らし、記録係がなるべく宿泊せず帰宅できるようにする目的がある。 このルール変更により、終局が「(平均すると)1時間は早くなりそう」とは予想している。 また、同年6月から他の棋戦を含め昼食・夕食休憩がそれぞれ50分から40分に減らされた(タイトル戦は従前どおり1時間である)。 これも同じく、対局時間短縮の意図がある。 これらの変更により、両者がバランス良く持ち時間を使い切ると、B級2組以下では23時20分ごろ、A級とB級1組では0時30分ごろに両者1分将棋に突入することになる。 組み合わせ [ ] 各期順位戦のリーグ表における全ての対戦組み合せと先手・後手は、抽選によって作成される(対局開始の際にはは行われない)。 ただし、抽選は、以下の制約の下で行われる• 「B級2組以下での師弟戦」および「最終局での兄弟弟子同士の対局」は行わない。 A級・B級1組での師弟戦はリーグの中間で行う。 B級2組及びC級1組では、前期未対局者優先で組み合わせる。 組み合わせ不能の場合はこの限りではないが、3年連続同一カードの対局は行わない。 C級2組では、前期対局者と当たらない。 手番(先手・後手)は事前に決定するが、回数の均等に努める。 また手番のばらつきと機会の均等にも配慮がされており、3回連続同一手番の対局を組まないようにしているほか、1・2回戦及び最終2局においても同一手番にならないように定められている(後者は連盟サイトで公表されている抄録には記載されていないが、主催者の朝日新聞社の将棋取材班より規定がある旨告知されている )。 なお、A級プレーオフではが行われる。 頭ハネ [ ] 順位戦で勝敗数が同じだった場合、名人挑戦権を争うA級最上位を除けばプレーオフは行われず、上述のように今期の順位により順位付けをすることとなる。 そのため、同じ成績を収めた複数名が順位によって昇級と残留に分かれることがあり、低順位のために昇級できないことは 頭ハネ と通称されている。 逆に、降級・降級点に際しても順位差で運命が分かれることがあり、C級2組の星1つの差が将来のA級残留・陥落に影響を及ぼすなど 、まさしく「順位」を争う戦いとなっている。 11人で争われた1972年度のにおいて、前期休場のため順位が最下位であったが頭ハネで9位となった。 降級枠3名につき本来であれば降級となるところ、5勝5敗の指し分けを理由として降級とならなかった事例がある。 これについて、当時の順位戦の主催紙である朝日新聞の1973年4月4日付の総括記事では、灘に「指し分けは落さずの規定がないとたいへんだったな」という声がかかった、との記述がある。 しかし、この規定は明文化されたものでなく将棋連盟にも文書化された記録がなかった。 そのため、同じく11人で争われた第76期A級順位戦では、主催者である朝日新聞・毎日新聞・日本将棋連盟による協議の結果、第76期において同様の事例が起きた場合には降級とすることが確認され、第77期以降は改めて協議した上で新たに明文規定を設けることとなった。 第77期以降については、日本将棋連盟のウェブサイトにおける順位戦に関する説明において、A級順位戦での5勝4敗9名による挑戦者決定戦プレーオフを例とした解説が行われ、この中で5勝4敗の勝ち越し者であっても、名人挑戦権を得ない限り順位最下位の者が降級すると記載されている。 これにより、勝ち越し者、指し分け者が降級しないという特例は明示的に否定されることとなった。 昇級に関する例外 [ ] 原則として、B級2組・C級1組・C級2組では成績上位の3名が一つ上のクラスに昇級する(第79期より)。 昇級枠を超える全勝者が出た場合の取り扱いについては明文規定がなく、事例もなかったため長らく不明となっていたが、第77期より 全勝者は順位に関わらず全員昇級となることが明文化された。 C級1組とB級2組への昇級については定員が決まっていないクラスへの昇級なので特に問題ないが、定員が決まっているB級1組への昇級については、次期のB級1組の降級者の人数調整を行う。 例えば、B級2組で全勝が4人出た場合、全員昇級となり、その次の期のB級1組は全14人中下位の4人が降級となる。 なお、A級・B級1組は総当たりであるため、全勝が複数名出ることは生じない。 降級点 [ ] B級2組以下のクラスでは、成績が悪くても1期で降級することはなく、成績下位の一定人数に「降級点」がつけられる。 降級点はB級2組とC級1組では2つ累積、C級2組では3つ累積すると降級する。 C級2組からの降級先はフリークラスである。 降級にリーチをかけた棋士が勝ち越すか、2期連続で指し分ける(5勝5敗)と、降級点を1つ消すことができる。 C級2組の1個目の降級点は、昇級または降級しない限り消えない。 なお、勝ち越しまたは2期連続の指し分けを果たした場合でも降級点付与枠に入った場合は、「降級点付与」と「降級点消去」の条件を同時に満たすこととなる。 このケースでは、降級点が消去された後、新たな降級点が付くことなり、次期のクラスは現状維持となる。 定員過不足の調整 [ ] 定員のあるA級とB級1組では、以下の理由により定員の過不足が発生する場合がある。 定員超過が発生する場合• 前期全休者が降級せず「張出」になる場合。 「」を参照。 B級2組から10戦全勝で規定数より多く昇級した場合(B級1組のみ)。 「」を参照。 定員不足が発生する場合• 引退者・逝去者が出た場合。 A級全休者の「張出」によりB級1組への降級者が少ない場合(B級1組のみ)。 「」を参照。 フリークラス転出者が出た場合(B級1組のみ)。 「」を参照。 年度初めに定員の過不足がある場合、降級予定人数は、次期が定員通りになるように調整する。 年度初めにA級が11人の場合、降級は成績下位の3人となり、9人の場合に降級は1人となる。 B級1組ではA級からの降級予定人数も考慮して調整する。 休場 [ ] 病気などのやむを得ない理由により、年度初めの組み合わせ抽選前に1年間の休場届を出した場合、その年度の対局予定は設定されない(全休)。 その場合、全休初年度は降級せず、次期の順位は「張出」となり、最下位に扱われる。 定員制であるA級とB級1組では、通常の定員を超過することがある。 なお、A級とB級1組では2期連続の全休で降級する。 B級2組以下では2期連続の全休で降級点がつく(休場の時点で降級点がついていればそれも考慮される)。 3期連続全休したら休場時点での降級点数に関係なく降級する。 また、組み合わせ抽選後に順位戦を休場した場合(途中休場)、予定されていた対局は不戦敗となる。 その結果、降級や降級点対象の成績となった場合は降級または降級点付与となる。 順位戦の規定による昇段 [ ] 詳細は「」を参照 順位戦の昇級による昇段規定は、C級1組に昇級すると五段、同様にB級2組昇級で六段、B級1組昇級で七段、A級昇級で八段となっている。 しかし、たとえばB級2組に所属する七段や八段の棋士が初めてB級1組に昇級しても、段位はそのままである。 名人位を1期獲得すると九段となる。 1984年4月1日に「勝数に伴う昇段」の規定が追加される前にA級に昇級した棋士は、ほぼ全員が、五段から八段までをすべて順位戦昇級に伴い昇段した。 これは、順位戦以外の具体的な昇段規定が存在しなかったためである。 その後、昇級に伴う昇段規定(1987年追加、2006年改定)・タイトル挑戦もしくは獲得及び棋戦優勝に伴う昇段規定(2009年追加)が追加されて以降、特に七段までは順位戦昇級前に他の規定を満たし昇段するケースが増えた。 特に竜王戦の連続昇級による昇段規定は満たしやすく、この規定が発足された後五段から七段までをすべて順位戦昇級に伴って昇段したのはのみである。 なお、五段から八段までを順位戦昇級に伴って昇段した棋士は多数いるが、五段から九段まで全て順位戦昇級及び名人獲得に伴って昇段したのはとの2人だけである。 フリークラス [ ] フリークラス制度は1994年4月1日から発足した、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度。 後述の「」を満たさない限り、フリークラス棋士が順位戦・名人戦に参加することはない。 その他の棋戦には参加できる。 フリークラスは、• フリークラスへ編入された棋士• フリークラス宣言をした棋士 に大別される。 いずれも同じ「フリークラス」という名称であるが、これら2つは制度上の性格が全く異なる。 フリークラスへの編入 [ ] 棋士がフリークラスに編入されるのは以下の場合である。 順位戦C級2組在籍の棋士が満60歳を迎える年度前までに降級点が3つ溜まった場合、フリークラスに陥落する。 半年に1度行われる奨励会三段リーグで次点を通算2度とった場合、フリークラスのプロ棋士になる権利を得る。 この権利を行使した例は5名。 (1998年4月編入)、 (2007年4月編入)、 (2008年10月編入)、 (2012年10月編入)、 (2016年4月編入)• この権利を行使せずに三段リーグに留まることもできる (この場合次点は1つ「残り」、もう一度次点を取ることで再びフリークラス入りの権利を得る)。 2004年前期に2度目の次点となったが、権利を行使せずに三段リーグに留まり、第39回三段リーグ(2006年度前期)で2位となって、フリークラスではなくC級2組の棋士としてプロ入りした。 アマチュアまたは女流棋士で、公式戦でプロに混じって一定の成績を収めた者が棋士編入試験(旧名:プロ編入試験)に合格すると、フリークラスの棋士となる。 この制度については「 」を参照。 棋士編入試験に合格しアマチュアからフリークラスに編入された例は3名。 (2005年11月編入) 、 (2015年4月編入) 、 (2020年4月編入) フリークラス編入者の順位戦出場条件 [ ] フリークラスに編入された棋士は、以下の条件のいずれかを満たすことで、次年度以降の順位戦にC級2組(無降級点)から出場できる。 良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上(年度をまたいでも有効)。 全棋士参加棋戦で優勝、またはタイトル(2001年 - 2006年はを含む)挑戦。 フリークラスに編入された棋士が、これらの規定により順位戦出場権を獲得した例は過去に9例ある。 いずれも上記の2の条件「連続30局以上の勝率が6割5分以上」による。 C級2組からの降級による編入後にC級2組に復帰したケース(2例) 、• 奨励会三段リーグ次点2回によるフリークラス編入後、昇級したケース(5例) 伊奈祐介、吉田正和、伊藤真吾、渡辺大夢、佐々木大地• 棋士編入試験合格によるフリークラス編入後、昇級したケース(2例) 瀬川晶司、今泉健司 規定によるフリークラス編入者の引退 [ ] フリークラスに編入した棋士が 編入後10年 以内、または満60歳の誕生日を迎える年度が終了するまでに規定の成績を収められなかった場合、当年度の 全対局を完了した時点でとなる。 このため、60歳を迎えた後にC級2組から降級した場合は、原則としてフリークラスに編入されず即時引退となる。 フリークラス宣言 [ ] 「順位戦在籍可能な最短年数」早見表 宣言時の クラス 宣言時の 降級点 算出 年数 名人 - (10年) A級 (9年) B級1組 8年 B級2組 無し 7年 1 6年 C級1組 無し 5年 1 4年 C級2組 無し 3年 1 2年 2 1年 翌期 のB級1組以下の棋士は、順位戦終了後、年度末までに「フリークラス宣言」を行うことができる。 フリークラス宣言を行った棋士は、 二度と順位戦に出場することはできないが、順位戦以外の公式棋戦に参加できる。 規定の年数は次の通りに算出される。 フリークラス宣言を行った全ての棋士について 「順位戦在籍可能な最短年数」 以下「年数」と表記 までフリークラスに在籍できる。 上記の期間中に満65歳となる棋士は、 「年数」を満了した時点で引退となる。 上記の「年数」が経過した時点で、満50歳以上満64歳以下の棋士は、更に 満65歳を迎える年度までフリークラスに在籍できる。 上記の「年数」が経過した時点で、満49歳以下の棋士は、 更に15年間フリークラスに在籍できる。 ここでいう「順位戦在籍可能な最短年数」とは、当該棋士がそのまま順位戦に在籍し続けたと仮定し、降級したり降級点を取り続けたりしてフリークラスに陥落するまでの最短の年数のことである(右表参照)。 最大で23年 は在籍が可能だが過去に例はなく、満46歳・B級1組で宣言したの19年が最長の記録となっている。 順位戦の記録 [ ] 第1期参加者 八段戦(A級) 14名 八段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 六段・七段戦(B級) 15名 七段 、 、 、 、 六段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 四段・五段戦(C級) 29名 五段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 四段 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 期 年度 名人 A級 B級 C級 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B昇級 降級 新加入 1947 14 塚田正夫 10-3 大野源 10-3 萩原 10-3 渡辺東、小泉、 金、梶、 斎藤、金子 15 升田 12-2 藤内、荒巻、 飯塚勘、宮松、 平野信 29 丸田 12-2 高柳 11-3 - 上記 59 1948 塚田正 9 升田 12-2 大野源 9-5 花田 9-5 大山康晴 B1位 村上 17 大山 11-1 丸田 10-2 北楯 9-3 松田辰 8-4 - 35 松浦卓 9-2 原田泰 9-3 京須 9-3 9-3 山川次 8-4 金高 8-4 佐瀬 8-4 板谷四 8-4 8-4 - B級 中井捨吉、、 、五十嵐豊一、 、 62 期 年度 名人 A級 B級 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入 1949 塚田正 10 木村義雄 7-2 松田辰 7-2 大山 6-2 五十嵐 B1位 加藤治 萩原 22 五十嵐 6-1 高島一 5-2 原田泰 4-3 - 21 荒巻 7-2 南口 6-3 加藤博 6-3 山本武 6-3 - 13 - - 、、 、、 、、 三好アマ 67 1950 木村雄 11 大山康晴 6-2 升田 6-2 丸田 5-3 高柳 B1位 北楯 原田泰 22 高柳 7-1 板谷四 6-2 南口 6-2 - 19 花村 8-0 北村秀 7-1 富沢 5-3 - 16 8-0 5-3 - 清野、、 高橋アマ 、 、、 大前アマ 69 1951 木村雄 12 升田幸三 8-1 高島一 五十嵐 大野源 南口 24 松田茂 11-1 原田泰 11-1 荒巻 8-4 北楯 中井 17 灘 10-2 廣津 10-2 野村 畝美 14 吉田六 8-4 二見 8-4 佐藤豊 宮本アマ 加納アマ 内山アマ 68 1952 木村雄 11 大山康晴 6-2 升田 6-2 坂口 荒巻 25 花村 10-2 松下 9-3 小堀 9-3 下位は B2へ 16 B1へ 清野 10-1 B2へ 本間一 10-1 中井 藤内 11 熊谷 8-4 8-4 鈴木禎 平野 二上 64 順位戦(第7回~第20回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入 1953 11 6-2 6-2 6-2 17 8-4 7-4 7-4 9 8-3 8-4 13 12-0 10-2 8-4 13 9-3 9-3 9-3 - 橋本三 佐藤豊 再加入 64 1954 大山 11 升田幸三 7-3 塚田正 7-3 南口 14 9-3 8-3 廣津 14 二上 7-2 7-3 13 山川 9-3 角田 9-3 橋本三 12 山田 10-1 7-3 - 北村昌 65 1955 大山 10 6-2 15 松下 10-3 9-4 南口 村上 15 熊谷 9-4 廣津 8-4 星田 角田 12 8-3 山田 8-3 17 11-1 津村 9-3 - 、 、 、 加藤一、 70 1956 大山 11 8-2 升田 8-2 大野源 松浦卓 松下 12 二上 10-1 9-2 15 9-4 梶 9-4 山本武 14 北村昌 11-2 加藤一 10-3 星田 17 大友 13-3 関根茂 12-4 市川一 吉田六 70 1957 大山 10 升田幸三 7-2 塚田正 7-2 高島一 14 大野源 10-3 丸田 8-5 小堀 板谷四 14 加藤一 9-2 萩原淳 8-3 佐瀬 13 関根茂 9-2 8-3 斎藤銀 20 有吉 10-2 9-3 市川伸 8-4 加藤恵 長谷久、 、 、 、 、 71 1958 升田 10 大山康晴 6-3 大野源 6-3 丸田 6-3 坂口 13 高島一 10-2 加藤一 10-2 梶 萩原淳 15 北村昌 9-4 下平 9-4 建部 岡崎史 13 有吉 10-2 大友 9-3 市川伸 16 佐藤庄 13-2 芹沢 12-3 星田 68 1959 升田 10 大山康晴 7-2 塚田正 7-2 五十嵐 花村 13 熊谷 10-2 加藤博 9-3 松下 14 山田 11-1 大友 9-3 板谷四 13 芹沢 11-1 佐藤庄 9-3 北村秀 津村 15 藤川 12-2 11-3 西本 橋爪 吉田利 北村文 66 1960 大山 10 6-2 熊谷 13 花村 8-4 松浦卓 8-4 坂口 山田 13 芹沢 10-2 有吉 9-3 - 11 岡崎史 7-2 長谷久 7-2 - 14 佐藤大 10-3 大原 10-3 橋本三 62 1961 大山 11 7-2 加藤一 松浦卓 12 芹沢 10-1 廣津 8-3 本間爽 13 山田 8-3 長谷久 8-3 岡崎史 11 佐藤大 8-2 佐瀬 7-3 - 13 内藤 10-2 大村 9-3 - 星田 再加入 61 1962 大山 11 8-1 加藤博 13 加藤一 8-2 熊谷 8-2 - 13 本間爽 11-1 下平 9-3 - 12 内藤 9-2 岡崎史 8-3 - 13 佐伯 10-2 剱持 10-2 - 63 1963 大山 11 升田幸三 8-2 芹沢 廣津 花村 14 加藤博 10-3 五十嵐 9-4 長谷久 高柳 大友 13 内藤 10-1 岡崎史 10-1 - 12 剱持 9-2 大村 8-3 - 14 宮坂 9-4 9-4 - 高島弘 北村文 再加入 65 1964 大山 10 二上達也 7-2 熊谷 灘 14 松田茂 9-2 山田 9-2 内藤 15 関根茂 10-2 長谷久 9-3 - 12 大原 9-2 佐伯 8-3 - 15 12-0 山口千 9-3 9-3 - 板谷進 大内 67 1965 大山 10 7-2 加藤博 7-2 大野源 五十嵐 15 熊谷 11-3 有吉 10-4 原田 岡崎史 15 大友 9-3 佐藤大 9-3 - 13 宮坂 10-2 大内 10-2 木川 藤川 15 米長 10-2 関屋 10-2 斎藤銀 69 1966 大山 10 升田幸三 7-2 加藤一 熊谷 14 灘 10-3 花村 10-3 廣津 下平 長谷久 18 内藤 9-3 佐藤庄 9-3 坂口 南口 11 8-2 米長 8-2 - 16 西村 12-0 木村徳 9-3 8-4 - 橋本三 再加入 桜井 70 順位戦(第21回~第30回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入 1967 大山 10 二上達也 6-2 灘 13 加藤一 9-3 内藤 9-3 五十嵐 本間爽 19 廣津 10-2 宮坂 10-2 - 14 山口千 11-1 板谷進 9-3 - 16 12-0 山口英 10-2 - 中原 73 1968 大山 11 升田幸三 7-2 松田茂 加藤一 12 大友 7-2 関根茂 6-3 - 21 本間爽 9-3 原田 9-3 下平 14 中原 11-1 木村徳 9-3 山本武 17 10-2 高田丈 9-3 木川 石田和 76 1969 大山 11 8-2 内藤 大友 関根茂 14 加藤一 10-2 灘 10-2 宮坂 佐藤庄 松浦卓 20 米長 11-1 中原 11-1 大村 山川 岡崎史 14 高島弘 9-3 石田和 9-3 - 16 桐山 11-1 勝浦 9-3 - 76 1970 大山 10 6-2 加藤博 14 内藤 12-1 中原 10-3 本間爽 松田茂 20 大内 10-2 木村徳 10-2 山口千 17 吉田利 11-1 桐山 10-2 関屋 二見 17 森安秀 10-2 伊達 9-3 津村 賀集 79 1971 大山 10 升田幸三 6-2 二上 6-2 花村 13 原田 9-2 米長 8-3 木村徳 21 高島弘 9-3 長谷久 9-3 佐瀬 松下 15 勝浦 10-2 西村 9-3 - 17 森雞 10-2 9-3 - 田中正 77 1972 大山 11 8-0 塚田正 13 佐藤大 7-1 大内 6-2 - 19 西村 7-1 板谷進 6-2 - 17 松下 7-1 森雞 7-1 - 17 坪内 6-2 6-2 - 佐藤義 78 1973 中原 12 加藤一二三 7-3 原田 大内 13 関根茂 8-3 塚田正 7-4 加藤博 18 桐山 8-2 勝浦 8-2 - 16 田中正 9-1 桜井 8-2 - 17 滝 8-2 野本 7-3 - 77 1974 中原 12 大山康晴 8-2 丸田 佐藤大 灘 14 板谷進 12-1 大内 10-3 原田 大野源 長谷久 17 森雞 9-1 田中正 8-2 五十嵐 清野 17 佐藤義 9-1 山口千 8-2 - 18 田丸 9-1 安恵 9-1 橋本三 星田 79 1975 中原 11 8-2 内藤 関根茂 塚田正 14 桐山 12-1 熊谷 10-3 西村 北村昌 廣津 18 松田茂 8-2 佐伯 7-3 - 19 森安秀 9-1 山口英 8-2 大村 下平 南口 17 8-2 若松 7-3 北村秀 淡路 80 1976 中原 10 8-1 大内 熊谷 14 勝浦 10-3 森雞 9-4 田中正 佐藤大 灘 21 宮坂 9-1 石田和 8-2 大野源 大原 松下 16 野本 8-2 安恵 7-3 坂口 清野 19 真部 10-0 青野 8-2 二見 81 - 1977 が長引いたため、行われず。 (第31回~第35回の順位戦は回次として省略された) 順位戦(第36回~第43回) 期 年度 名人 挑戦者決定リーグ 昇降級リーグ1組 昇降級リーグ2組 昇降級リーグ3組 昇降級リーグ4組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 挑決昇級 降級 枠 1組昇級 降級 枠 2組昇級 降級 枠 3組昇級 降級 新加入 1978 中原 10 7-1 有吉 12 大内 8-3 花村 8-3 - 20 森安秀 9-1 西村 8-2 廣津 本間爽 17 淡路 9-1 真部 9-1 小堀 33 10-0 河口 8-2 前田 8-2 - 15名 別掲 93 【第36期順位戦 新加入者】 15名 、、、 、、、 、、、 、、、 、、 1979 中原 11 米長邦雄 6-3 森雞 6-3 大山 6-3 二上 6-3 大内 花村 12 内藤 9-2 石田和 8-3 松田茂 18 佐藤大 7-3 木村徳 7-3 灘 19 青野 9-1 田丸 7-3 高田丈 31 9-1 木下晃 9-1 8-2 角田 92 1980 中原 10 米長邦雄 8-1 森雞 二上 13 木村徳 10-2 森安秀 9-3 高島弘 18 青野 9-1 真部 8-2 - 19 谷川 8-2 前田 8-2 - 32 9-1 宮田利 8-2 8-2 関屋 福崎文吾 93 1981 中原 10 8-2 板谷進 木村徳 13 大内 9-3 二上 8-4 関根茂 佐伯 20 谷川 10-0 田丸 9-1 山口英 安恵 20 小林健 10-0 福崎 8-2 松下 山中 31 9-1 鈴木輝 7-3 7-3 - 95 1982 中原 10 加藤一二三 8-1 勝浦 石田 13 森雞 10-2 谷川 10-2 木村徳 芹沢 20 福崎 9-1 淡路 8-2 原田 剱持 20 田中寅 9-1 鈴木輝 8-2 廣津 37 10-0 9-1 9-1 降級点制 なし 高橋道雄 中村修 101 1983 加藤一 10 7-2 中原 7-2 大内 二上 13 青野 9-3 淡路 9-3 板谷進 宮坂 20 田中寅 9-1 小林健 8-2 佐藤義 21 中村修 9-1 南 9-1 - 40 脇 10-0 塚田泰 10-0 児玉 8-2 降級点制 なし 105 1984 谷川 10 7-2 内藤 淡路 13 勝浦 9-3 田中寅 9-3 大内 丸田 21 宮坂 8-2 板谷進 8-2 松田茂 23 東 9-1 脇 9-1 五十嵐 伊達 42 神谷 9-1 西川慶 8-2 8-2 降級点制 なし 110 1985 谷川 10 中原誠 6-2 田中寅 13 有吉 9-3 二上 9-3 佐藤大 西村 22 南 9-1 前田 9-1 高島弘 22 塚田泰 10-0 児玉8-2 大原 45 島 10-0 室岡 9-1 武者野 9-1 降級点制 なし 113 順位戦(第44回~第50回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 1986 中原 11 大山康晴 6-4 米長 6-4 加藤一 6-4 森安秀 勝浦 青野 12 南 9-2 小林健 8-3 宮坂 23 西村一 8-2 8-2 山口千 野本 22 安恵 8-2 島 8-2 菊地 46 10-0 小野修 9-1 堀口弘 8-2 降級点制 なし 富岡英作 115 1987 中原 10 米長邦雄 6-3 谷川 6-3 桐山 6-3 二上 小林健 14 内藤 12-1 青野 11-2 森安秀 福崎 田中魁 21 大内 9-1 塚田泰 8-2 佐藤大 24 小野修 10-0 高橋 9-1 佐瀬 若松 49 浦野 10-0 小野敦 9-1 9-1 降級点制 なし 所司和晴 119 1988 中原 10 谷川浩司 8-1 森雞 有吉 13 塚田泰 10-2 真部 9-3 田丸 西村 23 高橋 10-0 福崎 7-3 芹沢 24 滝 9-1 富岡 8-2 野本 53 羽生 10-0 泉 10-0 9-1 46期から 降級点制 復活 124 1989 谷川 10 米長邦雄 7-2 加藤一 真部 12 田中寅 8-3 高橋 8-3 前田 24 田丸 8-2 森安秀 8-2 安恵 24 浦野 8-2 西川慶 8-2 木下晃 山口英 山口千 53 森下 9-1 日浦 8-2 佐藤康 8-2 46期から 降級点制 復活 124 1990 谷川 10 中原誠 6-3 高橋 6-3 桐山 田中寅 13 有吉 10-2 真部 8-4 勝浦 森安秀 24 小野修 8-2 鈴木輝 7-3 丸田 加藤博 北村 23 羽生 10-0 土佐 8-2 - 56 9-1 井上 8-2 8-2 瀬戸 青木 屋敷伸之 127 1991 中原 10 米長邦雄 7-2 青野 真部 12 小林健 10-1 石田和 7-4 鈴木輝 23 森安秀 8-2 島 8-2 長谷久 26 森下 9-1 神谷 9-1 富沢 武者野 剱持 53 森内 9-1 阿部隆 9-1 小林宏 9-1 木村嘉 池田 125 1992 中原 10 6-3 谷川 6-3 南 6-3 大山 6-3 内藤 石田 13 田中寅 10-2 田丸 8-4 真部 淡路 22 羽生 8-2 富岡 8-2 西村 25 村山聖 10-0 森内 10-0 北村 沼 54 有森 9-1 石川 9-1 丸山 9-1 椎橋 田辺 125 順位戦(第51回~第60回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 1993 中原 10 米長邦雄 8-1 田丸 13 羽生 11-1 加藤一 9-3 小野修 桐山 22 森下 9-1 村山聖 9-1 宮坂 佐伯 25 佐藤康 10-0 泉 9-1 丸田 55 郷田 9-1 中田功 8-2 畠山成 8-2 野本 本間博 若松 126 1994 米長 10 7-2 谷川 7-2 小林健 田中寅 12 島 8-3 森下 8-3 石田和 22 桐山 9-1 森内 8-2 桜井 26 井上慶 10-0 有森 9-1 高島弘 安恵 54 真田 9-1 神崎 9-1 藤井猛 9-1 山口英 森安正 125 1995 羽生 10 7-2 中原 7-2 塚田泰 南 12 森内 10-1 村山聖 9-2 大内 22 中村修 9-1 佐藤康 8-2 関根茂 25 藤井猛 10-0 丸山 9-1 佐藤義 宮田利 坪内 48 久保 10-0 三浦 9-1 中川 9-1 木下晃 118 1996 羽生 10 7-2 高橋 有吉 13 佐藤康 11-1 森雞 9-3 富岡 中村修 22 井上慶 9-1 浦野 9-1 滝 24 郷田 8-2 畠山成 8-2 宮坂 佐伯 50 北浜 10-0 先崎 9-1 中田宏 9-1 丸田 120 1997 羽生 10 谷川浩司 8-1 村山聖 森雞 13 高橋 9-3 井上慶 9-3 塚田泰 浦野 23 丸山 9-1 中村修 8-2 鈴木輝 前田 23 中川大 8-2 阿部隆 8-2 河口 51 小倉 10-0 畠山鎮 9-1 鈴木大 9-1 関 121 1998 谷川 10 6-3 米長 高橋 13 丸山 12-0 村山聖 9-3 有吉 内藤 22 郷田 9-1 神谷 9-1 - 24 先崎 9-1 北浜 8-2 滝 49 佐藤秀 9-1 岡崎洋 8-2 深浦 8-2 菊地 加瀬 安恵 119 1999 佐藤康 10 谷川浩司 7-1 森内 7-1 井上慶 12 郷田 9-2 田中寅 8-3 田丸 24 内藤 9-1 先崎 9-1 児玉 大内 24 三浦 9-1 深浦 9-1 関根茂 伊藤果 47 行方 10-0 勝又 9-1 木村一 9-1 伊藤博 宮坂 沼 118 2000 佐藤康 10 8-1 中原 郷田 12 青野 8-3 先崎 8-3 内藤 23 藤井猛 9-1 三浦 9-1 真部 淡路 25 鈴木大 8-2 久保 8-2 前田 45 堀口一 9-1 杉本昌 8-2 北島 8-2 坪内 116 2001 丸山 10 谷川浩司 7-2 田中寅 島 13 藤井猛 9-3 三浦 9-3 小林健 森雞 22 久保 9-1 阿部隆 8-2 有森 東 27 佐藤秀 8-2 行方 8-2 桜井 44 野月 8-2 飯塚祐 8-2 小林裕 8-2 神吉 飯野 117 2002 丸山 10 森内俊之 8-1 先崎 加藤一 13 島 11-1 郷田 9-3 桐山 福崎 22 深浦 9-1 鈴木大 8-2 田中魁 有吉 29 木村一 10-0 畠山鎮 8-2 所司 堀口弘 42 豊川 10-0 松尾 10-0 長沼 8-2 伊藤果 関根茂 117 順位戦(第61回~第70回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 2003 森内 10 羽生善治 6-3 佐藤康 6-3 藤井猛 6-3 森下 郷田 12 久保 8-3 鈴木大 8-3 南 22 中川 8-2 北浜 8-2 小林健 30 杉本昌 9-1 堀口一 9-1 - 45 渡辺明 9-1 窪田 9-1 中座 8-2 植山 野田 伊藤博 復帰 120 2004 羽生 10 森内俊之 9-0 青野 島 13 深浦 11-1 高橋 9-3 神谷 加藤一 22 行方 8-2 堀口一 8-2 石田和 塚田泰 32 屋敷 9-1 野月 9-1 室岡 東 小林宏 大内 44 宮田敦 9-1 千葉 9-1 山﨑 8-2 大野八 122 2005 森内 10 羽生善治 7-2 深浦 高橋 13 森下 9-3 郷田 8-4 田中寅 中村修 22 木村一 9-1 野月 9-1 田丸 31 飯塚祐 8-2 中田宏 9-1 真部 西村 有吉 47 飯島 9-1 近藤正 9-1 平藤 8-2 小阪 熊坂 安西 前田 124 2006 森内 10 谷川浩司 8-1 羽生 8-1 鈴木大 森下 13 深浦 10-2 阿部隆 8-4 先崎 青野 23 畠山鎮 10-0 森雞 7-3 富岡 脇 30 山﨑 10-0 渡辺明 8-2 淡路 児玉 石田和 有森 45 安用寺 9-1 阿久津 8-2 橋本崇 8-2 - 122 2007 森内 10 7-2 深浦 阿部隆 13 木村一 9-3 行方 8-4 野月 森雞 23 渡辺明 10-0 杉本昌 8-2 福崎 西川 29 橋本崇 9-1 松尾 8-2 田丸 47 片上 9-1 広瀬 9-1 上野 9-1 堀口弘 桜井 123 2008 森内 10 羽生善治 8-1 久保 行方 13 鈴木大 11-1 深浦 9-3 島 中川大 22 山﨑 8-2 屋敷 7-3 - 31 阿久津 8-2 豊川 8-2 中座 45 村山慈 9-1 佐々慎 8-2 高野秀 8-2 武市 中尾 122 2009 羽生 10 郷田真隆 7-2 鈴木大 深浦 13 高橋 8-4 井上慶 8-4 北浜 森下 24 松尾 8-2 豊川 8-2 浦野 加藤一 31 安用寺 9-1 窪田 8-2 岡崎洋 小倉 上野 43 大平 9-1 田村 8-2 戸辺 8-2 高田 122 2010 羽生 10 7-2 佐藤康 井上慶 13 渡辺明 10-2 久保 9-3 阿部隆 堀口一 24 中村修 8-2 中田宏 8-2 内藤 森雞 31 戸辺 10-0 飯島 9-1 石川陽 神崎 44 豊島 10-0 高崎 9-1 金井 8-2 藤倉 大内 児玉 123 2011 羽生 10 森内俊之 7-2 木村一 藤井猛 13 佐藤康 9-3 屋敷 8-4 豊川 杉本昌 24 橋本崇 9-1 阿久津 8-2 佐藤秀 土佐 32 広瀬 9-1 田村 9-1 勝又 西川 42 佐藤天 10-0 糸谷 9-1 稲葉 8-2 - 122 2012 森内 10 羽生善治 9-0 丸山 久保 13 橋本崇 9-3 深浦 8-4 藤井猛 中村修 24 広瀬 10-0 飯塚祐 8-2 桐山 田中寅 33 佐藤天 8-2 豊島 7-3 中田功 田中魁 44 阿部健 10-0 中村太 10-0 10-0 島本 船江恒平 125 順位戦(第71回~第78回) 期 年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数 枠 挑戦者 降級 枠 A昇級 降級 枠 B1昇級 降級 枠 B2昇級 降級 枠 C1昇級 降級 新加入・復帰 2013 森内 10 羽生善治 8-1 高橋 橋本崇 13 行方 11-1 久保 10-2 井上慶 中田宏 24 藤井猛 9-1 豊島 9-1 神谷 34 稲葉 9-1 村山慈 9-1 森雞 内藤 46 菅井 9-1 阪口 9-1 9-1 上野 川上 斎藤慎太郎 128 2014 森内 10 羽生善治 8-1 屋敷 谷川 13 広瀬 9-3 阿久津 9-3 高橋 鈴木大 25 佐藤天 10-0 村山慈 9-1 堀口一 南 34 糸谷 9-1 佐々慎 8-2 小林健 土佐 桐山 加藤一 46 大石 10-0 澤田 9-1 佐々勇 8-2 伊奈 129 2015 羽生 10 6-3 渡辺明 6-3 久保 6-3 広瀬 6-3 三浦 阿久津 13 佐藤天 10-2 屋敷 8-4 藤井猛 飯塚祐 25 稲葉 9-1 先崎 8-2 泉 33 菅井 9-1 澤田 9-1 脇 50 横山 10-0 千田 9-1 村田顕 8-2 増田裕 石川陽 西川慶 132 2016 羽生 10 8-1 久保 郷田 13 稲葉 10-2 三浦 9-3 村山慈 先崎 26 糸谷 8-2 飯島 8-2 島 杉本昌 安用寺 豊川 高橋 34 中村太 9-1 斎藤慎 9-1 大平 神谷 浦野 47 宮本 9-1 9-1 永瀬 8-2 小倉 田中魁 青嶋未来 131 2017 佐藤天 10 8-1 森内 13 久保 9-3 豊島 8-4 畠山鎮 飯島 23 斎藤慎 9-1 菅井 8-2 - 37 横山 10-0 大石 9-1 南 51 西尾 9-1 門倉 9-1 9-1 藤原 森雞 加藤一 島本 復帰 近藤誠也 135 2018 佐藤天 11 羽生善治 6-4 稲葉 6-4 広瀬 6-4 佐藤康 6-4 久保 6-4 豊島 6-4 渡辺明 行方 屋敷 11 糸谷 8-2 阿久津 6-4 丸山 25 野月 10-0 畠山鎮 9-1 森下 青野 37 千田 10-0 永瀬 9-1 長沼 50 10-0 都成 8-2 増田康 8-2 岡崎洋 藤井聡太 135 2019 佐藤天 10 8-1 深浦 阿久津 13 渡辺明 12-0 木村一 8-4 橋本崇 野月 24 永瀬 10-0 千田 9-1 先崎 39 近藤誠 9-1 杉本昌 9-1 泉 近藤正 田中寅 富岡 福崎 49 及川 10-0 佐藤和 9-1 石井 8-2 渡辺正 136 2020 豊島 10 9-0 木村一 久保 13 菅井 11-1 斎藤慎 9-3 谷川 畠山鎮 25 丸山 9-1 近藤誠 8-2 飯島 田村 36 藤井聡 10-0 佐々勇 9-1 塚田泰 堀口 52 高見 9-1 三枚堂 9-1 古森 9-1 島本 2回目 桐山 137 順位戦参加(名人在位含む) 最多 61期(休場なし) 連続 加藤一二三 61期(休場なし) 最年少 加藤一二三 第9期 14歳 最年長 加藤一二三 第75期 77歳 名人とA級在籍の記録は、 を参照。 順位戦の歴史 [ ]• 1935年(昭和10年) - (現在の)の主催で、第1期の特別リーグ戦が開始される。 1946年(昭和21年) - 第1期順位戦が開始される。 八段の棋士をA級、七、六段をB級、五、四段をC級とする3クラス制であった。 持ち時間は各7時間。 1947年(昭和22年) - 第2期順位戦から、A級の上位3名とB級1位がで挑戦者決定戦を行った。 決勝は三番勝負。 第4期まで行われた。 このルールのため第2期で大山康晴が順位戦史上唯一のB級からの挑戦者となっている。 1948年(昭和23年) - C級を1組と2組に分割し、A級を10名、B級とC級1組を20名とする定員制をもうける。 1949年(昭和24年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社からに移る。 1950年(昭和25年) - 第5期より挑戦者決定戦が廃止され、A級優勝者を挑戦者とする。 1951年(昭和26年) - B級を1組と2組に分割する。 B級1組以下の定員を13名とする。 1962年(昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入する。 B級2組、C級1組は降級点2回、C級2組は3回で降級。 1963年(昭和38年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。 A級、B級1組は総当たり。 1967年(昭和42年) - 持ち時間を各6時間に短縮。 1971年(昭和46年) - 順位戦の制度改革の議論が長引き、B級1組以下は11月から開始。 この年のB級1組以下は1人8局の対局となり、翌年からB級1組は総当たり、B級2組以下は10局の対局となる。 1976年(昭和51年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社に戻る。 「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降級リーグ(1組 - 4組)」と改称する。 期数も名人戦に合わせられ、前期の順位戦が第30期であったが、この期は第36期となった(従って、第31期 - 35期の順位戦は存在しない)。 このとき、挑戦者決定リーグ(順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年の名人戦が実施されなかった。 1981年(昭和56年)- 昇降級リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止。 1983年(昭和58年) - 昇降級リーグが組ごとに同日一斉対局となる。 1985年(昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。 A級からC級2組の5クラスの名称に戻る。 1987年(昭和62年)- C級2組からの降級点制が復活。 1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。 C級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。 1997年(平成9年)- 奨励会三段リーグに次点の制度が設けられる。 三段リーグで次点を2回とった場合、フリークラスの棋士になる権利を得る。 2006年(平成18年) - 前年ののフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。 2007年(平成19年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社・朝日新聞社の共催となる。 2008年(平成20年) - 第66期より順位戦昇級による昇段日が翌年度4月1日から昇級が決まった日になった。 2014年(平成26年) - 第72期A級最終戦一斉対局がので将棋名人戦第0局と銘打ち指された。 最終一斉対局が将棋会館以外で行われるのは、初。 2014年(平成26年) - 第73期からC級2組が50人と多数になり、東京将棋会館と関西将棋会館を合わせても25局の一斉対局が困難なため、組ごとの同日一斉対局ではなく、最後の2局を除き木曜日と金曜日に分割開催となる。 また、B級1組以下の対局日は曜日固定だが、B級2組は木曜日から水曜日に変更された。 このほか、B級1組以下は4月に決定していた全対局日程を3回に分けて決定することとなった。 2016年(平成28年) - 第75期より、B級2組以下は持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になった。 また昼と夕方の食事休憩が50分から40分に短縮された。 2018年(平成30年) - 指し分け残留が発生した当時も規定にはなく、A級において指し分けでも降級することが主催者間で確認された。 2018年(平成30年) - 第76期A級最終戦一斉対局が再び浮月楼にて開催される。 第77期も浮月楼での開催が予定されており 、今後A級最終戦一斉対局は浮月楼での開催が定着する見込みである。 2018年(平成30年) - 第77期順位戦より、B級2組以下で全勝者が昇級枠を超えた場合も昇級すること、降級点が消える場合と付く場合が同時に起こった場合、降級点を消してから追加されることが追記された。 5人に1人に変更された。 また今後5年ごとに、昇級・降級・降級点制度の見直しを実施していくこと(次回見直しは2025年度の第84期)、C級2組の降級点もフリークラス制度とともに将来的な課題として何かしらの見直しを行う方向とした。 2020年(令和2年) - 第78期A級順位戦最終局が浮月楼で開催されるが、名称から名人戦第0局が外され将棋界の一番長い日に変更された。 テレビ中継 [ ] 2012年まで(2011年までの名称は)にて「将棋界の一番長い日」を生中継で放映。 2013年は3月1日から3月2日にかけて、(、、スカパー! プロモ・、)にて「将棋界の一番長い日」全5局の完全生中継を実施。 スカチャンとスカパー! プロモでは最終戦の全試合をそれぞれのチャンネルごとに完全生中継、BSスカパー! と囲碁・将棋チャンネルでは全試合の動向をマルチ画面や、名人ほか棋士による解説などを交えて長時間ノーカットの実況を行った。 司会は戸塚貴久子。 また、2013年はNHKでは中継ではなくダイジェストという形で『将棋界の一番長い日〜第71期A級順位戦最終局〜』として放送される(、2013年3月24日放送)。 2017年2 - 3月にかけては、同年2月にオープンした将棋チャンネルにて、順位戦(A級及びB級1組)の生中継が行われた。 4月以降も主にが登場する対局を中心に、一部の対局がやAbemaTVで中継されている。 エピソード [ ] A級 [ ] 升田対大山「高野山の決戦」(第2期) 名人への挑戦権を争う第2期順位戦(1947年度)では、A級1位-3位とB級1位の4名によるで名人挑戦者決定戦が行われた。 1回戦の(A級3位)対(B級1位)は、花田が病気で欠場(それから間もなく1948年2月28日に死去)。 2回戦の・(A級2位)対大山は、大山が2勝1敗で制する。 そして、決勝三番勝負の(A級1位)対大山は、・のとで行われた。 これが歴史に名高い「高野山の決戦」である。 1勝1敗で迎えた第3局の終盤は升田の勝勢となる。 急転直下で3手後に升田の投了となる。 升田は「錯覚いけない、よく見るよろし」の言葉を残す。 なお、大山は塚田との七番勝負で2勝4敗で敗れ、この期での名人獲得はならなかった。 加藤一二三最短記録で18歳のA級へ(第18期) 初の中学生棋士となったは、C級2組からA級まで1期抜けを果たし18歳でA級八段となり、「神武以来の天才」と呼ばれた(八段昇段、A級昇級ともに最年少記録)。 その後、現在に至るまで10代のA級棋士は現れていない。 名人に挑戦したが、1勝4敗で名人を獲得することはできなかった(奪取失敗)。 20期は3勝6敗で降級を喫し、初の前期挑戦者の降級となった。 名人になったのは、初挑戦から22年を経た1982年であった。 中原誠最短記録で名人に(第30期) は、1966年の第25期にデビューすると前述加藤と同様最短記録タイとなる4期でA級となる。 またA級在位2期目の第31期に8戦全勝で加藤と同じく挑戦者最短記録を達成する。 13期連続名人のに挑戦し、4勝3敗のフルスコアで順位戦初参加より最短で名人襲位を果たした。 その後9連覇を果たす。 大混戦の末大山康晴が最年長記録の挑戦者に(第44期) 前期に大山康晴が休場のため張出となり、11名によるA級リーグとなった。 その為10戦となったが、実力伯仲のため4勝6敗の森安秀光と勝浦修と青野照市が降級となる。 6勝4敗の張出大山康晴と7位加藤一二三と4位米長邦雄による3人のプレーオフとなった。 他残留の5名は5勝5敗の指分けであった。 第1戦は大山と加藤で行われたが千日手で引分け。 同日再対局となり大山が勝利。 第2戦は、大山と米長で指され大山が勝利する。 63歳の大山の挑戦は最年長記録。 大山は中原誠名人に1勝4敗で敗れその後挑戦することは叶わなかった。 4名によるプレーオフ A級順位戦では同率1位が複数人発生した場合はパラマス方式によるプレーオフが行われるが、4名で行われたことが3回ある。 この人数は第76期(後述)で6名によるプレーオフが行われることになるまでの最多タイ記録であった。 参加者は以下の通り( 内は当該期の順位、太字は挑戦者となった人物)• - 1 、 3 、大山康晴 4 、 5• - 2 、 4 、 6 、大山康晴 7• - 2 、 3 、 7 、 9 第50期では8局が終わった段階でがようやく1勝を挙げたものの陥落が決定。 6勝2敗の順位2位谷川浩司と6位高橋道雄が挑戦に近づく。 5勝3敗の4位南芳一とは、自身が勝利し上位2名共が敗れればプレーオフ進出。 最終局の9局目で大山が谷川に勝利し、それぞれ6勝3敗で終える。 高橋は、負ければ降級のに敗れ6勝3敗でプレーオフへ、南芳一は降級が既に決まっていた内藤に勝利し、4人が6勝3敗で並ぶ史上二度目の4人プレーオフとなった。 第1戦は大山と高橋で行われ高橋が勝利。 続く高橋と南で行われた第2戦は23時20分に千日手が成立。 即日指し直しとなり翌3時過ぎに高橋が勝利。 第3戦の高橋谷川戦も高橋が勝利し初の名人挑戦を果たす。 なお、中原誠名人に挑戦した高橋は、第4局まで3勝1敗で名人位獲得へあと1勝と迫るも、そこから3連敗を喫し奪取することは叶わなかった。 プレーオフ進出も敗退した大山は、翌期にA級在籍のまま在位最年長記録の69歳で逝去した。 深浦康市の不運(第53期 - 第65期) は第53期(1994年度)C級2組順位戦で、9勝1敗の4位(次点)で昇級枠の3人に入れなかった。 このとき、10戦全勝が1名()、9勝1敗が4名であった。 1999年度(第58期)B級2組順位戦では深浦を含む3人が9勝1敗で並び、順位が下の深浦は次点となった。 いずれも、頭ハネ(同じ勝ち星の棋士同士ではリーグ表の上位を優先)である。 B級2組以下の順位戦において、9勝1敗の成績で昇級を2度逃した棋士は、順位戦史上、深浦だけである。 それから5年後の第63期(2004年度)で、初めてA級順位戦を戦う。 深浦を含み5名が4勝5敗で終えたが、深浦は昇級直後でリーグ表順位が下位のためB級1組に降級。 しかし、次期のB級1組で圧倒的な成績を収め、A級に即復帰する。 そして迎えた第65期(2006年度)A級順位戦では、深浦を含む6名が4勝5敗で並び、前々期と同様、下位のため降級した。 4勝の成績でA級から2度陥落した棋士も深浦だけである。 8勝1敗で挑戦逃す(第64期) 第64期(2005年度)はA級の8勝1敗が2名発生したため、当該の2名(谷川、羽生)で挑戦者決定のプレーオフが行われることになった。 A級で8勝1敗が複数名発生するのは史上初、プレーオフの結果は谷川の勝ち、敗れた羽生は8勝1敗を収めながら名人挑戦を逃した。 これにより第70期のA級リーグ表は、史上初めてタイトル経験者だけで埋まった。 定跡書に載っている手順を完全に再現(第70期) 第70期 2011年度)の1回戦、対戦。 の先後同型から先手の渡辺が富岡流を用いた。 後手の郷田は先手必勝だと言われていた変化に飛び込み、そのまま終局まで投了した。 感想戦では「定跡ですか…そうですか…」と落胆した。 タイトル二冠の降級(第70期) 第70期(2011年度)では、二冠(棋王・王将)がA級からB級1組へ降級となった。 タイトル二冠の降級は史上初。 三浦弘行の地位保全(第75期) は第75期(2016年度)を2期ぶり15期目のA級で迎え、当初3連敗したものの4回戦の対戦で初勝利。 しかし当該対局の直後に、が指摘され、これにより三浦は2016年10月13日から同年12月31日まで出場停止処分を受けた。 しかしその後疑惑が晴れたことで、日本将棋連盟は、同処分によって不戦敗となるはずだった順位戦の対局(5回戦・対戦及び6回戦・対戦)を保障する必要が生じ、三浦の処遇として、当期順位戦5回戦以降は不戦敗として計上せず 、他の棋士の成績にかかわらず翌76期もA級(11位)に据え置き、当期A級の降級枠は1名のみとすることにした。 結果、森内俊之が佐藤康光と同星ながら頭ハネで陥落、そのままフリークラス宣言をし順位戦を引退した。 史上初の6名によるプレーオフとそれに伴う過密スケジュール、およびタイトルホルダーの陥落(第76期) 前述の三浦弘行の地位保全によって第76期A級順位戦は通常より1名多い11名で行われる運びとなり、・の6勝3敗、・・の5勝4敗、抜け番で6勝4敗確定のが居る状態でA級順位戦最終局一斉対局の2018年3月2日を迎えた。 静岡県ので行われたこの一斉対局で、広瀬が豊島を、残留がかかっていたが久保を下し、佐藤は既に降級が決まっていたに勝利、稲葉も残留をかけたに勝利したことで、6勝4敗6名によるプレーオフが発生した。 なお、当期は8回戦終了時までは、11人全員が(5勝5敗で)指し分ける 可能性も有った大混戦であった。 名人挑戦に王手をかけていた久保・豊島はどちらも共にB級1組から昇級した直後であり、奇しくも挑戦に最も近づいていた2者(両者とも勝っていれば2者だけのプレーオフ、どちらか一方のみであれば挑戦者決定であった)が、パラマス方式のプレーオフで5勝しなければならない最も不利な立場となってしまった。 しかも久保と豊島は第67期の当事者でまさに番勝負が進行中 であり、この合間を縫わなければならない事態となった。 この両者による初戦の対局日程はA級順位戦最終日の2日後の3月4日 に関西将棋会館でとなり、両者は即座に大阪へ移動し対局に臨んだ。 結果は豊島の勝利となり、2回戦進出。 その翌日昼には王将戦第5局(3月6・7日)のためへ移動して再び両者が対局、こちらも豊島が勝って豊島から見て2勝3敗となり、王将戦第6局(3月14・15日、)の開催が確定。 豊島は王将戦が終わった翌8日に大阪へ戻り、中1日の3月10日に佐藤と対局し勝利、さらに翌11日に東京へ移動して12日に東京で広瀬との対局に臨み、勝利。 そのまま翌13日に松本へ移動し、14・15日の第6局に臨んだが敗れて王将奪取は叶わなかった。 さらに18日の羽生戦にも敗れ、名人挑戦も叶わなかった。 豊島は3月に入ってから羽生に敗れるまで、持ち時間6時間以上の対局だけを18日間で7局こなし、対局も移動も無い日は3月9日と17日の2日だけ という過酷極まりないスケジュールとなったが、(自らの最終対局敗戦で招いたこととはいえ)王将・名人ともに報われない結末となった。 結局、3月21日に行われたプレーオフ最終戦の稲葉対羽生の対局で勝った羽生が挑戦者となり、名人戦は2期ぶりの顔合わせとなった。 一方、降級は既に決まっていた屋敷に加え、3勝7敗の行方、そして最終戦で三浦に敗れ4勝6敗で終わった渡辺明棋王(当時)となり8期連続で在席していたA級から陥落。 渡辺は勝てば残留、負けても深浦が負ければ順位の差で残留という残留争いで最も有利な立場ではあったが自身が負け、深浦が勝ったために降級となった。 例年より1局多く、降級枠も1枠多かったとはいえ4勝を挙げながら降級したのは第65期の深浦康市以来11期ぶり 、現役タイトルホルダーの降級は郷田真隆王将(当時)以来2期ぶりとなった。 以上のように、当期は星2つの差がプレーオフ進出と降級を分ける稀に見る混戦だった。 あわや前名人降級も頭ハネで助かる(第78期) 第78期順位戦では最終局を残した時点でが2勝6敗で降級が決定し、3勝5敗の 1位 、 4位 、 10位 のうち1人が降級することとなった。 これまで前名人の降級は前例はないが 、前名人の佐藤天彦は最終局で自身が敗れ、糸谷、木村の両者が勝つと降級することとなった。 最終局の9回戦では佐藤天彦、糸谷、木村いずれも勝ち、3者を含む6名が4勝5敗となり、前名人の佐藤天彦は順位差で残留したが、4勝した棋士のなかで最も順位が低い木村が降級となった。 4勝を挙げながら降級したのは第76期の渡辺明以来2期ぶりとなった。 B級1組 [ ] タイトルホルダーの降級(第45期) 田中寅彦「A級昇級の確率64分の63」(第57期) 第57期(1998年度)のB級1組は、第9回戦終了(残り2局)の時点で(8勝1敗、リーグ表4位)がトップ。 2番手の(7勝2敗、リーグ表11位)と3番手の(6勝3敗、リーグ表2位)が追いかける展開となっていた。 すでに互いの直接対決が終わっていたので、残り2局で田中が2連敗し、かつ、郷田と南が2連勝するという「確率64分 の1」の事態にならない限り、田中は昇級枠2名の中に入りA級復帰するという状況であった。 次の第10回戦で田中は負け、郷田と南は勝ち、「64分の1」が「8分の1」になった。 最終の第11回戦でも田中は負け、郷田は勝った。 しかし、南がに負けたため、田中のA級復帰が決まった。 当時、田中はのテレビで「福崎君に感謝しないと」と語った。 24時間対局(第63期) の第63期B級1組、対では、指し直しと指し直しが発生したために、翌朝9時過ぎまでかかった。 結果は行方の勝ち。 中川はやを脱ぎ、姿で対局した。 翌日も対局があるため、対局場を追い出された2人は、控え室でプラ駒、3寸盤で感想戦を行った。 昼食休憩を挟んでいるので事実上はもっと長い。 結果は堀口の勝ち。 後日、に出演した際、「気力が充実していたから考えられた」との旨を語った。 ちなみに局面は、いわゆる「指定局面」と称されているの先後同形(38手目)から先手番の青野が仕掛けた以降の応酬であった。 で紹介された際は九段に「プロなら第一感の手」と言われた。 井上慶太「A級復帰の確率64分の63を逃してから、復帰を果たすまで」(第67期) 第57期 1998年度 でA級から降級したは早くも翌第58期 1999年度 にA級復帰のチャンスを掴む。 残り2局の時点で7勝2敗 とし、自身が連敗し、追いかける、の両者が連勝するという「確率64分の1」が起きない限りは昇級という状況になる。 しかし、残り2局を連敗すると青野、先崎が連勝し7勝4敗の3位で昇級を逃した。 次に迎えた復帰のチャンスは第61期 2002年度。 再び残り2局の時点で7勝2敗 とし、連勝で復帰を決められる状況になる 1勝1敗の場合は「確率4分の3」 、連敗の場合は「確率8分の1」時 でA級復帰。 しかし、残り2局を連敗し、連勝したに抜かれ3位で昇級を逃した もう1人の昇級者は。 3度目の復帰のチャンスは第67期 2008年度。 この期は大混戦となり、11回戦終了時点で7勝4敗の成績ながら 勝数順で 暫定1位となる。 最終13回戦は抜け番 対局なし のため、自力昇級は無かったものの12回戦は久保利明に勝てば昇級確率は「16分の15」 、負けたら「512分 の3」 になるという大一番となった。 結局、この対局を制した結果、同じく12回戦で先にが敗れていたため、11期ぶりのA級復帰を決めた。 11期ぶりのA級復帰はの14期ぶりに次ぐ2番目の記録。 「鬼のすみか」B級1組に連続在位10期は5番目の記録。 A級昇級者2名がタイトル保持者(第68期) 第68期(2009年度)では、B級1組でがA級初昇級し、・(昇級決定時点では棋王の一冠)がA級に復帰した。 A級昇級者が2名ともタイトル保持者であるのは史上初である。 深浦康市も昇級争いに加わっていたが、終盤で渡辺との直接対決で敗れた。 一方、当時タイトル12期の九段がA級から陥落した。 また、この年度はA級以外においても、B級2組で九段 王将2期 がB級1組に復帰し、九段 ・王位各2期 及び九段 棋聖・王位各2期 がC級1組に降級するなど、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異な年度となった。 大地震の最中に「A級昇級者決定戦」(第69期) 第69期(2010年度)B級1組は、佐藤康光が最終局を待たずしてA級復帰を決め、残る1つの枠を最終局()にて屋敷伸之との直接対決(7勝4敗同士)で争うこととなった。 どちらが勝ってもA級初昇級である。 その対局の途中で()が発生。 対局場の東京・から一同が外に避難し、18時に対局が再開された。 なおもが続く中での対局であったが、屋敷が勝利。 初タイトルから20年経ってからのA級昇級となった。 A級からの降級者がゼロ(第76期) 第75期のA級順位戦は先述の三浦弘行九段の特例措置が施されたことによって降級枠が1名だけとなった。 そして最終戦の結果、3勝6敗勢の中で一番順位の低かった九段が名人位含めて22期連続維持していたA級から陥落した。 その後、森内はフリークラスを宣言したことによって第76期のB級1組にはA級からの降級者が1人もいない状態になり定員13名に対し11名と2人分欠員となった。 通常この人数以下の場合、誰も降級することはないが第76期A級順位戦の降級枠が3名となる関係でB級1組の降級枠が1名となった。 降級枠が1名というケースは過去にも何度かはあったが、A級からの降級者が1人もいない事態は順位戦史上初めての出来事となった。 そして名人2期の経験を持つ丸山忠久が2勝8敗の最下位で降級となり、名人経験者がB級2組に降級するのは第62期の加藤一二三以来14期ぶりとなった。 勝率6割で昇級(第76期) 八段は、6勝4敗(勝率. 600)ながら、2位の成績となり、A級復帰を決めた。 勝率6割での昇級は、順位戦各組で史上最低新記録(予選リーグと決勝リーグの2段階に分かれた第3期を除く)。 ちなみに第76期名人位挑戦も同じ6勝4敗であり、勝率6割での挑戦もA級順位戦史上最低タイ記録(第44期以来)である。 24年振りの師弟対決で師匠の勝利(第77期)師匠が弟子に勝利し昇段 第78期 第77期では、B級1組に復帰したと、第76期でB級1組残留となった弟子のとの師弟対決が組まれることとなった。 順位戦の師弟対決は第53期(1994年12月、B級1組・ - )以来24年振りである。 規定(参照)により、二人の対局はリーグの中間(第7回戦かその前後)で組まれることとなるが、抽選の結果、9月20日予定の第6回戦で組まれることが決まった。 しかし実際には斎藤の王座挑戦が決まり、日程が王座戦五番勝負第2局と重なったため、二人の対局のみ25日に延期となった。 同日行われた対局では、それまで5戦全敗であった畠山が勝って今期の順位戦初勝利を挙げた。 なお両者とも残留となったため、第78期でも師弟対決が組まれることが確定した。 2019年9月12日に行われた第78期5回戦でも畠山が勝利を収めしかもその対局が「七段昇段後公式戦190勝」の規定を満たす事となり八段への昇段となった。 弟子の斎藤もこの期でA級昇級を決め、八段に昇段することとなった。 師匠の畠山も昇級すれば今度はA級の舞台での師弟戦が実現するところだったのだが、畠山は逆にB2に降級することとなり、師弟戦は終わることとなった。 降級する棋士が昇級する棋士から勝ち星をあげるのは珍しい。 永世名人初B級2組への降級(第78期) 永世名人資格者であるがB級2組への降級が決定した。 過去の永世名人はB級2組への降級前に引退やフリークラスに転出しているため、永世名人のB級2組への降級は史上初であった。 B級2組 [ ] B級2組からC級1組に5人同時降級(第74期) 第74期(2015年度)B級2組では、一度に5人の棋士がC級1組に降級となった。 この期は参加者が26人(降級点の枠は5人)で、降級点持ちは・・・・・・・の8人であった。 そのうち青野は前期・当期の2期連続で5勝5敗と指し分け、規定により降級点を抹消 したが、他の7人は序盤から負けが込んだ結果、島・安用寺・杉本・豊川・高橋の5人が降級点2つ累積により、C級1組に降級することとなった。 B級2組以下に降級点制度が導入された第17期(1962年度)以降、3人の棋士がB級2組からC級1組に同時に降級したのは、第23期(1968年度)・第30期(1975年度)・第48期(1989年度)の3回だけであり、4人以上が同時に降級したケースは皆無であったが、当期はそれらの記録を大幅に更新した。 また、同一の順位戦クラスにおいて降級点を喫した棋士が全員降級点を持っていたケースも、全クラスを通じて史上初のケースであった。 なお、この珍事に因り、翌第75期(2016年度)はB級2組の降級点の枠が1名減り、更に窪田・中田がいずれも降級点を喫さなかった為、C級1組への降級者がなしという、B級2組では8例目の事態が発生した。 さらに第77期には、C級1組からC級2組へ5人同時に降級する珍事(泉正樹・近藤正和・田中寅彦・富岡英作・福崎文吾が降級)も起きている。 順位戦全勝の最年長記録を更新(第76期) 第76期(2017年度)B級2組では、当時44歳のが10戦全勝(不戦勝1つを含む)で昇級を決めたが、従来の順位戦における最年長全勝記録は第64期(2005年度)B級2組の・第75期(2016年度)C級1組のの2人が記録した36歳であり、野月が大幅に記録を更新した。 C級1組からB級1組まで2人同時に連続昇級(第77期) 第76期のC級1組では、とがB級2組に昇級となった。 千田が10戦全勝、永瀬拓矢・佐々木勇気・高崎一生の3人が9勝1敗の成績を収めたが、順位の差で永瀬が昇級することとなった。 その後、第77期(2018年度)B級2組においては直接対決があったものの(結果は永瀬の勝ち)、永瀬が10戦全勝、千田も直接対決で敗れたのみで他は全勝の9勝1敗の成績を挙げたことで(他の22人は3敗以上)、 2人同時の連続昇級という珍事が起きた。 桜井門下、受難の一日 第78期 第78期 2019年度 B級2組の最終11回戦は、ここまで全勝の丸山忠久九段が最終戦を待たずにB級1組復帰を決め、残りの1枠を7勝2敗同士で門下の七段とB級2組初参加の六段が争うことに。 順位が上の横山は勝つか近藤が敗れれば昇級、近藤は自身が勝って横山が負けたときにのみ昇級であり、横山の相手はここまで3勝6敗で負ければ降級点付加が確定する八段、近藤の相手は横山の兄弟子である八段だった。 一方、降級点争いも熾烈を極めており、特に3勝6敗且つ降級点1点が付いた者同士の(やはり横山の兄弟子である 七段対七段戦は負ければ即降級の大一番であった。 この3局のうち最初に終局したのは飯島対田村戦で飯島が勝ち4勝6敗で他力ながら残留に望みを繋ぐ。 続いて終局したのは近藤対中田戦で近藤が勝ちキャンセル待ち。 そして最後に終局したのは横山対北浜戦で北浜の勝ち。 この結果、近藤が逆転で昇級。 横山は2年連続次点に泣くことになり北浜は4勝6敗ながら順位が上という事もあり降級点回避。 そして飯島は4勝6敗ながらも順位が最下位という事もあり5枠の降級点の最後の付与者となりC級1組に降級した。 4勝6敗ながら降級点が付いたのは第63期 2004年度 の以来15年振りの出来事だった。 結果的に中田が勝てば弟弟子の横山の昇級をアシストでき、横山が勝てば飯島が助かったなかで昇級も降級回避も勝ち取れなかった桜井門下は受難の一日となってしまった。 C級1組 [ ] あわや3人同時全勝も井上慶太、1敗に泣く 第50期 第50期C級1組はと森内俊之が10戦全勝で昇級したがために、井上慶太が順位9位・9勝1敗ながらも昇級できなかった。 因みにその1敗は昇級にも降級 降級点 にも関係なかった戦 10回戦・全25人のため抜け番あり で、もしこれに勝っていれば、 昇級枠を超える人数の全勝者という順位戦史上初の事態もおかしくなかった。 そしてそれからちょうど20年後に井上の弟子であるも第70期C級2組で似たような不遇を味わうことになる。 そのかたわら、1989年度後期で予選・本戦を連戦連勝し、中原誠棋聖への挑戦者となる。 さらに、1990年度前期棋聖戦で中原に連続挑戦して棋聖位を奪取し、史上最年少タイトル保持者(18歳)となる。 さらに半年後には棋聖位を防衛し、早くもタイトル通算2期となる。 しかし、C級1組からB級2組への昇級には14期もかかることとなり、「」の一つと言われた。 この間、8勝2敗が4回、次点(3位)も4回あり、また、3度目の棋聖獲得をも果たしている。 第62期(2003年度)C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、ようやくB級2組へ昇級した。 あわや師弟同時昇級も藤井聡太、師匠に頭ハネされる(第77期) 第77期C級1組は 順位6位 ・ 順位7位 ・ 順位14位 ・ 順位31位 の4人が最高成績の9勝1敗で並んだがために、船江恒平と藤井聡太が順位の差に泣く不運な結果に終わった。 藤井の1敗は近藤誠也との直接対決 10回戦、全39人のため抜け番あり でついたもので、結果的にはこの対局が昇級者決定戦となった。 なお、この対局はそれまで順位戦において18戦無敗であった藤井にとっては初の黒星となった対局であり、もしこれに勝っていれば、中原誠がそれまで保持していた順位戦無敗の最高記録を更新するところであった。 また、11回戦は近藤誠・杉本・船江・藤井の4人が8勝1敗で並んだ状態で迎え、杉本と藤井がそれぞれ勝ち、近藤誠と船江が負ければ、 32年振りの師弟同時昇級が実現するところであったが 藤井は杉本の弟子 、4人とも勝利したがために、昇級に関して師弟で明暗が分かれる結果となってしまった。 翌78期で藤井は無事B2への昇級を決めたが、近藤も見事逆転でB1への昇級を決めたため、 藤井自身がやればそういう星取になる根拠がないとは言え 直接対決の敗北がB2のみならずB1への昇級も遅れる結果となってしまった。 熾烈を極める昇級争い 第76期~第78期 近年のC級1組順位戦は昇級争いが熾烈を極めており、特に第76期~第78期までの3期は9勝1敗ながらも昇級を逃す棋士が2人も出る異常事態となっている。 第79期からC級1組・B級2組でも昇級枠が3つに増えたのはこの出来事が背景にあるとみられる。 C級2組 [ ] アマチュアの参加(第3期~第5期) 現在の順位戦は純粋な棋士のみの棋戦だが、第3期(1948年度)~第5期(1950年度)は選手の参加を認めていた。 これは、当時の日本将棋連盟が財政難のため、毎日新聞社に名人戦契約金の増額を求める根拠として、棋士の増員を行った一環である。 上位4名の希望者がC級2組(またはC級乙組)に参加した。 1期のみの特別参加だが、成績優秀者はそのまま正規の棋士に編入可能になっていた。 1949年に主催が朝日新聞社に代わると、その翌年を最後にアマチュア参加枠は廃止された。 アマチュアの参加者は三好幸男(第3期)、高橋誠司、大前吉章(第4期)、加納和夫、内山龍馬、宮本茂(第5期)の6人。 高橋が5勝3敗、加納が7勝5敗と勝ち越したが、プロ編入はならなかった。 他の4人は負け越している。 奨励会員の参加(第4期) 第4期のみ、奨励会員から4人が参加した。 C級1組に昇級した2人(、)は三段から六段に、残留した2人(、)は二段から四段に昇段して正式に棋士となったので、これも棋士増員の一環だった。 22年間、降級点無し(第41期~62期 第41期から順位戦に参加したは昇級こそしなかったものの22期にわたって降級点が付かず、当時の将棋界の七不思議の一つとまで言われた。 しかし、2004年度の第63期で初の降級点が付くと続く65期も降級点、66期は5勝5敗で降級点は免れたものの第67期で3つ目の降級点が付きフリークラスへ陥落。 その後、順位戦復帰の成績を収めることができずフリークラスの年齢制限により2014年に引退した。 年齢差59歳の対局(第45期) 1986年8月25日のC級2組、明治生まれ74歳のと高校一年15歳の年齢差59歳対局が行われた。 終了が深夜0時半過ぎに及ぶ熱戦となり、羽生が勝利。 午前8時ごろに清掃員にとめられるまで感想戦をしていたという。 この勝利で羽生は公式戦14連勝を記録。 この後、小堀の順位戦最終結果は2勝8敗となり、この期限りで現役を引退した。 しかし長岡は、その手を指さずに投了。 感想戦で勝ち筋に気付いた長岡は 「最後、勝ってる局面で投了したと書いておいてください。 玉上がれば楽勝でした。 人としておかしいです。 」と観戦記者らにコメントした。 なお、同敗戦により長岡は当期順位戦における降級点が確定し、降級点取得の史上最年少記録(20歳)を作ってしまった。 タイトル経験者初の順位戦陥落(第68期) 前述の通り、第68期では、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異現象が発生したが、当期はC級2組でも、元の九段と初代の九段が累積3つ目の降級点を喫し、順位戦陥落時の年齢規定により引退となった。 タイトル戦()出場経験者が同規定により引退となった前例は、(第54期・1995年度)・(第60期・2001年度)が存在したものの、タイトル獲得経験者が同規定により引退となったケースは当期が初めてであった(その後、第75期(2016年度)にタイトル通算2期のと、元名人のも同じ理由で引退することになる)。 昇級者3人全員が全勝(第70期) この期は、、の3人が10戦全勝で昇級を果たした。 B級2組以下の対局数が10局に定着した第27期以降、同一クラスで3人が全勝で昇級したのは初めての事であった。 このこともありが順位6位・9勝1敗と本来なら昇級してもおかしくない好成績ながらも昇級できなかった。 因みにその1敗は船江との兄弟弟子対決で付いたものである。 60年ぶりのC級2組~名人位獲得経験者初の降級規定に伴う引退(第73期~第75期) は、プロ入り1年目の1954年 第9期 にC級2組で11勝1敗 1位 の成績を収めC級1組へ昇級。 そこからA級まで4期連続で昇級した。 その後、B級1組との往復を4度経験しながらも、62歳を迎える2001年度 第60期 までA級に通算36期在籍した。 1982年には名人位も獲得している。 しかし、2002年度以降は加齢によって順位戦の成績が振るわなくなり、2004年 第63期 にはB級2組に、2009年 第68期 にはC級1組に、2014年 第73期 にはC級2組にそれぞれ降級。 名人位獲得歴のある棋士がB級2組以下に降級して以降も順位戦に出場し続けたのは史上初であった。 このことにより、60年ぶりにC級2組順位戦に出場するという、史上最長の間隔記録を残すことになった。 加藤はC級2組に降級した後も順位戦に出場し続けたが、2014年 第73期 ~2016年 第75期 と3期連続で降級点を喫し、順位戦陥落時の年齢規定により引退することとなった。 中学生初の五段(・六段)昇段と順位戦全勝(第76期) は、初出場の第76期順位戦C級2組において、無敗のまま8勝目を挙げたところで自分より上位の1敗者がいなくなったため、2018年2月1日の9回戦・戦に勝てば他の結果に関係なくC級1組への昇級(と1位通過)が確定する状況であった。 藤井はこの梶浦との対局に勝って昇級を確定させ、同日付けをもって五段に昇段となった。 将棋棋士が中学生のまま五段に昇段したのは史上初である。 過去には、加藤一二三が中学生のうちにC級1組への昇級を決めた例があるものの、当時の規定により五段昇段日は中学校を卒業した直後の(1955年)4月1日となっていた。 なお、藤井は約半月後の2月17日に第11回を制して初優勝し、「全棋士参加棋戦優勝」を満たして六段に昇段している。 こちらも中学生のまま六段に昇段した史上初の快挙である。 順位戦の昇級・昇段が早々に決まっていたために実現した高速昇段であった。 さらに、3月15日のC級2組最終戦でも藤井はとの対局で勝ち、中学生初の順位戦全勝を達成した。 勝勢からの投了により相手棋士が昇級(第76期) は2018年3月15日のC級2組最終戦で(順位第5位)と対局したところ、千日手が成立。 指し直しになったが、指し直し局の終盤で増田の玉に即詰が生じたところを気づかずに神谷が投了してしまった。 もし神谷が即詰に気づいていれば、増田の代わりに(順位第7位)が8勝2敗の成績で昇級する結果となったであろうが、この投了によって増田が8勝2敗の成績でC級1組へ昇級、石井は順位の差に阻まれる結果となってしまった。 しかしこの好成績が幸いして、第77期、石井(順位第2位)は同じ成績を収めながらも、順位の差により今度は見事C級1組への昇級を果たした。 しかし昇級が遅れたことにより、第78期、石井はC1で9勝1敗の好成績をあげながらも、またしても順位の差によりB2への昇級を逃すこととなってしまった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• NHK杯戦では本戦2回戦にシードされる他、の出場権も得られる。 銀河戦についてはブロック戦の最上位に位置づけられる。 また、タイトルホルダーの中での序列も2位以内となるため、やなど本戦シードの枠が固定されている場合にも枠からあふれることがない。 最多勝者が3人以上の場合は、順位下位の2人がプレーオフ1回戦を行い、その勝者が順位上位者と対戦するという「パラマス方式」でプレーオフを行う。 降級枠に該当する 順位下位者が最多勝者として名人挑戦プレーオフに進出し、当該順位下位者がプレーオフを制して 名人挑戦者となった場合は、当該順位下位者の 次に順位の低い者が降級対象者となる。 参加人数が11人以上又は9人以下(期途中で参加棋士が死亡または引退した場合も減員として扱う。 期途中の休場の場合はこれに該当しない)の場合、その期の降級枠は成績下位の(A級参加人数-8)人となる(参加人数が8名以下のときは降級枠は0となる)。 参加人数が14人以上又は12人以下(期途中で参加棋士が死亡または引退した場合も減員として扱う。 全勝者昇級の規定は第77期より明文化し適用。 第26期までは7時間であった。 七番勝負の第7局と同じ持ち時間である。 由来は麻雀のから。 瀬川のプロ編入試験は特例での実施であった。 制度化されたプロ編入試験の合格第1号は今泉。 、、、への出場権がない場合は10(8つのタイトル戦のうち順位戦を除く7棋戦、および、、、)。 一例として、ちょうど30局ならば20勝10敗で勝率6割6分7厘となり条件を満たす。 また、連続29局以内で20勝をあげた場合、その後連敗したとしても勝率の条件をみたすため、20勝目をあげた時点で昇級(現在まで、直近28局で20勝8敗で昇級したが最少対局数)となる。 この条件を満たすためには、出場した棋戦が戦の場合、平均3~4勝が目安となり3勝すれば4局目が4勝すれば5局目が発生する事になる。 なお、リーグ戦の場合は対局数があらかじめ決まっているため勝敗に関わらず条件を満たしている事が多い。 三段リーグ次点2回による編入が「10月1日付」で行われた場合は10年6ヶ月となる。 他の棋戦で好成績を納めている場合、その棋戦に限って出場が認められる。 を参照• C級2組から降級して即時引退となる場合でも、対局が残っている間はフリークラスの棋士として扱われる。 当期ではない。 すなわちA級からB級1組に降級することになった棋士は宣言でき、B級1組からA級に昇級することになった棋士は宣言できない。 フリークラスに制度上最長の23年間在籍できる条件は、宣言時点で順位戦B級1組に在籍し、かつ、満42歳以下であることが挙げられる。 この両方を満たした上で宣言をした場合、条件1に基づく最短年数(8年)を満了した時点で満50歳以下となり、そこから15年経過しても、満65歳以下であるため。 C級1組以上の在籍者がフリークラス宣言をした事例は少なく、1994年度よりフリークラス制度が導入されて以降、2018年度終了時点で、森内の他は・(C級1組・降級点なしの状態で宣言)・(B級2組・降級点1個の状態で宣言)・(B級1組で宣言)・(B級1組で宣言)の5例のみ。 成績は三好 0-4 、高橋 5-3 、大前 2-4 、宮本 3-9 、加納 7-5 、内山 4-8。 48期から52期は順位戦陥落• 48期から52期は順位戦陥落、53期以降はフリークラス編入• フリークラス編入• フリークラス編入• 最年少のプロデビューはの14歳2か月であるが、藤井の順位戦参加は9か月後の14歳11か月であり、加藤の順位戦参加はプロデビュー翌月の14歳8か月である。 (78期・うち名人7期)、2. (7期)、3. (5期)、4. (3期)、5. (1期)、6. (3期・うち名人2期)、7. (27期・うち名人5期)、8. (5期)、9. (12期・うち名人2期)、10. (3期) (タイトル獲得数は2011年度開始時)• 対戦が予定されていた5名の棋士(5回戦・屋敷、6回戦・行方、7回戦・、8回戦・、9回戦・)には不戦勝が計上された。 第76期以降の新たな規定によれば、A級で9人以上が最高成績で並んだ場合でも当該の最高成績者全員でプレーオフを行うが、最高成績と降級枠の両方に該当する者が生じた場合、プレーオフ敗退者のうち順位の下の棋士が降級することとなる。 (第76期の序列は稲葉 1位 、羽生 2位 、広瀬 4位 、佐藤 8位 、久保 9位 、豊島 10位• 最終一斉対局の段階で久保から見て3勝1敗であった。 久保に至っては終局が0時を跨いでいたため厳密には翌日• 16日に松本から東京へ移動して17日は東京滞在であったことが、将棋世界2018年5月号P18に記載されている。 他に残留争いをしていたのは行方・深浦・三浦がいたが、3人とも負ければ即降級だった。 前期挑戦者の降級は第14期に挑戦し第15期に降級した加藤一二三の例がある。 渡辺は4勝6敗で降級。 4勝5敗での降級は第65期の深浦康市以来13期ぶりだった。 この期のB級1組はのフリークラス転出、の死去の影響で12人総当りで行われた。 この期のB級1組はのフリークラス転出の影響で12人総当りで行われた。 が連勝しなければ昇級。 が連敗し、が13回戦で敗れた場合のみ昇級。 、の両者が連勝しなければ昇級。 青野は当期終了時点で63歳を迎えたが、これはB級2組に限定するとの61歳(第49期・1990年度)を上回る最高齢降級点抹消記録で、降級点制が存在する全階級(B級2組・C級1組・C級2組)に範囲を広げてもの64歳(第26期C級2組・1971年度)に次ぐ2位の高齢記録である。 ちなみに降級点持ちの状態で当期を迎え抹消にも降級にも至らなかった窪田及び中田は、まず中田が翌第75期に8勝2敗の好成績を収めて降級点を抹消、さらに窪田も第76期にこの時の青野と同じく5勝5敗と指し分けてこちらも降級点を抹消した。 名人以外のタイトル獲得3期の後に、C級1組在籍のまま1度も昇級せず七段昇段後190勝で八段へ昇段し、九段への昇段も決定し(実際に昇段したのはB級2組昇級時)、この事例も珍記録である。 順位戦としては2017年末時点で年齢差最大の対局であり、全公式戦でも対(2016年12月24日6組ランキング戦)の62歳差に次ぐ歴代2位の記録である。 羽生はこの後15連勝まで伸ばすも、同じ年度にが当時の新記録となる公式戦22連勝を樹立している。 順位戦に出場した中学生は、加藤・藤井以外ではがいるのみである(「中学生棋士」のうち、とはプロデビューが中学3年生の順位戦開幕後であり、順位戦への参加は高校生からになってからであった)。 出典 [ ]• 渡辺明 2016年6月1日. 渡辺明ブログ. 2018年2月16日閲覧。 渡辺明ブログ 2016年6月17日. 2018年2月16日閲覧。 朝日新聞将棋取材班 2019年4月26日. 2019年4月27日閲覧。 佐藤天彦『理想を現実にする力』、2017年、134-135頁。 - 朝日新聞デジタル2018年2月8日16時30分更新• 日本将棋連盟 2018年4月26日閲覧• 日本将棋連盟 2018年4月26日閲覧• フリークラス制度について教えてください。 フリークラス制度というのは、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度です。 日本将棋連盟. 2019年9月28日閲覧。 [ ]• 将棋世界 2014年9月号 138P• 朝日新聞• 日本将棋連盟• 名人戦棋譜速報 日本将棋連盟. 2018年5月8日閲覧。 日本将棋連盟• 静岡市• - スカパー! (2012年12月27日付)• - サイバーエージェント・2017年1月20日• - 朝日新聞(2012年3月3日付)• (2018年2月8日)• - 田丸昇• - 朝日新聞 2018年3月16日 2018年3月16日閲覧。 外部リンク [ ]•

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日本将棋連盟順位戦

日本将棋連盟による7月13日週の公式戦は、最年少でのタイトル獲得を目指す七段が、1週間で3局4日間のハードスケジュール。 13、14日に王位戦七番勝負の第2局を戦い、中1日置いて16日に獲得に王手をかけているヒューリック杯棋聖戦五番勝負の第4局、さらに中1日で18日には将棋日本シリーズ JTプロ公式戦を戦う。 主な対局は以下のとおり。 7月13・14日(月・火曜日) 47歳のベテラン・木村王位と、17歳の若き天才・藤井七段による七番勝負の第2局。 第1局は藤井七段が鋭い攻めで、受けの巧者である木村王位の粘りを突破、快勝を収めた。 反撃を狙う木村王位は先手番から得意の相掛かりを採用。 どんな戦いになるか。 持ち時間は各8時間の2日制。 7月13日(月曜日) 竜王戦決勝トーナメント 石井健太郎六段 対 梶浦宏孝六段 (携帯中継) 王座戦挑決トーナメント 竜王・名人 対 三冠 (携帯中継) 棋王戦挑決トーナメント 九段 対 屋敷伸之九段 (携帯中継) 棋王戦挑決トーナメント 菅井竜也八段 対 石川優太四段 (携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 里見香奈女流四冠 対 山本真也六段 (携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 杉本昌隆八段 対 里見か山本 (携帯中継) 7月14日(火曜日) 順位戦C級1組 島朗九段 対 金井恒太六段 (携帯中継) 順位戦C級1組 真田圭一八段 対 千葉幸生七段 (携帯中継) 順位戦C級1組 豊川孝弘七段 対 六段 (携帯中継) 順位戦C級1組 飯島栄治七段 対 宮本広志五段 (携帯中継) 順位戦C級1組 及川拓馬六段 対 船江恒平六段 (携帯中継) 7月15日(水曜日) 竜王戦5組昇決 阿部隆八段 対 藤倉勇樹五段 (携帯中継) 順位戦A級 佐藤康光九段 対 糸谷哲郎八段 (携帯中継) 棋王戦挑決トーナメント 阿久津主税八段 対 斎藤明日斗四段 (携帯中継) 棋王戦挑決トーナメント 谷川浩司九段 対 佐々木勇気七段 (携帯中継) 棋王戦挑決トーナメント 豊島将之竜王・名人 対 上村亘五段 (携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 塚田泰明九段 対 泉か金沢 (ABEMA・携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 渡辺正和五段 対 西山朋佳女流三冠 (ABEMA・携帯中継) 7月16日(木曜日) 藤井七段の連勝から、渡辺棋聖が反撃の1勝をあげて、藤井七段の2勝1敗となっている今シリーズ。 第4局は渡辺棋聖の先手番。 最年少タイトル獲得に王手をかけている状況に変わりはないが、2勝2敗のタイとなれば、流れは渡辺棋聖かとも思われるだけに、記録達成に向けて大一番だ。 持ち時間は各4時間。 順位戦C級2組 長谷部浩平四段 対 服部慎一郎四段 (携帯中継) 順位戦C級2組 本田奎五段 対 谷合廣紀四段 (携帯中継) 順位戦C級2組 西川和宏六段 対 山本博志四段 (携帯中継) 順位戦C級2組 南芳一九段 対 伊藤真吾五段 (携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 大平武洋六段 対 加藤桃子女流三段 (携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 村中秀史七段 対 大平か加藤 (携帯中継) 7月17日(金曜日) 竜王戦4組昇決 野月浩貴八段 対 佐々木慎七段 (携帯中継) 王将戦二次予選 木村一基王位 対 稲葉陽八段 (携帯中継) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 石川陽生七段 対 小倉久史七段 (ABEMA) 朝日杯将棋オープン戦一次予選 黒沢怜生五段 対 石川か小倉 (ABEMA) リコー杯女流王座戦本戦 中村真梨花女流三段 対 藤井奈々女流初段 (携帯中継) 7月18日(土曜日) 藤井七段は昨年、同棋戦で初めて和服姿で公式戦に登場。 初戦で敗れたが、凛々しい姿で話題になった。 今期はタイトル戦で着こなしも覚えた上での登場。 どんな和服姿を見せるかも注目だ。 持ち時間は10分、切れたら1手30秒未満、考慮時間各5分という、最短の公式戦で、早見え早指しの菅井八段との激戦も予想される。 7月19日(日曜日) 叡王戦第3・4局 永瀬拓矢叡王 対 豊島将之竜王・名人 (ニコニコ生放送・ABEMA・携帯中継).

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