樽商 まなば。 従来の取り組みの問題点

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樽商 まなば

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樽商 まなば

その「街」へゆくのに一本の市電があった。 ほかにも道は幾つかあるのだが、市電は一本しか通じていないし、それはレールもなく架線もなく、また 車躰 ( しゃたい )さえもないし、乗務員も運転手一人しかいないから、客は乗るわけにはいかないのであった。 要するにその市電は、六ちゃんという運転手と、幾らかの備品を除いて、客観的にはすべてが架空のものだったのである。 運転手の六ちゃんは「街」の住人ではない。 中通りと呼ばれる、ちょっとした繁華街に、母親のお くにさんと二人でくらしていた。 父親はなかった。 死んだのか別れたのか、その消息は誰も知らないが、ともかく父親を見た者はなかった。 お くにさんは女手でてんぷら屋をいとなみ、六ちゃんと二人で肩身せまくくらしていた。 お くにさんは四十がらみで、顔も 躯 ( からだ )も肥えていた。 眼にはあらゆる事物に対する不信と疑惑のいろを 湛 ( たた )え、口は 蛤 ( はまぐり )のように固くむすばれ、いくらか茶色っぽいかみの毛は、油っけなしのひっ詰め髪に結われていた。 古い伊勢縞か、木綿の布子か、夏は洗いざらした浴衣に、白い 割烹 ( かっぽう )前掛をつけ、夏冬とおして 衿 ( えり )に手拭を掛けていて、黙っててんぷらを揚げたり、客の応対をしたりするのであった。 衿に掛けた手拭と、白い割烹前掛とが、 喰 ( た )べ物を扱う彼女の動作を、いかにも清潔らしく見せるように感じられた。 お くにさんは無口だった。 客にもよけいなあいそは云わず、あたしの揚げるてんぷらの味が充分にあいそを云っている筈だ、と自負しているようなそぶりがちらちらした。 一日のしょうばいが終り、店を閉め、寝る支度をすませてから、お くにさんは仏壇を開いて燈明と線香をあげ、玩具のような 団扇 ( うちわ )太鼓を持って、六ちゃんと並んで坐る。 できるなら標準型の団扇太鼓にしたいのだが、近所に遠慮があるし、(なぜなら近所にはてんぷらを買ってくれる客が多いから)まさか太鼓の大小によって、お そっさまの機嫌が変るものでもあるまいと思い、多少ひけめを感じながら、その小さな太鼓でまにあわせているのであった。 なんみょうれんぎょう」 そして、お くにさんが玩具のような団扇太鼓を叩き、お題目をとなえ始めるのであった。 お くにさんの祈りが、わが子六ちゃんのためであることは断わるまでもない。 にもかかわらず、お題目とお そっさまに対する祈念が、主として母親の本復を六ちゃんのほうで乞い願っているところに、 天秤 ( てんびん )の狂いのようなものがあった。 六ちゃんはふざけているのではない、あてつけや皮肉でそんなことをするのでもなかった。 かあちゃんが自分のことで世間に肩身のせまいおもいをし、自分のためにお そっさまを拝んだり、お 呪禁 ( まじない )をしたり、いろいろな祈祷師を招いたりするのはわかっていた。 そんな必要はない、かあちゃんはそんな心配をすることなんか少しもないのだ。 どうしてそんなに心配ばかりするのさ、かあちゃん、なにが不足なんだい、と六ちゃんは幾たびも云った。 そうだよ、不足なんかなんにもないよ、心配なんかしちゃあいないよ、とお くにさんはいつも答えるが、その顔にあらわれている望みを失ったような悲しみの影は、消えも弱まりもしなかった。 六ちゃんにはそれが気がかりなのだ、このままでなんの不足もないのに、精をすり減らしているかあちゃんが哀れで、そんなかあちゃんをなんとかしてまともなものにしてやりたい、と念じているのであった。 もうなん年となく同じおつとめを欠かさずやっているのだが、わが子のその祈願を聞くたびに、そのたびごとに胸がせつなくなり、涙がこぼれそうになった。 この子はこんなに親おもいで、こんなにちゃんと口もきける、きっといまに頭もまともになるだろう、お くにさんはそう信じようとする。 六ちゃんはそういうかあちゃんの顔を、 憐 ( あわ )れむような眼つきで見まもり、ちょうど母親が 怯 ( おび )えている子をなだめるように、夫丈夫だよ、なにも心配することはないよ、万事うまくいってるじゃないか、気を楽にしなよ、と云いきかせるのであった。 六ちゃんが好きなのはかあちゃんと、「街」の住人である半助と、半助の飼い猫の とらだけで、反対に云えば、この二人と一匹だけは六ちゃんのことを好いていた。 その他の人たちを六ちゃんは好かない。 かれらは六ちゃんをからかったり、悪口を云ったり、六ちゃんの運転する市電の妨害をしたりする。 特に、市電の運転の邪魔をする者が多いので、六ちゃんは気のしずまるときがなかった。 じつに知恵のないはなしだが、その町内の人たち、ことに子供たちは、六ちゃんのことを電車ばかと呼んでいた。 そうかもしれない、客観的にはそれが当っているかもしれないが、主観的には六ちゃんはもっとも勤勉で、良心的な、市電の運転手であった。 電車は車庫の中にあり、車庫は家の横の ろじにある。 狭い勝手の揚げ蓋の隅に、古い 蜜柑箱 ( みかんばこ )があって、その中に口の欠けた醤油注ぎや、ペンチや、ドライバーや、油じみた軍手や、ぼろ布が 整頓 ( せいとん )されてある。 これらは客観的にも存在するのだが、そこにはまたコントローラーを操作するハンドルや、名札や、腕時計や、制帽などが、主観的には存在するのである。 口の欠けた醤油注ぎも、主観的には油差であった。 六ちゃんは油差とドライバーとペンチを持って車庫へゆき、自分の運転する電車を点検する。 客観的にはなにも存在しないのだが、六ちゃんの主観には、そこにはっきりそれが見えるらしい。 彼は 仔細 ( しさい )ありげに眉をしかめたり、ときには舌打ちをしたり、片手で 顎 ( あご )を 撫 ( な )でたりしながら、 その電車のまわりをぐるっと廻ってみる。 ボディーを手で叩き、 跼 ( かが )んで、ボディーの下の車軸や、エンジンの連結部を眺めたりするのだ。 「しゃあねえな」六ちゃんは頭を振って 呟 ( つぶや )く、「整備のやつ、なにょうしてるんだ、なっちゃねえじゃねえかな」 彼はドライバーを使ってどこかを直し、ペンチを使ってどこかを直し、軸受のところを足で 蹴 ( け )ってみる。 もういちど蹴ってみて、首をかしげて舌打ちをし、さも不満そうに舌打ちをする。 「もうこいつも古いからな」六ちゃんは怠け者の整備係に譲歩して呟く、「やつらに小言を云ってもしゃあねえだろう」 終って顔を洗い、朝めしが済むと出勤であるが、お くにさんがしょうばいの材料を買出しにゆく日は、帰って来るまで待たなければならない。 買出しはたいてい一日おきであるが、毎日のときもあって、すると六ちゃんは 苛立 ( いらだ )っておちつかず、こんなに遅刻が続いては成績に影響する、と不平を云うのであった。 出勤するときは勝手へまわる。 例の蜜柑箱から制帽を取ってかぶり、油じみた軍手をはめ、コントローラー用のハンドルと名札を取りあげる。 右のうち現実に存在するのは軍手だけで、他の三品が客観的には架空なものなことは、まえに記したとおりである。 六ちゃんは電車へ乗り、まず名札を札差に入れ、ハンドルをコントローラーのノッドへ 篏 ( は )め込む。 そして右手で制動機のハンドルを 掴 ( つか )み、左廻しにがらがらと廻してみてから、次に右へがらがらと廻し、制動機に故障のないことを 慥 ( たし )かめる。 これらの動作は毎日きちんと、狂いのない順序で行われるし、六ちゃんの顔には、どんなに優秀な運転手よりも敏感そうでするどい、しんけんそのものといった表情があらわれるのであった。 「さあ」と彼は呟く、「発車しようぜ」 そして制動機をがらがらとゆるめるのだが、これは右手で掴んだハンドルを放して、右の腕をちょっとあげればいい。 すると制動機はがらがらと巻き戻るのであった。 人は六ちゃんのことを「電車ばか」と呼ぶ。 六ちゃんはばかではなかった。 ひとびとの意見にさからうようだが、彼は幾人もの専門医の診察によって、白痴でもなく、精神薄弱児でもないことが、繰り返し証明された。 彼は小学校を出ている。 だが初めから終りまで、なんにも勉強しなかったため、各学年の修業免状も、卒業証書も貰えなかった。 彼は学齢に達したとき小学校にはいり、六年かよって小学校を出たのだ。 学課はなに一つまなばなかったし、体操も遊戯もしなかった。 初めて教室へはいったときから、ずっと電車の絵ばかり描いてい、六年のあいだ、ただもう電車の絵だけを描き、家にいるときは電車の運転に没頭しようとした。 人が彼をばかと呼ぶとおり、慥かに六ちゃんの電車は現実には存在しないし、それを発車させ、運転し、終電に至って入庫させるまでの作業は、すべて架空なものであった。 けれども、それなら現実に市電を運転している者はどうであろうか。 それはみな、現実の運転手によって、現実に運転されているのであり、その事実には 些 ( いささ )かの疑問もないが、しかし、はたしてそのままを信じていいだろうか。 ここに一人の運転手が、いま市電の運転をしている。 だが、彼の心はそこにはない。 彼はゆうべ細君とやりあったこと、またそのあと、近所の呑み屋で侮辱されたことなどから、少なからず 厭世 ( えんせい )的な気分になっており、そのため感情が 苛 ( いら )だっていた。 彼は空想の中で細君を痛烈にののしり、呑み屋で自分を侮辱した客を繰り返し殴りつけ、そんな不愉快なめにあうのも、結局は自分が市電の運転などをしているからだ、という理由で、その職業までも 呪 ( のろ )った。 こういう気分であったから、乗客の待っている停留所を素通りしてしまい、下車する客にどなられた車掌から停車のゴングを鳴らされ、慌てて停車操作をする自分に、いっそうはらを立てる、という結果になるのだ。 もちろん、他の職業人でも同じような例があるだろう。 たいていの人間が自分の職業に満足していないらしい、口ではどう云おうとも、心の中では自分の職業を嫌うか、 軽蔑 ( けいべつ )するか、憎みさえしている者が少なくないようだ。 これらの人たちと六ちゃんを比較するのは、正しい評価ではないかもしれない。 けれども、六ちゃんはまさしく、精神的にも肉躰的にも、市電を運転することにうちこんでおり、そのことに情熱を感じ、誇りとよろこびを感じているのであった。 さていま、六ちゃんは中通りを進んでゆく。 左手のハンドルをローからセコンドにあげ、右手でブレーキのハンドルをしっかりと握り、そして車輪の音をまねる。 「どですかでん、どですかでん」 これははじめ、どで、すか、でん、と緩徐調でやりだし、だんだんに調子を早めるのである。 つまり、車輪がレールの継ぎ目を渡るときの擬音であって、 交叉点 ( こうさてん )にかかると次のように変化する。 「どでどで、どでどで、どですかでん」 これは交叉する線路の四点の継ぎ目を、電車の前部車輪四組と、後部四輪とが渡る音であった。 突然、前方に不注意な通行人があらわれる。 六ちゃんは足を停めて、右足の爪先で地面を叩きながら、がんがんがん、と警告のゴングを鳴らす。 不注意な通行人は気がつかない。 線路の上をまっすぐにこっちへやって来る。 こういうのは殆んどよその町の人で、六ちゃんのことを知らず、六ちゃんの運転している電車や、その線路も見えないのだ。 六ちゃんは驚いてまっ赤な顔になり、慌ててけんめいに停車操作にかかる。 「あぶないぞ」 六ちゃんは喚きながら、左手でコントローラーをがちゃんとゼロに切替え、右手でブレーキのハンドルをぐるぐると、ありったけの力で廻し、上半身を反らせてうーっと緊めあげる。 口で ききき、とブレーキの 緊 ( しま )る音をまね、その電車はかろうじて停車する。 「あぶないじゃないか」 六ちゃんは車窓から首を出し、赤く怒張した顔でその不注意な通行人を叱りつける。 「電車にひかれるじゃないか、電車にひかれたらどうしようもないじゃないか」それからしんけんな眼つきで 睨 ( にら )みつける、「線路をあるくのは違反なんだ、田舎者はそんなことも知らないんだからな、ほんとに、気をつけなくちゃ困るじゃないか」 不注意な通行人は口をあけ、六ちゃんのただならぬ顔を見て、いそいで脇へよけてゆく。 六ちゃんはそのうしろ姿をいまいましそうな、軽侮の眼で見やりながら、なんてまぬけなやつだ、と呟く。 「なんてやつだ」と六ちゃんは云う、「自分がどこをあるいてるかもわからねえんだからな、いなかもの」 そして、右の 肱 ( ひじ )をあげてブレーキをがらがらと解き、コントローラーをセコンドに入れ、緩み終ったブレーキのハンドルを止めて握ると、左手で速度をあげ、どですか、でん、と進行してゆくのであった。 町内の人たちはもう六ちゃんに興味をもってはいない。 六ちゃんはその町の風物の中に溶けこんでいるのだ。 六ちゃん自身もかれらには無関心であるし、子供たちがわるくふざけたり、からかったりしても、ちょっと睨むだけで、まったく相手にならなかった。 中通りを三往復すると、六ちゃんはうちへ帰って休み、また三往復しては休みして、終電になる。 その日の気分によって終電の時間はまちまちだが、途中で半助の飼い猫の とらに出会うと、電車を停めて抱きあげ、半助のいる「街」まで届けにゆくのであった。 とらは黒ずんだ三毛猫の雄で、すばらしく大きい。 顔はフットボールの球くらいもあって、まるく太く、躯もよく太っている。 半助が飼うようになってからでも七年になるが、猫について見識のある人に云わせると、少なくみつもっても、十二、三年はとしをくっている、ということだが、この 界隈 ( かいわい )で とらがボスのナンバー・ワンであることには、紛れがなかった。 「どうした とら」六ちゃんは抱きあげた とらに話しかける、「今日はなにを停らした、トラックか電車か」 とらはにゃあと答える。 声は出ない、にゃあというように口はあくが、声は出さないのである。 交尾期や日常の闘争で声帯を酷使するため、よほど必要なときでない限り、声は出さないように注意している、といったふうであった。 「どのくらい停めた」六ちゃんはまたたずねる、「三台か五台か、てんぷらは食ったか」 こんども猫はにゃあというように口をあき、眼を細くして 喉 ( のど )を鳴らす。 てんぷらと云っても、それは六ちゃんのうちのではなく、本通りのむこう側の 新道 ( しんみち )にある「天松」という店の、本格的なてんぷら屋のものであるが、 とらとてんぷらの関係については、のちに記すとしよう。 「うちへ帰るんだな」六ちゃんは電車の方向を変えながら云う、「よしよし、規則違反で監督にみつかるとうるせえが、おれの電車でつれてってやろう、しっかりつかまってな、スピードをあげるからな、ほら、どですかでん、どですかでん」 電車は古いから、そのままゆけるときもあるが、故障をおこすこともある。 故障がおこると六ちゃんは舌打ちをし、電車を停めて運転台からおりる。 肩にのせた猫をなだめながら、六ちゃんは電車の周囲をゆっくり点検してまわり、仔細ありげな渋い顔つきで、車躰を叩いたり、下を 覗 ( のぞ )いてエンジンの連動部を見たり、シャフトの受け軸を足で蹴ったりし、それから空のほうを見あげて、架線とポールとの接触をたしかめたりする。 これらの動作はおどろくほど写実的で、初めて見る者には、それが単に空想の所産にすぎない、などとは信じられないに相違ない。 点検してまわるときに描く長方形の各辺の長さは、そこに車躰があるという現実的な立体感を与えるうえに、どこかを叩いたり、足で蹴ったりするときには、その音が聞えるようなリアリティをもっているからだ。 「整備のやつら、みてやがれ」六ちゃんは呟く、「こいつがいくら古いからって、整備をずるけてもいいっていう法はねえ、入庫したらとっちめてやるからな、みてやがれ」 六ちゃんは運転台へ戻り、電車を発車させる。 「さあ、スピードをあげるぞ」六ちゃんは肩の猫に云う、「どですかでん、どですかでん」 中通りの南よりに、安八百屋と呼ばれる八百屋がある。 ほかの店より三割がた安く売るそうで、かなり遠くからも買いに来る客があり、そのためそんな呼び名が拡まったものらしい。 看板には「 八百辰 ( やおたつ )」と書いてあった。 その八百屋と、靴の修繕をする小さな店のあいだに横丁があり、でこぼこで 水溜 ( みずたま )りなどのある道が百メートルほど、西へむかって延びている。 道の左右は古びて忘れられてしまったような、小さな家並が続き、そこを通りぬけると広い荒地へ出る。 そこは草原でもなく あき地とも云えなかった。 赭土 ( あかつち )まじりの地面に、ところどころ草が生えているのは、老衰して毛の抜けた犬の横腹のようであり、見る限り石ころや欠け茶碗や、あき 罐 ( かん )や 紙屑 ( かみくず )のちらばっている中に、ひねこびた 櫟 ( くぬぎ )が五、六本かたまっていたり、幅二メートルほどの どぶ川を 挾 ( はさ )んで、 灌木 ( かんぼく )の茂みがあったりするが、ぜんたいの眺めから受けるものは荒廃という感じでしかなかった。 六ちゃんはその原っぱを横切ってゆく。 まばらに生えた草の中の踏みつけ道は、やがて どぶ川に 遮 ( さえぎ )られる。 それは荒地のほぼ中央にあり、一メートル五十くらいの深さで、両岸から 蔽 ( おお )いかかる雑草や灌木をすかして見ると、油の浮いた青みどろの水の 淀 ( よど )みに、欠けた椀や皿や、折れた 箸 ( はし )や穴のあいたバケツなど、すでに役目をはたしたあらゆる器物、またしばしば、犬や猫の死躰などが捨ててあり、四季を通じて、この世がいとわしくなるような悪臭を放っていた。 六ちゃんはその どぶ川をとび越える。 そこは一種の境界なのだ。 どぶ川の東側は中通りのある繁華街に属し、そこから西側は「街」の領分であって、どちらの人たちも、その境界を越えることはなかった。 これは「街」の住人たちが極めて貧しく、殆んど九割以上の者がきまった職を持たず、不道徳なことが公然とおこなわれ、前科者やよた者、 賭博 ( とばく )者や乞食さえもいるという理由から、近づくことをいやがられているのではなく、東側の人たちにとって、その「街」も住人も別世界のもの、現実には存在しないもの、というふうに感じられているためのようであった。 例のひねこびた櫟の脇をぬけるとすぐに、われらの「街」が見える。 長屋が七棟、朽ちかかった物置のような独立家屋が五軒。 一とかたまりではなく、寄りあったりちらばったり、不規則に、あぶなっかしく建っている。 これらのうしろは高さ十五メートルほどの 崖 ( がけ )で、崖の上は西願寺の墓地であるが、墓地そのものは、竹やぶや雑木林に蔽われていて見えず、ただその高くて岩肌のあらわな崖の、威圧的な量感とひろがりが、「街」のみじめな景観をきわだたせているように思えた。 六ちゃんは とらを肩にのせて、そちらへ近よってゆく。 荒地には子供たちが遊んでいるが、決して六ちゃんを見ることはない。 荒地には子供だけでなく、内職のためになにかを割ったり、乾したり、束ねたりする老人や、いくらかの手間賃になる雑多の仕事にはげむ老婆やかみさんたちもいるのであるが、これらもまた子供たちと同様に六ちゃんを見ようとはしない。 かれらには六ちゃんが見えないのだ。 ちょうど どぶ川の東側の人たちにとって、ここの住人たちが別世界のもの、現実には存在しないもの、という考えかたと同じ意味が、ここの人たちの場合にもあてはまるのだろう。 雑踏する街上において、劇場、映画館、諸会社の事務室において、人は自分と具体的なかかわりをもったとき初めて、その相手の存在を認めるのであって、それ以外のときはそこにどれほど多数の人間がいようとも、お互いが別世界のものであり、現実には存在しないのと同然なのである。 「もうすぐだぞ」六ちゃんは とらに云う、「そら、もうそこがおめえのうちだ」 彼は ろじへはいってゆく。 そこは左右が二階建ての長屋で、といっても一般のものとは違って棟が低く、二階は屋根裏と呼ぶほうがいいくらいで、立ってあるくことができなかった。 長屋ぜんたいが一方へ傾いているのではなく、一部は前方へ、一部は後方へといったあんばいで、そのため ろじの入口から眺めると、左右の長屋が一部では仲よく軒を接し、一部では敵意をもつかのようにお互いが相手から身をそらしているようにみえるのであった。 六ちゃんの肩から、 とらはのたりと地面へとびおり、一軒の家の半分あいている格子口へはいっていった。 その格子はあけてあるのではなく、閉めることができないのだ。 それ以上あけることもできないし、閉めることもできないので、ずっと以前からそのままになっているのであった。 「 とらを送って来たよ」 六ちゃんが戸口でそう云うと 切貼 ( きりば )りだらけの障子が二インチほどあいて、五十歳ばかりの 痩 ( や )せた男が、顔の半分だけでこっちをのぞいた。 それが半助であった。 「六ちゃんだね」半助は低い声で云った、「 とらを送って来てくれたんだね」 「 とらを送って来てやったよ」 「いつもすまないね」半助はあいそう笑いをした、「ありがとうよ」 だが、二インチほどあけた障子はそのままだし、あがれと云うようすもなかった。 「まだ信心しているかね」半助がきげんをとるような口ぶりできいた、「毎晩お そっさまに欠かさず信心をやっているかね」 「ああ」六ちゃんは答えた、「毎晩お そっさまに信心してるよ」 半助は溜息をついた、「おっかさんもたいてえじゃないね」 「だいじょうぶさ、心配なんかないよ、おれが付いているからな」 「うん、それはそうだ」 半助は気弱そうにそっと六ちゃんから眼をそらせた。 「おじさんの仕事はうまくいっているのかい」 「まあまあだね」 半助は眼で笑った、「うまくいってるっていうほどでもないが、まあそうわるいってこともないね、まあぼちぼちってところだね」 六ちゃんは「ふーん」と鼻で云った。 半助の脇から とらが顔を出し、六ちゃんを見て、大きく口をあけた。 ないたのであろうが、やはり声は出ず、そのまま半助のうしろへ引込んだ。 すると、それが別れを示す協定の合図であるかのように、六ちゃんは帽子をかぶり、片手を振って戸口からはなれた。 「ありがとよ」半助はそう云った、「おっかさんによろしくってな」 六ちゃんは黙って ろじを出ていった。 夜になり、寝る支度をしたあとで、母親のお くにさんは六ちゃんと二人、仏壇の前に坐る。 仏壇には燈明がともり、線香の煙がゆれている。 お くにさんが小さな団扇太鼓を手に持つと、六ちゃんがまず両手を突いておじぎをし、母親のためにお願いをする。 「かあちゃんのことは、 とらんとこのおじさんも心配しています」 お くにさんは太鼓もお題目も中止して、けげんそうに六ちゃんのほうを見る、六ちゃんは母親をなだめるようにうなずいて云った。 「かあちゃん気にしなくっていいんだよ、気にするのがいちばん頭に毒だからな、だいじょうぶだよかあちゃん」 お くにさんは向き直って、お題目をとなえ始めた。 島さんは左の足が短い。 右の足より三インチほど短いようだ。 しぜん、あるくときにはかなり派手にびっこをひいた。 島さんは 口髭 ( くちひげ )を立てている。 眉のきりっとした、眼のきれいな、品のいい顔だちで、こんな「街」に住むような人柄とはみえない。 移って来て半年たらずのうちに、ここの住人たちの殆んどぜんぶと知りあい、誰彼の差別なくつきあい、いつもあいそのいい笑いと、陽気な話しぶりとでみんなに好かれた。 ただ困るのは、と近所の人たちはかげで云いあった。 あの顔の やまいだな、足のほうはなんでもないが、顔のあの やまいだけはどうにも馴染めないよ。 島さんには一種の持病がある。 顔面神経 痙攣 ( けいれん )とでもいうのだろうか、時をおいて顔にデリケイトな痙攣がおこり、同時に、喉の奥のほうからなにかがこみあげてき、喉を 這 ( は )い登って「けけけけふん」というふうな音になって鼻へぬけるのであった。 向いあって見ていると、まず片方の眉がつりあがり、眼がすばやいまばたきをする。 これが痙攣のおこる前触れなのだが、初めはたいていの人がウィンクされたように感じて 狼狽 ( ろうばい )するようだ。 私はへどもどしちゃってね、と古物商の小田さんは云った。 このウィンクに続いて、左右の眉と眼と口とが、それぞれ勝手な痙攣を始め、鼻までがうごめきだし、そうして喉からこみあげてきたものが、「けけけけふん」と鼻へぬけるのである。 二時間も音沙汰なしでいたり、十分おきに反復したりする。 酔ったときにはしばしば安全であるが、そう気がつくなり激烈なやつが襲ってくる、というぐあいであった。 島さんには妻がいた。 島さんより十センチほど背が高く、躰重も十キロは多いだろう。 脂肪のたっぷり付いた腰に怒り肩、手も足も大きく、胸などは乳牛ほどもあった。 あの かみさんが通るとうちが揺れて、棚の物が落っこちるんだから。 髪は茶色で薄く、眼がすわっていて、唇が厚く、左の頬に青い 痣 ( あざ )があった。 いつも黙っていて、近所の人たちともつきあわず、朝晩の挨拶さえもしないくらいだった。 島さんの妻は人に好かれないばかりでなく、むしろ嫌われていたようだ。 彼女は不機嫌な岩のように尊大で、人を見るときには「眼の右下の隅から みさげる」と云われた。 また、それと同時に唇の左の隅が左のほうへ へし曲るので、どんなに根性わるな者でも「あれほど小意地のわるい顔つきはできないだろう」という評もあった。 ここの住人たちのつきあいは、物の貸し借りと、ぐち話の交換が中心になっている。 他人は泣き寄り、という言葉がかれらの唯一の頼りであり、信仰であるようにさえみえる。 物の貸し借りといっても、小皿へ一杯の醤油とか、一と 摘 ( つま )みの塩とか、茶碗一杯の米ぐらいのものであるが、貸してやったほうは「源さんのとこもらくじゃないんだね」と思い、自分のうちにはまだ少しはゆとりがあるのだ、というささやかな心づよさと優越感をあじわえるのである。 それはしばしば、相手にそういう感情をたのしませるために、必要でもない一と摘みの塩を借りにゆくという、隣人愛のあらわれともなるのであった。 島さんの妻はそんなことはしなかった。 この「街」にも八百屋と魚屋がおり、どちらも戸板一枚に並べるだけの品しかなかったし、魚は僅かな塩物と あらばかり、八百屋は色も水気もないしなびた野菜ばかりで、両方とも市場で捨てる屑を拾って来るのだといわれているが、それでも住人たちは、その二軒でけっこう まにあわせていた。 だが島さんの妻は振向きもせず、買い物にはいつも原っぱを越して中通りまでいった。 「あの奥さんはたいへんなひとだよ」住人のかみさんたちはこう話しあった、「このあいだ安八百屋でキャベツを買うのにさ、上っ側の葉はしなびてるし傷があるからって云って、ばりばり 剥 ( む )いて捨てちゃうのさ、およそ六、七枚も剥いちゃったろうかね、それからあとのキャベツを店の人に渡して、これを 秤 ( はかり )にかけておくれと云うじゃないの、キャベツは一個いくらときまってる、目方で売るんじゃないって店の人が云ったら、こんな傷だらけのしなびた葉まで値段に入れるのかい、それで安八百屋だなんてよく云えたもんだ、おまえんとこは貧乏人の血を 啜 ( すす )るんだね、って一町四方に聞えるような声で喚きたてるじゃないの」 客はこわがって出てゆくし人立ちはするしで、店の人もやけくそになったのだろう。 そんなら只でやるから持ってゆきな、と云ったのがいけなかった。 島さんの妻はひらき直って、おらあ乞食じゃねえぞ、と男みたような 啖呵 ( たんか )をきりだし、結局は店の人があやまって、キャベツを秤にかけたうえ値段をきめた。 「ところが驚くじゃないの、金を払って帰るときにさ、あの奥さんは自分が剥いて捨てたキャベツの葉を拾い集めて、買ったキャベツといっしょに抱えて、しゃあしゃあと出てったわよ」 魚屋へいったときの話もあるが、キャベツの例と同じように、どこまでが事実かはよくわからない。 噂をする女房たちも事実を求めているのではなく、島さんの妻に対する共通の反感をたのしめばいいので、話の真偽は問わないのであった。 島さんはこの「街」へ移って来るとすぐ、古物商の小田滝三を呼んで払い物をした。 家財道具を売ってその土地を去る。 つまり世帯じまいをする、という話はあるが、引越して来てすぐに家財道具を売る、という例はあまり例がないだろう。 鉄の 釜 ( かま )、大きな 鉄鍋 ( てつなべ )、南部の 鉄瓶 ( てつびん )、金銀の 象眼 ( ぞうがん )のある南部鉄の 火箸 ( ひばし )。 また桑材の 茶箪笥 ( ちゃだんす )、総桐の長火鉢、鏡台、春慶塗の卓その他で、小田滝三は眼をむいた。 「こういう出物になると」小田滝三は尊敬のあまりしりごみをして云った、「とてもわたし独りでは仕切りきれません、たて場に有力者がいますから、それに来てもらってもいいでしょうか」 島さんはよかろうと答えた。 初めにひとわたり眺めまわし、それからおもむろに、これと思わしい物を手に取ってみたが、それはほんの二つか三つで、あとは興味もないというふうに、向き直ってタバコに火をつけた。 「四月にしちゃ冷えるな」有力者は誰にともなくそう呟いた、「このぶんじゃあ花もおくれるこったろう」 小田滝三は有力者のようすに驚き、島さんの顔色をうかがった。 島さんは気楽そうに、明るく笑いながら有力者にあいづちをうち、有力者は急に話を変えた。 「旦那はこれを幾らでお売んなさるつもりかね」 「高いほどいいね、僕は」島さんはにやっとした、「これはみんないわくのある品なんだ、手放すのは惜しいんだ、ほんとに、そこのその釜なんぞは特にね」 そして各品について、それぞれの伝来や由緒や、秘話などを詳しく語りだし、まるでお家騒動の芝居ばなしのような 雰囲気 ( ふんいき )が展開したため、小田滝三は魅入られるような気分になったが、有力者はタバコをふかしながら、依然として四月にしては冷えすぎる、とでも云いたげな顔をしていた。 「そういう話は話として」と有力者はやがて云った、「旦那はいったいどのくらいなら、これをお払いになる目算ですか」 島さんが金額を云うと、有力者は首を振った。 「だめですな」有力者はタバコを灰皿で 揉 ( も )み消しながら云った、「とても相談にならない、 桁 ( けた )がちがいます、私もだてにこんなしょうばいをしているんじゃあねえんですから、おい滝さん、失礼しよう」 そうして、小田滝三といっしょに帰ってしまった。 小田滝三はわけがわからないので戸惑い、外へ出るといそいで理由をきいた。 有力者は鼻をならして、あれらの品は全部いかさまだということを、その道の術語で云った。 長火鉢の桐は張ったものだし、桑材の茶箪笥も、春慶塗の卓も、塗料を使ってそれらしい色と木目を付けたものであり、南部鉄の火箸も金銀の象眼ではなく、 真鍮 ( しんちゅう )とニッケルのメッキだという。 鍋も釜も底に穴があいていて、屑鉄の値にしかならない。 どれ一つとしてまともな品はない、あんな物にうっかり手を出すとひどいめにあうぜ、と有力者は注意した。 小田滝三は頭を 掻 ( か )いて、こんなこととは知らないものだから、大事な暇をつぶさせて申し訳がないと、繰り返しあやまった。 右隣りの富川さん夫婦の話によると、小田滝三の呼ばれた次の夜、もう九時すぎたじぶんに、島さんの家で器物を動かす音と、低い声で値段のかけあいをしているのが聞えたそうである。 「身につまされたね」と富川さんは云った、「引越して来たばかりだからな、引越して来たばかりでまた、もう世帯じまいをするのかと思ったからね」 もちろん誤解であったし、島さんはそれから数日のちに、近隣の人たちを招いて酒をふるまった。 「晩めしのあとで来て下さい」島さんはそう云って廻った、「なんにもありません、ほんの顔つなぎだと思って下さい」 彼は十四、五軒をそう云って廻ったが、実際に来た客は五人だけであった。 来なかった人たちの大部分は、明日のたべ物を 稼 ( かせ )ぐため、外へはたらきに出るとか、内職の夜なべで手があかなかったのだ。 五人の客の中に、みんなから先生と呼ばれる、五十年輩の男がいた。 背丈は一メートル五十ちょっとで、痩せていて白髪頭で、しかしまっ黒な口髭をぴんとはね、やはりまっ黒な 顎鬚 ( あごひげ )をたくわえていた。 眉毛も黒くて太く、その下にある眼は並はずれて大きく、人を見るときには、いや笑うときでさえも、まるで威嚇するようにぎょろっと光った。 「ごめん」先生は戸口で云った、「お招きにあずかって参上した、 かんどうせいきょうという浪人者です、よろしく」 ごめん、という古風な云いかたと、先生の大時代な恰好と、そして例のぎょろっとした眼を見て、島さんはなにも感じなかったのだろうか、まるで十年の知己に会ったかのように、白い歯をみせてあいそよく笑い、さあどうぞと手を振った。 先生はすぐにはあがろうとせず、モーニングの胸ポケットから、一枚の大きな名刺を出して島さんに渡した。 それは使い古したものとみえ、 手垢 ( てあか )でよごれ、四隅がめくれていた。 かんどうせいきょうと読みながら気がつくと、寒藤先生が片手を出していた。 「やあどうも」と島さんは云った、「僕の名刺はいま刷らせているところです、古いやつは捨てちまったものですから、失礼します」 そりゃあ構わんよ、と云ったけれど、寒藤先生は手を引込めようとはしなかった。 島さんはすぐにそれと気づき、持っていた先生の名刺を先生に返した。 そこで寒藤先生はもとのポケットへ慎重にそれをしまい、ちびた下駄をぬいであがった。 そこにはすでに古物商の小田滝三と、右隣りの富川十三夫と、 たんば老人が来てい、互いに挨拶を交わしながら、寒藤先生はいちばん奥へいって坐った。 そのあとから岡田 辰弥 ( たつや )が来たのだが、詰衿の服にまる刈りの坊主頭で、島さんの眼には十四、五の少年としかみえず、酒を飲むのだから子供は遠慮してくれと、なだめるように断わった。 「僕は子供じゃありません」と岡田辰弥は答えた、「これでも一家の主人ですよ」 「そうだ、それは失敬だが島くんの誤解だ」と寒藤先生が云った、「岡田少年はとしこそ十九だが、五人家族の主人であり立派に生活をいとなんでおる、酒も飲める」 あがりたまえ、と云いかけたとき、島さんのデリケイトな持病が活動し始め、岡田辰弥はびっくりして逃げ腰になった。 第一のウィンクに続いて、顔ぜんたいの造作がそれぞれ勝手に痙攣し、なにかが島さんの喉の奥でごろごろ鳴りだしたので、「帰れ」という激しい拒絶の表現だと思ったらしい。 島さんは手まねで岡田少年を制し、そのうちに喉を這い登ったものが、けけけけふん、と鼻へ抜けたので、島さんはにこっと笑って云った。 「あがりたまえ」 あとの客は来ない、とわかったので、島さんは酒を出した。 部屋は六帖一と間しかない。 そこへ ちゃぶ台一つと、なにかの空箱を重ねて並べ、その上へ張板を二枚のせたのが食卓で、洗った敷布が掛けてあるから、中の仕掛は見えないけれども、肱を突いたりよりかかったりすると、ひとたまりもなく解躰してしまうから、島さんは初めに念を押して断わった。 部屋には古くて傷だらけの箪笥と、鏡にひびの入った鏡台と、 柳行李 ( やなぎごうり )と瀬戸の火鉢、などが眼につくだけで、ほかにこれという家財道具はみあたらなかったが、六帖の広さには変りがないから、主人と客たちが食卓を囲むと、もう身動きもできないように思われた。 二リットル 壜 ( びん )に半分の酒と二リットルそっくり詰っている 焼酎 ( しょうちゅう )が出され、大きな 丼鉢 ( どんぶりばち )の片方に あみの 佃煮 ( つくだに )、片方に大根 なます、どっちも山盛りになっていて、取り箸がいちぜん。 「かりそめにも」と寒藤先生は云った、「男子たる者が心にもないことを云うものじゃない」 そして持っている茶碗を上にあげて、「いただく」と云い、ぐっと一と息に飲んだ。 「ブルータスよおんみもか」 「自由だ、解放だ」と岡田少年が云った、「圧制は崩壊した」 島さんは頬へ平手打ちでもくったように眼をみはり、すると例のデリケイトな発作がおこった。 岡田辰弥少年はいま経験したばかりだし、隣りの富川さんと小田滝三はすでにその病癖を知っていた。 けれども寒藤清郷と たんば老人の二人は初めてなので、いちどは驚いたが、次には深い興味を 唆 ( そそ )られたとみえ、島さんの顔面にあらわれる無秩序な、むしろ乱脈ともいえる神経痙攣の経過を見まもっていた。 島さんは見られることに馴れているのだろうか、例のものが喉から鼻へ抜けるまで、ゆうゆうと発作に身を任せていて、それが終るといさましく笑った。 「これはサプライズだ」と島さんは岡田少年に云った、「きみはシェクスピアを知ってるんだね」 「岡田少年は英語の天才だ」寒藤先生が代って答えた、「ひるまは大新聞社に勤務し、夕方からは正則英語学校の夜学にかよっておる、将来は大英語学者になる人物なんだ」 「それは洋々たるものですね、きみ岡田くん」と云って島さんは右手を差出した、「握手をしよう」 それから酒がまわり始め、寒藤先生が「細君はどうした」と云った。 細君に一杯酌がしてもらいたい、客を迎えるのに一家の主婦が顔をみせないという法はない、と主張したが、島さんは「使いに出ているがもう帰るでしょう」と答えただけであった。 近所づきあいもしないように、島さんのどんな親しい友人が来ても、挨拶はもとより、一杯の茶を出そうともしないのである。 この「街」の かみさんたちは、顔の 痣 ( あざ )を見られたくないからであろう、と云っているが、そんな女らしい 羞恥心 ( しゅうちしん )からでないことは、良人の島さんがよく知っているようであった。 「ちょっと諸君にきくが」島さんが急に、あらたまった調子で云った、「諸君は米屋からただで米を略奪したことがあるかね」 「借り倒しなら」と寒藤先生が答えた、「僕はその道の達人だ」 「いやそうじゃない、借りるんじゃなく略奪するんだ、それも正々堂々とさ、どうだい諸君」 誰も返辞をせず、好奇心をおこすようすさえなかった。 この「街」の住人たちはひっくるめて、 うまい話、というものを信じない。 かれらは うまい話にとびついたため、これまでに幾たびとなく裏切られた覚えがある。 かれらにとって、この世に うまい話があるなどとは、とうてい信じられなくなっていたのだ。 「それなら教えよう」 と島さんは云った。 まず鉄の釜の内部を水で濡らしてから、知らない米屋へゆき、米を二キロ計って入れさせる。 二キロ以上でも以下でもいけない、というわけは心理学の応用問題だから略すが、二キロの米が釜の中に計り入れられたら、これを貸してもらえないかと問いかける。 知らない顔だからたいてい断わるだろう、断わられたら残念そうに、ではまたこの次にしよう、と云って釜の中の米をあけて返す。 釜の内部は濡れているから、米粒のおよそ一と側は貼り付いて残る。 島さんがそこまで話したとき、岡田少年が口をはさんだ。 「それは落語ですよ」と岡田少年は云った、「ええ、たしか 笊 ( ざる )でもって同じようなことをする落語がありますね、ラジオで聞きましたよ」 「そうじゃない、違うんだ」島さんはにこっと笑った、「はなしかってやつは独り合点でよくまちがったことを云うがね、これは笊じゃあ絶対にだめなんだ」 岡田少年は黙り、他の四人は初めて島さんに注意を向けた。 「というのはだね」と島さんは続けた、「これが笊だとすると、さかさまにして底をはたかれる、米はきれいにはたき出されてしまうんだ、わかるね」 岡田少年のほかの四人はかすかに 頷 ( うなず )いた。 「そこへゆくとさ」島さんは云った、「そこへゆくと鉄の釜はそうはいかない、底には 煤 ( すす )が付いているし、それ自体が重いから、さかさまにしてはたくというわけにはいかないんだ」 「そればかりじゃない」 島さんはそこで調子を高めた。 「鉄の成分にあるイオンが米粒に触れると、化学作用をおこして一種のアルカロイド物質が生じるんだな」 「アルカロイド?」岡田少年がびっくりしたような声をあげた。 「いや」島さんは口ごもった、「いや、アルデハイドだったかな、いや、やっぱりアルカロイドだったと思うがね、まあそんなことはどっちでもいい、とにかく鉄と米粒の接触によって或る化学作用がおこり、接触した米粒がはなれにくくなるんだ」 したがって、笊などとは比較にならない量が釜に付いて残る。 これを二軒か三軒やって廻れば、五百グラムぐらいの米は確実に集まる、というのであった。 「こんなことぐらい知らないとすれば」と島さんは結論をつけた、「諸君はまだまだ本当の貧乏は知らないと云えるだろうね」 「あたしなんざ、恥ずかしいが」と小田滝三が云った、「まだ鉄の釜って物を使ったことがないんですよ、ええ、親の代からもう土釜だもんでしたから」 「そんなことがなんだ、めしは土釜で炊くのがいちばんうまいんだぞ」と寒藤先生がきめつけた、「いずれにせよ、男子たるものがめしのことなんぞに頭をひねくるというのはばかくさい話だ、島くん、きみはいまの政界をどう思うか、きみの意見を聞かしてもらおうじゃないか、どうだ」 小田滝三は水っぽい酒を 啜 ( すす )りながら、いよいよせっぱ詰ったときのために、島さんの米を略奪する方法が嘘か本当か、一度ぜひ たぬきの啓さんにきいてみなければならない、と考えていた。 岡田少年はときを計って、 たんば老人の茶碗に酒を注いでやり、老人はにやっと微笑して頷き、黙ったまま、けれどもたのしそうに少しずつ啜りながら、みんなの話を吟味するように聞いていた。 寒藤先生は島さんを、政界の問題へひきずり込み、そこへ 釘付 ( くぎづ )けにしようとした。 島さんは明らかにその問題が嫌いとみえ、そこから脱出しようとして、持ち技のある限りをこころみているようであった。 「そうだ、そうだ」とついに島さんは云った、「あなたはライガー総理にそっくりだ」 島さんはついに、政界問題からの脱出口を発見したことを知った。 彼は猛牛に 鼻環 ( はなわ )をはめたのであった。 寒藤先生の表情がなごやかになり、口が横へぐっと一文字にひろがった。 「僕は誰かに似ていると思っていたんだが」と島さんは云った、「そうだ、まちがいなく浜内ライガー首相だ、あなたのその口のあたりは総理にそっくりだ、ねえ諸君」 富川十三夫が初めて、ライガーとはなんですかと質問し、島さんが、それはライオンとタイガーと交尾して生れた混血獣であり、だがそれは「一代限り」で、後継者は生れない、と説明するあいだに、寒藤先生の口はますますしっかりと、あたかも浜内ライガー首相それ自身であるかのように、横へひろがり、上唇にふくらみをあらわしていた。 「やめてくれ、せいしゅく」と寒藤先生が叫んだ、「諸君はそう云ってくれるが、僕はうれしくない、なんだ浜内ごときが」 そして 拳 ( こぶし )をあげて、いさましく食卓を打った。 島さんがとめようとしたけれどもまにあわず、テーブル・クロスであるところの敷布の下の仕掛は分解し、やかましい物音とともに酒壜や茶碗や丼鉢などが転げ落ち、張板の片方がはねあがり、寒藤先生は力あまって前のめりになった。 つづめていえば、それが宴の終りであった。 富川さんは自分が貸した茶碗を捜し集め、三個とも無事であったことを 慥 ( たし )かめるのにいそがしかったし、寒藤先生はモーニングの衿のところを、鼠色になったハンカチーフで熱心にこすっている。 小田滝三は雑巾を取りに勝手へ走り、岡田少年と たんば老人は立ちあがったまま、あっけにとられている。 そして島さんは、収拾のつかなくなった食卓の残骸を眺めながら、もういちどそれを組立てる気力が、自分にはもうないということを認め、こんなときにこそ例のデリケイトな発作がおこってくれればいいのに、とでもいうのか、鼻や口をしきりにもぐもぐうごめかせていた。 島さんがどういう勤めをしているのか、誰も知らなかった。 尤 ( もっと )もこの「街」では大部分の者がそうであったし、それを 詮索 ( せんさく )するようなひまじんは数えるほどしかなかった。 そのひまじんの一人が、島さんの左隣りにいた。 徳さんというひとり者で、本通りの向うに大きな繩張を持っている「築正」親分の みうちだ、ということを極秘でたれかれに耳うちをしている。 本職の 博奕 ( ばくちう )打ちだ、と云いたいのであろう。 としは四十がらみで、中肉中背のどこといって特徴のない、平凡で穏やかな人柄であった。 島さんはたいてい十時ごろに家をでかけてゆき、帰りの時刻はまちまちである。 夕方のときもあれば、夜半に帰ることもあった。 島さんはいつもきちんとしていた。 古いけれども注文製らしい背広に、黒いソフト。 自分で磨くのだそうだが、靴もきれいに手入れがしてあり、ステッキを左の腕に掛けていた。 「やあ、お早う」家から出て誰かに会うと、口髭の濃い上品な顔いっぱいに笑いをうかべ、右手でソフトをちょっと持ちあげて挨拶する、「いい天気だね、景気はどうです」 「やあ、よく精が出ますね」と女性か老人のときにはやさしく云う、「坊やの風邪はどうです、熱はさがりましたか」 こういうあいそを云わないときでも、顔いっぱいに笑って、こくんとおじぎをしながら、「やあ」と明るい声で会釈することは決して忘れなかった。 そうして、ステッキを腕に掛けた島さんが、躯を一方にかしげ、次に反対側へかしげ、また一方へかしげながらあゆみ去る姿にも、そんな あるきぶりをたのしんでいるようにみえ、すると人びとは島さんに対して、尊敬とあたたかいしたしみを感じるのであった。 島さんは「街」へ移って来て二た月めくらいに、なにがし興信所へ就職した。 彼は古物商の小田滝三と、隣りの富川さん、そして寒藤先生と岡田辰弥少年の四人に、新しい名刺を出してそれを告げた。 「こんどまた一杯やろう」と島さんは岡田少年に云った、「英語のほうはどうだ、夜学へはちゃんとかよっているのかい」 少年は首を振った、「夜学じゃありません、午後の部です、まだかよってますよ」 彼の勤めている大新聞社の係長が、彼を夜勤にまわしてくれたので、学校の午後の部へかよえるようになったのだ、と少年は簡単に説明した。 「じゃあ近いうちに」と島さんは云った、「こんどはビールで盛大にやるよ」 だが、盛大なビールの宴は実現しなかった。 島さんは勤勉に興信所へかよい、人に会うと明朗に笑い、誰とでも気軽に立ち話をした。 けれども、隣りの富川さんですら、茶をのみにいちど呼ばれたためしもなかった。 島さんの妻は、相変らず近所づきあいをせず、外で誰に会っても知らん顔をしていた。 近所の細君たちは、彼女のことを「奥さん」と呼んでいた。 この種の「街」で奥さんというのは、例外なしに蔑称であることが共通しているし、またしばしば「おきちさん」というのも同意語で、それはどこか尋常でないもの、きちがいじみているもの、という意味をあらわしていた。 「おどろいたよ、あたしは」と かみさんの一人が云う、「島さんちじゃあ島さんが煮炊きして、あの奥さんはそれをふところ手で眺めてるよ、あんな夫婦ってあるかしら」 「徳さんの話だけどね」と他の かみさんが云う、「島さんちには客もないし、いつも二人っきりだろう、それで話をするのは島さんだけで、奥さんは黙りっきりなんだって、ときたま聞えたと思うと、うるさいね、とか、少し黙ってな、とかって、どなるだけなんだって、それっきりまたしんとなっちゃうんだってよ」 こういう蔭口には 際 ( きり )のないものだが、右にあげた二つなどは 尾鰭 ( おひれ )の付かない例にはいるだろう。 それは月給日のことで、客は三人。 なにがし興信所における島さんの同僚たちであった。 客を同伴することは予告してあったのだろう、電燈がついてから帰った島さんは、たてつけの悪い格子をあけながら、陽気な声で叫んだ。 「おい、お客さんだよ」 しかし家の中から返辞は聞えて来なかった。 障子には燭光の弱い電燈の明りがさしているし、中で人の動くけはいもするが、はいとも、お帰りなさいとも、云う者はなかった。 客の三人は眼を見交わした。 「どうぞはいりたまえ」島さんは元気に云った、「遠慮されるような邸宅じゃあない、さあどうぞ」 三人は狭い土間へはいって、帽子をぬぎ、オーバーをぬいだ。 そして島さんのあとから、互いに 躯 ( からだ )をぶっつけあいながら部屋へあがった。 片方の障子があいていて、そこに一人の大きな女のいるのが、客たちに見えた。 女とは云うまでもなく島さんの妻であり、そこは勝手で、女は煉炭火鉢のぐあいをみているらしい。 そこへ奥さんが出て来た。 「きみ、こちらが井河くん」と島さんは客を紹介した、「こちらが野本くんに松井くんだ、諸君、僕のワイフです」 三人の客は紹介された順に、ズボンの膝を気にしながら、坐り直してそれぞれの名をなのり、「よろしく」と挨拶した。 しかし奥さんはなにも聞えず、なにも眼にはいらないようすで、低く鼻唄をうたいながら、そこへちゃぶ台を押しやり、勝手から大きな丼を二つ、片方には あみの佃煮、片方には福神漬が、それぞれ山盛りになっているのを持って来て、ちゃぶ台の上へ放りだした。 誇張して云うのではない、文字どおり放りだしたので、二つの大丼はいまにも転げそうに、左右へ二、三度もひっかしがり、福神漬は一と握りほどこぼれ落ちたため、松井くんは慌てて膝を横へ向けた。 島さんはすばしこく手を伸ばして、二つの丼を安定させながら、松井くんのほうを見た。 丼の一つから福神漬が汁といっしょに、一と握りほどこぼれ、松井くんが慌てて膝をよけたからだ。 月賦のズボンをよごしたのではないか、二つの丼を安定させながら、島さんはそう問いかけようとしたのであるが、その瞬間にいつもの発作が起こり、それがけけけけふんと鼻へ抜けるまで、問いかけを待たなければならなかった。 「オッケー、大丈夫だ」 松井くんはズボンの膝を 撫 ( な )でながら答え、眼の隅で勝手のほうをにらんだ。 島さんは品のいい顔をほころばし、 はじけタバコについて語りだした。 三人の客たちは、怒りをいっぱいに詰めた風船だまのような顔になり、それでも島さんの胸の中がどんなであるかを推察して、しらけた気分を隠しながら、島さんの話にあいづちを打った。 そこへ奥さんが勝手から出て来た。 片手に風呂道具を抱え、片手に手拭をぶらさげて、口には火のついたタバコを 咥 ( くわ )えていた。 「湯へいって来るからね」と奥さんは云った、「火はおこってるよ」 そして鼻唄をうたい、ぶらさげた手拭を振りながら、 大股 ( おおまた )に出ていった。 このあいだも島さんは休みなしに話し続け、盃や取皿や箸をはこび、湯豆腐の具のはいったニューム鍋や、薬味汁の小鉢を四つ配り、それから燗のついた二合徳利を持って来て、ようやく自分の席に戻った。 「この湯豆腐はうちの自慢でね」と島さんは云いかけ、やあ、かんじんの鍋を忘れた、と立ちあがりそうにしたが、僕が取って来ましょうと、井河くんがすばやく立っていった。 三人は心の中で涙ぐんでいた。 足が不自由で、顔面に神経痙攣の持病をもち、しかも陽気で明るく、紳士のような風貌の島くんが、あんな女相撲の大関みたような、ばかでかくて無神経で、冷血動物のような細君の暴慢な態度を叱りもせず、客をもてなすために独りで奔走している姿は、男同志として、平静な気分で眺めていられるけしきではなかったからだ。 「さあ、井河くんからいこう」島さんは徳利を持った、「この中ではきみがいちばん若いんだろう、松井くんはジュニアーがいたんだっけね」 「それは僕だ」と野本くんが云った、「松井くんは結婚して十年になるがまだ子供はない」 そしてむっと口をつぐんだ。 島さんは戸惑ったように、湯豆腐の鍋のかげんをみた。 野本くんの言葉は、口から棒切れでも吐きだすような調子で、その棒切れの一つずつが、彼の感情に 棘 ( とげ )の生えたことを示すように聞えたのだ。 島さんは鼻と口をもぐもぐさせた。 こんなときに例の発作がおこってくれれば、話題の転換の助けになるのだが、こういうときに限って、発作の やつはそっぽを向いたまま、協力しようとしないのであった。 「今朝は痛いけしきを見たよ」と島さんは云った、「いつもより早く出て、ちょっと自分の仕事をしていたんだがね、そこへ外国部次長の二平さんが来たんだ、あの人はいつも居眠りばかりしているだろう」 「あれはもう芸の一つですね」と井河くんが云った、「タイプを打つのは一日にせいぜい五通くらいなもんでしょう、大事なものは部長がみんなやっちゃうからね」 「中村部長は英語が達者なんだ」と松井くんが云った、「法明大学の夜間部の教授をしているくらいだからな、しゃべらせてもアクセントが違うよ、アクセントがね」 島さんは湯豆腐の鍋へ、それぞれの食品を入れながら、二平さんが一日じゅう居眠りをしているようすを、身振り入りで語り、上品に笑い、デリケイトな発作が過ぎ去るのを待って、話を戻した。 「さて鞄をあけて中の物を出し、タイプライターの 蔽 ( おお )いをとった、そこへ会計部長がいそぎ足で出社して来たんだ、と、二平さんを見るなり、やあ、速達が届きませんでしたか、と云った」島さんは 可笑 ( おか )しそうに、白いきれいな歯をみせて笑った、「やあ、二平さん速達が届きませんでしたか、ってね、そしてそのままいそぎ足で会計部のほうへいっちまったよ」 「あの人はいつもいそぎ足だ」と松井くんが云った、「いつもなにかを追っかけてるようだ」 「二平さんの顔がさっと変るのを僕は見た」と島さんが云った、「あのねぼけたような顔がきゅっとちぢまり、まっさおになって、いっとき呼吸が止ったようだった、僕はこの眼でそれを見たんだ」 若い井河くんは自分の箸を持ってちゃぶ台をまわり、鍋の脇に坐って、自分たち三人の取皿に、湯豆腐と ぐをよそい、二つを松井くんと野本くんの前へ押しやると、自分はすぐさま喰べはじめた。 「僕にはなんのことかわからなかった」と島さんは云っていた、「速達とはなんのことだろう、と思っているとさ、二平さんはいまデスクの上へ出した物を鞄の中へ戻し、タイプライターへ蔽いを掛け、その蔽いの上からタイプライターをそっと撫でたね、二十秒ばかりそうやっていたかね、まもなく鞄を取って抱え、あの型の崩れた古いソフトをかぶって、なにも云わずに帰っていった」 「速達は解雇通知さ」松井くんが云った、「外国部のサラリーは二十日に出るんだが、サラリー分はきっちり働かせたわけだろうさ」 「二平さん速達が届きませんでしたか」島さんはこわいろを使って云った、「それで終りだ、あの人は十幾年か勤めたそうだ、それが一通の速達でオール・イッツ・オヴァ、二平さんがタイプライターを撫でていたのは、それだけが別れを惜しむ相手だったからだろうね」 「ああ居眠りばかりしていたんじゃ、友達もできやしないさ」と松井くんが云った、「細君と子供が五人、いちばん下はまだ幼稚園だそうだ」 野本くんは黙って飲み、 あみの佃煮ばかり喰べていた。 彼の感情に生えた棘はますます太くするどくなるばかりで、彼はそれがますます太くするどくなるのを、 あみの佃煮と酒とで助長しているようであった。 話は同僚やら課長、部長などのうわさが続いた。 それが悪口やおひゃらかしで占められるのは、こういう場合の常識であろう。 中でも島さんの表現がいちばん 辛辣 ( しんらつ )であり、井河くんや松井くんは幾たびも声をあげて笑わされた。 野本くんだけは黙っていた。 彼がいちばん多く飲み、誰よりも先に赤くなったが、いつかその赤みは消えて、顔は白っぽく 硬 ( こわ )ばり、眼がすわってきていた。 「しかしあの女はなんだ」野本くんは唇を舐めてからいきなり云った、「きみは僕のワイフだと紹介した、だから僕たちは、僕はそう信じた、信じたればこそ頭をさげて挨拶したんだ」 「そうか、済まない」島さんはこくんとおじきをし、歯をみせて明るく笑った、「それは僕があやまる、なにしろ野人のうえにわがまま者なんで」 「きみにあやまってもらうことはない、僕はきみを責めているんじゃないんだ」と野本くんがさえぎって云った、「きみはいい人だし、僕はきみのために人間的義憤を感じているんだ、なんだいあの女は、あれでも人の妻だと云えるのかい」 松井くんが割ってはいろうとしたが、野本くんは手を振って拒み、自分で自分の言葉に感動しながら続けた。 「僕はいい、僕たちに対する無礼はいいよ、だが 良人 ( おっと )であるきみに対するあのやりかたはなんだ、主人が勤めから帰ったのに、お帰りなさいとも云わない、客があるのに挨拶はおろか茶も出さない、おまけに湯へいってくる、火はおこってるよって、冗談じゃない、どこの世界にそんな女房があるもんか、僕ならたったいま叩き出してやるよ」 「だからさ、野本くん、それは僕があやまるから」 「きみを責めてるんじゃないって云ったろう、きみはいい人だ、きみがあやまることはないんだ」と野本くんは泣き声で云った、「僕たちにあやまるより、きみはあの女を叩き出すべきだ、男同志として云うが、あんな女は」 そこで事態が転回した。 野本くんが終りまで云いきらないうちに、島さんが立ちあがってとびかかった。 片足が短いとは信じられないほどすばやく、野本くんにとびかかり、押し倒して馬乗りになった。 野本くんは肥えてはいないけれども、背丈は高く骨太なので、人並より小柄な島さんが馬乗りになったところは、不安定というよりも反自然な印象を与えた。 「なにを云うんだ、きみはなにを云うんだ」島さんは相手の肩を押えつけながら、 吃 ( ども )り吃り叫んだ、「僕のワイフがきみになにかしたんならともかく、なんにもしないからといって叩き出せとはなんだ」 「まあ島くん」と松井くんが云った、「まあきみ、乱暴なことはよしたまえ」 「いいから構わないでくれ」と野本くんは仰向きに押えつけられたままで云った、「島くんの云い分を聞こうじゃないか」 「あれは僕のワイフだ」島さんは歯をくいしばった声で云った、「きみたちには三文の値打もないとみえるかもしれないが、あいつは僕のために苦労してきたんだ、食う物がなくて水ばかり飲むような生活にも、辛抱してきてくれたんだ」 松井くんも井河くんもしゅんとなり、野本くんは顔をそむけた。 「きみたちは知るまいが」と島さんは続けた、「米屋からただで米をめしあげるには、鉄の釜を濡らすのがいちばんだ、ということまでためさなければならないほどの貧乏にも、あいつは耐えぬいてくれたんだ、それをなんだ、なんの権利があってきみは、叩き出せなんて云うんだ、え、きみにどんな権利があるんだ」 島さんは一と言ずつに野本くんの肩を押しつけた。 とびかかったときの勢いでは、殴るか首を絞めでもするかとみえたが、島さんはパン屋が小麦粉をこねでもするように、細い腕でただもう野本くんの肩をぐいぐい押しつけるばかりであった。 「わかった、もうよそう」と野本くんが云った、「僕の失言だ、あやまるよ」 島さんは野本くんの上からおり、苦しそうに 喘 ( あえ )ぎながら、元のところへ戻っていって坐った。 同時に顔面の発作がおこり、 喉 ( のど )をなにかが這いのぼって、陽気な音声となって鼻へぬけた。 野本くんは起きあがって、ネクタイや上衣の乱れを直し、井河くんは湯豆腐の鍋の中を 覗 ( のぞ )き、松井くんはその場の緊張した空気をほぐすために、なにか突飛な話題をひねりだそうとしているようにみえた。 それは時間にして十秒くらいのものだったであろう。 松井くんが突飛な話題をひねりだすまえに、表のたてつけの悪い格子があいて閉り、障子をあけて閉めて、島さんの妻がはいって来た。 片手に湯道具を抱え、片手に濡れ手拭をぶらさげていた。 三人の客はさっと左右に眼をはしらせた。 動物園で「ライオンが 檻 ( おり )から逃げた」と聞いたときの観客の表情は、そんなふうではないかと思われるような表情であった。 「まあきみ、野本くん」と島さんは片手をあげた、「まだ酒が一本あるんだ、湯豆腐も残ってるし、ようやく始めたばかりじゃないか」 だが松井くんも井河くんも、浮き腰になって馳走の礼を述べ、帰り支度をした。 たしかに三人とも島さんには友情を感じているけれども、友情ですら引止めることのできないほどの強力なものが、かれらを追いたてるようであった。 島さんが三人を送りだして、ちゃぶ台の前へ戻ると、勝手から奥さんがあらわれた。 彼女の顔は磨きあげた赤銅の洗面器のように、赤くてらてらと光ってい、立ったままで島さんを見おろした。 「話は聞いたよ、僕のワイフだって、ふん」と奥さんは鼻をならした、「あたしがおまえのワイフかい、笑わしちゃいけないよ」 これはどういう意味であろう。 島さんはただ黙って、盃に残っている冷えた酒を 啜 ( すす )った。 半助の家はいつもしんとしていた。 彼は独身で、 とらという猫がいっしょに住んでいる。 どんな稼ぎをしているのかわからない、ときどき小さな風呂敷包を持ってどこかへゆき、帰りにはその包が大きくなっている。 日用品とか食物にちがいないので、でかけるときの包には、稼ぎのもとがはいっているのであろう。 半助は五十がらみで、髪は青年のように黒ぐろと濃いが、躯はしなびた 糸瓜 ( へちま )のように 痩 ( や )せていた。 血のけのない壁土色のおもながな顔は小さく、いつも誰かに殴られるのを恐れているような、卑屈な、おどおどした眼つきをしていたし、人と話すときには、それがいっそう際立ってみえた。 外をあるくときでさえ、自分自身の躯のうしろから、そっとついてあるくように感じられた。 「まるで指名手配でも出されている人間みたいだな」と退職刑事の 和泉 ( いずみ )正六が云った、「きっと叩けば泥の出るやつだぞ」 それを聞いたヤソの斎田先生が、あとで笑った。 「叩いて出るのは 埃 ( ほこり )だ」と斎田先生は云った、「泥は吐かせると云うものだ、退職刑事もどうやら怪しいな」 半助は近所づきあいをしない。 たまに訪ねて来るのは、べつの町内にいる六ちゃんという少年と、この街で「小屋の平さん」と呼ばれる男の二人だけであった。 平さんは半助と同年配で、十日に一度ぐらい訪ねて来るのだが、かくべつ用があるわけではないらしい。 小半日ちかくいるときでも、話し声は殆んど聞えないし、たまに聞えるのは茶を啜る音か、天気のこと、景気のよしあしなどで、なんのために訪問し、なんのためにそうしているのか、とんと理解がつかないのであった。 半助はこの街の誰よりも早く起きて、井戸端で洗面をしたあと、東の空に向って かしわ手を打ち、 敬虔 ( けいけん )に眼をつむって頭を三度さげながら、口の中でなにか 呟 ( つぶや )く。 願いごとをするのだろうが、なにを祈願するのか、ぶつぶつ呟くだけで内容は聞きとれない。 それから二つのバケツに水を 汲 ( く )んで帰る、というのが日課の始まりで、これは季節や天候に左右されることなく、毎日きちんとおこなわれた。 極めて 稀 ( まれ )に、井戸端で人といっしょになることがある。 「お早う」と相手が呼びかける、「いつも早いね、半助さん」 すると半助はたちまち肩をすぼめ、卑屈におじぎをしながら、相手のきげんをとるように、おどおどと返辞をするやいなや、二つのバケツをさげて、自分の家のほうへ小走りに去るのであった。 半助の生活は とらと呼ぶ飼い猫とだけ、密接につながっていた。 とは云っても、特に変ったところがあるわけではない。 一般に猫好きとか犬好きとかいわれる人たちの中には、常識はずれな例が少なくないが、それらの人たちに比べると、半助と とらの関係は極めて平凡な、ありふれたものにすぎなかった。 朝はやく、夏でも暗いうちに半助は眼をさます。 「 とら公」と半助は呼びかける、「そろそろ起きようかね」 掛け夜具の裾のほうで、まるくなって寝ている とらが、眼をあいて主人のほうを見る。 半助は夜具の中で伸びをし、大きな欠伸をしながら、躯のどこかを 掻 ( か )く。 起きて夜具をたたみ、 戸納 ( とだな )へそれをしまうにも、殆んど物音をさせない。 これらはすべて、大切な重病人が側に眠ってでもいるように、注意ぶかくひそやかにおこなわれた。 「腹がへったかい」と彼は七厘で めしを炊きながら云う、「待ってろよ、もう少しだからな、 とら」 とらはにゃあとなくが、口をあけるだけで声は出さない。 小さなニュームの 鍋 ( なべ )で めしが炊きあがると、同じような小鍋で味噌汁を作り、そのあいだに漬け物を出し、お 膳 ( ぜん )の支度をする。 いまは田舎でもみかけない古風な、蓋付きの箱膳で、中に食器がはいってい、蓋を返して箱の上にのせると、そのまま食膳になった。 終れば食器は布巾で拭いて、元のように箱の中へしまうから、勝手までいって洗うてまが省けた。 半助はきれい好きなほうだが、それでもときたま、布巾を洗うだけで満足していた。 とらは半助の側をはなれない。 勝手でも部屋でも、彼についてまわり、躯をすりつけたり、彼の手や足へ冷たい鼻を押しつけたり、坐ればその膝へ乗ったりする。 とらにも漬け物を かくやに刻んで めしに混ぜたのを与えるだけであった。 「魚や肉はな、躯に毒なんだよ」と彼は とらに云う、「魚だの肉を喰べるといのちをちぢめるだけだ、野菜と米の めしを喰べてさえいれば、病気にもとりつかれないし、寿命だけは必ず生きられるものなんだから」 とらはにゃあと、声を出さずになき、主人を見あげる。 それはまるで、あなたの云うとおりです、知らない世間のやつらは哀れなもんですね、とでも云っているようであった。 めしを喰べるにも、半助は茶碗や箸の音をさせない。 誇張していえば、物を 噛 ( か )む音さえさせないのである。 したがって、そのようすは食事をしているというより、ぬすみ食いをしている、というふうであって、なにかを喉へつかえさせるとか、むせて 咳 ( せき )をするなどということはまったくなかった。 朝 めしを済ませると、半助はすぐ仕事にかかる。 なにを作るかは判然としないが、小さいけれども 樫材 ( かしざい )の頑丈な小机と、小刀や各種の 鑿 ( のみ )、 糸鋸 ( いとのこ )、特別に 誂 ( あつら )えたらしい小さな まんりき、三種類ほどの 錐 ( きり )などが道具で、材料は上質の 象牙 ( ぞうげ )と、鉛の延棒だけであった。 極めてこまかい仕事とみえ、片方の眼に時計屋が修理のとき使うような、筒形の拡大鏡をはめ、机にのしかかって、慎重に、入念に細工を進めるのである。 そのようすは、なにかの仕事をしているというより、荘厳な神事でもおこなっているというほうがふさわしくみえた。 小刀で象牙を削るときには、ごくかすかに、やわらかな擦音が出るけれども、それでさえ側へ寄って、じっと耳をすまさなければ聞えないのであった。 それはよほど大切な、しかも秘密な仕事なのだろう。 「小屋の平さん」でさえ、それらの道具を見たことはない。 平さんが来れば部屋へとおすが、どこへどう隠すものか、頑丈な小机以外にはこれといって眼につく物はなかった。 平さんのほかに部屋へとおす者は絶対にないし、中通りの六ちゃんが来ても、切貼りだらけの障子を少しあけ、顔を半分だけ出して話す、というのが常のことであった。 なにをするにも音を忍ばせ、食事のときに箸の音さえたてず、ひっそりと息をひそめているような生活の全部は、すべてその仕事をするためのトレーニングであるようだ。 その仕事の大切さと秘密を要することと、さらにその細工が極めて微妙であるため、起居動作からして、それに順応するように自分を馴らしている、というのが真相のようであった。 とらは主人が仕事にかかるのを見届けてから、机の脇のところで眠るか、外へでかけてゆくかする。 眠るときは俗に 香箱 ( こうばこ )を作るというかたちで、横になることはめったにない。 外出したいときには、主人の膝へ躯をこすりつけたり、仕事に熱中している主人が気づかない場合には、「にゃあ」とかすかにないてみせ、主人が障子をあけてくれるまで待った。 外へ出た とらは、ゆうゆうとあるいてゆく、彼は黒っぽい三毛猫で、躯もたっぷり肥えていて大きいし、顔もサッカーのボールくらい大きくてまるかった。 半助が飼ってからでも七年になるそうだが、十年以上のとしよりだという者、もうそろそろ化けるころだ、という者もあった。 とらはボスのナンバー・ワンであった。 主人の半助がひっそりと、自分自身のうしろにちぢこまっているようであるのと 対蹠 ( たいせき )的に、 とらはいつも堂々といばりかえって、なにもかも気にくわん、とでもいうような眼つきで、ゆうゆうと好きなところを好きなようにあるいてゆく。 この 界隈 ( かいわい )はもとより、中通りから本通りのほうまで、彼の勢力圏にはいるようだ。 云うまでもないが、これは実力で獲得したものであり、この範囲内では、かなり古参の犬でさえ彼にちょっかいをだしたため、片眼を失ったり、耳を食い千切られたりしたものが四、五匹はいた。 いまでは挑戦するような犬もいないし、たまにそんなおろかなやつがあらわれても、彼のほうで暴力をふるうことはなかった。 単に立停って、じろっと見返すだけでいい。 相当あたまの悪い 喧嘩 ( けんか )好きな犬でも、 とらのその眼つきを見るだけで 尻尾 ( しっぽ )がさがってしまう。 自然に尻尾がさがり、今日はまたなんていやな空模様だろう、とでも云いたげに、天のほうを見あげたり、または急に用を思いだしたといったようすで、あらぬ方向へ走り去ったりするのだ。 彼が暴力をふるうのは交尾期だけである。 いまでもその期間には、彼がいかにボスのナンバー・ワンであるかを、現実に見ることができた。 もっと経験を積んだ猫たちはそんな軽薄なまねはしない、若いかれらが独唱したり格闘したりするのを黙って見ている。 そうして、若輩どもがたたかい疲れたじぶんに、自分がそこに いることを主張し始める。 それからミドル級の勝ち抜き戦になり、終りのヘビー級となると一対一か、せいぜい三者対立くらいで勝敗を争うことになる。 しかし、もしもそこに とらが出て来るとすると、ヘビー級で勝利を占めた選手も、決して自分の選手権を主張しようとはしない。 すぐさま自分の権利を とらに譲って、ほかの恋人を捜しにかかるのである。 交尾期には、相当かしこい猫でも多少はあたまにきているから、中には とらにいどみかかる勇士もある。 そのときこそ、 とらは平生とっておきの喉を存分に開放するが、その叫喚のすさまじさは形容しようのないものであり、牙を 剥 ( む )き出した顔つきのすさまじさもまた、形容を絶するものであった。 それでもなお頑張ろうとする やつがたまにはいるけれども、そいつはまもなく躯じゅうから血を流し、毛を ( むし )り取られ、びっこをひきひき自分のおろかさや、大事な時間をむだにしたことを悔みながら、そこから逃げだしてゆくのであった。 われらの「街」から出た とらは、いま荒地を横切り、中通りをあるいてゆく。 肥えていて大きいから、あるきぶりもおもおもしくゆったりしている。 左の 前肢 ( まえあし )を出すときには、左の肩肉がくりくりと動くし、次には右の肩肉がくりくりと動く。 脇見などは殆んどしない、なにもかもわかっているのだ。 ここが靴の修理屋で次が荒物屋で、その隣りのしもたやには犬がいるが、それは臆病者の めめしいやつで、格子の中できちがいのように 吠 ( ほ )えたてるが、ちょっと 睨 ( にら )んでやると、まるでどこかを噛まれでもしたように、きんきん悲鳴をあげながら土間の隅へ隠れてしまい、すると顔の青ぶくれたような細君が出て来て、乳呑み児をあやすような、あまだるい声でなにか呼びかける。 「うん、ここを噛まれたんだ」とそいつは訴えるようなくんくん声を出す、「あいつです、あの悪い猫が僕のことを噛んだんですよ、いつもなんです」 「よしよし、だいじょぶよ」とその細君はそいつを抱きあげて とらのほうを睨む、「また とらのやつだわ、なんて憎たらしい つらをしているんだろう、しっしっ、あっちへゆけ、悪い のら猫だよ」 とらは軽侮にもあたいしない、といいたげに 髭 ( ひげ )をふるわせてそこを去る。 安八百屋の近所には二 疋 ( ひき )の雄猫がいるし、甘露堂というたいそうな看板を掲げた駄菓子屋には、猫でも犬でも生き物さえ見れば石を投げたり、棒で叩いたりする六歳ばかりの女の児がいる。 「ふん、いつものとおりだ」と彼は呟くようである、「こんな変りばえのしない生活を繰り返していて、よくも やつらは飽きないもんだな」 中通りを北へゆくと橋がある。 掘割に架けた石の橋で、それを渡り、二た筋目の横丁を構わずとおりぬけたところに、本通りがあり、流行のトップをゆくと称する、各種の商店や貴金属店、服飾店、キャバレー、銀行、百貨店、レストランなどが軒を並べてい、道の中央に市電、車道にはトラックや自転車、多種多様な自動車などの往来が絶えなかった。 とらがここへ来るには目的があった。 それは、この本通りを横切った向う横丁にある、「天松」という本格的なてんぷら屋なのだ。 本格的といったが、それはお くにさんのやっている五色揚げに対してのことで、事実は「駄てんぷら」であり、その故にまた下町の客にはよろこばれていた。 お座敷てんぷらの、白っぽく、上品にとりすました揚げかたは、 ばちがいだと下町の客は云う。 狐色よりやや濃い色に、ぱりっと揚げたやつこそ本筋で、もともとてんぷらなんてやつは げて物なんだ、ちかごろは職人も客もそいつを知らねえからな、などと云うのであった。 とらはその「天松」のてんぷらがひいきだった。 大きな店ではない、間口三メートル、奥行六メートルほどの広さで、入口の右側が板場、左が細長い土間で、テーブルが五つ、椅子がそれぞれ三脚ずつ置いてある。 四脚置くと通路がなくなるからで、食事どきにははいれない客が、よく店の前で順番を待っていた。 主人は五十五、六、痩せた背の高い男で、顔だちは五代目菊五郎にそっくりだといわれていた。 もちろんずっと古い客の評が伝承されたので、いまでは五代目の顔など写真でさえ見ることはないが、そういわれればそうかと、客たちは思うのであった。 ほかに出前や雑用をする小僧が二人、奥のことは不明だが、店には女っけはなかった。 材料の買い出しから 下拵 ( したごしら )え、揚げるのも客へ出すのも、この父子できびきびとやっていた。 とらはこの店の入口へ来て、どっかりと腰をおろし、てんぷらを貰うまでは動かない。 客がはいろうとすると、じろっと睨んで 牙 ( きば )を剥きだすのである。 なにしろずう躰がすばらしく大きいし、サッカーのボールほどもある顔で、牙を剥き出しながら睨まれると、たいていの者がはいりそびれてしまう。 しっしっ、などと追ったぐらいでは動かない。 水をぶっかければすばやく脇へよけるが、すぐにまた入口へ坐りこむのである。 初めのころだったが、小僧の一人が 竹菷 ( たけぼうき )でもって打つまねをしたところ、身をおどらせて小僧の胸にとびかかり、四肢の爪で掻きむしったり噛みついたりした。 「いやだよう」と小僧は悲鳴をあげた、「おっかないよう、ごめんだよう」 ほかの小僧たちや主人、息子などがとびだして来ると、 とらは 敏捷 ( びんしょう )に逃げてしまった。 小僧はかなりな傷だったので、すぐに近所の医者へやった。 医者は傷の手当をしたのち、「 鼠咬症 ( そこうしょう )というやつがあるから猫咬症なんてこともあるかもしれない」と云い、なにかの有効な注射を打ったそうである。 「お、また来やがった」もう一人の小僧は 吃驚 ( びっくり )してとびのいた、「親方たいへんです、ちょっと来て下さい」 これには主人もあきれたようだが、としの功だけあって、 とらの居坐りがなんのためであるかすぐに察し、ちょうど揚げ残りのてんぷらがあったのを、二つ三つ出してやれと命じた。 石油罐 ( せきゆかん )に客の食いかすがあるから、それでたくさんだろうと小僧は云ったが、主人は黙って睨みつけた。 猫もこのくらい権威者になるとごまかしはきかない、そこらのざっとした人間などより、趣味も 嗜好 ( しこう )もよほど洗練されている、ということを主人は知っていたようである。 とらは三つのてんぷらの内、 海老 ( えび )を残して、 あなごと きすの二つを喰べると、口のまわりや髭などに付いた揚げ油を、左右の前肢でていねいに撫で、「天松」の人たちをではなく、「店」のほうをちらと横眼に見て、ゆったりとあるきだし、歩み去っていった。 「へえーえ」と無口な息子が、去ってゆく とらの姿を見送りながら感嘆の声をあげた、「云うこたあねえな」 これが とらと「天松」との、馴染になるきっかけになり、その後は両者の関係がずっとスムーズに続いていた。 揚げ残りではあるけれども、本筋の下町ふうてんぷらに満足した とらは、食後のけだるい幸福感にひたりながら、ゆったりと帰途についた。 こんども脇見などはしない、世間はおれのものだ、とでもいいたげな顔つきで、一歩、一歩と、本通りを横切ってゆく。 各種の自動車、自転車、市電など、ぜんぜん気にかけない。 ずう躰が大きくて、あるきぶりがゆうゆうとしているから、たとえ 砂利 ( じゃり )トラの運転手でも眼をひかれずにはいられないのだ。 「やい、そこの泥棒猫」と運転手はクラクションを鳴らしながらどなる、「どかねえとひき殺すぞ」 とらは走りだすだろうか、否、彼は逆に立停ってしまい、ゆっくりとトラックのほうへ振返る。 なんだ、という顔つきで、じっと運転手を睨みつけるのだ。 運転手もまさかひき殺すわけにはいかないから、慌てて急ブレーキをかけ、トラックを停める。 とらはそれを確認してから、おもむろに車道を横切ってゆくのである。 市電でも同じことであった。 市電には正規のレール上を運行するという、一種の特権を与えられているから、そんなことはないだろうと思われるが、運転手には感情があるので、やはり承知しながらひき殺す気にはなれない。 やけなように警笛を鳴らしたうえ、これも急ブレーキをかけて電車を停める。 軌道上に立停り、大きなまるい顔を振向け、なんだ、という眼つきで睨みつけるのである。 市電が確実に停車するのを 慥 ( たし )かめてから、 とらは悠然とあるきだす。 ゆっくりと歩をはこぶので、左右の肩の肉が、くりっ、くりっと動くありさまが見えるのだ。 とらはこのように、人間どもに対してさえ、ボスであるところの自分の権威をゆずろうとしない。 いつも正面から現実にぶっつかってゆき、それを突きやぶり、うち勝ってゆくのである。 いつも誰かに殴られはしないかと、びくびくしながら身をちぢめ、息をころしているような生活から、ぬけだすことができるであろうか。 そうは思えない。 とらが市電やバスを停車させたり、「天松」からてんぷらをせしめたりするのを見たとしても、自分のくらしぶりを変えようとは思わないだろうし、まず とらと自分との、くらしぶりを、比較する気にさえならないであろう。 半助は半助であって、自分なりに人生の重荷を背負っていたのである。 或るとき三人の紳士が、ふいに半助の家へやって来た。 いずれも背広姿で、一人はハンティングをかぶり、他の二人は無帽だった。 三人とも見知らない顔なので、近所の人たちは好奇心にかられ、それとなくようすをうかがっていた。 なにか異常なことがおこりそうだった。 人づきあいをしない半助の家へ、突然そんなふうに、背広の紳士が三人も訪れて来るというのは、尋常な出来事ではないからであった。 だがこの期待は裏切られた。 「よう、やっぱりおまえだったんだな」と紳士の一人が云った、「ずいぶん捜したぜ」 半助の声は聞えなかった。 「あがらせてもらうよ」と他の紳士の云うのが聞えた、「じっとしてろ、手数をかけるじゃねえぞ」 ついで、なにか器物の音がしたが、乱暴をするとか、争うような音ではなかったし、半助の声は少しも聞えなかった。 用件はむずかしいものではなかったらしい、やがて三人の紳士が半助を 伴 ( つ )れてあらわれた。 紳士の内の二人が、なにか風呂敷包を抱えてい、半助を中にはさんで去っていった。 紳士たちも半助も近所の人たちには言葉をかけなかったし、眼を向けさえもしなかったそうである。 「なんだろう、どうしたのかね」 と近所の人たちは云いあった。 「あの三人はなに者だろう、半助さんの友達かしらね」 「それならこれまでに見かける筈だな、友達ならさ」 かれらは心の中で察していた。 この「街」の住人なら、そんなときぴんとくる考えはきまっているのだ。 まもなく、島悠吉さんの隣りにいる 博奕 ( ばくちう )打ち、高名な「築正」親分の みうちだという徳さんが、かれらの推察に裏書きをした。 「あの三人は刑事さ」と徳さんは云った、「半助は いかさま 賽 ( さい )を作る名人なんだってよ」 徳さんの云ったことを伝聞した たんば老人は、やさしい声でそっと笑った。 「刑事とはおかしいな」 たんば老人は云った、「 いかさま賽を作っていたにしろ、刑事が三人も来るなんてえことはないだろう」 「もしまた、 いかさま賽を作っていたというのが事実なら」と老人はなお云った、「やって来たのは刑事ではないな、そのみちのしょうばいにんの手先だ」 つまり職業的博奕打ちが、 いかさま賽でからき めにあったか、あるいは半助の賽が欲しいために、住所を捜し求めて来たか、どちらかであろうと老人は云った。 「すると、半助さんはどういうことになるんです」 「わからないな、私には」 たんば老は慎重に答えた、「どこかへ 掠 ( さら )ってゆかれたにしても、あとのほうならまず躯に別条はないだろう、人に知れないところに 匿 ( かく )まわれて、 いかさま賽を作ればいいんだが、これがまえのほうだとすると無事では済むまいな」 博奕で いかさま賽を使えば、殺されないまでも躯のどこかを つめられる。 半助は使ったのではないけれども、よほど巧妙な細工だとすれば、二度とそんな物が作れないように、やはりどこかを つめられるかもしれない。 「どっちとも云えないな」と老人は云った、「まあそのうちにはわかるだろうよ」 近所の人たちは、暫くその話で気ばらしをした。 いかさま賽については、徳さんが各種の例を説明し、その中には人間わざでは作れそうもない細工があり、どこまでが本当のことか疑わしかったが、それだけになお、半助の日常のひっそりした、呼吸さえ忍ぶような生活ぶり、決して人づきあいをしない明け暮れが、これで初めてわかったと、かれらは語りあった。 半助が連れ去られてから五、六日して、ジャンパーにズボンという恰好の男が二人来て、半助の家の中を片づけて去った。 まえに来た三人とはべつの男たちで、隣りの住人にもなに一つ云わず、勝手に家の中へはいり、なにかごとごとやったのち、雨戸を 釘付 ( くぎづ )けにし、口笛を吹きながら去っていった。 とらはどうしたろうか。 俗に猫は家に付くといわれ、飼い主が移転しても、家に付いてはなれないそうであるが、 とらはそんな俗説には関心がなかったのだろう、家のまわりで、幾たびかなくのを聞いた人はあるが、その後はさっぱりと姿をみせなくなった。 「きっと半助さんのあとを追っていったんだよ」と近所の かみさんの一人が云った、「三日飼われると死ぬまで恩を忘れないっていうからね」 「それは犬のことさ」とべつの かみさんが云った、「猫なんか恩の おの字も知りゃあしないよ、猫にできるのは化けるくらいのものさね」 半助はついに帰って来なかった。 「そっちの番だよ」と たんば老人が云った、「私はこの桂 はねだ」 岡田辰弥は重たい石でも持ちあげるように眼をあげて、一枚板の古い将棋盤の上を見た。 いつも顔色こそよくないが、切れ味のいい刃物を思わせるような、きらっとした活気のひらめいている顔が、いまはむくんだように力を失い、たるんでいるようにみえた。 たんば老人はそう思ったが、けぶりにもみせず、半インチほどになったタバコのすい殻を、キセルの火皿に詰め、それを 手焙 ( てあぶ )りの火ですいつけた。 辰弥少年がやおら駒を進めても、黙ってタバコをふかしてい、辰弥も黙って盤面を見まもっていた。 外は雨で、古い 板葺 ( いたぶ )き屋根を打つ雨の音が、かなり高く、そして間断なしに聞えていた。 「それじゃあだめだね」と たんば老人が忘れたじぶんに云い、盤面の駒を指さした、「この桂がはねたんだよ」 辰弥少年は指摘された点を見まもったが、いいや、やっちまえと呟いて、べつの駒を動かした。 たんば老人は深い 溜息 ( ためいき )をつき、タバコをふかした。 それから暫くたって、老人は黙ったまま、盤面の一隅を指さして云った。 「角が当ってるよ」 「ええと、そうか」 辰弥は両手の指を 揉 ( も )み合せ、盤へのしかかるようにして、駒の配置をゆっくり眺めまわした。 「なんです」 辰弥は老人を見た。 老人は喉の奥で忍び笑いをしていた。 たんば老人はキセルを手焙りのふちではたき、 火箸 ( ひばし )で火皿の中をほじくった。 「またあにきのやつが帰って来たんです」と辰弥は云った、「いつものとおりなんです、僕はもういやになっちまった」 たんば老人は、いちど置いたキセルを取りあげ、タバコのすい殻のはいったなにかの空き罐を引きよせたが、思い直したとみえて、また元のところへそっとキセルを置き、なんということもなく、溜息をついた。 「話してごらん」と老人は云った、「悪い物を喰べたときは、ひまし油をのんで出してしまうに限る、さっぱりするだけでも 儲 ( もう )けものだからね」 「金を都合しろって云うんだ、帰って来ればいつもそうなんだけれど、こんどは大きいんですよ」 老人は黙ったまま、一枚板の古い将棋盤を、駒の配置の動かないように、脇のほうへそっと押しやった。 「僕は自分がなんのために生きて来たのか、なんのために生きてゆくのかわからなくなってきた」と辰弥は云った、「あにきは十二のとしに家出をしました、僕は二つだったからなにも知らないんですけれど、戦争が終ってすぐ、おやじが死んでしまって、うちの生活がどん底になったとき、あにきは逃げだしてしまったんです」 父親は軍需機械の下請工場に勤めていて、栄養失調と過労のために、敗戦の年の十月に死んだ。 あとには妻と十二になる長男、二歳の二男の三人が残り、長男は父の死後七日と経たぬうちに、ふいと家を出ていったまま、行方不明になってしまった。 期間は二年くらいだったろう、家へ帰ったのは九月末だったから、辰弥は殆んど顔も覚えてはいなかった。 そのころ一般の生活がどんなものだったかは、ここに繰り返すまでもない。 母は二十一年の二月に再婚した。 底の知れない社会的不安と食糧難、あらゆる物資不足の中で、女一人のゆくさきが心ぼそくなったのは当然だろう。 再婚した相手は母より二つ若く、大学を出たサラリー・マンだった、ということであるが、戦後はブローカーのようなことをしていた。 「僕はその人を本当の父だと思っていました、いまでもそうとしきゃ思えないんです」と辰弥は云った、「僕の下に弟二人と妹が生れました、それが父の子なんですが、父は弟たちよりも、僕をいちばん可愛がってくれました、叱ることも叱るけれど、叱りかたでも弟たちとは違うんです、僕は母よりも父のほうによけいあまえました」 辰弥は五歳のときから英語を教えられた。 進駐軍は半永久的に日本を支配するだろう、だから英語ができなければ、これからの日本人は生きていけないんだ、と父は云った。 辰弥が十二のとき、家出をした兄が帰って来た。 父が仕事で大阪へでかけた夜のことで、そのことを慥かめて来たらしい。 固太りに肥えて眼が赤く、髪もぼさぼさだし髭だらけで、荒い呼吸はむせるほど酒臭かった。 母は泣きながらとびついた。 母は辰弥に、これがおまえのじつの兄さんだ、と告げたが、辰弥には信じられなかったし、弟や妹たちは側へ寄ろうともしなかった。 兄であるかないかというより、こわい男だと思ったのだ。 としは満で二十二歳だったろう。 しかし見たところはずっとふけていた。 酔っているために赤かった眼や、黄色っぽい大きな歯や、ぶしょう髭の伸びた、固太りの、 膏 ( あぶら )でぎらぎら光っている顔は、特攻隊くずれ、などといわれた若者たちのようだし、ことさらにやさしい作り声で話す口ぶりには、ぶきみな 凄 ( すご )みさえ感じられた。 静岡のどこかに勤めているので、すぐに帰らなければならなかったのだ、と母は辰弥たちに語った。 けれども実際はそうでなく、兄はどう云いくるめたか、母からうまく金をせびり取っていったもので、父が出張から帰ってくると、母とのあいだに初めて、かなり激しい口論がおこった。 その前後から、父の仕事はうまくいかなくなっていたようだが、 躯 ( からだ )も眼にみえて衰弱し、それをまぎらわすためだろうか、深酒を飲みだし、 道傍 ( みちばた )に酔いつぶれているのを人に教えられて、母と辰弥とで伴れ帰りにゆくようなことも、幾たびかあった。 辰弥が十三になった年の冬、父は 喀血 ( かっけつ )をして倒れた。 医者の診察によると、古い肺結核の再発で、すぐに入院しなければだめだ、ということであった。 病院を紹介してくれたが、どこにも空いているベッドはなかった。 母はこのときだけ、けんめいになった。 空きベッドがないかと、熱心に病院を捜し続ける一方、父と共同で仕事をしていた人たちを訪ねて、入院費用をかき集めたりした。 町の中で待伏せたり、近所の子供を使って呼び出したりしたのだろう。 父はその金をみせろと云い、母は出してみせたが、父の聞いた金額の三分の一にも足りなかった。 父はその金を辰弥の手に握らせ、涙をぽろぽろこぼしながら、これを放すんじゃない、と云った。 「誰がなんと云っても、決してこれを渡すんじゃない、これは辰弥の金だよって」 辰弥はちょっと口をつぐみ、自分の言葉が感傷的に聞えないようにと、つとめて平板な調子を保ちながら続けた。 父は母を責めなかった。 不足の金額は長男に貸した、と聞いたとき、彼女の顔をじっとみつめた。 それは奇妙な、いま初めて会う人を見るような眼つきであった。 けれどもその瞬間から、父は母に対して口をきかなくなった。 母は弁明し、長男の窮状を訴え、金は必ず返る、と繰り返したが、父は聞いているようすもなかった。 病気は自分で治す、二度も治したんだから自信がある、決して心配するなと云い続けたが、父のは奔馬性とかいう悪性のものだったそうで、三度も大量の喀血をし、四たびめのときに、血が気管に詰ったため窒息して死んだ。 学校が冬休みにはいっていたから、辰弥はその臨終を見た。 初めに吐いた血を、父は新聞紙で隠しながら、まだ死ねない、いま死んでは困る、いまは困る、と歯をくいしばって叫んだ。 「なにかの本で読んだんですが、夏目漱石が死ぬときにも、同じようなことを云ったそうです」と辰弥は云った、「新聞に書いている小説を中断させたくないためか、小さい子供たちに心が残ったのか、とにかく、いま死ぬことはできない、というようなことを云ったそうです」 たんば老人は眉も動かさず、穏やかな顔でゆっくりと 頷 ( うなず )いた。 父に死なれた母は、泣くのはあとまわしだと云って、家財の始末をし、この「街」へ移った。 それまで払い物をしていた古物商の、小田滝三が口をきいてくれたのである。 そして、ここへ移ると同時に、父の共同経営者の一人の世話で、辰弥もいまの新聞社に雇われたのであった。 人間おちめになったら、とことんまでおちるほうがいい、中途半端がいちばん悪いのだ、と母は子供に云いきかせた。 おっかさんは 屑拾 ( くずひろ )いだってしてみせるから、おまえたちも自分のお小遣や、学校の給食費ぐらいは、自分で 稼 ( かせ )ぐつもりになっておくれ。 屑拾いこそしなかったが、賃縫いや、ラウンドリーの下請けや、進駐軍ハウスの芝刈りや、闇成金の家掃除、米や 薯 ( いも )や魚介の買出し、宝クジ売り。 そのほか数えきれないほどの、そのときばったりの仕事をみえも外聞もなくやったうえ、いまでは躰力も弱ったのだろうか、家におちついて、授産所からまわってくる内職を専門にやるようになった。 辰弥が給仕として雇われた新聞社に、「 河馬 ( かば )」という 渾名 ( あだな )の、或る部長がいて、どんなきっかけがあったともなく辰弥をひいきにし始め、特別手当の出るようにはからってくれたり、英語学校の夜間部にかよっていると聞くと通学時間にゆとりがあるように、あんばいをしてくれたりした。 その「河馬」部長のおかげで、辰弥の収入は平社員より多いことがあるくらいだったし、英語学校でも、午後のクラスへかよえるようにしてもらえた。 弟たちには大学までやらせるつもりだったので、辰弥はけんめいに頑張ったが、少しゆとりができたころになると、兄がやって来て、僅かな貯金まで召上げられてしまう。 この「街」へ移って来てから三度、今日は四たびめというわけであった。 兄が来たので、すぐに辰弥は家を出た。 母が持っている金くらいなら、せびり取られてもしようがない。 そういうきょうだいのいることは世間に例がないわけではなし、母はしょせん兄には勝てないのだから。 けれども貯金のほうは絶対に困る、これだけは自分たち一家の将来に関する金なのだ、と辰弥は云った。 「ずっと昔のことだがね」と老人が静かに云った、「私の知りあいにひとり変った男がいた、かなり大きな商店の主人で、女中も三人、店の者もひところは十人以上使っていたかね」 その男は人使いが荒く、朝から晩まで口小言が絶えなかった。 自分はなにもしないで、台所から店の内外まで、見てまわっては小言を云う、妻にも子供にも遠慮をしない。 落語の小言幸兵衛はその男をモデルにしたのではないか、と思われるほどであった。 話の効果をたしかめるようにではなく、その男をしっかり思いだそうとするかのように。 そうしてやがて、含み笑いをし、ひどくゆっくりと頭を振った。 たんば老人はそっと眼を細めた。 「世間にはよくそういうことがあるんだな」と老人は 太息 ( といき )をついてから、やわらかな声で云った、「あとになってから、あのときああしてやればよかったと、悔むようなことが誰にでもある、それがまた、人間の人間らしいところではあるだろうがね」 たんば老人はタバコをすおうかすうまいかと迷うように、みれんらしくキセルと空き罐とを見比べた。 辰弥は家へ帰った。 たんば老人の話は、彼に一種のショックを与えたようだ。 それがどういう内容のものであるか明瞭ではないけれども、辰弥の顔には急に、幾歳かとしをとった男のような表情があらわれていたし、あるく足どりにも、つねにない力がこもっていた。 「そうだな、それもあるな」 と彼は考えぶかそうに呟いた。 「あにきにはあにきの云い分があるだろう、戦争ちゅう親たちからはなされ、遠い田舎で疎開ぐらしをしていた」 ことによると父や母が、敵の爆弾で死ぬかもしれない、そのときはどうしたらいいか。 そういう心配が頭から去るときはなかったにちがいない、それから敗戦になり、家へ帰ると父が死んだ。 あのめちゃくちゃな世の中で母と弟を自分が背負わなければならない、自分ひとりで背負うわけではないにしても、重荷の一端はかかってくる、 却 ( かえ )って自分のいないほうが、母にはやってゆきやすいんではないか、そうだな」 彼は唇を噛んで立停った。 「そうだ」と彼は自分に答えた、「おれだって逃げだしたかもしれない、考えるだけでもたまらなかったろうからな」 親きょうだいにまで隠して、こそこそ貯金をしていた自分こそ、けちな利己主義者だったともいえる。 このみじめな「街」からぬけ出ようという考えも利己主義だ。 ここに住んでいる多くの家族は、自分たちがおちぶれて迷い込んで来たとき、それぞれのかたちであたたかく迎えてくれた。 「その人たちの多くはここからぬけ出すことができない」 そうじゃないか。 中には子供の代になっても、ぬけ出せない人たちがいる。 貯金はあにきに進呈しよう、けちくさい貯金なんかしなくとも、時期が来ればしぜんと出てゆけるだろう、貯金はあにきに進呈すべきだ。 「なにをしておる、英学者」うしろで活溌な声がした、「 がまぐちでも落したか」 寒藤清郷であった。 辰弥はどぎまぎし、赤くなった。 「うちへ帰るところです」 「どこのうちへ帰る、もう通り過ぎとるぞ」寒藤先生は例のとおり、古ぼけたモーニング姿で、うしろに大学の応援団のような、いさましい恰好の青年を一人伴っていた。 「これはわが憂国塾の塾生で、姓名は八田忠晴という」 寒藤先生はそう紹介した、「よろしく」 その青年も「よろしく」と云いながら、活溌におじぎをした。 そして二人は、自由主義をばぶっ 潰 ( つぶ )せ、などとうたいながら歩み去っていった。 岡田辰弥が家へ帰ってみると、兄はもういなかった。 すぐ下の弟は勤め先の人たちとハイキングにゆくと云って、朝はやくから出てゆき、二番めの弟と妹がいたのであるが、いまは母と弟の二人きりだった。 母は勝手でなにかしてい、弟は机に向っていた。 辰弥は弟のそばへいって、あにきはどうした、ときいた。 「帰ったよ」と弟は答えた。 弟は英作文をやっているらしかった。 机の上は書き損じた紙や、ぼろぼろになった参考書や辞典やノートなどがいっぱいで、見るだけでもうんざりした。 「机の上をなんとかしろよ」と辰弥は云った、「まるで 屑籠 ( くずかご )をひっくり返したようじゃないか、よくそれで勉強ができるな」 「 諄 ( くど )いなあ」と弟は云った、「こうしなければおれは勉強ができないんだって、何度も云っているじゃねえか、うっちゃっといてくれよ」 「辰弥かい」と勝手から母が呼びかけた、「 茶箪笥 ( ちゃだんす )に おやつがはいっているよ」 「 のらさんのみやげさ」と弟が低い声で云った、「ジー・アイの残飯の中からでも拾って来たらしいぜ」 のらさんとは、弟や妹たちがあにきに付けた呼び名であった。 辰弥が茶箪笥をあけてみると、ふちの欠けた洋皿に、エクレアのような菓子が二つのせてあった。 「おまえ喰べたのか」 「犬じゃあないんでね」弟は振向きもしなかった、「アメちゃんの食い残しなんかまっぴらごめんさ」 もう米軍の残飯を食うなどということはなかった。 実際にそれを喰べて飢えを 凌 ( しの )いだのは、母と辰弥とすぐ下の弟くらいであろう。 だが四男である彼は、それを喰べた母の乳で育ったというだけで、いまでも事ごとに激しい憎悪を感ずるようであった。 辰弥は菓子には手をつけず、茶箪笥の戸納を閉め、弟のそばへいって、あにきはおとなしく帰ったのか、と声をひそめてきいた。 「ごきげんだったよ」と弟は辞典を繰りながら、ぶっきらぼうに答え、振向いて辰弥を見た、「頼むから宿題ぐらいゆっくりさせてくれよ、おれは」 彼がそう云いかけたとき、戸外で人の声がした。 どうやらこの家をきいているらしい、ええそこですよ、という女の声がし、すぐに戸口で「岡田さん」とおとずれる声が聞えた。 辰弥が答えながらいって、障子をあけると、制服の警官が立っていた。 あにきがなにかやったな、と辰弥は直感し、急に呼吸が苦しくなった。 警官はメモのような紙片を見ながら、岡田辰弥くんかとたずね、そうだと答えると、伸弥という兄さんがいるかときいた。 「はい、おります」 そう答えながら、辰弥は自分の顔色の変るのを感じた。 「兄はおりますが」と辰弥はかすれた声で続けた。 「このうちには住んでいないんです、よそへ出てはたらいているんですが、兄がなにかしたんでしょうか」 「交通事故なんだ」 警官は辰弥の眼を避けるかのように、メモを見たままで云った。 「いま本通り一丁目の交番から連絡があってね、伸弥くんが小型乗用車にはねられたんだそうだ、向うからの電話連絡なんで」 「うちの息子がどうしたんですって」と母がとびだして来た。 「まあおちついて下さい」警官は片手で、なだめるような手まねをした、「本通り一丁目の交番から電話連絡があったんで、ぼくには詳しいことはわからないんだが、なんでも小型乗用車にはねられて」 「場所はとこです、 けがは重いんですか軽いんですか」 「おっかさん」と辰弥が制止した、「静かにしなきゃだめだよ」 「とにかく電話連絡なんでね」と警官はひたすらメモをみつめながら云った、「場所はまあ交番に近いところだろうと思うが、 けがの程度までは連絡では云っていなかった、中橋のそばにある仁善病院というのへ入院させて」 「病院へ、入院ですって」 「おっかさんったら」と辰弥はまた母を制止して、警官にきいた、「中橋の仁善病院ていうんですね」 「そういう電話連絡なんだ」 警官は初めてメモから眼をあげた。 そして、このみじめな住居にすばやく視線をはしらせて、誰かすぐにゆけるかどうか、とあやぶむようにきいた。 「はい、すぐにゆきます」と辰弥が答えた、「どうもお手数をかけました、ご苦労さまです」 警官は挙手の礼をして去った。 母は泣きだし、驚きのあまり立っていられないように、そこへ坐っておろおろと、長男の名を呼んだり、また泣きいったりした。 「おい光雄」と、辰弥は弟に云った、「おまえ先にいってみてくれ、おっかさんとぼくは必要な物を持ってあとからゆく、いいな」 「そんな必要があるのかい」弟は机に向ったままで云った、「病院に入院しちゃったんなら、医者がなんとかしてるだろ、おれがいそいでいったって、なんにもできやしねえと思うがな」 「いいよ、頼まないよ」と云って、辰弥は母をせきたてた、「泣いてる場合じゃないよおっかさん、着る物やなにか出さなくっちゃ、それに毛布くらいはいま持ってゆかなくちゃならないんだろう」 「あたしにゃ、なにをしていいかわからない、あの子はきっと大 けがをしてるんだよ」 「だってここの住所や名が云えるくらいだもの、きっとたいしたことじゃないよ、それより早く着る物を出しておくれよ」 風呂敷包を自分で持って、母を支えるようにしながら、辰弥はその病院へいった。 戦後に建てた安普請のバラックで、白と緑で塗りたくったペンキも 剥 ( は )げ落ち、仁善病院と書いた看板の字も 斑 ( まだら )に剥げていて、やっと判読できるくらいだった。 狭い土間の片方にある受付に、四十がらみの女性がいた。 白い看護衣の鼠色になったのを着ているが、口のききかたも動作も、看護婦のようではなく、まるで不景気な外食券食堂の かみさん、といった感じであった。 「ドアをちゃんと閉めて下さい」彼女はまずそう命じてから、辰弥の問いに答えた、「ええ、その人は預かっています、あなたがたは家族の人ですか」 「いま院長にきいてみます」とまた彼女は云った、「たぶん面会謝絶だろうがね」 そして二人をぎろりと白い眼で睨み、五十キロもある荷物をはこびでもするような、たいぎそうなあるきぶりで奥へいった。 面会謝絶という言葉を聞いたとき、母は辰弥の腕をぎゅっと 掴 ( つか )んだ。 彼はその母の手をやさしく叩き、しっかりするんだよおっかさん、大丈夫だよ、と 囁 ( ささや )いた。 「どうぞ」と戻って来た女が云った、「いま院長先生がおみえになるから」 辰弥は母を支えながら玄関へあがった。 五足ばかりあるスリッパは、みな古く、ぞっとするほどきたならしく、やぶれたり擦り切れたりしていた。 ぎしぎしきしむドアをあけて、おどろくほど背の低い、中年男がせかせかと出て来た。 初めは子供かと思ったくらいで、躯も顔も子供っぽく肥えてい、 顎 ( あご )の下に厚く肉がくびれていた。 「岡田伸弥の家族の方ですね」とその男は息苦しそうに、 喘 ( あえ )ぎながら云った、「いま 昏睡 ( こんすい )状態で、係り官が来るでしょう、お会いになってもわかりませんよ、ぼくは院長の大豊です、 とよはゆたかという字です、表に看板が出ていますが、まあお掛けなさい」 母はおろおろ声で容態をたずねた。 大豊院長は診察衣のポケットから、くしゃくしゃになったタバコの紙袋を出し、へし曲った一本のタバコを抜き取ると、こんどはあらゆるポケットを捜したのち、聴診器といっしょにライターをつかみ出して、ようやくタバコに火をつけた。 「なにしろ 頭蓋 ( ずがい )骨折で、手足にも骨折があるでしょうね、心臓も肥大しているな、酒の飲みすぎだと思うが、ここへ担ぎ込まれたときにはもう意識不明でした、ああ、本人は苦痛も感じていなかったと思う、頭蓋骨折だからね」 「しかし」と辰弥が反問した、「住所姓名は云えたんじゃないんですか」 「それは違うね、まったく話が違うね、ああ」と院長は云った、「あの患者は意識不明のまま担ぎ込まれて来たんだ、さっきも云ったとおりね、係り官は聞いたかもしれない、たぶん係り官が事故現場へ駆けつけたときには、まだあるいは口がきけたかもわからん、しかしここへ担ぎ込まれて来たときは、意識不明で口をきくどころじゃなかった、はっきり云えばだな、丸太ン棒を放り出されたみたようなもんだったよ」 「会わせて下さい」と母は云った、「あれはわたしの子供なんです、どうかいますぐに会わせて下さい」 「会ってもわかりゃしませんよ、ひどい姿になっているし、包帯をしてはあるがそれも血だらけで、まあおっかさんは見ないほうがいいでしょうね」 「いいえ会います、どんなにひどい恰好だって驚きゃあしません、あれはわたしの子供なんですから」 「まあまあ」と云って院長は辰弥を見た、「きみは弟だといったね」 辰弥は頷いた。 女親に見せるのはむりだ、と院長は云った。 しかし病院の立場としては、患者に対する応急処置や、使用した高価な注射薬について親族の了解を得る必要がある。 そういう意味で、きみに病室へいってもらいたい、と院長は云った。 「はい、ぼくが会います」辰弥はそう云って母を見た、「ぼくが先に会いますよ、そのようすによっておっかさんも会うほうがいいでしょう」 「あの子は死ぬんですね」母は院長に云った、「あの子は助からないんですね」 辰弥が「おっかさん」と制止した。 院長は医者であることの威厳を示しながら、医者には患者の生死について発言することは許されていない。 患者が生きているうちは生きているのであって、呼吸と心臓が止り、その肉躰が生きることをやめたと確認したとき、はじめて「死」を宣告することができるのである、と云った。 「この仁善病院は儲け主義の病院じゃないんだ」と院長は急にふきげんになって云った、「よそみたいにぶったくり主義なら、とっくに建物も改造しているし、薬局だってどしどし新薬を入れられるんだ」 「病室はどこですか」 と辰弥がきいた。 母がわたしもとゆっくり立ちあがり、院長は面倒くさいとでもいうように片手を振って、いましがた出て来たドアのほうへあるきだした。 この病院は儲け主義ではないとか、ほかの病院のようにやっていたらもっと薬局にも新薬を備えることができるなどと、院長が急に 憤懣 ( ふんまん )を述べだしたとき、院長の左右の手首に無数の注射の 痕 ( あと )があるのを、辰弥は認めた。 注射の痕はうす茶色で、 そばかすかと思えるほど数が多く、白衣の袖の奥までびっしりと皮膚の表面を埋めていた。 おそらく腕のほうから始めて、手首にまで及んだものであろう。 なんの注射かはわからないが、そのように数多く打つとすれば中毒性の薬に相違ない。 新聞社に勤めている辰弥の頭には、幾種類かの禁制薬品の名がうかび、この医者は信用できないぞと思った。 その病室にはベッドが二つ並んでいた。 それ以上は一台のベッドも入れる余地もない狭さで、窓のくもり 硝子 ( ガラス )の多くはひび 破 ( わ )れており、そこに紙を 貼 ( は )って保たせてあった。 あにきは手前のベッドで、窓のほうへ頭を向けて寝ていた。 カバーなしの 垢 ( あか )じみた毛布が掛けてあるため、胸から下は見えないが、頭部は眼と鼻と口が覗いているほか、すっかり包帯で巻かれているし、毛布の上に出ている両手も包帯で巻いてあり、どちらも 滲 ( にじ )み出た血で染まっていた。 「これが本人の所持品です」院長はサイド・テーブルの上にある物を指さした、「見るだけ見てもいいが、係り官が来るまでは手をつけないように、ああ、これは係り官の命令だから」 辰弥は頷いた。 母はあにきの 枕許 ( まくらもと )へ走り寄り、頭の上へのしかかるようにして、おろおろと名を呼び、話しかけていた。 院長は形式的に脈をみようとさえせず、ぶったくらない病院の経営がいかに困難であるか、とぐちを並べたり、こんどの治療費が意外に高くついたとか、なになにという新輸入の注射薬を使ってみたいのだが、あまり高価なので考えている、などということをくどくどと 呟 ( つぶや )いていた。 辰弥はサイド・テーブルの上にある品を見ていて、その表情を静かに硬ばらせた。 外国製の万年筆とシャープペンシル、腕時計、革表紙の手帳、革製の横に長い がまぐち、上等な麻のハンカチーフ、洋銀にしゃれた模様を彫ったコンパクト、 櫛 ( くし )などの脇に、自分の貯金通帳と認印があるのをみつけたのだ。 まさかと、初めは信じられなかった。 手をつけてはいけないと云われているので、顔を近づけてよく見ると、住所氏名が自分のものであること、認印も自分の物であることがわかった。 そう思ったとき、抑えがたい怒りと悲しさがこみあげてき、われ知らず振向いて母に問いかけた。 「ここにぼくの貯金通帳があるけれど」と辰弥は云った、「どうしてこれをあにきが持ってたんだろう」 母はあにきを覗きこんだまま、それまでなにか云い続けていた口をぴったりとつぐみ、躯ぜんたいをちぢめて、なにか異常な事がおこるのを待ちでもするように、じっと呼吸をころしていた。 いけなかった、と辰弥はすぐに後悔した。 きくまでもなかった、悪いことをした、と彼は思った。 母がとつぜん身をおこして、辰弥のほうへ振向いた。 それはまるで、辰弥の考えたことを、その耳で聞きつけたかのようであった。 「貯金帳はあたしが遣ったよ」と母はふるえ声で云った、「兄さんがあんなに困っているわけを話したのに、おまえは黙って出ていってしまった、血を分けたじつの兄さんが、よっぽど困ればこそ相談に来たんじゃないか」 辰弥は 蒼 ( あお )くなり「おっかさん」と云った。 院長は気まずそうに、眼をそむけながら出ていった。 「それなのにおまえは、話をよく聞こうともしなかった」と母は云い続けた。 彼女の顔も 蒼白 ( そうはく )になり 眼尻 ( めじり )がつりあがるようにみえた、「自分はこそこそ貯金なんかしていたくせに、親のあたしにさえ隠して、自分だけは貯金なんかしていたじゃないか、おまえには親きょうだいより、貯金のほうが大事なんだろう」 そうじゃないんだよ、あれは自分のためじゃない、おっかさんや弟たちといっしょに、もう少しましなところへ移りたかったんだ。 それでも考え直して、あにきに遣ろうと思ってうちへ帰ったんだ。 ぼくは自分だけのためなんて、考えたこともありゃあしないよ、辰弥は心の中でそう訴えた。 しかしそれは心の中のことで、口には一と言も出さなかった。 「伸弥。 伸弥ったら」母は泣き声であにきに呼びかけた、「死なないどくれ、なにか云っとくれよ、おっかさんはおまえだけが頼りなんだからね、お願いだから死なないどくれよ」 辰弥はそっと廊下へ出てゆき、手の甲ですばやく眼をぬぐった。 増田益夫は三十二歳、妻の勝子は二十九歳であった。 河口初太郎は三十歳、妻の良江は二十五歳であった。 増田夫妻は東の長屋に住み、河口夫妻は北の長屋に住んでいた。 この二つの長屋が、ほぼT字形に接するところに共同水道があり、まわりが空地になっていて、水道端はかみさんたち、空地は子供たちで、どちらもそうぞうしく 賑 ( にぎ )わっていた。 増田と河口は日雇い人夫に出ていた。 特に仲が良いわけでもないが、でかけるときいつもいっしょだし、酔っていっしょに帰ることも 稀 ( まれ )ではなかった。 かれらの妻たちも、共同水道で毎日のように顔が合い、他のかみさんたち同様に、ぐちをこぼしあったり、人のうわさや蔭口や、そのほか数え切れないほどの話題について、おしゃべりの快楽に 耽 ( ふけ )るのであった。 「まあ聞いとくれよお よっさん、あんただから話すんだけどさ」 勝子は良江にこう呼びかける。 そして、 閨房 ( けいぼう )の秘事までうちあけたうえ、誰にもないしょだよ、と念を押す。 その口ぶりや表情には信頼と、深い親近感とがあふれていて、だから親きょうだいにも話せないことを話せるのだ、というふうに感じられるのであるが、実際には相手が良江でなくともいいのだ。 そのとき話したい衝動がおこり、適当な相手がありさえすれば、どのおかみさんにも話せないようなことを話すのに、少しも差支えはないのであった。 これは良江に置き替えても同じことであるし、他のかみさんたちの多くにも当て 篏 ( は )まるだろう。 たまたまそうでなく、二人だけ特に親しいとか、水道端のパーティーを好まないような者がいれば、「おへんじん」とか「おきちさん」などという悪評から ( のが )れるすべはないのであった。 十月末の或る夜、九時ころのことであるが、河口初太郎の家へ増田益夫が酔ってあらわれた。 その日は二人とも、近来になくいい日当の仕事があり、帰りにはいっしょに一杯やった。 そしていま、河口は妻の良江を相手に、またぐずぐずと飲んでいるところだったので、増田の顔を見るなり勇気づいて「ようあにい」と手をあげた。 「いいとこへ来てくれた、まああがってくれ」 「おらあそんなきげんじゃあねえ、おめえに聞いてもれえてえことがあって来たんだ」 増田はあがって、夫婦の脇へどかっとあぐらをかいた。 顔は赤いし眼も赤いし、息は腐った 熟柿 ( じゅくし )のような匂いがした。 「まあ一杯いこう」と河口は持っていた湯呑を、ちゅっと 啜 ( すす )ってから差出した、「そのうえで話を聞こうじゃねえか、どうしたんだ」 「どうもこうもねえや」良江の注いでくれた酒を、水でも 呷 ( あお )るように飲んで、増田は云った、「どうもこうもありゃしねえ、うちのすべた あまのちくしょう、おらあまるでのら犬がシャッポをかぶされたような心持だ」 「ふーん」河口は首をかしげた。 おれがなんでべらぼうだ。 いつもあたしに関係のないことであたしに当りちらすじゃないか、番たびじゃないか、そうだろうと切返した。 「亭主にゃあ亭主の見識てえものがあらあ、なあ初つぁん」 河口は「そうとも」と云って湯呑の酒を呷った。 気のせいか、いかにも見識を確証するような飲みかたであった。 「男ってものは外で難儀の多いもんだ」と増田は続けた、「まだけつっぺたの青いような若造の人繰りにへいこらしたり、無理な荷揚げにへたばっているのを、畜生のようにどなられたり、それこそ血の涙も出ねえようなおもいをしなけりゃあならねえ、だからてめえのうちへ帰ったときぐれえ、つい かかあにでも当りたくなるのが人情じゃあねえか」 おれのいうことが間違っているかと云って、増田はぐっと酒を飲みほし、良江がすぐに酌をしてやった。 「あにいの云うとおりよ、いつだってあにいの云うことは間違えなんかありゃあしねえさ」 「ところがうちの あまときたら負けちゃあいねえ、昔から一度だって はいとぬかしたためしがねえんだから」と増田は新しく注がれた酒を飲んで云った、「男が外で難儀をすれば、うちにいる女にだって難儀なことがあるんだ、それこそ むし歯を五寸 釘 ( くぎ )でほじくられるようなおもいをすることが幾らもあるんだ、けれどもあたしゃ女房だ、疲れて帰って来る亭主に、いちいちこうめったああめったって泣きごとを並べちゃあ悪いから、黙ってなんにも云わねえでがまんしている、おまえにゃあそんなことはわかっちゃいねえだろう、ってへこましゃあがるんだ」 それも理屈だと云おうとして、河口は慌てて口をつぐんだ。 そこまで亭主に気を使ってくれるんなら、ついでにつんけんするのもやめたらどうだ、とやり返したところが、あたしだって人間だから、たまにはつんけんしたくもなるさ、それとも女はつんけんしてはいけねえっていう法律でもできたのかいってえ挨拶だ、と増田は云った。 「おらあはらが煮えくりかえって、はっ倒してくれようかと思ったがあのあまのこった、長屋じゅうの騒ぎになるからとびだして来た、みてくれ、まだここんとこがどきんどきんと鳴ってるから」 彼は着物の 衿 ( えり )をひろげ、黒い毛のみっしり生えた胸をひたひたと叩いた。 良江の眼が、増田の胸毛を見て光った。 眼球の内部からさっと 閃光 ( せんこう )がはしったようにみえ、そのまま三白眼になった。 「しょうがねえな、女ってものあしょうがねえもんだ」河口は唇を手の甲で拭きながら云った、「笑っちまえば済むこっても、見識だの法律だのって、すぐむずかしく理詰めに持ってゆきたがる、つまり暇をもてあましてるんだ、笑っちまえばそれっきりだから、なんとかこじらしてたのしもうってえわけだ、よし、おれがいってよく話してこよう」 「そんな厄介をかけちゃあ申し訳がねえ、うっちゃっといてくれ」 「そうはいかねえ、あにいとおれの仲でおめえ」河口は立ちあがった、「これが黙って見ていられるかって、ねえ、相手は誰だっけ」 「およしよ、ばかだねえこの人は、すっかり酔っちゃってるじゃないかさ」と良江が云った、「お勝さんのところへなだめにゆくんだろう、相手は誰だっけなんて、いったって話なんかできやしないよ」 「大丈夫だよ、これっぱかりの酒で酔ってたまるかえ」 「酔ってるよ、だめだったらおよしってばさ」 良江の口ぶりは彼を止めるのではなく、 唆 ( け )しかけるように聞えた。 もちろん、彼女にそんな意志はない、亭主が酔いすぎているから、いってもむだだとわかっていたのである。 けれども、人間はいつも意志によって行動するものではない。 良江が亭主に「ゆくな」と云ったのは、亭主が酔いすぎているのを認めたからであると同時に、そういう止めかたをすれば、亭主がやっきになって自分の我をとおす、という癖のあることを知っていた。 認識論的に知っていたのではなく本能で感知していた、というべきであろう。 したがって、彼女がその亭主を 唆 ( そそのか )すような調子でなにか云ったとしても、それは完全に意識外のことであって、彼女自身には 些 ( いささ )かも責任を負う必要のない問題であった。 河口は出てゆき、良江は増田に酒をすすめた。 増田はもう定量以上に飲んでいたけれども、自分では感情を害しているため、飲んだだけ酔ってはいないように思いこんでいて、すすめられるままに飲み続けた。 河口は帰って来なかった。 良江は酒を冷やのままで、暫く独りで飲んでいたが、やがて立ちあがると、戸納から夜具を出してそこへ敷きはじめた。 明くる朝はやく、増田の妻が河口の住居へ来て、自分の亭主の仕事着を差出し、河口初太郎の仕事着を受取って帰った。 「男って酔うとしようのないもんだねえ、ほんとに」と増田の妻の勝子が云った。 「ほんとにねえ、男は酔っぱらうと子供も同然なんだから」と河口の妻の良江が答えた。 二人の会話はそれだけだった。 心になにか思っているが口にはだせないとか、話し合えば気まずいことになるとか、そういう心理的な回避があったわけではない。 彼女たちにはそれ以上になにも云うことはなかった。 慥 ( たし )かに、なにも云うことはなかったのだ。 いつもの時間になると、仕事着に着替え弁当の包をぶらぶらさげて、河口初太郎と増田益夫が水道端で顔を合わせた。 「よう」と増田が云った。 「よう」と河口が答えた。 「おてんとさまが 眩 ( まぶ )しいや」と増田が云った、「ゆうべは飲みすぎちまった」 「飲みすぎちゃったな」と河口も云った、「なんだかまだふらふらすらあ」 そして二人は 稼 ( かせ )ぎにでかけた。 かれらもまた、そのほかにはなにも云わず、云いたいことを隠しているとか、相手の気持をさぐっている、などというようすは 微塵 ( みじん )もなかった。 それだけならさして驚くほどのことではないかもしれない、人間の云うことや行動は、かなり 桁外 ( けたはず )れにみえても、たいていどこかでつじつまが合っているものだ。 増田と河口との二た組の夫妻が、或る夜酒に酔って、それぞれ良人と妻をとりちがえて寝た、という出来事なら、このわれらの「街」では決して珍しい例ではないし、都市と町村の差別なく、巧みにかぶった仮面をぬげば、同じような冒険がどこにでもみつけだせる筈だ。 けれども、この二た組の場合は少しばかり異例であった。 朝いっしょに日雇い稼ぎに出た二人は、その夕方帰って来ると増田は河口の住居へ、河口は増田の住居へと、なんのためらいもなく、極めて自然に、あっさりと別れていったのである。 どちらにも抵抗感やぎこちなさや、気まずい感じなどはなかった。 それぞれがもともと自分の住居へ帰るような帰りかたであった。 その翌朝も、二人は水道端で待ち合せ、いっしょに仕事へでかけていった。 どちらも平生と変ったところはなかった。 きげんがいいというふうでもなく、ふきげんだというふうもなかった。 「天気が続いてめっけもんだ、これが半月も続いてくれればな」 「うん、半月もこの天気が続けばなあ」と河口が答える、「そうすりゃあめっけもんだがなあ」 こうして、肩を並べて二人はでかけていった。 勝子と良江もまえの日と少しも変らず、水道端でいっしょになると、水仕事をしながら会話をたのしんだ。 「こう物が たかくなる一方じゃ困ったもんだよねえ」と勝子が云う、「おどろくじゃないかお良っさん、塩引が一と切いくらしたと思う」 「そうなんだよまったく、 呆 ( あき )れ返ったもんさね」と良江が答える、「これっぱかりの 人蔘 ( にんじん )一本でさ、一本でよお勝さん、あたしゃまあ値段を聞いただけでつんのめりそうになっちゃったわ」 いつものとおり、この種のおしゃべりが続くだけで、亭主たちのことを口にしないほかは、話しぶりにも態度にも、まったく変化はみられなかった。 この状態がなんの支障もなく続いた。 近所の人たち、特にかみさん連中が知らずにいたわけではない。 相当とっぴないろ恋沙汰に慣れているかみさんたちも、この二た組のやりかたには胆を抜かれたし、そのうえなんの騒ぎもおこらず、亭主たちも細君たちも従来どおり仲良く、平和につきあっているという事実を慥かめると、さらに深い驚きを感じ、ここの住人として例のない、道徳論までもちだして非難しあった。 「どっちもどっちだけどさ、まああんな夫妻ってあるかねえ」 「こんにちさまが黙っちゃいないよ、こんにちさまがね」 「あたしゃ子供にきかれて弱りぬいたよ、このごろの子供ときたらませているからね、うちでもおとっちゃんと作さんのおじさんが取っ替ればいいだってさ、あいた口が 塞 ( ふさ )がりゃしない」 「子供は眼が早いからね」 この会話にはデリケイトな含みがあった。 つまり、左官の手間取りをしている松さんの細君と、若い土方の作さんとは、かなり以前から親密にしており、松さんのいないときにその親密の度がぐっと高くなる、という事実が相当ひろく知られていたのだ。 「眼が早いのは子供だけじゃないけどね」と松さんのかみさんは平然とやり返した、「人目を 憚 ( はばか )ってする浮気ぐらいなら、にんげん誰だって覚えのあるこった、あんまりきれいな口のきけるにんげんはいやあしまいと思うけどさ、あの夫妻たちのようにおーっぴらでやるなんてひどすぎるよ」 「おてんとさまが黙っちゃいないよ、おてんとさまがね」 勝子や良江が来ればみんな口をつぐむ。 もちろん、彼女たちの会話が、勝子や良江の耳にはいらないわけではない。 二人に聞きとれる程度までは話し続けているし、その効果を見る快楽を放棄する、などという 贅沢 ( ぜいたく )なまねはしないのであった。 にもかかわらず、かみさんたちの期待は裏切られた。 勝子も良江もぜんぜん反応をあらわさず、平気な顔でおしゃべりパーティーに加わり、活溌に笑ったり話したりした。 たまりかねたかみさんの一人が、或るとき勝子に向ってあいそよく増田益夫のことをたずねた。 「そう云われてみればそうね」と勝子はあっさり問いに答えて云った、「相変らず飲むことは飲むけれど、酔って暴れるようなことはなくなったわ、お良っさんとこはどう」 「云われてみればそうね」と良江も明るい表情で云った、「飲むことは相変らずだけれど、酔っぱらって暴れるなんてことはなくなったようだわ」 問いかけたかみさんは業をにやし、せきこんでなにか云おうとしたが、二人のようすがあんまり 恬淡 ( てんたん )としているため、ついに追い打ちをかけることができず、自分が 辱 ( はずか )しめられでもしたような、重量たっぷりの怒りを抱えてそこを去った。 勝子と良江とが、亭主たちのことにまったく無関心だったかどうかは、判然としない。 或るとき、水道端で洗濯をしながら、良江がふと手を休めて、どこを見るでもなくぼんやりと向うを見まもりながら、 溜息 ( ためいき )でもつくような口ぶりでゆっくりと云った。 「男なんて、みんな似たりよったりなもんだね」 すると勝子も洗濯の手をとめ、ぼんやりなにかを考えるような眼つきで、ふと微笑しながら頷いて答えた。 「ほんとにね、みんな似たりよったりなもんさ」 それがお互いの、現に 同棲 ( どうせい )している男についての感慨だとは断言できない。 一般論としての男性観であったかもしれないが、いずれにせよ、彼女たちの顔つきや口ぶりは、現実感のこもったものであった。 亭主たちのほうにも、似たようなことがあった。 増田と河口とは以前よりも親しく、往きも帰りもいっしょだったし、仕事の現場もできる限りいっしょになるようにつとめた。 片方が護岸工事で片方が荷揚げを割り当てられ、荷揚げのほうが日当が多いときでも、護岸工事なら人増しができるとなると、二人とも日当にこだわるようなことはなく、どちらも進んで護岸工事のほうを望んだ。 「どうしたんだ」毎朝、集まって来る日雇い人夫に仕事の割当をする、人繰りの若者が、或るときけげんそうに二人を見て云った、「おめえたちいつもくっついてばかりいるが、なにかたくらんでるんじゃあねえか」 二人は黙っていた。 「へたなまねをするなよ」と若者はすごんだ、「賃上げストなんてことでもたくらんでるとすると大きなまちげえだ、すぐに五躰がばらばらになるような事故が降ってくるぜ」 「大きなことをほざく若ぞうだ」 その日の帰り、屋台で一杯ひっかけながら、二人は可笑しさに笑いあった。 「賃上げストだってやがる」と増田が云った、「ピンはねストならやってもいいが、こっちはそれどころじゃあねえや、なあ」 「それどころじゃねえ」と河口が云った、「まったく、そんな 暢気 ( のんき )な場合じゃあねえさ」 二人がいつもいっしょにいたがるのは、明らかに、賃上げストやピンはねストとは無関係なようであった。 慥かに、二人はいつもいっしょにいるが、それは急に友情にめざめたからではなく、同病者が互いに寄りあっていたがるような、または、同じ犯罪者が相手の密告を恐れるため、お互いに監視しあっている、とでもいったような感じであった。 次のとき仕事の帰りに、二人はまた屋台店で一杯やっていた。 かれらは飲むときでもあまり親しそうでなく、相当に酔わない限り会話も活溌ではなかった。 やがて、増田益夫が首を振り、コップの酎を音たかく啜って、独り言のように呟いた。 「女なんてもなあ、へ、変りばえのしねえもんだ」 「まったくさ」と河口初太郎が云った、「女なんてどっちへ転んでも、変りばえのしねえもんさね」 この二た組の夫婦のロマンティックな関係が、どのくらい続いたかははっきりしない、二十日たらずともいうし、三十日以上ともいわれた。 道徳論をもちだして怒った人たちも、この「街」では、興味を唆る出来事があとを断たないのと、なにより各自の生活に追われるのが急なため、まもなくかれらのロマンスに慣れ、いつ忘れるともなく忘れてしまった。 そして、ふと気がついたときには、この二た組の夫婦がもとどおりの組み合せに返っていたので、改めてみんな胆をつぶした。 そのいきさつはこうだ。 或るとき、増田は河口と違う仕事を割り当てられた。 むろんそれが初めてではない、日によってどうしても同じ現場につけず、べつべつになることもそう稀ではなかった。 それでも帰りには、ゆきつけの屋台店でおちあい、いっしょに一杯やることだけは欠かさなかったが、その日は屋台店でもおちあわなかった。 ここでは焼酎の強いので、アルコール分が六十度もある、と屋台のおやじが自慢していた。 アルコール分六十度なら、ほかにもっと強い酒があるだろう。 しかし、その鬼 ころしはどういうわけか効きめが強く、酎のコップに二杯ぐらいまではなんということもない、舌ざわりも匂いもふつうの酎とさして変らないが、三杯めを飲み終るころになると、たいていな豪傑でもがっくりとやられる。 優秀な狙撃兵に射たれでもしたように、突然がくっとなり、しばしば地面にぶっ倒れる者もある。 増田は倒れるような初心者ではなかったが、それでも効きめのあらたかさには勝てず、その店を出たときには足もとがふらふらしていた。 「静かにしておくれ、誰だい」と女の声でどなるのが聞えた。 それみろ、かかあは逃げやしねえや、ちゃんとうちにけつからあ、と呟いた。 そうして戸袋からはなれ、頭をひねって考えた。 「まあ、おまえさんじゃないか、どうしたのさ」 勝子は格子をあけた。 「じゃないか、とござったな」増田は土間へよろけ込んだ、「へっ、そんなことう云われて 吃驚 ( びっくり )するようなこちとらじゃあねえぞ、ふざけたことうぬかすな」 「おお臭い」勝子は自分の鼻の前で手を振った、「また鬼 ころしを飲んだね、臭くって鼻が曲りそうだよ」 なにが鬼 ころしだ、鬼 ころしを飲んだからどうだってんだ、そんなふうに増田がくだを巻き、勝子はなだめて部屋へあげようとし、増田は土間へ坐りこんだ。 そこへ河口初太郎が帰って来たのである。 から弁当の包を振りながらふらっと来て、格子口から中を覗きこみ、その眼を細くしたり大きくみひらいたりし、頭を強く左右に振ったのち、改めてじっと 眸子 ( ひとみ )を据え、なにかふしぎな物躰でも発見したかのように、勝子と増田をつくづくと見まもった。 「誰だ、おれをどうしゃあがる」 「おれだよ、あにい、しっかりしてくんな、ほらよっと」 「放しゃあがれ」 「ほらよっと」 河口は増田を抱きあげ、靴足袋をはいたまま部屋へあがった。 あらまあ土足じゃないか、と勝子が云い、河口はあにいを六帖の部屋へ引きずり込んで、自分もそこへぶっ倒れた。 増田ほどではないけれども、本場物のウィスキーで彼も相当に酔っているらしい。 仰向きにぶっ倒れるなり、酒が飲みてえ、と大きな声でどなった。 「おい、てえげえにしろ」と隣りから男の声が叫んだ、「こっちにもにんげんがいるんだ、野なかの一軒やじゃあねえぞ」 勝子は河口の肩をゆすって、初つぁん静かにしておくれよ、と耳もとで云った。 「えっ、なに」河口は頭をあげた、「初つぁんだって」 「隣りからどなられたのよ」と云って勝子は手を振った、「うちの しともこのとおり、正躰のないほど酔っぱらってるし、初つぁんまでがそんなじゃあ困っちまうじゃないか」 「そいつは悪かった」河口はそう云いかけて、 訝 ( いぶか )しそうに勝子を見た、「あにいがどうしたって」 「このざまだよ」勝子はまた手を振った。 河口はその手のほうへ眼をやり、そこに寝ころんでいる増田を見て、ぼんやりと呟いた、「あにいだな」 河口は起き直り、もういちどよく慥かめてから云った。 「こりゃああにいじゃねえか」 「正躰なしなんだよ」 「じか足袋のまんまだぜ」 「初つぁんにあげてもらったんじゃないか、初つぁんもじか足袋のままだよ」 河口は自分の足を眺め、こいつはひでえ、とんだ右大臣だと云って、 這 ( は )いながら上り 框 ( がまち )のほうへゆき、土間へおりた。 勝子もあとからついていったが、河口は暗い土間を見まわして、から弁当の包をみつけて拾いあげると、じゃあ、といって勝子に頷いた。 「あにきによろしく」と彼は云った、「おやすみ」 「おやすみ」と勝子が答えた、「お良さんによろしく云っとくれよ」 河口はゆっくりあるきだし、些かの誤りもためらいもなく、まっすぐに自分の家へいって、けえったよ、と云いながら格子をあけた。 出て来た良江も、驚いたりまごついたりするようすはなかった。 以上が事のなりゆきであった。 このほかにはなにごともおこらなかったし、どちらの夫婦のあいだにも、また、増田夫婦と河口夫婦とのつきあいにも、変ったようすはまったくなかった。 毎朝はやく、二人は水道端でおちあって、仕事にでかけた。 よう、と増田が呼びかければ、よう、と河口が答えた。 「今日はぱらつきそうだな」と増田が云う、「あの雲があやしいぜ」 「そうよな」と河口が云う、「少し天気が続きすぎたからな」 そして、いっしょに歩み去るのであった。 また、それから幾時間かのち、水道端で勝子と良江の顔が合うと、これまた平生と同じように話がはずんだ。 「お良っさんとこ、ゆうべはどうだった」勝子がきく、「うちのときたら どろがめさ、呆れ返っちゃうよ、まったく」 「おんなじことよ」良江も洗濯の水をはねかしながら答える、「飲む半分でも持って帰ってくれれば、ちっとはこっちも助かるんだけれどねえ」 「男ってどうしてああ飲みたいんだろ」 「腹の中にうわばみでもいるんじゃないかしら、つくづくいやんなっちゃうよ、ねえ」 近所の人たちは、かれらがいつ元どおりになったか、はっきりとは知らなかったし、元どおりになった以上、もう興味もないし、云うこともなかった。 したがって、その二た組の夫婦のあいだには、主観的にも客観的にもなにごともなかった、というよりほかはないのであった。 小雨のけむる六月の午後、その親子が街をあるいてゆく。 父親は四十歳ぐらい、子供は六歳か七歳であろう。 六歳にしても並よりは小さいし 痩 ( や )せているが、父親との話しぶりを聞くと、少なくとも七歳にはなっているように思えた。 親も子も ぼろを着て、板のように擦り減った古下駄をはいている。 着ている ぼろは 袷 ( あわせ )とも綿入とも区別がつかない。 俗にいう虎刈りのまま伸びた頭の毛や、痩せた不健康な顔つきは、極めて普遍的な 乞食 ( こじき )姿であり、実際にもこの父と子は乞食同様の生活をしていた。 乞食同様といったのは、生活のかたちがそうなのであって、内容にはかなりへだたりがあるからなのだ。 食物も衣類も他人から貰うし、犬小屋のような住居で寝起きをしているが、道傍に坐って銭乞いをするようなことはない。 中通りとか本通りなどで、女の人がときどき子供に幾らか 呉 ( く )れることがあると、子供は「ありがとう」とおじぎをして受取るが、世間の子供と変ったところはないし、物欲しそうな感じはまったくなかった。 「場所は丘の上がいいな」と父親が云う、「日本人は昔から山の蔭とか谷間とか、丘のふところとかね、低いところばかり好んで家を建てる癖があった」 「そうだね、ほんとだ」と子供は考えぶかそうな顔つきで 頷 ( うなず )く、「ハマへいったときもさ、 けとうの家はみんな丘の上とか、中ぐらいの高みにあるけれど、日本人の家はきまって谷みたいな、低いところにあったね」 「それにも理由はあるんだな」と父親は続ける。 日本は地震が多いし台風も多い、木造家屋はそれらに弱いため、なるべく風あたりの少ない、天災に際して危険度の低い土地を選ぶようになった。 「だが、それだけでもない」 日本人は「陰影」というものに敏感で、直射光よりも間接光、あけひろげた明るさより、 遮蔽 ( しゃへい )物によってやわらげられた光りを好んだ。 生活の中に静寂の美をとりいれ、ぎらぎらした物は避けるという習慣があった。 「だから けとうのように石で建てた家の中で、靴をはいたままどかどかくらす、っていう生活にはなじめないんだな、なかなか」 「ふーん」と子供は 仔細 ( しさい )らしく首をかしげる、「そうだね、ぼくも石の家なんか好きじゃないな、寒いしさ、石の家なんかいやだな」 「それもさ、そうばかりも云えないんだよ、これが」父親は反省するように云う、「たしかに日本人には木造建築が合ってるけれども、こういう、木と泥と紙で出来てる家にばかり住んでるとさ、長いとしつきのあいだには、民族の性格までがそれに順応して、持続性のない軽薄な人間ができてしまうんだな」 父親はそこで欧米人の性格について語り、かれらの能力を支えてきたものは、石と鉄とコンクリートで造った家とか、靴をはいたまま、テーブルに向って食事をし、大きな宴会もする、という生活であると云った。 子供はその一語一語を注意ぶかく聞き、 相槌 ( あいづち )を打つべきところへくると、さも感じいったように頷いたり溜息をついたり、 唸 ( うな )ったりした。 父親の口ぶりも自分の子に話すようではなく、子供のほうもまた父の話を聞いているようではない。 いつもそうなのだが、二人は父と子というよりは、少しとしの違った兄弟か、ごく親密な友人同志といったふうであった。 「それにしてもさ、さていよいよ自分の家を建てるとなるとね、これはこれで問題がべつなんだな、自分たちがそこに住む家となるとさ、民族性は民族性だけれども、現実の問題はまたね」 「みんぞくせえはたいしたことないと思うな、ぼくは」 「そう云うけどね、これはきみたちの将来に関係するんだよ、ぼくたち おとなは先もそう長くはないんだしさ、これから性格を立体的に持ってゆこうとしてもむりだろうがね、きみたちやきみたちの子や孫のことも考えなければならないとするとさ、やはり一概に個人的な好みばかりも云ってはいられないんだな」 「そうだね、うん、ほんとだ」 街は雨のうちに 黄昏 ( たそが )れかかってき、往来はタクシーや通行人たちや、トラックなどでそうぞうしくなっていた。 けれども、その親子にとってはまったく無縁なことのようだったし、タクシーの運転手や通行人や、街筋の商店の人たち、それらの店頭で買い物をする人たちにとっても、この親子はそこに存在しないのと同じことのようであった。 日が 昏 ( く )れるとその父子は住居へ帰る。 それはわれわれの「街」の八田じいさんの家に添ってあり、つまりじいさんの家の羽目板にくっつけて、古板を合わせて作った物であった。 高さ一メートル五〇、幅が一メートルちょっと、長さ二メートル弱の、犬小屋そっくりの手製の寝小屋で、中には板を重ねた床と、 藁 ( わら )と 蓆 ( むしろ )がつくねてあり、それが父子の寝具であった。 小屋の外にビール箱があり、中には 丼 ( どんぶり )が二つと 箸 ( はし )、ふちの欠けた ゆきひらと、でこぼこにへこみのあるニュームの牛乳沸しが入れてあった。 ビール箱の脇に、針金で巻いた七厘があるが、針金を解けばばらばらになること間違いなしというほど、使い古した 毀 ( こわ )れ物であった。 父子は小屋の外で食事をする。 ゆきひらと牛乳沸しの中に、 めしと汁などがはいっていて、それはパンとシチューであったり、チャーハンとコーヒーであったり、肉と野菜と魚と、パン屑や米の めしの入り混った、なんと云いようもない食物であったりしたが、父も子も、それがどんな料理であるかについては、無関心であった。 無関心だというより、実際にはその物自体から注意をそらし、 嗅覚 ( きゅうかく )や味覚や視覚を、できる限り他の方向へ集中することにつとめているようであった。 だがこれは通例ではあっても、不変なものではなかった。 ときにその汁、または めしやパンのあいだに、二人の味覚をよびさますような物の出て来ることがあった。 彼の話は、それぞれの専門家が聞くと、読みかじりか聞きかじりに、自分の空想で色付けをしたものだと、すぐにわかるかもしれない。 反対に、彼にそれだけの経験と知識があり、しかも或る程度まで恵まれた才能をもっていたのが、運の悪いためにどの方面でもうまくゆかなかった、というのが事実かもしれない。 彼はずいぶん広範囲にわたる話題の持主であり、子供はそのもっともよき聞き手であった。 夕 めしが済むと、あたたかい季節には小屋の外でくつろぐ。 子供が道で拾っておく巻タバコの吸い殻を、手製の竹のホールダーに差込み、それを大事そうにふかしながら、また父親が話し、子供がそれを聞くのである。 九分九厘までが観念的なことであり、空想や作り話と思えるものばかりであった。 もっとも判然としているのは、子供が母の話をせず、父親が妻とか家族関係の話をしないことだ。 どんな事情があるにせよ、七歳ぐらいの子供なら、生死にかかわらず母のことが頭にある筈である。 男もむろんそうだろうが、子供にとっては特に、母のイメージは心に深く刻みこまれているものなのだから。 だが、子供は決して自分の母のことを口にしないし、よその子の母についても話したことはない。 小屋の中で寝ていて、夜なかに眼ざめたとき、あるいは父といっしょに街をあるいているとき、子供の顔にふとかなしげな、人恋しげな表情のあらわれることがある。 子供はそのとき母のことを回想し、思慕の衝動を感じているのかもしれない。 そうして、それをしいて抑制したり、がまんしたりするようすもないが、口に出して云うということもなかった。 父子がどこから来たのか、まえにどんな生活をしていたのか、この「街」の住人たちは誰も知らない。 二人の名さえも知らないのである。 八田公兵も独身者であり、自分では事業家であると信じていて、休みなしに大きな事業をもくろんでは失敗する、ということを繰り返していた。 事業家ともなれば太っ腹な人柄を備えなければならないから、八田はあえてなにごとも追及せず、小屋の地代もいらないと云った。 八田公兵は云いすぎをした。 この「街」の住人の中に、土地や家の所有者はいない。 地主もほかにちゃんといたし、それを知っているのはヤソの斎田先生と、ごく少数の人たちであろう。 いちどならず、家主と住人たちのあいだで、「家賃」についてごたごたがあり、斎田先生があいだに立って交渉した結果、ようやくおさまりをつけたのだが、要するに八田じいさんが「地代」もいらない、と云ったのは、腹の大きいところをみせただけのことであった。 近所の人たちが名を知らないばかりでなく、父と子のあいだでも名を呼びあうことはなかった。 父は子供の名を呼ばないし、子供もとうさんとか、おとっちゃんとか呼ぶことはない。 どちらも漠然と「ねえ」とか「なあ」と呼びかけるだけであり、それがいっそう二人の関係を、親子というよりも親友か兄弟のように感じさせるようであった。 夜十時をすぎると、子供は小屋からぬけだして、一人で柳横丁へでかけてゆく。 それは中通りの南のはずれにある裏通りの一画で、小さなレストランやおでん屋、小料理屋、中華そば、すし屋などが並んでい、べつに「のんべ横丁」とも呼ばれていた。 子供はまず「すし定」の裏口をたずねる。 これは、すし屋がどこよりも早く店を閉めるからだし、そこに 容 ( い )れ物が預けてあるためでもあった。 「あいよ、寒いね」とおかみさんなら云う、「今日はよく出ちゃったんでね、そこにはいってるだけしか残らなかったんだよ、勘弁しとくれ」 「よう、来たな小僧」とおやじなら云う、「そこにあるから持ってゆきな、生ま物は火をとおして食うんだぜ」 子供はおじぎをし、ありがとうと云う。 それ以外には口をきかない、すし定のおやじはよく、うちへ小僧に来ないかと、まんざらからかいでもなさそうな調子できくが、子供はそれに対して一度も答えたことがなかった。 預けてある容れ物というのは、ニュームの 古鍋 ( ふるなべ )を三つに重ねたもので、下から上まで針金の 枠 ( わく )が付けてあり、重ねたまま提げられるようになっていた。 その鍋の一つは汁物、一つは野菜や肉や魚、残りの一つは めしとかうどん、そばなどを入れることにしていた。 もちろんそれらがいっぱいになるようなことはたまにしかないし、野菜とか肉とか、 めしうどんなどが、その原形を保っていることは殆んどない、汁物と形のややわかる物とに大別できればいいほうであって、かなり経験を積まなければ、それら内容物を判別することもたやすくはなかった。 すし屋の次には小料理屋、次にレストラン、おでん屋、中華そば屋となるのだが、レストラン二軒、小料理屋四軒、おでん屋三軒、中華そば屋二軒とあるうち、店をしまいかけているところが優先する。 これは時間をまちがえると、「まだ客がいるのに縁起でもないね」とか、「お客を追い出す気かい」などと云われる危険があるし、一度そんなあやまちをしでかすと次に貰えるまできげんの直るのを待たなければならないし、しばしば競争者に権利を奪われる危険さえあった。 断わるまでもないかもしれないが、残飯を貰いに来るのは、その子供だけではない。 われらの「街」からも、稼ぎがなくて困ると、ひそかにこれらの店の裏口を叩く者があったし、よそから定期的にやって来る者も幾人かいた。 尤 ( もっと )も八田じいさんの場合は困っているからではなく、それを彼の「事業」にしようというもくろみからであった。 信じがたいほど多彩な彼の事業欲の中でも、それはもっとも有望であり、確実性も高い一例であったけれども、おでん屋の「花彦」という店のかみさんの反対声明で、残念ながら軌道に乗らなかった。 「乞食までしなければならないのはよくせきのことだよ」と花彦のかみさんは、「のんべ横丁」の同業者たちに云った、「それを一人で掻き集めて、銭儲けをしようなんてのは人間じゃないね、そんなやつにやるくらいなら、あたしはどぶへ捨てちまうよ」 その子供はこれらの危険をよく知っていた。 残飯を 呉 ( く )れる店の人たちも、特に彼だけをひいきにしているわけではない、店を閉めようとしてあと片づけをしているときに、呼吸よくあらわれる者があれば、相手は誰でもそう差別はつけない、一と足おくれただけで、馴染みの店を他人に取られることも少なくないのだ。 さらにもう一つ。 それらの店がいつもこころよく残飯を呉れるわけではない、ということを知っていなければならない。 これらを一般に「水しょうばい」というらしいが、水しょうばいとなるとにんきが大切だそうで、どんなにふところが危機に直面していても、そんな内情はけぶりにもみせないのが こつであり、また危機を脱するちから 杖 ( づえ )ともなるという。 どういう心理作用か不明ではあるが、レストラン、またはバーを兼ねている洋食屋の女給さんの中には、客の喰べ残した料理の皿でタバコを 揉 ( も )み消したり、ルージュの付いた 塵紙 ( ちりがみ )を突込んだり、マッチの棒、爪楊枝、 洟 ( はな )をかんだ紙、その他もろもろの物品を投げ入れる癖がある。 ひどいのになると、残飯をあけているところへ、わざわざやって来て、タバコの吸い殻を放り込む佳人さえあるのだ。 子供はいま「リザ」というレストランの裏に来ていた。 そこの 硝子戸 ( ガラスど )はあいているが、いつものコックの姿は見えず、二人の女給が高声に話しながら、流し台によりかかってタバコを吸っていた。 「あら、また来たよあの ちび」と女給の一人が裏口にあらわれた子供をみつけて云う、「だめだよ来たって、なんにもありゃあしないんだから、帰んなさい」 子供は片隅へ眼をやる。 そこにはドラム 罐 ( かん )の半分くらいの、ホーロー引きの罐があり、中には喰べ残した洋食の屑が八分めほど溜まっていた。 いつもなら主人であるコックが、子供のため他のソース鍋に残り物をとっておくのだが、いまはそれらしい物は見あたらなかった。 「なにうろうろしてんのさ」とさきの女給が云う、「そんなとこで立ってたってなんにも出やあしないよ、帰んな」 子供は振向いてそこを去る。 彼はまったく無表情で、いまの女給の不当な侮辱をどう感じているか、うかがうことはできない。 そういう侮辱に慣れているともみえるし、反対に、それを感じないことで、相手に侮辱を返上している、というふうにも思われた。 ほぼ七歳とみえる子供ながら、彼のようすはおちついているし、その表情や口のききかたには、どことなく達観したような、または多難な生活をしてきて疲れたおとなのような、枯れた柔和さが感じられる。 彼が「のんべ横丁」の歴訪を終るまでに、まずくすると他の強敵に出会うことがあった。 敵の一は まるという名の犬。 他の一は三人組の少年たちだ。 犬のほうは まるなどというやさしそうな名にもかかわらず、四十キロもありそうな 巨躯 ( きょく )と、ゴリラも恥ずかしがるだろうようなものすごい つら構えをしていて、その子供をみつけると、歯を 剥 ( む )き出して唸りながら、のそりのそりと近よって来るのである。 そのように 躯 ( からだ )が大きく、ものすごい つら構えの犬は、むしろ 温和 ( おとな )しくて無害だと、犬好きの人はよく主張する。 慥 ( たし )かに、 まるも平生は温和しいうえに臆病者で、自分の半分もないような犬ににらまれても、しおれた顔で眼をそらすか、物蔭へ隠れにゆくというふうであった。 他の犬と 喧嘩 ( けんか )をしたこともないし、怪しげな人間に 吠 ( ほ )えかかる、などということもない。 人と毛物のあいだにも、合性のよしあしとか、にが手とかいうものがあるらしく、 まるには子供が気にいらないようだし、子供のほうでも まるにはかなわないのだろう、提げている古鍋に残飯がはいっているときには、それをすっかり地面にあけて逃げるし、まだなにも貰っていないときには、三つの古鍋を一つ一つ、中になにもないことを まるによく見せてから、その夜の貰いを 諦 ( あきら )めて帰るよりほかはなかった。 むろん、 まるは残飯などには眼もくれないのであるが。 三人組の少年たちは、一般に ちんぴらと呼ばれる連中で、なんの必要も理由もないのに、弱そうな者をみつけると 威 ( おど )したり、殴ったり、持ち物を奪ったりすることに英雄的快感を覚え、それだけが生きるたのしみだと信じているらしい。 としは大きいのが十五歳くらい、あとの二人は十二か十三だろう。 ちゃんとした家庭の少年とみえて、シャツもズボンも流行の品だが、それをわざと崩して着こなし、威嚇的な、というのはどこか関節が外れたような、ぎくしゃくしたあるきかたでのしまわるのだが、われらの子供を発見するとインディアンのような叫び声をあげ、インディアン踊りをやりながら子供の周囲を踊りまわり、彼の小さな躯を小突いたり、頭の毛や耳を引っぱったり、提げている古鍋を奪って、中の残飯をぶちまけたりする。 子供は決して反抗しなかった。 力の差を比較したからではなく、反抗するのがまったく無意味なことだと、よく理解しているかのように。 また、それが避けられない災厄であって、この世に生きている以上、すべての者が耐え忍ばなければならないことだと、承認しているかのように。 ギャングどもがその遊戯に飽きて、彼を最後に突きのめすか、もう一つ殴りつけるかして去ると、初めて、子供は涙をこぼすのであった。 投げとばされた鍋を拾い集めながら、彼はなにも云わずに涙をこぼす。 涙は子供の頬をぐしゃぐしゃに濡らすが、口でなにか云ったり、泣き声をもらしたりすることはない、そんなことは一度もないし、家へ帰ってから父親に告げるようなこともなかった。 子供は家へ帰ると、鍋を持って小屋へもぐり込む。 父親はたいてい気持よく熟睡していて、そのときは子供も注意ぶかく、父親の眼をさまさせないように、そっと眠りにつくのであるが、早く寝ついた父親はすでに眠り足りていて、子供が帰ると眼をさますことが珍しくはなく、そのときはいつものような話が展開して、明けがたに及ぶことも覚悟しなければならなかった。 のんべ横丁をまわって、神経をすりへらし、躯も疲れていた。 足はだるいし、眼はいまにもくっつきそうである。 けれども彼は力の限りそれらとたたかい、父親の話し相手になっている。 父親は気づかないのだろうか、それとも気づいてはいるが、話し続けていなければならない理由があり、もしそれを中断すればなにか異常なことがおこる、とでもいうのだろうか。 食事のために炊事をすることは殆んどない。 寒い季節には湯を沸かすが、食事は残飯をよりわけ、それぞれの丼に移して冷たいまま喰べる。 「冷食は健康のためなんだな」と父親はしばしば云う、「犬に例をとってみても、ブルジョワに飼われてるやつは大事にされて、 却 ( かえ )って躯が弱くなってしまう。 つめたい食事と戸外生活、それが人間のもっとも自然で、健康なありかただと主張しながら、同時にかれらの空想上の家は、空想の中で幾たびとなく建てたり改築されたりしながら、しだいに豪壮な邸宅となっていった。 門は 総檜 ( そうひのき )の 冠木門 ( かぶきもん )にきまり、 塀 ( へい )は大谷石。 洋館は階上階下とも冷暖房装置にし、日本間のほうは数寄屋造り。 庭はいちめんの芝生であるが、これはイギリスからエバー・グリーンを取りよせる。 約二千平方メートルの庭の、西側三分の一は くぬぎ林にし、あいだに杉の若木を配するが、花の咲く木はいっさい入れないことにした。 以上は父と子とで、念入りに、繰り返し検討し、試案が出され、欠点が補われた結果であり、ほぼ満足すべきものとなったのだ。 かれらにはその邸宅の外観が、現実に存在するもののように、どの角度からも、いかなる細部をも、即座に指摘し、説明することができるようになった。 それはまた当分のあいだ、というよりもできる限りながく、父と子のたのしい話題となるにちがいない。 父親にとっては残念だったろうが、室内調度が洋館の応接間まで進んだとき、子供が死んだ。 九月はじめのもっとも暑い夜、犬のハウスよりみすぼらしい小屋の中で、一週間ほど激しい下痢をしたのち、嘘のようにあっけなく子供は死んでしまった。 死因がなんだったか、はっきりとは云えない。 或る朝、食事のとき子供が七厘で火を 焚 ( た )いた。 拾い集めた雑多な木片や、木の枝などを燃やすので、寝ていた父親が煙にむせ、小屋から顔をだして、なぜ火を焚くんだ、湯はいらないじゃないかと云った。 食事のときに湯を沸かすのは寒い季節だけで、そのほかはいつも水で済ましていたからである。 「湯じゃないんだ」子供は眼のまわりの黒くなった顔を振向けて云った、「生ま物があるから煮るんだよ」 「生ま物だって、へー、どれ見せてみな」 子供は牛乳沸しを持って、父のところへいって中を見せた。 「なんだ、 しめ 鯖 ( さば )じゃないか」父親は鼻をうごめかし、唇を手で 横撫 ( よこな )でにして云った、「これはおまえ塩と酢で しめてあるんだ、これはきみ生ま物じゃないよ」 「すし定のおじさんが、火をとおして喰べなって云ったんだ」 父親は首を振った、「まちがえたんだな、きっと、 しめ鯖を煮たりなんかしちゃあ食えやしないよ」 「だけどね」子供はなお云い返そうとしたけれど、父親がゆっくり首を振るのを見ると、べそをかくように笑って、牛乳沸しを下におろした。 その日の午後から、親子は腹痛と下痢で苦しみだしたのだ。 しめ鯖の中毒かもしれないが、そうではなかったかもわからない。 しめ鯖はうまかったし、匂いも変っているようではなかった。 喰べた物はそれだけではなく、区別するのが困難なほど、雑多な食品が入り混っていた。 西願寺の 崖下 ( がけした )に、殆んど毀れかかった共同便所がある。 ずっと以前から使われなくなったので、朽ち乾いた板切れをつくねたようにしかみえない。 いま使っているのは、その父親と子供だけで、下痢が続くあいだ、二人は小屋からそこへかようのであった。 三日めになると父親の症状はおさまった。 彼の腹痛は一と晩すぎると治り、三日めには下痢も止った。 子供のほうは腹痛も下痢も弱まらず、三日めをすぎるとすっかり衰弱して、崖下まであるいてゆくことができなくなった。 父はもう治ったから、なにか喰べなければならないのだ。 おそらく腹がへって耐えられなくなったのだろう。 そしていま自分に、そのことを訴えているのだ、ということが子供にはよくわかった。 「ぼく、あるけるといいんだけれどね」と子供は云った、「もうすぐあるけると思うんだけどな」 「おう、おう、とんでもない」父親は手を振った、「きみにのんべ横丁へいってくれなんていうわけじゃないさ、どうしてもなにか喰べなくちゃならないとしたら、おれだって自分でいって来るよ、そうじゃないんだ、それほどまだ腹はへってやしないんだ、この下痢というやつには、絶食するしか療法はないんだし、絶食は長く続けるほどあとのためにいいんだ、空腹といったって、人間は十日や十五日飲まず食わずでいても、死ぬもんじゃないんだな」 子供は 皺 ( しわ )だらけになった顔をするどく 歪 ( ゆが )め、腹を押えながら躯を くの字なりに曲げた。 腹が痛みだしたのか、下痢が始まろうとしているのだろう。 呻 ( うめ )き声を出すまいとして歯をくいしばり、躯ぜんたいが円になるほど身をちぢめた。 父親にはそれが見えないのだろうか、彼は 眩 ( まぶ )しそうに子供から眼をそらし、入口の垂れ布を捲って小屋を出た。 便には血が混りだしたし、間隔は短くなるばかりであった。 それが父親である彼には見えないのだろうか、知っていて見ないふりをし、自分を自分でごまかそうというのだろうか。 彼の顔はまったく無表情で、眠っているようにとろんとした眼で向うを眺めながら、音をさせないように長い太息をついた。 「洋館の応接室だがね」と父親は小屋の中の子供に話しかける、「スコットランドふうにするというアイディアは考え直すことにしたよ」 彼は自分の腹がくうと鳴ったので、いそいで声を高くしながら、応接室の新しい構想について熱心に語った。 さあきみ、すぐにその子を抱いて医者へゆきたまえ、治療代のことなんかあとでどうにでもなる。 とにかく医者へゆくんだ、そんな地面になんぞ寝かしておいてはいけない、すぐに病院のベッドへ移さなければだめだ。 わからないのかきみ、手おくれになるぞ。 父親はのそっと立ちあがり、大きな欠伸をした。 飼い犬が主人の顔を見ると、まず 尻尾 ( しっぽ )を振るまえに大きな欠伸をする、あれはどういうことだろうか。 これはどういうことだろう、退屈したのだろうか、途方にくれたのだろうか。 彼の欠伸は、主人を見てよろこびの情をあらわすようなものとは、まったく反対な感じをもっていた。 発病してから五日めの午後、子供は殆んど意識不明になった。 ときたま云ううわ言も、なにを云うのか聞きとれなかったし、話しかけても答えはなかった。 父親は小屋から出たりはいったりするばかりで、子供には手を触れようともしなかった。 彼は一人の子の親ではなく、むしろ親に捨てられた幼児のようにみえる。 見知らぬ街の中でとつぜん親に捨てられ、これからどうしていいか、誰に頼ったらいいか見当がつかなくなり、まさに泣きだそうとしている幼児のように。 「そうなんだな、人間は食わずにはいられない」彼はぶつぶつと呟いた、「病人だって、いつまで食わせずにおけるわけはないんだ」 それでもなお迷っているようすだったが、やがて決心をしたといいたげに、重ねた古鍋を提げて立ちあがった。 「ちょっといって来るよ」 父親は小屋の中へ呼びかけた。 「のんべ横丁までな、すぐ帰って来るからね、なにかうまい物を貰って来てやるよ」 彼は子供がいつも話している、すし定とか、花彦などの名を、記憶の底のほうから拾いだしながら夜の街へでかけていった。 「いま帰ったよ」と彼は云った、「きみが腹をこわしてると云ったらさ、花彦のマダムがそれはいけないって云って、うまい物を呉れたよ」 「ねえ」と子供が云った、「忘れてたけどさ、プールを作ろうよ」 はっきりそう云ったのだ。 声にはちからがなく、少ししゃがれてはいたが、きみの悪いほどはっきりした云いかたであった。 父親は泣くような表情で微笑した。 「そうだな、うんそうしよう」と彼は大きな声で云った、「なんでもきみの好きなようにするよ、やれやれ、これでようやくおさまったな」 子供の病気は峠を越したのだ。 子供というものは生命力の強いものだからな、彼は明るい顔色になり、珍しいことに、鼻唄をうたいながら、七厘に火を焚きはじめた。 彼はニュームの牛乳沸しで、残飯の 粥 ( かゆ )を作り、それを喰べさせようとして小屋へはいってみると、子供はもう冷たくなっていた。 その翌朝、ヤソの斎田先生が小屋の前を通りかかったとき、彼はビールの空き箱に腰を掛けたまま、ぼんやりと空を見あげ、手に牛乳沸しを持って、なにかぶつぶつ独り言を呟いていた。 「お早う」と斎田先生が呼びかけた、「坊やは元気かね」 彼は斎田先生を見あげたが、まったく知らない人を見るような眼つきで、けれども口では「ええ元気です」と答えた。 病気だとか聞いたようだが、もう治ったのか、と斎田先生がきくと、ええおかげさまでと答え、うるさいな、とでも云いたげに顔をそむけた。 彼は子供を抱いて、西願寺の崖下と小屋のあいだを、 頻繁 ( ひんぱん )に往来したのだから、近所の人たちが見なかった筈はない。 斎田先生は誰かからそれを聞いたのであろうが、彼のそっけない態度を見ると、それ以上なにを云う気にもなれず、今日も暑くなりそうだね、などと云いながら去っていった。 その後ずっと、誰も子供の姿を見なかった。 初めに八田公兵がそのことに気づき、坊主はどうしたのかとたずねた。 母親のところへ返した、と彼は答えた。 「へえー、あの坊主に母親があったのかい」 八田じいさんは信じられないというふうに問い返した。 「あんたにはおふくろさんはなかったのかね」と彼は反問した。 「わしにだっておふくろはあったさ、母親もなしに生れてくる子なんかありゃしないだろう」 「だろうね」と云って彼は顔をそむけた。 八田公兵はもっとなにか聞きたそうだったが、彼のようすがひどく冷淡であり、むしろ排他的であると思い、そのまま話を打切ってしまった。 そのうちに誰が云うともなく、或る日の早朝、まだあたりがまっ暗なじぶんに、彼が子供を背負って、西願寺のほうへ歩み去るのを見た、という 噂 ( うわさ )が広まった。 病気の子供をもてあまして、どこかへ捨てにいったのだろう、と云う者もあるし、本当に母親がどこかにいて、そこへ返しにいったのだろう、と云う者もあったが、そのどちらにせよ、かれらには関係のないことなので、まもなく噂さえもしなくなった。 九月の暑さが終り、十月もすぎた。 彼は毎夜十一時ころに、「のんべ横丁」へゆき、残飯を貰い集めて帰ると、小屋へもぐり込んで独りで寝た。 朝になると、小屋の外で独り食事を済ませ、例の三重の古鍋を洗って、「のんべ横丁」のおでん屋「花彦」のかみさんに預けたのち、一日どこかをあるきまわったり、小屋へ帰ってごろごろしていたりした。 そのうちに、子供の代りができたのだ。 十一月にはいっていつのころからか、足の小さな犬の 仔 ( こ )が、彼についてあるくようになった。

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京山人百樹刪定 岡田武松校訂 北越雪譜 鈴木牧之編撰

樽商 まなば

あたりまえの事をありがたいと気がつくことは大切である。 (廓然)=広々して澄み切っている様子。 廓然として聖もなし。 ただ一人の迦葉(かしょう)という弟子だけが意味をくみとり微笑しました。 一輪の花を摘み微笑むように、以心伝心で心は通じるものです。 (立派な人間になろうとする心。 立身出世を望む心。 天地の働きであるだけなのです。 自分も自然の一部であることを体感すれば、すがすがしい気持で前進できるでしょう。 この言葉を千利休が一字改めた言葉。 相手を敬うことにより和になり、居心地の良い清々しい関係が保てるのです。 (一つことに専念して没頭する。 座禅のこと)六祖慧能は「一行三昧は一切処において、行住坐臥、常に一直心を行する~」と説く。 孔子の言葉に「五十にして天命を知る」とある。 末永い幸せに包まれている様子。 心にゆとりを持って行動すれば、失敗がない。 長寿を祝う言葉。 何事も片手落ちはいけません。 私達の心は秋の明月のように円満無欠であり、緑色の深淵に照り映えて清く輝いている。 これはあくまでたとえであって、結局は何物にも比べることは出来ず、また言葉で説明し尽くすことは出来ない。 人みな仏になる性質をもっていることを、月にたとえている禅語です。 心を一つにすれば幸せがくるの意。 歳月が過ぎるのは矢が飛ぶように早いので、一日、一日を大切に生きなさいという意味。 御選語録にも「光陰如箭 日月如梭~」の一文あり。 光は昼で陰は夜のことであり、光陰で日月・時間のこと。 分別・判断をする隙がない位、対応が早いこと。 不要な分別心を全く用いないで、目の前に現れたものを次々と処理する様。 【鎭州臨濟慧照禪師語録・唐】 四文字 (1) 終了 次の文字種をクリックして、お好みの場所へお入り下さい。 大死一番して復活するという意。 一意専心。 その道の専門でないと本当のことはわからない。 このような生活はさぞ素晴らしいだろう。 大悟徹底の人物。 禅寺によく掲げられている言葉。 同意語に「看脚下」がある。 人間本来の心が全ての法の基本なのである。 長寿と末永い幸せを祝う語。 のどかな春の情景。 泰平の世の前ぶれ。 舜の治世(伝説の君主・聖天子)のような天下太平を祈る言葉。 心境が澄み切っているさま。 温和で立派な人柄。 (源泉がなくては水も流れてきません) もとは中国の古詩「学問の根深うして方に道固し。 功名の水到って自ら渠成る」(学を積めば自然に道が修まり、水が流れて来るとひとりでに溝ができる)より。 力量のある師のもとには、自然に学徒が集まるの意にも使われる。 広い心が幸福を運んでくる。 人品が高く清らかである。 みわたす限りの寒光。 学問のしかた。 美人の形容。 選り好みせずに感謝して食べることです。 当たり前のことをするのが大切なのです。 山上宗二記にある「常の茶湯なりとも、露地へ入り出るまで、一期に一度の会のやうに亭主を敬ふべし」が語源である。 井伊直弼の「茶湯一会集」にも「茶の交会は一期一会のようなもの・・・・・一世一度なり」がある。 言葉にならない心を察知するには、周囲をしっかり見つめて知ることが大切です。 釈迦が花を拈じたのを見て摩訶迦葉が微笑して受け取った故事は典型的な例といえる。 この語は道元が宋の天童山の如浄(にょじょう)との問答にあり。 すべての束縛から離脱し、少しも沈滞することなく身心ともにせいせいした、すかっとした境地になること。 参禅の心でもある。 【碧巌録・宋】 四文字 (2) 終了 次の文字種をクリックして、お好みの場所へお入り下さい。 毎日の生活の中に求める機会はあります。 ~大道は無象無形で人を拒否する関門もないが、参入しがたいのです。 【禅語】 続く句は「千差路有り 此の関を透得すれば 乾坤に独歩せん」(その門はどの道にも通じている。 道元が宋から帰国したときに語った言葉。 雲や水のように無心に生きることです。 雲や水のようにうつろうもの=無常を表しているとも。 修業僧のことを「雲水」といいます。 居場所をきめずに、一カ所に留まることなく色々な師をたずねて修行を重ねていくからです。 道元禅師の普勧坐禅儀にもこの語句がある。 とらわれのない自在の境地のことを表す。 探す努力をすれば珠は磨かれて輝き、見つけやすくなります。 やはり探す努力は大切ですね。 塵やごみに汚れた現実に同化することです。 そして、時折足許を見てみましょう。 悟ったからといって、孤高になるのはだめです。 自分の智徳を見せびらかさないことです。 ほら見上げれば、果てしない空が穏やかに我々を包み込んでいるよ。 廬山(ろざん)の風景を詠んだ詩の一節より。 不平不満を言わず「これで充分」と思えば幸せな気持になれます。 花のこみちを通り、渓流のほとりを歩く。 心の中が清涼で在れば、どんな環境でも所でも清々しくなれるはずです。 隴=中国の甘粛省南東部。 曹操が隴の地を手に入れたとき、部下の司馬懿(しばい)が「このまま蜀もとりましょう」に対し「人は満足することを知らぬもの、隴を得たうえ蜀まで望むとは」と言った故事より。 また、光武帝が言ったとの説もあり。 物事に真っ直ぐな事は、一見屈曲しているように見えるものである。 李白の遺風を継いだ物。 酒屋にかざられる句。 錯は金などをちりばめて飾ること。 「人もその分をわきまえよ」 という意。 淳干髠(じゅんうこん)が斉の威王の遊興を諫めて「鳥が王の庭にとまり、三年も鳴かない。 この鳥は何の鳥か?」に対し「この鳥、ひとたび飛べば天高く舞い上がり、ひとたび鳴けば驚くべき力を発揮して人びとを驚かす」という故事より。 一度飲んだら千日も酔いがつづく。 災いや障害の原因を徹底的に取り除くこと。 仲間がいないと事は成就しにくい。 史記の「愚者も千慮すれば、必ず一得あり」より。 「舟の上から剣を落とした人が舟べりにしるしを付けてその下の川底をしらべたが、剣は見つからなかった。 舟が流れによって、常に位置が変わっていることに気づかないこと」より。 【南史】 四文字 (3) 終了 次の文字種をクリックして、お好みの場所へお入り下さい。 心に一点の曇りもない清浄な境地のこと。 蘇東坡「後赤壁賦」よりの一節である。 仏眼語録 宋 などで、自らのわだかまりのない心境の表明に用いられている。 そこは道であり、不滅である。 北宋の忠臣范仲淹が為政者の心得を述べた言葉。 転じて、先に苦労・苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。 范仲淹「岳陽楼記」の語句。 後楽園もこの句からとったもの。 言う者は何も知らない。

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