東名 高速 道路。 新東名高速道路

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東名 高速 道路

東京都,神奈川県,静岡県,愛知県の1都3県(42市町)を通過しており,古くから経済活動の中心となっていた旧東海道に沿った路線として,日本の大動脈を形成してきた。 東名高速道路建設の歴史 東名の歴史は,1940年の東京〜下関間の予備調査から始まった。 予備調査は戦況の悪化により一時中断されたが,終戦後の1951年に,東京〜神戸間の高速自動車国道の比較線調査および経済調査として本格的な調査が再開された。 当時の日本は,明治維新以降,鉄道が優先的に整備されてきたこともあり,道路は劣悪な状態のまま放置されていた。 そして1950年代後半に入り,日本は戦後復興期から急速な経済成長に伴い自動車輸送への依存度が増加すると,この道路事情が大きな足かせとなっていた。 1956年,ワトキンス調査団による「名古屋・神戸高速道路調査報告書」では,「日本の道路は信じがたいほど悪い。 政府はこの指摘を受け高速道路建設を実行に移し,整備が進むこととなった。 その後,日本初の都市間高速道路である名神の建設が1958年に始まり,1963年には,尼崎〜栗東間が初の開通を迎えることとなる。 一方,東名においても,1960年に「東海道幹線自動車国道建設法」が公布され,整備が始まった。 整備にあたっては世界銀行からの合計3億ドルの借款に成功し,東名全体の建設費の約3割に充てることができ,建設推進の大きな支えとなった。 課題となっていた事業費の問題が解決したことと,当時の世界水準の土木技術(施工機械の大型化,設計・施工の標準化,工事工程管理,安全管理など)を積極的に取り入れたこと,難工事の工程促進に努めたことなどにより,1962年の施行命令から約7年後の1969年5月26日に全線開通を成し遂げた。 これは当時の水準からみても驚異的なスピードであった。 東名高速道路と中央自動車道 名神に接続する東京〜名古屋間高速道路の建設は,国土開発優先の中央自動車道(以下,「中央道」という)とするか,経済の枢要地区を結ぶ経済効率優先の東海道案とするかについては政治を巻き込む大きな問題となっていた。 1950年代には国の財政に余裕がなかったこともあり,優先順位,必要性などについて政府,国会,世論を通じて論争が展開され,わが国の道路史上かつてない大論争を巻き起こした。 名神の調査に来日したワトキンス調査団の報告書でもこの問題に触れ,「二つの案が決して比較すべき計画ではなく,それぞれに異なった根拠で有益である」とし,論争に大きな示唆を与えている。 論争はその後も両者相譲らぬ展開となり,1960年5月,二つの法案が第34回国会に提出されることとなる。 一つは,「国土開発縦貫自動車道建設法」第3条の規定に基づく,議員立法による中央道の予定路線(東京〜小牧)を定める法律案で,もう一つは,東海道案を提唱する議員の共同提案によって提出された「東海道幹線自動車国道建設法」案である。 この時も両法案の取り扱いをめぐって種々の議論や調整が行われたが,結局両法案とも同時に成立し,7月25日から公布施行された。 これにより,東京〜小牧間には法律上,二つの高速道路建設が実現することになり,論争に決着がついたのである。 東名は前述のとおり経済活動の中心地を通過する高速道路であることから,このおおよそ5時間の時間短縮効果により企業活動などの生産性は大きく向上し,日本経済に大きな影響を与えた。 そこで,東名が日本全体の経済にどれほどのインパクトを与えているのかを定量的に把握するため,経済モデルである「空間的応用一般均衡モデル(以下,「SCGEモデル」という)」を用いて,東名の整備による経済波及効果を算出した。 1)SCGEモデルの概要 SCGE モデルとは,物流・人流両方を考慮した地域経済効果を計測するための代表的な経済モデルである。 今回の分析では,高速道路とその他交通機関の競争も考慮する必要があることから,鉄道などとの機関分担も考慮したモデルとした。 計算では,地域ごとに産業構造の違いが大きく異なることから,生活圏を考慮した207の地域に分類を行い,公的データに基づき整理可能な26産業区分(日本標準産業分類より(総務省))に分け,各地域間,産業間の経済取引を考慮した。 また年間当たりの生産額変化額は2015年時点で1. 産業別に見ると,サービス業が0. 例えば,現在では当たり前となっているインターネット通販であるが,これを支えているものは,高速道路の速達性と全国に展開されているネットワークであるといえる。 物流はより多くの商品を正確な時間に届けることが重大な使命であり,高速道路はそれを実現するインフラとして機能しており,その高速道路ネットワークの中心に位置する東名・名神が物流の多くを支えている。 事実,東名・名神は高規格幹線道路のわずか7%の道路延長しかないにも関わらず,高規格幹線道路全体のトラック貨物量の約半分を担っていることがわかっている。 50年前と比較し,全国に高速道路ネットワークができたことにより配送網が格段に広がっており,新鮮な商品や一定の質の商品をどの地域へも運べるようになった。 これまでの高速道路整備は東名だけでなく全国各地で実施されている中で,東名沿線地域の商業関連指数の伸び率が全国平均を上回っていることは,東名がいかに沿線の商業の活性化に影響を与えたかをうかがい知ることができる。 そして日本の自動車産業はわが国の製造業人口の約半数を占める巨大産業として,日本経済の成長をけん引してきたといえる。 1事業所当たりの製造品出荷額等を東名沿線とその他の地域で比較したところ,神奈川県において約21倍,愛知県においては約26倍の成長となるなど全国の平均増加率約13倍を大きく上回っている。 東名整備により物流や企業活動の生産性が向上し,当該地域の主要産業である工業の成長を支えてきたことがわかる。 おわりに 本稿では,東名が整備されてから50年にわたる整備効果を,主として経済的観点から述べたが,これ以外にも観光の活性化,ライフスタイルの多様化,医療・防災への貢献など,人々の安全,安心,快適な生活基盤を支える基幹インフラとしても重大な役割を果たしている。 先にも述べたが,東名高速道路の建設は当時の最重要国家プロジェクトの一つであり,世界銀行からの融資を受けたことからも,当時の先輩技術者達は,従来までの日本国内の技術,システムに縛られることなく,当時の世界最先端技術,新たな設計思想や調達方式などを大胆に取り入れ,従来の道路とは全く違う次元の新たな道路システムを創り出したのである。 その過程の中で,道路自体の革新だけにとどまらず,土木技術,建設技術,調達システム,運営管理システムなど社会システム全般に影響を与え,わが国の社会経済の発展に多大な貢献を行った。 また開通後も,増加し続ける交通量に対し,大井松田〜御殿場間の7車線化,厚木〜大井松田間の6車線化,横浜町田〜厚木間のピンポイント渋滞対策などの改良を重ね,時代の変化と共に日本の道路技術を常にリードし,進化を続けてきた。 そして現在,その東名の進化の遺伝子を引き継ぎ,「新たな国土の大動脈」の役割を担う新東名高速道路(以下,「新東名」という)が,御殿場JCT〜豊田東JCT,海老名南JCT〜伊勢原JCT間で開通し,伊勢原JCT〜御殿場JCT間で全線開通に向け建設工事を進めている。 新東名はこれまでの高速道路におけるさまざまな課題を踏まえ,より安全で,安心・快適な高速道路として,道路本体や設備に革新的な技術を取り入れ,世界をリードする高速道路を目指して建設されている。 また生産年齢人口の減少などの現代の課題に対し,物流分野の生産性向上や産業競争力の強化を図るために,自動運転・トラック隊列走行・ダブル連結トラックなど,次世代の物流システムを支える高速道路としても期待されており,物流の基軸としての機能を最大限発揮することを目的に,静岡県区間において6車線化工事を進めている。 東名・新東名がその機能を最大限に活かし日本経済に貢献し続けるとともに,新たな日本の未来を支え,今後も進化し続ける高速道路となるよう,会社を挙げて取り組んでまいりたい。

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東京都,神奈川県,静岡県,愛知県の1都3県(42市町)を通過しており,古くから経済活動の中心となっていた旧東海道に沿った路線として,日本の大動脈を形成してきた。 東名高速道路建設の歴史 東名の歴史は,1940年の東京〜下関間の予備調査から始まった。 予備調査は戦況の悪化により一時中断されたが,終戦後の1951年に,東京〜神戸間の高速自動車国道の比較線調査および経済調査として本格的な調査が再開された。 当時の日本は,明治維新以降,鉄道が優先的に整備されてきたこともあり,道路は劣悪な状態のまま放置されていた。 そして1950年代後半に入り,日本は戦後復興期から急速な経済成長に伴い自動車輸送への依存度が増加すると,この道路事情が大きな足かせとなっていた。 1956年,ワトキンス調査団による「名古屋・神戸高速道路調査報告書」では,「日本の道路は信じがたいほど悪い。 政府はこの指摘を受け高速道路建設を実行に移し,整備が進むこととなった。 その後,日本初の都市間高速道路である名神の建設が1958年に始まり,1963年には,尼崎〜栗東間が初の開通を迎えることとなる。 一方,東名においても,1960年に「東海道幹線自動車国道建設法」が公布され,整備が始まった。 整備にあたっては世界銀行からの合計3億ドルの借款に成功し,東名全体の建設費の約3割に充てることができ,建設推進の大きな支えとなった。 課題となっていた事業費の問題が解決したことと,当時の世界水準の土木技術(施工機械の大型化,設計・施工の標準化,工事工程管理,安全管理など)を積極的に取り入れたこと,難工事の工程促進に努めたことなどにより,1962年の施行命令から約7年後の1969年5月26日に全線開通を成し遂げた。 これは当時の水準からみても驚異的なスピードであった。 東名高速道路と中央自動車道 名神に接続する東京〜名古屋間高速道路の建設は,国土開発優先の中央自動車道(以下,「中央道」という)とするか,経済の枢要地区を結ぶ経済効率優先の東海道案とするかについては政治を巻き込む大きな問題となっていた。 1950年代には国の財政に余裕がなかったこともあり,優先順位,必要性などについて政府,国会,世論を通じて論争が展開され,わが国の道路史上かつてない大論争を巻き起こした。 名神の調査に来日したワトキンス調査団の報告書でもこの問題に触れ,「二つの案が決して比較すべき計画ではなく,それぞれに異なった根拠で有益である」とし,論争に大きな示唆を与えている。 論争はその後も両者相譲らぬ展開となり,1960年5月,二つの法案が第34回国会に提出されることとなる。 一つは,「国土開発縦貫自動車道建設法」第3条の規定に基づく,議員立法による中央道の予定路線(東京〜小牧)を定める法律案で,もう一つは,東海道案を提唱する議員の共同提案によって提出された「東海道幹線自動車国道建設法」案である。 この時も両法案の取り扱いをめぐって種々の議論や調整が行われたが,結局両法案とも同時に成立し,7月25日から公布施行された。 これにより,東京〜小牧間には法律上,二つの高速道路建設が実現することになり,論争に決着がついたのである。 東名は前述のとおり経済活動の中心地を通過する高速道路であることから,このおおよそ5時間の時間短縮効果により企業活動などの生産性は大きく向上し,日本経済に大きな影響を与えた。 そこで,東名が日本全体の経済にどれほどのインパクトを与えているのかを定量的に把握するため,経済モデルである「空間的応用一般均衡モデル(以下,「SCGEモデル」という)」を用いて,東名の整備による経済波及効果を算出した。 1)SCGEモデルの概要 SCGE モデルとは,物流・人流両方を考慮した地域経済効果を計測するための代表的な経済モデルである。 今回の分析では,高速道路とその他交通機関の競争も考慮する必要があることから,鉄道などとの機関分担も考慮したモデルとした。 計算では,地域ごとに産業構造の違いが大きく異なることから,生活圏を考慮した207の地域に分類を行い,公的データに基づき整理可能な26産業区分(日本標準産業分類より(総務省))に分け,各地域間,産業間の経済取引を考慮した。 また年間当たりの生産額変化額は2015年時点で1. 産業別に見ると,サービス業が0. 例えば,現在では当たり前となっているインターネット通販であるが,これを支えているものは,高速道路の速達性と全国に展開されているネットワークであるといえる。 物流はより多くの商品を正確な時間に届けることが重大な使命であり,高速道路はそれを実現するインフラとして機能しており,その高速道路ネットワークの中心に位置する東名・名神が物流の多くを支えている。 事実,東名・名神は高規格幹線道路のわずか7%の道路延長しかないにも関わらず,高規格幹線道路全体のトラック貨物量の約半分を担っていることがわかっている。 50年前と比較し,全国に高速道路ネットワークができたことにより配送網が格段に広がっており,新鮮な商品や一定の質の商品をどの地域へも運べるようになった。 これまでの高速道路整備は東名だけでなく全国各地で実施されている中で,東名沿線地域の商業関連指数の伸び率が全国平均を上回っていることは,東名がいかに沿線の商業の活性化に影響を与えたかをうかがい知ることができる。 そして日本の自動車産業はわが国の製造業人口の約半数を占める巨大産業として,日本経済の成長をけん引してきたといえる。 1事業所当たりの製造品出荷額等を東名沿線とその他の地域で比較したところ,神奈川県において約21倍,愛知県においては約26倍の成長となるなど全国の平均増加率約13倍を大きく上回っている。 東名整備により物流や企業活動の生産性が向上し,当該地域の主要産業である工業の成長を支えてきたことがわかる。 おわりに 本稿では,東名が整備されてから50年にわたる整備効果を,主として経済的観点から述べたが,これ以外にも観光の活性化,ライフスタイルの多様化,医療・防災への貢献など,人々の安全,安心,快適な生活基盤を支える基幹インフラとしても重大な役割を果たしている。 先にも述べたが,東名高速道路の建設は当時の最重要国家プロジェクトの一つであり,世界銀行からの融資を受けたことからも,当時の先輩技術者達は,従来までの日本国内の技術,システムに縛られることなく,当時の世界最先端技術,新たな設計思想や調達方式などを大胆に取り入れ,従来の道路とは全く違う次元の新たな道路システムを創り出したのである。 その過程の中で,道路自体の革新だけにとどまらず,土木技術,建設技術,調達システム,運営管理システムなど社会システム全般に影響を与え,わが国の社会経済の発展に多大な貢献を行った。 また開通後も,増加し続ける交通量に対し,大井松田〜御殿場間の7車線化,厚木〜大井松田間の6車線化,横浜町田〜厚木間のピンポイント渋滞対策などの改良を重ね,時代の変化と共に日本の道路技術を常にリードし,進化を続けてきた。 そして現在,その東名の進化の遺伝子を引き継ぎ,「新たな国土の大動脈」の役割を担う新東名高速道路(以下,「新東名」という)が,御殿場JCT〜豊田東JCT,海老名南JCT〜伊勢原JCT間で開通し,伊勢原JCT〜御殿場JCT間で全線開通に向け建設工事を進めている。 新東名はこれまでの高速道路におけるさまざまな課題を踏まえ,より安全で,安心・快適な高速道路として,道路本体や設備に革新的な技術を取り入れ,世界をリードする高速道路を目指して建設されている。 また生産年齢人口の減少などの現代の課題に対し,物流分野の生産性向上や産業競争力の強化を図るために,自動運転・トラック隊列走行・ダブル連結トラックなど,次世代の物流システムを支える高速道路としても期待されており,物流の基軸としての機能を最大限発揮することを目的に,静岡県区間において6車線化工事を進めている。 東名・新東名がその機能を最大限に活かし日本経済に貢献し続けるとともに,新たな日本の未来を支え,今後も進化し続ける高速道路となるよう,会社を挙げて取り組んでまいりたい。

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東京都,神奈川県,静岡県,愛知県の1都3県(42市町)を通過しており,古くから経済活動の中心となっていた旧東海道に沿った路線として,日本の大動脈を形成してきた。 東名高速道路建設の歴史 東名の歴史は,1940年の東京〜下関間の予備調査から始まった。 予備調査は戦況の悪化により一時中断されたが,終戦後の1951年に,東京〜神戸間の高速自動車国道の比較線調査および経済調査として本格的な調査が再開された。 当時の日本は,明治維新以降,鉄道が優先的に整備されてきたこともあり,道路は劣悪な状態のまま放置されていた。 そして1950年代後半に入り,日本は戦後復興期から急速な経済成長に伴い自動車輸送への依存度が増加すると,この道路事情が大きな足かせとなっていた。 1956年,ワトキンス調査団による「名古屋・神戸高速道路調査報告書」では,「日本の道路は信じがたいほど悪い。 政府はこの指摘を受け高速道路建設を実行に移し,整備が進むこととなった。 その後,日本初の都市間高速道路である名神の建設が1958年に始まり,1963年には,尼崎〜栗東間が初の開通を迎えることとなる。 一方,東名においても,1960年に「東海道幹線自動車国道建設法」が公布され,整備が始まった。 整備にあたっては世界銀行からの合計3億ドルの借款に成功し,東名全体の建設費の約3割に充てることができ,建設推進の大きな支えとなった。 課題となっていた事業費の問題が解決したことと,当時の世界水準の土木技術(施工機械の大型化,設計・施工の標準化,工事工程管理,安全管理など)を積極的に取り入れたこと,難工事の工程促進に努めたことなどにより,1962年の施行命令から約7年後の1969年5月26日に全線開通を成し遂げた。 これは当時の水準からみても驚異的なスピードであった。 東名高速道路と中央自動車道 名神に接続する東京〜名古屋間高速道路の建設は,国土開発優先の中央自動車道(以下,「中央道」という)とするか,経済の枢要地区を結ぶ経済効率優先の東海道案とするかについては政治を巻き込む大きな問題となっていた。 1950年代には国の財政に余裕がなかったこともあり,優先順位,必要性などについて政府,国会,世論を通じて論争が展開され,わが国の道路史上かつてない大論争を巻き起こした。 名神の調査に来日したワトキンス調査団の報告書でもこの問題に触れ,「二つの案が決して比較すべき計画ではなく,それぞれに異なった根拠で有益である」とし,論争に大きな示唆を与えている。 論争はその後も両者相譲らぬ展開となり,1960年5月,二つの法案が第34回国会に提出されることとなる。 一つは,「国土開発縦貫自動車道建設法」第3条の規定に基づく,議員立法による中央道の予定路線(東京〜小牧)を定める法律案で,もう一つは,東海道案を提唱する議員の共同提案によって提出された「東海道幹線自動車国道建設法」案である。 この時も両法案の取り扱いをめぐって種々の議論や調整が行われたが,結局両法案とも同時に成立し,7月25日から公布施行された。 これにより,東京〜小牧間には法律上,二つの高速道路建設が実現することになり,論争に決着がついたのである。 東名は前述のとおり経済活動の中心地を通過する高速道路であることから,このおおよそ5時間の時間短縮効果により企業活動などの生産性は大きく向上し,日本経済に大きな影響を与えた。 そこで,東名が日本全体の経済にどれほどのインパクトを与えているのかを定量的に把握するため,経済モデルである「空間的応用一般均衡モデル(以下,「SCGEモデル」という)」を用いて,東名の整備による経済波及効果を算出した。 1)SCGEモデルの概要 SCGE モデルとは,物流・人流両方を考慮した地域経済効果を計測するための代表的な経済モデルである。 今回の分析では,高速道路とその他交通機関の競争も考慮する必要があることから,鉄道などとの機関分担も考慮したモデルとした。 計算では,地域ごとに産業構造の違いが大きく異なることから,生活圏を考慮した207の地域に分類を行い,公的データに基づき整理可能な26産業区分(日本標準産業分類より(総務省))に分け,各地域間,産業間の経済取引を考慮した。 また年間当たりの生産額変化額は2015年時点で1. 産業別に見ると,サービス業が0. 例えば,現在では当たり前となっているインターネット通販であるが,これを支えているものは,高速道路の速達性と全国に展開されているネットワークであるといえる。 物流はより多くの商品を正確な時間に届けることが重大な使命であり,高速道路はそれを実現するインフラとして機能しており,その高速道路ネットワークの中心に位置する東名・名神が物流の多くを支えている。 事実,東名・名神は高規格幹線道路のわずか7%の道路延長しかないにも関わらず,高規格幹線道路全体のトラック貨物量の約半分を担っていることがわかっている。 50年前と比較し,全国に高速道路ネットワークができたことにより配送網が格段に広がっており,新鮮な商品や一定の質の商品をどの地域へも運べるようになった。 これまでの高速道路整備は東名だけでなく全国各地で実施されている中で,東名沿線地域の商業関連指数の伸び率が全国平均を上回っていることは,東名がいかに沿線の商業の活性化に影響を与えたかをうかがい知ることができる。 そして日本の自動車産業はわが国の製造業人口の約半数を占める巨大産業として,日本経済の成長をけん引してきたといえる。 1事業所当たりの製造品出荷額等を東名沿線とその他の地域で比較したところ,神奈川県において約21倍,愛知県においては約26倍の成長となるなど全国の平均増加率約13倍を大きく上回っている。 東名整備により物流や企業活動の生産性が向上し,当該地域の主要産業である工業の成長を支えてきたことがわかる。 おわりに 本稿では,東名が整備されてから50年にわたる整備効果を,主として経済的観点から述べたが,これ以外にも観光の活性化,ライフスタイルの多様化,医療・防災への貢献など,人々の安全,安心,快適な生活基盤を支える基幹インフラとしても重大な役割を果たしている。 先にも述べたが,東名高速道路の建設は当時の最重要国家プロジェクトの一つであり,世界銀行からの融資を受けたことからも,当時の先輩技術者達は,従来までの日本国内の技術,システムに縛られることなく,当時の世界最先端技術,新たな設計思想や調達方式などを大胆に取り入れ,従来の道路とは全く違う次元の新たな道路システムを創り出したのである。 その過程の中で,道路自体の革新だけにとどまらず,土木技術,建設技術,調達システム,運営管理システムなど社会システム全般に影響を与え,わが国の社会経済の発展に多大な貢献を行った。 また開通後も,増加し続ける交通量に対し,大井松田〜御殿場間の7車線化,厚木〜大井松田間の6車線化,横浜町田〜厚木間のピンポイント渋滞対策などの改良を重ね,時代の変化と共に日本の道路技術を常にリードし,進化を続けてきた。 そして現在,その東名の進化の遺伝子を引き継ぎ,「新たな国土の大動脈」の役割を担う新東名高速道路(以下,「新東名」という)が,御殿場JCT〜豊田東JCT,海老名南JCT〜伊勢原JCT間で開通し,伊勢原JCT〜御殿場JCT間で全線開通に向け建設工事を進めている。 新東名はこれまでの高速道路におけるさまざまな課題を踏まえ,より安全で,安心・快適な高速道路として,道路本体や設備に革新的な技術を取り入れ,世界をリードする高速道路を目指して建設されている。 また生産年齢人口の減少などの現代の課題に対し,物流分野の生産性向上や産業競争力の強化を図るために,自動運転・トラック隊列走行・ダブル連結トラックなど,次世代の物流システムを支える高速道路としても期待されており,物流の基軸としての機能を最大限発揮することを目的に,静岡県区間において6車線化工事を進めている。 東名・新東名がその機能を最大限に活かし日本経済に貢献し続けるとともに,新たな日本の未来を支え,今後も進化し続ける高速道路となるよう,会社を挙げて取り組んでまいりたい。

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