風船 おじさん その後。 風船おじさんの新事実とは?アメリカ横断して生きているの!?【爆報】

風船(気球)おじさん「鈴木嘉和」のその後は?家族も気になる!【爆報!THE フライデー】

風船 おじさん その後

あなたは、 風船おじさんをご存知だろうか? 名前だけは聞いたことがあるけど、実際どういうことをしていた人かは知らない人も多いのではないだろうか? 本記事では、 風船おじさんと呼ばれた男、嘉和のについて紹介しよう。 そして、彼が人々の前から姿を消すことになった騒動を、 風船おじさん行方不明事件と呼ぶこともある。 曖昧さ回避• 番組『』において、しぼんでいく巨大なの中にが閉じ込められ、して抜け出そうとした結果、から頭部だけ出てしまった状態を評した言葉。 この風船おじさんの行動も絶対にしないように。 下手すれば窒息死である。 ちなみには、別の回でのでを飛んだこともある。 概要 嘉和は、かつてのとして勤めていた調師だった。 それがどういうわけか起業となり、あらゆる事業に手を出したが全て失敗に終わってしまう。 もちろん彼は借まみれとなり、約5億円ものを背負ってしまった。 借苦に追い詰められ、悩んだ(かどうかは定かではないが)彼の答えは、こうだった。 多摩川からちょっと風船で飛んでみた。 最初に行われた飛行は、のからの里をすという大冒険計画から始まった。 風船おじさんは、 の制止を振り切って飛行を断行。 5と3のを各2個を括りつけたに乗って大へと舞い上がった。 ここまでは風船おじさんのだったが、なんとに付けていた重石の紐が切れるというが発生! 重石を失ったことで、風船おじさんは予定の高度を大きく越えて上昇してしまう。 焦った風船おじさんは飛び降り…なんてことはせず、5のの紐をで切り、高度を落としていくに出た。 この思惑は上手くいき、風船おじさんは約24キロ離れたののに不時着した。 不時着後、自体のはに軽傷を負う程度で済んだ。 その後の人にはこってり絞られていたが、成功してれば次はに行くつもりだったと宣言し、周囲を呆れ果てさせた。 ちなみに不時着されたは、の瓦が何枚かて、も折れ曲がってしまったが、細かいことは気にしない風船おじさんはその者宅に謝罪及び弁償は 一切なかったという。 風船おじさん当時歳。 風船おじさんはをたくさん括りつけた『号』に乗り、の畔で飛行を行なうことになった。 周囲には彼のやが押しかけて見物していた。 予定では200mからm上昇するだけの簡単なのはずだったが、mほど浮かび上がると地上に一度降りてきて、少し経ってから牽のロープを外した。 一応の中にはまでの横断を想定した荷物が積んであったとのことである。 風船おじさんの計画では、このまま気流に乗れれば、時間でに到達する予定となっていた。 しかし捜索機が向かってみると、風船おじさんは手を振ったり座り込んだりするなどして、信号を止めてしまった。 それから捜索機は間ほど監視していたが、間に消えてしまったために捜索を打ち切るほかなくなった。 のの上での出来事だった。 その後、風船おじさんの消息を知る者はもいない…………。 その他いろいろ• 風船おじさんというのはが付けたアダ名である。 しかしでの飛行の失敗を見るや「関わっちゃマズイ」と思ってしまったのか、を置くようになった。 の時に駆けつけたのはだったが、社の通信も現場にいたという。 風船おじさんは線のを持っていなかった。 にを付けるなどの作業もかなり苦労していたそうだ。 で飛ぶ前から、風船おじさんはな行動を見せておりの万博では集客対策不足に不満を覚えて、を着てに登り、 7時間立て篭もるなどしてしていた。 専門く「でになんて行けるわけねーだろ」というがある他、「がまで保つはずもないから、恐らくに落ちて死んでいるだろう」という見解を示している。 しかし、上の記録において、風船おじさん及び号の遺留品などが見つかったというはない。 もしかしたら20年以上経った今でも、号と風船おじさんはどこかを飛んでいるのかもしれない。 で発見との報もあるが これは根のである。 後述の関連においても、の遭難・失踪は笑い話であるかのようにられているが、残されたは笑い話で済まされたらたまったもんではない。 特にさんは風船おじさんの残していった借をになって返しているらしく、かなり苦労されているようだ。 の時点では、風船おじさんは戸籍上は生きていることになっている。 しかしその時の話でも「失踪届けを出そうかと思っている」と心が折れかけていたご様子だったので、どうなっているかは不明。 「の飛ぶ」というが開されて、この事件をした人は多いだろう。 をる上で、このが引き合いに出されたりにのぼる事も少なくない。 というのも 、の アデリール・・デ・カが、「での長時間飛行記録に挑戦した末に合い上へ流され遭難する」という風船おじさん同様の死に様でを受賞しているため。 ただし彼は3ヵ後に事が回収されている。 ちなみに風船おじさん自身は失踪時点で既にがいたため、の対にはなっていない。 良くも悪くも、風船おじさんは今やの人となっている。 関連動画 関連商品 関連項目• の飛ぶ•

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20年前に消息不明 「風船おじさん」の足取りを追った!: 思考ちゃんねる

風船 おじさん その後

風船おじさんってどうなったの? 風船おじさんとは? 風船おじさんを知らない人用の簡単な説明 本名 鈴木 嘉和 生年 1940-(1992年以降は消息不明) 風船おじさんとして知られたピアノ調律師、経営者。 自称冒険者。 1992年4月に風船をつけた椅子で飛び立って1時間弱飛行した末の不時着事故とニュースになる騒ぎを2度起こした。 同年11月に風船をつけたゴンドラでアメリカへ向けて出発したが2日後に連絡が途絶えてその後の消息は不明になった人。 一躍時の人となったが、 飛行実験でトラブルを起こすなど、だんだんとバッシングされるようになった。 実は、事業失敗で5億円前後の借金を抱えており、債権者には、「風船をつけたゴンドラ船で太平洋を渡り借金を返す」と語っていた。 風船おじさん 1992年11月23日、その日の夕方、風船とともに大空へ旅立ったおじさんの事。 当時NHKを除くすべてのマスコミ、新聞もテレビも大騒ぎしたことがあった。 飛び立った場所は琵琶湖畔、近江八幡。 1992年11月23日、琵琶湖湖畔を20個のヘリュウム風船をつけたゴンドラ「ファンタジー号」に乗って大空へ旅立った「風船おじさん」 このゴンドラは横2m縦70cmのヒノキ風呂を改造したもので、携帯電話、酒、酸素ボンベ、食料一週間分などを積んでいた。 彼の最後の姿が見られたのは2日後の11月25日。 アメリカに向かったはずだが、何故か宮城県上空で海上保安庁の航空機に確認されている。 ということなので、2日間は確実に生きていたことになる。 しかし、その後、それっきり風船おじさんは行方不明となった。 おれの記憶だと、止めようとする警官を振り切っての旅立ちだった。 なぜそこに警官が居たかというと、このおじさんはこの件以前にも同様の騒ぎを起こして厳重注意を受けていたからだ。 専門家によれば、熱気球と違ってヘリウム気球はあまり飛行高度が取れないために、ちょうど雲の中を飛ぶ事となってしまい、風呂桶状のゴンドラでは猛烈な風雨に曝される事になる。 さらにヘリウムの抜けの速さから考えても、太平洋上に墜落するのは目に見えていたそうだ。 まさに自殺行為に他ならない危険な冒険だったと言える。 あーだめだ!!ここまで書いてなんか泣きそうになっちった。 支持者の人達が口汚く罵っていて、子供の頃にいやな気持ちでいた。 いっしょにTV見てたお袋に、 「人が死んだかもしれないのに、家族だっているのに、何故にこの人達はTVで、ここまで悪し様に?」 と言ったら 「人様の制止を振り切ってまで好き勝手やった馬鹿を罵って何が悪い? ゴミくずが。 創作する必要なんかあるか。 見放されて当然。 世間様を騒がしたんだから家族は自殺して謝罪すべき」と言われ 我が母ながらゾッとした覚えが。 ちなみに、このお袋の性格は未だに変わっていないので、未だに折れともギクシャクしてる。 自分は絶対正しいと妄想世界で信じてるDQNだったが、正直、風船おじさんとは比べ物にならぬくらいに性質が悪いと思ってる。 しかし、自衛隊・・・救難信号で飛んでいったんだよな? なのに何故、手を振って助けを求めてる人を、助けが来て喜んでる人を、元気そうだと判断する? 子供の使いか? 貴様ら俺のお袋か? そんなやつらは殺人罪には問えないのだろうか? おじさんの最後の映像、すごい高い高度の場所におじさんがいて、たぶんジェット気流?とかに乗っちゃってる感じ。 おじさんは酸素ボンベはもってたようだけど、それでも軽装備だったから救助信号出したんだろうなと思う。 救助してもらえると思って飛行機に手を振っていたのに、そのまま飛行機はリターンしてしまって、どうしようもなくなり、おじさんは自分で高度を下げたのかもしれないと思ってしまう。 それでじわじわ高度が下がり、着水、檜風呂で作ったゴンドラはしばらくは浮いていたけど、じわじわと沈んでいってしまったんだろうな・・ 世間を騒がしたっていっても別に世間に害を与えたわけでもなく海上保安庁や自衛隊に迷惑をかけたと言っても、彼らは傍観してただけで結局は助けてもくれなかった。 以前ちょっと検索してみたことがあって、ちょっとうる覚えなんだけど 確か風船おじさんは風船の重しに焼酎200本を積んで空へ飛び立った。 (これだけで十分アホアホ。 なぜ焼酎なんだろうか) 目的は「音楽の種(といいつつも実は普通の花の種)をアメリカへ届けるため」 最初、どっかのえらい人が飛び蜘蛛?という日本からアメリカまで海を渡る。 蜘蛛に植物の種をつけて飛ばそう、という計画を立てたのだが、計画の途中で風船おじさんが 「蜘蛛じゃなくて私が種を届けます!」 と自ら立候補して風船に乗った。 このまえの気球がアメリカに行くのに失敗して着水したとき、また思い出した。 あの人達はすぐ助けてもらえたからいいけど、風船おじさんは、風船のガスがじわじわ抜けていって、じわじわ高度を落として、太平洋のどっかに着水して誰も助けが来なくて、しばらく浮いていたけど、海に沈んでいっちゃったんだろうな・・ と思うと、あの気球の人達の待遇の良さが羨ましいな。 風船おじさんがあまりにもメルヘンな見かけで可愛かったから、余計に悲しくてほんとに風船おじさんの事は一生忘れないだろうなって思う。 風船おじさんの娘さんが父はきっとまだ飛んでいるんだろうと思うようにしているみたいな事言ってたのをテレビで見たとき、ちょっと涙がでた。 海上保安庁が金華山沖で発見したときの写真では主力風船は2つだけ。 どうして?あとで分かったことだが、充填中に風船からヘリウムもれがあったので、彼は粘着テープを貼って「これでok. 君は人にいうな」と口止めされたとは作業を手伝った学生が、半月ほどあとからボソリ。 この学生は「たったひとりの河川敷で鈴木さんがかわいそうだ」 と彼と共に2夜を過ごしたよしみで秘密を守ったという。 「鈴木さんは飛行のため星座を研究していて詳しいんだ。 たのしかった」と。 荷物を降ろしたとはいえまだまだ重いゴンドラ。 もし高速道路や人家に墜落したら、大人身事故になりかねない。 彼が勝手に行ったのだが気になる。 彼の携帯電話番号を聞いていたからその夜何度も電話したが、スイッチを切っているらしく、アナウンスだけだった。 不安な夜だった。 そして11月25日 東京駅に下車するやFテレビカメラが私に近づいて「金華山沖で鈴木さんが発見されました」と。 「そう よかったね」としか言えなかった。 25日 朝 第三管区海上保安本部が捜索機発進、人が手を振って無事であることを確認 3時間ほど現場付近を旋回したが、ゴンドラの高度を下げて着水する気配も見世なかった。 そのうち救難信号も途中で切れたので、昼前には引き返した。 (上記新聞記事) そのとき何か物体を海に投下して軽くし、さらに上昇した。 (ラジオ) (ようやく追跡機が到着したとよろこんだのかも。 ) Fテレビが金華山沖で発見したと私に知らせた。 翌月 12月2日 TBSテレビ、毎日新聞取材、大阪スポーツ新聞に風船おじさん北極圏漂流記事.

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風船おじさん(鈴木嘉和)の今!ファンタジー号事件の真相・その後は

風船 おじさん その後

有名になった、風船おじさんのは、今どうしているのだろう。 風船おじさん最後のフライト! たびたび、マスコミに向けて、大型の風船をつけたゴンドラで、太平洋を横断しアメリカを目指す 冒険を語っていた。 計画があまりにも、ずさんで実現を疑う声も多かった。 そして、その日が来た! 1992年11月23日、当時52歳でヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行うことが連絡されてきた。 本人は何か追いつめられていたのかもしれない。 ! 試験飛行の場には、電話で呼び出された同志社大学教授の三輪茂雄と学生7人、 朝日新聞の近江八幡通信局長、フジテレビのワイドショー『おはよう! ナイスデイ』取材班、そして鈴木の支持者らが集まっていた。 この日はあくまで200メートルあるいは300メートルの上昇実験ということだった。 しかし、120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃、「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープを外した。 「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返し、 重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発したのだった。 残された、関係者はあっけにとられてしまった。 翌日は携帯電話で「朝焼けがきれいだよ」と連絡が取れたものの、2日後にSOS信号が発信され海上保安庁の捜索機が宮城県金華山沖の東約800m海上で飛行中のファンタジー号を確認した。 しかし捜索機に向かって手を振ったりして、SOS信号を止めている。 安心したのかもしれないが、明確にこの時明確に救助の要請はしていない。 ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。 約3時間の監視ののち雲間に消えたため、捜索機は追跡を打ち切られている。 捜索には貴重な税金が使われたことになる。 以後は、SOS信号は確認されておらず、家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカ合衆国とカナダとロシアに救難要請を出している。 鈴木氏の計算では、ファンタジー号は、高度1万メートルに達すれば、ジェット気流に乗って、40時間でアメリカに到着するとみていた。 しかしファンタジー号は1万という高度には達していなかったのだ。 専門家は「生存は難しいだろう」と答えている。 海で遭難したかもしれない? 出発時の防寒具は、スキーウェアと毛布で、無線免許は持っていなかったため、無線機は積まれていなかった。 搭載していた高度計についても、使い方を理解していなかったという。 食糧については、鈴木は絶食の訓練をしていたと称しており、スナック菓子のみだった。 さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた。 ファンタジー号のビニール風船については、もともと人を乗せるものではないし、零下何十度にも達する高空に耐える保証もないことを制作したアド・ニッポー社は取材に答えている。 上空で気圧が下がると、球形の風船では膨らんで弾ける可能性を指摘されていた。 さらに破れてヘリウムガスが抜ける風船があったものの、鈴木は出発の前に粘着テープで ファンタジー号での冒険にあたっては、借金の返済や自然保護を訴えていたようだが、さらに多額の借金を負う結果になってしまった。 冒険にいたる経緯 1984年、44歳のときに音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業。 1986年には銀座では音楽サロンのあんさんぶるを開店。 さらに麻雀荘やコーヒーサロンやパブレストランなどを経営していたが、いずれもうまくいかず倒産。 借金苦に陥る。 ビニール風船26個を付けたゴンドラ「ファンタジー号」による太平洋横断で借金を返済すると債権者に語っていたという。 1989年に横浜市で開催された横浜博覧会にテナント出店をしたが、会場内における立地が悪いこと及び、博覧会自体の集客が順調でないことに不満を持った鈴木氏が、抗議して、1989年7月30日に高さ30メートルの塔に博覧会のマスコット「ブルアちゃん」のぬいぐるみを着てよじ登った。 7時間立てこもり、ハシゴ車と警察が出動する騒ぎになって警察によって引き降ろされた。 1992年4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。 府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに東京都府中市の多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指してヘリウム風船で飛び立った。 座った椅子に5メートルと2. 5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個が外れて急上昇して、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、ライターの火で5メートルの風船を切り離したところ落下した。 午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着している。 民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、弁償も挨拶もなかったという。 奇跡的にケガはかすり傷程度だった。

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