アポロ 11 号。 【メディアポ】テレビで生中継された重大事件簿「アポロ11号月面着陸」

宇宙情報センター / SPACE INFORMATION CENTER :アポロ11号

アポロ 11 号

今から半世紀近く前の1969年7月20日、 アポロ11号が月に着陸しました。 そして東部標準時の夜10時56分、ニール・アームストロング船長はとある人類史上初の快挙を成し遂げます。 「人間の小さな一歩だが、人類にとって大いなる飛躍だ」()という後世に残る言葉とともに、彼は 月に立った最初の人類になりました。 バズ・オルドリン飛行士も加わり、2人は2時間半に渡って、月面散歩や写真を撮影、サンプル採集に励みました。 アポロ11号は地球に帰還する前、 月にいたという証拠を残していきます。 アームストロングの足跡やガラクタのほか、彼らは3x5フィート(約1x1. 5m)のナイロン製 アメリカ国旗がついたポールを月面に立てていったのです。 のちに続く、月に着陸したアポロ計画の各ミッションも前例にならいました。 では、各ミッションで月面に立てられた 星条旗はどうなったのでしょうか? 今も立っているのか? そもそも半世紀近くも経って未だに月面に存在するものでしょうか? アポロ11号の星条旗に限っていえば、月から離陸する際に宇宙船の ロケットの突風でひっくり返されるのをオルドリン飛行士がみたそうです。 そうならなくとも、 月の過酷な環境下で旗が残る可能性は低いと考えられていました。 月のレゴリスやダイレクトに降り注ぐ太陽の紫外線などの要因によって、 きっと星条旗は早々と白くなり崩れるだろうと思われていたのです。 実際、月に持ち込んだ星条旗は長い間のざらしにするため作られたものではありませんでした。 この旗は、当時の5. 5ドル(2014年の約35ドルに相当)でニュージャージーを拠点とする旗の製造企業「アニン」から購入したものです。 (アニンは1847年以来、旗を作り続ける米国で最も古い旗の製造企業です。 )素材はベーシックな普通のナイロンであって、 何十年もの長期にわたって月面の環境下に晒されるために製造されたものではありません。 アニンに勤めるデニス・ラカルーバさんは2008年、スミソニアンに「(月には)何も残っていないと思う。 正直に言おう。 星条旗は灰になっている」と語っていました。 11号以外の 5本の旗はあまり話題になっていませんが、 アポロ12号、14号、15号、16号と17号の時に立てられたものです。 アポロ13号はご存じのとおり事故が起きたため月に到着できずじまいでした。 月面に立てられた星条旗はいずれも、地元の商店で誰もが買えるようなシロモノだったのです。 現時点でのが、1972年12月7日に打ち上げられたアポロ17号です。 宇宙飛行士のユージン・サーナンと地質学者のハリソン・シュミットが月面に星条旗を立てるとき、サーナンはこんなことを言ったそうですよ。 もし星条旗をしっかりと月面に打ち付けたら、百万年先まで残っているかな、と。 72年以降月面を歩いた人類はいないものの、多くの国から送られた数多の 探査機が月にむかっては観察し、多くの画像を撮影するようになりました。 テクノロジーが進化し、画像が鮮明になっていくことで、1972年以来初めて月面の一部がとても鮮明にみられるようになったのです。 そうして、時はになります。 2009年6月に打ち上げられたルナー・リコネサンス・オービターのカメラ(以下LROC)は3年以上も月を周回し、高解像度カメラで画像を撮り続けました。 宇宙飛行士の足跡や月面車といったアポロ計画の各ミッションで月に置き去りにされた物などを撮影しましたが、2012年、あるモノを捉えます。 からアポロ11号とおそらく15号の旗以外の星条旗が 月の環境に耐えただけでなく、未だに直立していることが確認されたのです。 一日の異なる時間帯に撮影された画像を見てみると、旗が落とす影の動きから 星条旗は未だにそこにあることが分かります。 アポロ15号の旗は宇宙飛行士たちがにも写っていたことから、一般的には今も立っていると思われていました。 しかし、LROCの画像からほかの旗は立っていると確認できても、15号の旗が立っていることを示す影は写っていませんでした。 とはいうものの、ほかは崩れていないのにこの特定の旗だけが崩れてしまったと考えられる理由があんまりないそうです。 さらに言うと、 アポロ11号の旗は未だにそのままで、ただ月面に転がっている可能性もあるんだとか。 こればっかりは確かめられるテクノロジーの進化を待つしかなさそう。 では 星条旗の布のコンディションはどうなのでしょうか? 色が抜け真っ白になっているというのが一般的な見解です。 テクノロジーが進化していけば、近い将来、私たちは影の動きを収めた画像を手掛かりにするんではなく、星条旗の正確な場所を自分たちの目でみて確かめられるようになりそうですね。 このゴミはハイテクな月探査機に宇宙飛行士の排泄物が入った袋とあらゆるものが含まれているそうです。 アポロ11号が持ってきた 金のオリーブの枝や、 天文学者ユージン・シューメーカーの遺灰をいれた壺などあえて置き去りにしたものも大量にあります。 彼らはアポロ11号、14号そして15号の時に3つの再帰反射器設備も残しました。 これにレーザー光を用いると、緻密な正確さで月と地球との距離を分かるんだとか。 打ち上げの1ヶ月前を切った予行演習中に、司令船の操縦室で火災が発生し、搭乗していた3人の宇宙飛行士、ガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーが死亡したのです。 原因究明のため調査委員会が設置され、NASAは20ヶ月の間有人飛行を延期しました。 アポロ計画の存続が非常に疑わしくなりますが、やがて出火の原因は船内のデザイン上の広範囲な欠陥によるものだと判明したのでした。 Matt Blitzは面白い事実を集めた人気のウェブサイトで執筆しています。 Today I Found OutのDaily Knowledgeニュースレター購読するには、Facebookページにはアクセスできます。 このはの許可を得て、再掲しています。 Matt Blitz - Gizmodo US[] (たもり)• Tags :•

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アポロ11 完全版 : 作品情報

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【7月12日 AFP】アポロ11号()による月面着陸がうそだと考えている人は、世界中に数多く存在している。 彼らは、1969年7月に米航空宇宙局()が配信した画像が、実際には米ハリウッドのスタジオで撮影されたものだと信じているのだ。 また、月面着陸はなかったとしてアポロ11号のミッションそのものを疑い、それが「ねつ造」であったと実証を試みるウェブサイトも星の数ほどある。 こうした懐疑派の中には、NASAにはそのような途方もない計画を成功させる技術的ノウハウはなかったと言う人や、宇宙飛行士だったら宇宙線で焼かれて死んでいるはずなので、月面に着陸していたとしてもそれは人間ではなかったと主張する人もいる。 その他、月面着陸には宇宙人が関与しており、宇宙飛行士らが発見した月の文明と共に隠ぺいされたという意見もある。 だがほぼすべての陰謀説で「怪しい点」が指摘されるのは、地球に送信された画質の悪い写真やビデオ映像だ。 陰謀論者たちは、映像の中の影に不自然な点があることや一部の写真に星が写っていないことを指摘しているが、こうした説は科学者らによって何度も反証されている。 2009年には無人月探査機「ルナー・リコネサンス・オービター()」が月面に残された歴代のアポロ宇宙船の残骸を撮影している。 それでも、こうした説がなくなる兆しは今のところ見られないのだ。 1969年、「静かの海」にアポロ11号の着陸船が降り立った時、テレビに映る映像を疑ってかかった米国人は20人に1人もいなかった。 米調査会社ギャラップ()のデータによると、世紀が変わる頃でもこのイベントに疑いを持っていたのは米人口の約6%にとどまっていたとされる。 一方、冷戦時代の敵国ロシアでは同時期、国民の半数以上が米国を最初に月に到達した国と認めることを拒んでいたという。

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なぜ月面着陸はテレビ中継できたのか?アポロ計画の天と地を結ぶ地上局

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Bettmann Getty Images 、ニール・アームストロング氏とバズ・オルドリン氏はアポロ11号の司令船「コロンビア」号から月着陸船「イーグル」号を切り離しました。 そしてマイケル・コリンズ氏は司令船に残ってロケットを噴射し、同僚たちから約3. 2km、地球の人類から約40万km離れた場所へと移動しました。 コリンズ氏は、同僚たちの着陸船がどんどん小さくなる様子を見ながら、「みんな、僕に話しかけ続けてくれ」と無線で呼びかけたと言います。 午後3時8分、アームストロング氏とオルドリン氏は何のためらいもなく「イーグル」号の降下エンジンを噴射し、月への着陸に備えました。 そしてコリンズ氏はたった1人、彼らがチョークのように白亜の月面に降下する様子を見ていました。 このときの彼は、絶対的かつ完全に孤独だったのです。 そして彼は、テキサス州ヒューストンにあるジョンソン宇宙センター内ミッション管制センターへ、降下の第一報を無線で伝えます…「何もかも順調で、申し分ない」と添えながら。 オルドリン氏は着陸船から写真を撮影し、自らも月面歩行を実施。 そして1時間後、2人が月面に米国旗を立てると、当時の大統領であるリチャード・ニクソンがミッション管制センターを通じて彼らに電話をかけ、「やあ、ニールとバズ。 ホワイトハウスの大統領執務室からかけています。 これは間違いなくこれまでかけられた中でも、最も歴史的な通話です。 すべてのアメリカ人にとって、今日は人生でもっとも誇るべき日となるでしょう」と話しました。 同僚たちが大統領と話していたとき、コリンズ氏は1人司令船の中に座り、月の周囲を回っていました。 この宇宙船が月の裏側を通過していた47分間、ミッション管制センターとのあらゆる無線通信は途絶えていました。 彼はかつてないほど孤独だったのです。 アームストロング氏が「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という伝説的名言を残したとき、コリンズ氏はこれを聞き逃しました。 とコリンズ氏は後に書いています。 また、このミッションログのメモには、「誰もマイケル・コリンズほどの孤独を知ることはなかった」と記されています。 その一方で、このミッションの中で、この2人と同様に重要な役割をはたしたコリンズ氏ですが、彼らと同じような注目を浴びることは避けてきました。 彼は長年にわたって、基本的にはメディアの取材依頼を断ってきたのです。 とは言え、アポロ11号が2019年7月20日に月面着陸から50周年を迎えることもあり、彼は最近ではいくつかのインタビューに登場しています。 前回の40周年記念のときにコリンズ氏は、すべてのインタビューを断ったうえで、NASAを通して声明を出しました。 彼はその中で、名声や英雄主義に取り憑かれたポップカルチャーへの不満を語っています。 「私たちがセレブリティですって? 1人の人間を語るうえで、なんて空っぽの概念なのでしょう。 友人で偉大な歴史家のダニエル・J・ブーアスティンは、この概念を『よく知られているゆえに有名人』と言い表しました。 恋愛遍歴や薬物依存、あるいは逮捕歴でさえ注目されるきっかけになるのですから…。 こんな話はさせないでください」とコリンズ氏は語っています。 Getty Images コリンズ氏の同僚のオルドリン氏とアームストロング氏は、まったく違った方法で名声に対処しました。 が、名声は彼らの人生をめちゃくちゃにもしました。 アームストロング氏に関して言えば、数十年間必死に目立たないよう過ごしました。 最終的に、アームストロング氏の結婚生活は崩壊します。 一方、注目を集めることに熱心であったオルドリン氏は、鬱病とアルコール依存症に苦しみます。 そして、1970年代だけで2度も離婚しています。 50年が経った今だからこそわかることなのでしょうが…。 そう考えるとコリンズ氏は、先見の明があったと言えるでしょう。 陸軍大将の息子として生まれたコリンズ氏は、ウェストポイントの陸軍士官学校を卒業後に米空軍に入隊しました。 その後彼は、戦闘機のパイロットとなり、宇宙プログラムに志願します。 1963年には第3期の宇宙飛行士クラスのメンバーとなりました。 コリンズ氏にとって初のミッションとなったのはジェミニ10号で、これは地球を周回する宇宙船です。 月へと向かうアポロ11号は、彼にとって2つ目のミッションだったのです。 アポロ11号までの数カ月、コリンズ氏はこのミッションの重大な危険性について、妻のパットに語ることを避けたと言います。 彼は個人的に、自分たちのと考えていました。 とは言えコリンズ氏が一番怖かったのは、自分1人だけが生き残って帰還をはたすことだったようです。 Ralph Morse 「この6カ月間、私が密かに恐れてきたのは、彼らを月に残して1人で地球に帰還することでした」とコリンズ氏。 さらに、「彼らが月面からの離陸に失敗したり墜落したりしたら、私は直ちに帰還するつもりでした。 自殺するつもりもありませんでしたし…。 ですが、その後は死ぬまで目をつけられていたことでしょうね。 そのことはわかっていました」とコリンズ氏は語ります。 2019年7月21日の午前1時過ぎ、オルドリン氏とアームストロング氏が司令船「コロンビア」号に無事戻ったときには、コリンズ氏は同僚たちとの再会に対して心より安堵し、オルドリン氏の額に思わずキスしそうになったと言います。 『タイム』誌によれば、コリンズ氏はキスしたい思いのやり場をこう語っています。 「やっぱりなしだな。 歴史書が気にいるような話じゃないだろう」と思い、やめたそうです。 が、7月20日の月面着陸を目にしました。 そして、7月24日に地球に帰還した3人は、まさに英雄のような歓迎を受けることになります。 「私たちはエンジニアであり、科学者であり、戦闘機のパイロットでしたが、映画スターかのようなもてなしを受けました。 これはほとんどのメンバーにとって手に負えないものであり、私にとっては間違いなくそうでした」と、オルドリン氏は続けて語りました。 1970年代、彼は2度の離婚を経験し、財産を失い、ついにはビバリーヒルズのキャデラック販売店で働くことを余儀なくされました。 彼はアポロ11号の1年後にNASAを退職し、シンシナティ大学の教授に就任します。 アームストロング氏の伝記作家によれば、彼は幼い娘の死後にひたすら仕事にのめり込み、結婚生活は崩壊してしまったと言います。 NASA時代の話は避け、自らの肖像の使用には慎重な姿勢をとっていたと言い、そうしてアームストロング氏は2012年、82歳で亡くなりました。 コリンズ氏は、アポロ11号の直後にNASAを辞め、。 その後、彼はスミソニアン国立航空宇宙博物館の館長に就任し、スミソニアン協会の次官へと昇進。 最終的に、自らの航空宇宙コンサルティング会社を立ち上げています。 アポロ11号からの帰還後、彼がもっとも頻繁に聞かれた質問は、「あれほど月の近くまで行ったのに、結局足を踏み入れなかったことに対し悩まされることはありませんか」というものでした。 NASA Getty Images また、「自分が3人の中で一番いい役割だったかと聞かれれば、『ノー』です。 ですが、自分に与えられた役割に満足したかと言えば、『イエス』です。 そして、フラストレーションや恨みといった感情は全くありません。 すべてのことに非常に満足しています」と、コリンズ氏は続けて話しています。 コリンズ氏はこの歴史的ミッションで、自らがはたした役割について、かなりの注目を浴びたと語ってきました。 とは言え、彼はオルドリン氏やアームストロング氏が受け止めた、有名人としての押しつぶされるような重圧には直面してこなかったようです。 コリンズ氏と妻のパットは、その後も2014年に彼女が亡くなるまで一緒に過ごし、このカップルは3人の子どもを授かっています。 このインタビューの中で、彼は今でも宇宙の話題、特に火星について熱心に語っています。 そして、「歴史を書き換えらるのであれば、人類初の火星探査隊の一員となりたいものです」と、彼は続けてコメントしてます。 とは言えコリンズ氏は、ドナルド・トランプ米大統領による火星探査計画には懐疑的な様子。 彼は2019年初めのCNNのインタビューで、「トランプ氏が火星のことを十分承知しているとは思えません。 彼は火星という惑星があることも理解していないかもしれませんから」と、冗談を交えて語っています。 2019年7月20日には、アポロ11号が月面着陸してちょうど50年となります。 ここで改めて、そのときの搭乗員である3名(ニール・アームストロング氏、バズ・オルドリン氏、マイケル・コリンズ氏)の偉大さを称えましょう。

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